2019年2月1日金曜日
2017年12月16日土曜日
2012年1月5日木曜日
2012年1月4日、5日 あそぶ:スキー 軽井沢スキー場
4年ぶりにみんなでスキーに出かけた。大学の健康保険組合が補助するスキーパックで、軽井沢プリンスホテルのコテージに泊まった。コテージの中は暖かく、ホテルの食事は美味しい。ここに温泉があれば最高なのだけれど。スキー場には人工雪の上に自然雪が積もっていて、滑りやすかった。
2008年12月29日月曜日
2008年12月26日~29日 あそぶ:スキー 後生掛温泉スキー場
昨年は軽井沢へスキーに行った。今年もどこかへスキーに行くことにした。行先は後生掛温泉にする。1992年の正月に八幡平の山スキーをこの温泉に泊まって過ごした。その時の印象が良かった。
今回家族で来るに際しては、ふたつの理由があった。
ひとつは宿泊費が安いこと。スキーブームは去り、若者にはスノーボードが人気である。本州の北端に位置するこの温泉は、以前のようにスキーでは人を集められず、経営に苦戦している模様である。3泊のパック料金が、民宿とおなじ程度で格安だ。
もう1つは、わたしの足に効くのではないかという期待である。今年の春に富士山1周ブルベで痛めた右下肢の冷えとしびれがまだ治らない。この温泉は全館床暖房で、「馬で来て、下駄で帰る」というコピーで有名なくらいだから、少しは良くなるのではないかという期待があった。
12月26日
郭町を朝7時に出発する。岩槻から東北自動車道にのり、北へ向かう。車の運転を渉と2時間ごとに交代していくことにする。仙台から吹雪になり、スピードをあげられない。それでも先日タイヤを新品のスタッドレスに換えたので、若干安心である。波垂は鉄道利用でないので不服そう。
秋田県内に入るといよいよ冬型の真ん中に入った感じで、後生掛温泉に15時半に到着した時は、外気温が氷点下10度だった。
風雪が強まってきたので今日はスキーはやらず、ゆっくり温泉に入ることにする。
12月27日
朝になっても風雪が強いままだった。それでもゲレンデへ行って滑ったが、風が強く、気温が低い。
昼食後、また滑ろうと思ったが、顔や手が凍傷になりそうなので、温泉宿へ戻る。
12月28日
相変わらずの悪天候なので、いちにち宿でごろごろしていた。
12月29日
こんなに風雪に振り込められたスキー行はこれまでなかった。たいそう残念である。
朝食を食べ、9時に宿を発つ。岩手県内に入ると日差しが出るような好天で、順調に郭町まで帰った。17時に郭町の家に着く。
ホッとしていると、サイケンから電話が入った。磯工山岳部で2年後輩の板垣雅也が、亡くなったという。28日の夜に会社の忘年会が終ったあと、家で入浴中に死亡したという。まだ50歳である。ともかく明日の通夜に行くことにする。
2005年2月12日土曜日
2005年1月6日木曜日
2005年1月4日~6日 あそぶ:スキー 軽井沢プリンススキー場
この前に最後にスキーに行ったのは、2年前のことだった。浦佐スキー場へ日帰りで行って、波垂が上手く滑ったことに感心した。その時以来だ。久しぶりに正月に、ゆっくりした気分で、あまり金をかけずに、スキーを楽しみたいな、と久美子さんとも話し、早稲田大学健康保険組合のスキー企画に、家族そろって参加した。
宿泊先の軽井沢プリンスホテルまでは車で行く。家から2時間ほどで、近くて楽だ。ホテルはコテージ泊で、暖かく広くて快適だ。食事はホテルへ食べに行く。バイキングやレストランで食事を選べて楽しい。スキー場は歩いて行ける人工雪のスキー場で、鼻歌まじりで滑ることのできるコースばかりだ。
波と垂はこれまでオモチャのようなスキー道具でしか滑ったことがなかったが、今回は貸スキーを借りて滑る。上手だ。
渉は楽しくもつまらなくもない、という感じで滑っている。
スキーを積極的にはやる気のない子供たちだが、家族一緒に過ごすことには意味があったと思った。
2002年12月31日火曜日
浦佐スキー場 2002年12月31日
