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2017年12月16日土曜日

2017年12月16日 遊ぶ:スキー 奥只見丸山スキー場

シーズンに一回ぐらいはスキーをしたいと思い人気の少ないスキー場へ波と行った

深い山の中の静かなスキー場

2012年1月5日木曜日

2012年1月4日、5日 あそぶ:スキー 軽井沢スキー場

 


4年ぶりにみんなでスキーに出かけた。大学の健康保険組合が補助するスキーパックで、軽井沢プリンスホテルのコテージに泊まった。コテージの中は暖かく、ホテルの食事は美味しい。ここに温泉があれば最高なのだけれど。スキー場には人工雪の上に自然雪が積もっていて、滑りやすかった。


2008年12月29日月曜日

2008年12月26日~29日 あそぶ:スキー 後生掛温泉スキー場


 昨年は軽井沢へスキーに行った。今年もどこかへスキーに行くことにした。行先は後生掛温泉にする。1992年の正月に八幡平の山スキーをこの温泉に泊まって過ごした。その時の印象が良かった。

今回家族で来るに際しては、ふたつの理由があった。

ひとつは宿泊費が安いこと。スキーブームは去り、若者にはスノーボードが人気である。本州の北端に位置するこの温泉は、以前のようにスキーでは人を集められず、経営に苦戦している模様である。3泊のパック料金が、民宿とおなじ程度で格安だ。

もう1つは、わたしの足に効くのではないかという期待である。今年の春に富士山1周ブルベで痛めた右下肢の冷えとしびれがまだ治らない。この温泉は全館床暖房で、「馬で来て、下駄で帰る」というコピーで有名なくらいだから、少しは良くなるのではないかという期待があった。

12月26日

 郭町を朝7時に出発する。岩槻から東北自動車道にのり、北へ向かう。車の運転を渉と2時間ごとに交代していくことにする。仙台から吹雪になり、スピードをあげられない。それでも先日タイヤを新品のスタッドレスに換えたので、若干安心である。波垂は鉄道利用でないので不服そう。

 秋田県内に入るといよいよ冬型の真ん中に入った感じで、後生掛温泉に15時半に到着した時は、外気温が氷点下10度だった。

 風雪が強まってきたので今日はスキーはやらず、ゆっくり温泉に入ることにする。

12月27日

 朝になっても風雪が強いままだった。それでもゲレンデへ行って滑ったが、風が強く、気温が低い。

 昼食後、また滑ろうと思ったが、顔や手が凍傷になりそうなので、温泉宿へ戻る。

12月28日

 相変わらずの悪天候なので、いちにち宿でごろごろしていた。

12月29日

 こんなに風雪に振り込められたスキー行はこれまでなかった。たいそう残念である。

 朝食を食べ、9時に宿を発つ。岩手県内に入ると日差しが出るような好天で、順調に郭町まで帰った。17時に郭町の家に着く。


 ホッとしていると、サイケンから電話が入った。磯工山岳部で2年後輩の板垣雅也が、亡くなったという。28日の夜に会社の忘年会が終ったあと、家で入浴中に死亡したという。まだ50歳である。ともかく明日の通夜に行くことにする。


2005年2月12日土曜日

2005年2月12日 あそぶ:スキー 六日町ミナミスキー場


 正月の軽井沢に続き、波と垂はスキーを借りて滑ったが、こちらが冷や冷やするくらいスピードを出してすべる。


2005年1月6日木曜日

2005年1月4日~6日 あそぶ:スキー 軽井沢プリンススキー場


この前に最後にスキーに行ったのは、2年前のことだった。浦佐スキー場へ日帰りで行って、波垂が上手く滑ったことに感心した。その時以来だ。久しぶりに正月に、ゆっくりした気分で、あまり金をかけずに、スキーを楽しみたいな、と久美子さんとも話し、早稲田大学健康保険組合のスキー企画に、家族そろって参加した。

 宿泊先の軽井沢プリンスホテルまでは車で行く。家から2時間ほどで、近くて楽だ。ホテルはコテージ泊で、暖かく広くて快適だ。食事はホテルへ食べに行く。バイキングやレストランで食事を選べて楽しい。スキー場は歩いて行ける人工雪のスキー場で、鼻歌まじりで滑ることのできるコースばかりだ。

 波と垂はこれまでオモチャのようなスキー道具でしか滑ったことがなかったが、今回は貸スキーを借りて滑る。上手だ。

渉は楽しくもつまらなくもない、という感じで滑っている。

スキーを積極的にはやる気のない子供たちだが、家族一緒に過ごすことには意味があったと思った。


2002年12月31日火曜日

浦佐スキー場  2002年12月31日

 

