スキーがおぼつかない大人や子供と忍耐のスキー。
久美ちゃんの仕事上の知り合い夫婦がスキーへ行ってみたいという。ではということで上越へ行く。その日が帰省ラッシュのピークとも重なって高速は大渋滞でスキー場まで5時間以上かかった。
スキーがおぼつかない大人や子供と忍耐のスキー。
久美ちゃんの仕事上の知り合い夫婦がスキーへ行ってみたいという。ではということで上越へ行く。その日が帰省ラッシュのピークとも重なって高速は大渋滞でスキー場まで5時間以上かかった。
今年の11月から職員組合の執行委員をやっている。毎週最低1回3時間程度の委員会で議論をする。それ以外にも頻繁に招集がかかり、色々な雑用をやらされる。
職員の海外研修プログラムというのがあって、1992年度1年間、アメリカの大学院へ留学する希望で応募の準備をしている。英語の勉強だけでなく、色々調べたりもしなくてはならないので、このごろとても忙しい。
国際部での仕事に加えて、職員組合の活動と、大学院留学の準備とでとてもストレスがたまる。それで、職員組合の合宿が伊豆であった機会に、帰りがけ城ケ崎へいくことにした。書記局の連中も何人か一緒に行くことになった。
このごろは山に行くことはおろか、トレーニングもしていないので、ろくに登れるわけはない。しかし帰りがけに城ケ崎へ寄れば、組合の合宿だけのために伊豆にきたのではないと、いくぶん気持ちが救われる。
それにしてもブラザークラック(5.9)も登れなくなっているのは情けなかった。
藤森がやけに山に連れて行ってくれとわたしにせがむ。どうやら社学の若手の行事で、何を計画したら良いのか分からず、わたしを頼って来たらしい。それなら、ということで、渉も一緒に連れて行けるような近場を計画した。
御岳駅の裏から、すぐに急な道を登って行く。奥多摩渓谷を眺めながらどんどん登ると、木立の中に祠があり、休憩する。次に目指すピークが良く見える。そこに着くと、雑木林の中で、沢山の人が弁当を広げていた。わたしたちもそこに加わり、景色を楽しみながら昼食をとった。陽だまりで休みながら歩き、最後は軍畑駅に降りた。
今日参加した若者のうち、何人が山登りを好きになっただろうか。
社学の若手職員と
TSMCのフリークライミング・コンペが幕岩であるので、その前日に3人で幕山に登り、6回目の結婚記念日を祝った。
幕山への登山道は、しとど庵という食堂兼宿舎のすぐ先から始まる。そこは幕岩の一番右側だ。渉を背負って登山するのは、伊豆が岳に続いて2回目だ。子供をかついで歩くのは、なかなか汗をかくものである。
灌木のつづら折りをすぎると、ススキの中の道になる。人の声が聞こえ始めると、すぐに平らで眺めの良い山頂に着いた。草におおわれた感じのよいところである。酒を酌み交わしている人たちもいる中、ミカンやせんべいを食べてくつろぎ、また来たいなあと思いながら下った。
翌日は雨が強く、コンペは中止になった。飲み会が始まったがそれには参加せず、早めに帰路に着いた。
毎年国際部にやって来るアメリカからの交換留学生の中には、必ずフリークライミングが好きな連中がいる。今年もその中の2人を連れて、氷川屏風岩へ行った。ここは岩がしっかりしているし、眺めも良く、山らしい感じがするからだ。
岩を登りはじめると、キースは何かくたびれたような、圧倒されたような感じだった。冷たい風が吹きつけてきたこともあり、早めに切り上げた。
なぜか沈んだ感じの2人であった。
誰かがどこかで三峰口の荒川の河原に、ボルダリングに良い岩があると言っていたのを思い出した。先週の大菩薩嶺があまりに呆気なかったので、趣向を変え、そこへ行ってみることにした。
秩父鉄道の三峰口から荒川にかかる橋まではすぐである。しかしここから河原へはどうやって降りるのだろう。製材所のようなところの裏手に踏み跡があったので下ってみる。急な下り道はどうやら河原まで続いている。最後は河原の大岩の上にトンと降りる。川は水量が少なく、遡行に支障は無さそうだ。夏の間に集中豪雨や台風による大雨でもあったのだろうか、河原にはゴミが少ない。左岸右岸に目を走らせながら遡上していくが、ボルダリングに適した岩は見当たらない。ところどころシュリンゲが垂れ下がった露岩はあったが、大きすぎてボルダリングには向かない。