かつて浦佐スキースクールといえば、技術の上達を目指す多くのスキーヤーが一目を置く指導メソッドが有名であった。そこも今は寂しい田舎スキー場となったな、と思いつつ滑っていると、わたしのサロモンのスキーブーツがいつの間にか割れていた。思えばこのスキーブーツは20年ほど前に買ったのであるから、もうプラスチックが加水分解してもおかしくない。時代が変われば、いろいろなものが分解していくのは当然のことである。
2001年1月6日土曜日
古志高原スキー場 2001年1月6日
昨シーズンに波と垂が小出スキー場でスキーデビューした。今シーズンはまたローカルなスキー場へ行くことにした。ずっと前に山古志の牛の角突きを見に来たことがあった。迫力があって面白かった。それで、今度は山古志でスキーをやってみることに。
山古志の山の上に小さなスキー場があった。リフトは1機のみ。ゲレンデも1面だけ。
ここで思い思いに滑ったり、ソリ遊びをしたりした。
静かなスキー場だった。
2000年2月25日金曜日
菅平スキー場 2000年2月23日~25日
いつの頃からなのか、毎年この時期に大学が主催して、各国から早稲田に学びに来ている留学生を対象に、菅平でスキー教室を開いている。その担当がわたしの所属している国際教育センターなので、引率のため出張した。
久しぶりに訪れた菅平寮はきれいに改装されていて、すっかり明るい雰囲気になっていた。スキーは体力不足で十分に楽しめなかったが、夜にゲームなどをして楽しかった。
1999年12月29日水曜日
小出スキー場 1999年12月29日
今回は雪掘りの前に小出でスキーをした。5歳になった穂波と垂穂の初スキーである。渉は3歳の時にオレゴンのマウント・バチェラーで初スキーをした。双子の場合は何かと手がかかり、少し遅れたというわけだ。
小出駅の裏山に、こぢんまりとした小出スキー場がある。そのゲレンデの一番下で、渉のお古のスキー道具を使って、波と垂の初スキーが始まった。
初スキーの時、渉はとても慎重だったが、波と垂はこちらが止めたくなるくらい大胆に滑る。お古のスキーはプラスチック製で、長靴にビニールひもで固定しただけなのに、容易に転倒もせず、結構な坂の上からスピードを抑えようともせず滑り降りてくる。見ているのが怖いようで、気持ちが良い。
のんびりした田舎のスキー場で、波と垂は大胆にスキー・デビューしました。
1996年3月22日金曜日
グリーンピア津南スキー場 1996年3月20日~22日
子供連れで行って楽しいスキー場はないかと探し、田麦山からそう遠くない津南へ行くことにした。
塩沢石打ICで関越道を降り、魚沼丘陵を越えて信濃川まで下る。そして津南から南下して、スキー場のある山奥まで入る。春の彼岸だが残雪が道路わきに2メートルぐらい残っている。
さて泊るところは公共宿泊施設のグリーンピアだ。規模が大きすぎるためか、万事サービスが行き届かない。さらに渉の体調が悪く、波と垂は手がかかる、と親子ともどもストレスがかかる状況であった。
頼みの綱のスキー場は、夏はゴルフ場なのか、とても傾斜が緩く、春先のベタ雪とも相まってスキーが滑らない。スキーよりも体が先に行ってしまい前のめりになってしまうような、情けない状況だった。
1995年3月10日金曜日
1993年12月21日火曜日
玉原スキー場 1993年12月21日
渉を遊ばせるのにはなだらかで良いスキー場だったが、気合を入れて滑るようなゲレンデはなかった。
1992年12月20日日曜日
マウント・フッドスキー場 1992年12月18日~20日
暮れも押し詰まり、岩城が遊びに来た。スキーをしたいという。ジョンはマウント・フッドに登りたいという。それでもう面倒なので、3人一緒にマウント・フッドへ行く。
天気が悪く、中腹のガバメント・キャンプからは山頂が見えない。取り敢えず岩城はひとりでスキーをすることとして、ジョンと一緒に歩いて山頂方向へ登って行く。天候が一向に回復しそうにないので、またガバメントキャンプに降りてくる。ジョンは諦めて家に帰り、岩城とわたしは残ってしばらくスキーをした。
夕方一旦家に帰って泊まり、翌日久美ちゃんと渉も一緒にまたガバメント・キャンプへやって来てスキーをした。
1992年11月28日土曜日
マウント・バチェラースキー場 1992年11月27日、28日