かつて浦佐スキースクールといえば、技術の上達を目指す多くのスキーヤーが一目を置く指導メソッドが有名であった。そこも今は寂しい田舎スキー場となったな、と思いつつ滑っていると、わたしのサロモンのスキーブーツがいつの間にか割れていた。思えばこのスキーブーツは20年ほど前に買ったのであるから、もうプラスチックが加水分解してもおかしくない。時代が変われば、いろいろなものが分解していくのは当然のことである。


2001年1月6日土曜日

古志高原スキー場  2001年1月6日

 

 昨シーズンに波と垂が小出スキー場でスキーデビューした。今シーズンはまたローカルなスキー場へ行くことにした。ずっと前に山古志の牛の角突きを見に来たことがあった。迫力があって面白かった。それで、今度は山古志でスキーをやってみることに。

 山古志の山の上に小さなスキー場があった。リフトは1機のみ。ゲレンデも1面だけ。

 ここで思い思いに滑ったり、ソリ遊びをしたりした。

 静かなスキー場だった。


2000年2月25日金曜日

菅平スキー場 2000年2月23日~25日

 いつの頃からなのか、毎年この時期に大学が主催して、各国から早稲田に学びに来ている留学生を対象に、菅平でスキー教室を開いている。その担当がわたしの所属している国際教育センターなので、引率のため出張した。

 久しぶりに訪れた菅平寮はきれいに改装されていて、すっかり明るい雰囲気になっていた。スキーは体力不足で十分に楽しめなかったが、夜にゲームなどをして楽しかった。


1999年12月29日水曜日

小出スキー場 1999年12月29日

 

今回は雪掘りの前に小出でスキーをした。5歳になった穂波と垂穂の初スキーである。渉は3歳の時にオレゴンのマウント・バチェラーで初スキーをした。双子の場合は何かと手がかかり、少し遅れたというわけだ。

小出駅の裏山に、こぢんまりとした小出スキー場がある。そのゲレンデの一番下で、渉のお古のスキー道具を使って、波と垂の初スキーが始まった。

初スキーの時、渉はとても慎重だったが、波と垂はこちらが止めたくなるくらい大胆に滑る。お古のスキーはプラスチック製で、長靴にビニールひもで固定しただけなのに、容易に転倒もせず、結構な坂の上からスピードを抑えようともせず滑り降りてくる。見ているのが怖いようで、気持ちが良い。

のんびりした田舎のスキー場で、波と垂は大胆にスキー・デビューしました。


1996年3月22日金曜日

グリーンピア津南スキー場 1996年3月20日~22日

 


子供連れで行って楽しいスキー場はないかと探し、田麦山からそう遠くない津南へ行くことにした。

塩沢石打ICで関越道を降り、魚沼丘陵を越えて信濃川まで下る。そして津南から南下して、スキー場のある山奥まで入る。春の彼岸だが残雪が道路わきに2メートルぐらい残っている。

さて泊るところは公共宿泊施設のグリーンピアだ。規模が大きすぎるためか、万事サービスが行き届かない。さらに渉の体調が悪く、波と垂は手がかかる、と親子ともどもストレスがかかる状況であった。

頼みの綱のスキー場は、夏はゴルフ場なのか、とても傾斜が緩く、春先のベタ雪とも相まってスキーが滑らない。スキーよりも体が先に行ってしまい前のめりになってしまうような、情けない状況だった。


1995年3月10日金曜日

菅平スキー場 1995年3月10日~12日

 国際部の人たちと菅平へ行く。菅平は雪が少ないことが多いが、幸い今冬はスキーをやるのに支障が無い雪があった。渉はおもに橇を楽しんだ。


1993年12月21日火曜日

玉原スキー場  1993年12月21日

 

 田麦山の帰りがけに、群馬県の玉原スキー場へ寄る。関越道を沼田ICから降りて直ぐなので、丁度いいかと思った。

渉を遊ばせるのにはなだらかで良いスキー場だったが、気合を入れて滑るようなゲレンデはなかった。


1992年12月20日日曜日

マウント・フッドスキー場 1992年12月18日~20日

 暮れも押し詰まり、岩城が遊びに来た。スキーをしたいという。ジョンはマウント・フッドに登りたいという。それでもう面倒なので、3人一緒にマウント・フッドへ行く。

天気が悪く、中腹のガバメント・キャンプからは山頂が見えない。取り敢えず岩城はひとりでスキーをすることとして、ジョンと一緒に歩いて山頂方向へ登って行く。天候が一向に回復しそうにないので、またガバメントキャンプに降りてくる。ジョンは諦めて家に帰り、岩城とわたしは残ってしばらくスキーをした。