1時間半ほど遡行して大洞発電所の入口に出た。目当てのボルダーには出合わなかったが、ここで遡行を切り上げる。先週に続き新座に昼に帰りつく。また不完全燃焼の山行をしてしまった。
1988年に国際部へ異動し、長男の渉が生まれ、1989年に新座へ引越し、レガシーを買ってから、わたしの山登りは変わった。公私に忙しくはあるが、車で山へひょっこりと行ける。
川上哲の結婚式と披露宴の翌日未明に新座をたち、深夜に2時間半のドライブで富士山の5合目に着く。車の中で仮眠していると、6時頃明るくなってきた。出発準備をしていると、ちょうど若林・島津ペアが登ってきた。最近わたしは運動不足なので、体調充分の二人よりもペースを落として登ることを心に決める。
それにしても残雪が多いのに驚く。吉田大沢の6合目あたりでスキー歩行を始める。ゆっくり登っているつもりでも、スキー歩行は早い。天気がよく、雪が相当腐ってきたが、ズンズン登る。まだ上から滑り降りてくる者はいないので、気はせかない。若林さんはどういうつもりなのか、ハイペースで登って行く。9合目あたりまで来ると、シールの裏に雪が付くようになって、登るスピードが落ちた。スキーをはずし、ザックに着けて背負って登ることにする。そして歩行を始めると足が重かった。かなりばてて山頂に着く。
息を整えて滑降開始だ。9合5勺にいる若林さんめがけてツバクロ沢を滑る。重い新雪に足を取られないよう注意して滑る。若林さんと少し話をしてから、今度は吉田大沢を滑る。下るにつれて雲が出てきて、あっという間に視界がなくなる。大きなターンでザラメ雪を滑り、最後は残雪を拾いながら下る。滝沢林道のすぐ上まで下ってスキーをはずした。
渉もそろそろ達者に歩くようになってきたので、いよいよハイキングに行くかということになった。手始めに近場の奥武蔵・正丸峠へと出かけた。
家から2時間ほどのドライブで正丸峠に着く。ここに車を置き、昼食をとる。渉を背負子で担いで歩き出す。スギやヒノキが植林された尾根道を、1時間ほど歩くと伊豆が岳に着いた。頂上の手前で岩場になる男坂を行ったが、鎖場はスリルがあった。ここで渉は怖がって少しメソっとなったが、あやすと笑った。
頂上は南北に細長く、両側が崖で、幼児にとっては不安定なところだ。久美ちゃんはさかんに「危ない、危ない」と言っている。
そんな頂上なのでゆっくりできず、すぐ下山する。女坂を下り、1時間弱で正丸峠に戻る。背負子で渉をしょって歩いたせいで足がくたびれた。
大学職員の友人に誘われて行ったのだが、泊まったペンションが最悪。風呂、食事、寝るところ、すべて汚く、狭く、使いづらい。ゲレンデは急すぎて、子供連れには向かない。
わざわざ地味なスキー場に行く。それは渉とスキーを楽しみたいから。湯沢パークスキー場で、初めて渉をおんぶして滑る。リフトが支柱際を通るとき滑車がガチャガチャいって、ちょっと怖かったかな?
日曜日に家で休んでいると、TSMCの佐藤泰さんから電話があった。三須さんが赤岳主稜で滑落したので、これから救助に行く。家にいるのなら一緒に来いとのこと。当然行かなければならない。
深夜新宿駅に集合し、わたしのレガシーも含めて、車3台に8人が分乗して、赤岳鉱泉へ向かう。途中美濃戸口でチェーンをつけ、美濃戸に午前3時半に着く。そこで1時間ほど酒を飲み、1時間ほど仮眠した。
ほとんど寝られないまま、7時に行者小屋に向けて歩きはじめる。情けないことに、歩き出して30分もすると、わたしの足はもつれだした。それもそのはず、前回山に行ったのは、丁度1年前の今頃、古谷雅子さんと留学生のスティーブと一緒に木曽御岳だった。救助隊のメンバーなのに、皆と一緒に歩けない。キジを撃つことにして、林の中で息を整えた。
道が深い森に入り、平坦地になったところで、三須さんが道路端に腰を下ろしていた。それほど悲壮感はないように見受けられた。実際には、救助隊が来てくれたことがとても嬉しかったそうである。
背負子を2台連結してタンカを作り、その上に三須さんを寝かせて6人で運んだ。沢沿いを通る道は狭く、運搬は難儀だった。そのうちに三須さんは「自分で歩ける」と言いだしたので、そろそろと美濃戸まで歩いて下った。
麓の町まで出て、大きな病院で診てもらったところ、膝のお皿が割れ、肩を骨折しているとのこと。命に別状がなかったのが何よりである。
眠い目を擦りながら渋滞の中央道を上り、与野の三須さんの家まで送っていった。