大学院の秋学期の勉強も終盤に差し掛かったところで、感謝祭の休日があった。それを利用して、家族でスキーへ出かける。
ポートランドからマウント・フッドの南側を抜けて、ワーム・スプリングスを通り、スミス・ロックで大休止する。ここの岩場は、フリークライミングで世界的に有名になったので、久美ちゃんにも見てもらう。渉にもガケ登り程度の初めての岩登りをさせる。
スミス・ロックからベンドの町を抜け、マウント・バチェラー・スキー場へ登る途中の、セブンス・マウンテン・リゾートというロッジに泊まる。ロッジと言っても、総定員は500人ぐらいはありそうな大きな宿泊施設だ。木造の建物で部屋はとてもゆったりした山小屋風の造りだ。夜の食事は感謝祭メニューでたっぷりグレービーのかかった七面鳥を食べた。
マウント・バチェラーはこの夏休みに家族で麓を散策したブロークントップという山の南側にある独立峰の火山で、山の北側がスキー場になっている。
渉には生まれて初めてスキーを履かせて森の中を歩かせた。
ゲレンデは適度な傾斜で変化もあり、見晴らしが良くて楽しかった。
1992年4月5日日曜日
マウント・フッドスキー場 1992年4月5日
留学先にオレゴン州を選んだのは、ここならばスキーや山登りも楽しめるだろうと思ったから。その留学生活も、何度も買い物に行って生活に必要なものを買い足し、なんとかスタートしました。ホッと一息ついた頃、そろそろ春スキーのシーズンもおわるので、とりあえず1回行っておこうということになりました。
車も買いました。ジュディの連れ合いのディックに助けてもらいしました。週末になると、オレゴニアンという地方紙に、中古車の3行広告がたくさん載る。まず、その中から手ごろなものを探す。わたしは、スキーやキャンピングに行くことも考えてワゴン車の4WDが欲しかった。それで、スバル・レオーネで探すことにした。2,000ドルぐらいから、いろいろな価格で売りに出ている。その中からいくつか選び、ディックが広告を出した人に電話して、実際に車を見るアポイントメントを取る。ディックの車に乗ってその売りに出ている車を見に行く。わたしは結構どれでも良さそうに見えたが、ディックは気になるところがあるらしく、「これは止めておいた方がいい」といって、なかなか決まらなかった。4、5台みたあとで、ようやくディックも気に入ったのが見つかった。エアコンは付いていないが、ポートランドの夏は日本のように蒸し暑くないので、必需品ではないという。値段は2,600ドルだったかな。
マウント・フッドはポートランドから東に100㎞ほどのところにある。天気の良い日はポートランドの市外から、つばの広い帽子を伏せたような山容がきれいに望まれる。その中腹にスキー場があり、標高1,800mのあたりにティンバーラインロッジがある。このロッジは、1930年代の大恐慌の後に、復興政策の一環として建設された豪壮な木造のホテルだ。土曜日に出かけ、ロッジに1泊し、翌日半日スキーを楽しんで、またポートランドに帰ってくる計画にした。
ポートランドの市街地から一般道を東へ東へと走っていく。道の両側は、民家から農耕地、牧草地へと変わり、疎林が高さ30m以上あるような針葉樹の高木帯に変ると、山にぐっと近づいた感じがする。道に傾斜が出てきて、ワインディングをしばらく繰り返して道路の終点で、ティンバーラインロッジがあるところに着く。
ロッジのフロントへ行くと大きなセントバーナードの老犬ハイジが出迎えてくれた。わたしたち親子が3人で泊まる部屋は、広めの2人用寝室といった感じ。内装も年季の入った木造りです。外は雪まじりの天気だが、部屋のなかはとても暖かい。屋外のスパに入ってから夕食にレストランへ行く。スタッフがとても暖かい感じのところで、料理の味もサービスも良かった。
翌日は貸スキーを借りて滑る。雪はもうベタ雪で、全くの春スキー気分だ。渉をオンブ紐で背中にくくりつけ、ゲレンデを何回か滑り降りる。リフトに乗る時に、係員が怪訝な顔をして見るが、注意はされなかった。子供をオンブして滑る人は珍しいのだろう。久美ちゃんも滑ってから、昼には切り上げて帰途につく。明日は月曜で、またハードな授業が始まる。楽しい週末は、あっという間に過ぎてしまった。