夕方一旦家に帰って泊まり、翌日久美ちゃんと渉も一緒にまたガバメント・キャンプへやって来てスキーをした。


1992年11月28日土曜日

マウント・バチェラースキー場 1992年11月27日、28日

 大学院の秋学期の勉強も終盤に差し掛かったところで、感謝祭の休日があった。それを利用して、家族でスキーへ出かける。

ポートランドからマウント・フッドの南側を抜けて、ワーム・スプリングスを通り、スミス・ロックで大休止する。ここの岩場は、フリークライミングで世界的に有名になったので、久美ちゃんにも見てもらう。渉にもガケ登り程度の初めての岩登りをさせる。

スミス・ロックからベンドの町を抜け、マウント・バチェラー・スキー場へ登る途中の、セブンス・マウンテン・リゾートというロッジに泊まる。ロッジと言っても、総定員は500人ぐらいはありそうな大きな宿泊施設だ。木造の建物で部屋はとてもゆったりした山小屋風の造りだ。夜の食事は感謝祭メニューでたっぷりグレービーのかかった七面鳥を食べた。

マウント・バチェラーはこの夏休みに家族で麓を散策したブロークントップという山の南側にある独立峰の火山で、山の北側がスキー場になっている。

渉には生まれて初めてスキーを履かせて森の中を歩かせた。

ゲレンデは適度な傾斜で変化もあり、見晴らしが良くて楽しかった。


1992年4月5日日曜日

マウント・フッドスキー場 1992年4月5日

 留学先にオレゴン州を選んだのは、ここならばスキーや山登りも楽しめるだろうと思ったから。その留学生活も、何度も買い物に行って生活に必要なものを買い足し、なんとかスタートしました。ホッと一息ついた頃、そろそろ春スキーのシーズンもおわるので、とりあえず1回行っておこうということになりました。

車も買いました。ジュディの連れ合いのディックに助けてもらいしました。週末になると、オレゴニアンという地方紙に、中古車の3行広告がたくさん載る。まず、その中から手ごろなものを探す。わたしは、スキーやキャンピングに行くことも考えてワゴン車の4WDが欲しかった。それで、スバル・レオーネで探すことにした。2,000ドルぐらいから、いろいろな価格で売りに出ている。その中からいくつか選び、ディックが広告を出した人に電話して、実際に車を見るアポイントメントを取る。ディックの車に乗ってその売りに出ている車を見に行く。わたしは結構どれでも良さそうに見えたが、ディックは気になるところがあるらしく、「これは止めておいた方がいい」といって、なかなか決まらなかった。4、5台みたあとで、ようやくディックも気に入ったのが見つかった。エアコンは付いていないが、ポートランドの夏は日本のように蒸し暑くないので、必需品ではないという。値段は2,600ドルだったかな。

マウント・フッドはポートランドから東に100㎞ほどのところにある。天気の良い日はポートランドの市外から、つばの広い帽子を伏せたような山容がきれいに望まれる。その中腹にスキー場があり、標高1,800mのあたりにティンバーラインロッジがある。このロッジは、1930年代の大恐慌の後に、復興政策の一環として建設された豪壮な木造のホテルだ。土曜日に出かけ、ロッジに1泊し、翌日半日スキーを楽しんで、またポートランドに帰ってくる計画にした。

ポートランドの市街地から一般道を東へ東へと走っていく。道の両側は、民家から農耕地、牧草地へと変わり、疎林が高さ30m以上あるような針葉樹の高木帯に変ると、山にぐっと近づいた感じがする。道に傾斜が出てきて、ワインディングをしばらく繰り返して道路の終点で、ティンバーラインロッジがあるところに着く。

ロッジのフロントへ行くと大きなセントバーナードの老犬ハイジが出迎えてくれた。わたしたち親子が3人で泊まる部屋は、広めの2人用寝室といった感じ。内装も年季の入った木造りです。外は雪まじりの天気だが、部屋のなかはとても暖かい。屋外のスパに入ってから夕食にレストランへ行く。スタッフがとても暖かい感じのところで、料理の味もサービスも良かった。

翌日は貸スキーを借りて滑る。雪はもうベタ雪で、全くの春スキー気分だ。渉をオンブ紐で背中にくくりつけ、ゲレンデを何回か滑り降りる。リフトに乗る時に、係員が怪訝な顔をして見るが、注意はされなかった。子供をオンブして滑る人は珍しいのだろう。久美ちゃんも滑ってから、昼には切り上げて帰途につく。明日は月曜で、またハードな授業が始まる。楽しい週末は、あっという間に過ぎてしまった。


1991年4月28日日曜日

草津スキー場 1991年4月28日、29日

 教職員スキークラブの春スキーでへんなところを無理やり滑った。

1991年3月18日月曜日

万座スキー場 1991年3月18日~21日 

 万座ホテルに泊まり温泉を楽しみながらスキー。渉が派手に壁紙を破いてしまいホテルの人に平謝りした。