北西の風が徐々に強くなり舟が前に進まないほどになったので午前で中止した
2016年4月29日金曜日
2016年4月23日土曜日
2016年4月13日水曜日
2016年4月13日 あそぶ:山遊び 塔ノ岳バカ尾根
今年の夏にサイケンとサクラギを誘って五竜岳と鹿島槍岳に登ろうと思う
神城山荘のある遠見尾根から登るので厳しい山登りになる
そこで事前にトレーニングをしておくことにした
高校生の時も夏合宿に備えてボッカ訓練したように
荷物はたくさん背負わないが自分の体を運ぶだけでも大変な爺さんになった
車で行く
渋沢駅で二人を拾い大倉まで行きバス停近くの駐車場に車を置く
こんなに大きな駐車場ができたんだ
小さな荷物を背にしずしずと歩き始める
取り立てて不都合なことはない
道の脇に鹿よけの金網が目立つくらい
堀山を過ぎて急な登りに入る
ようやく足の動きが鈍ってくる
赤土の斜面は新しく階段になっている
多くの人の協力でそれが完成したことが記録されている
まだ春先なので山小屋は閉まっている
花立山荘も戸を閉ざしていた
誰もバテずに登り続ける
鍋割山への分岐から山頂までの階段が長い
ここは笹藪の中を行く道だったと記憶していた
今は笹が無いすっきりした道になっている
鹿が笹をみんな食べてしまったのかな
山頂には人が沢山いた
富士山は見えなかったと思う
代わりに表尾根でハンググライダをしているのが見えた
えっ!
ガスでパスタをゆでて食べている女性組
ここにきてようやく時代は変わったのだと思う
下りで堀山のあたりに桜が咲いているのを発見
登りでは気がつかなかった
そこで記念撮影した
渋沢駅で別れた
2016年4月12日火曜日
お散歩半日コース 錦乃原のサクラソウ
| 荒川河川敷の錦乃原(にしきのはら)には4月中旬にサクラソウが咲きます。 |
サクラソウはキクやアサガオと同様に古典的な園芸植物として江戸のひとびとにたいへん愛好されました。その自生地が荒川に面した原っぱであったため、近代に入ると河川改修で生育地がせばまり絶滅危惧種に指定されました。この事態を重く見たボランティアのかたたちの長年の努力で現在では危機的な状況を脱しています。
サクラソウは遠目から見ると、その鮮やかな花の色に目を奪われます。そして花びらの形にはあまり注意がおよばないかもしれません。近づいてよく見てみると、花びらの形が一株ごとに微妙に異なることに気がつくでしょう。
錦乃原では毎年4月中旬に「櫻草フェスティバル」が開催されます。そこではサクラソウの保護育生にあたっているボランティアのかたからお話しを聞くことができ、運が良ければ甘酒をごちそうになることができます。
お散歩 半日コース 錦乃原のサクラソウ マップ
錦乃原は治水橋(じすいばし)の下の荒川左岸(さいたま市側)にあります。荒川自転車道に面していますのでサイクリングのおりに立ち寄ってはいかがですか?
2016年4月9日土曜日
黒旅(3)田原⇒和歌山
2016年4月4日 田原⇒伊勢 50㎞

10:00 去年の5月に雨の中ここ田原に着きました。今日は雨の中を出発です。
12:30 波のむこうに神島がかすんで見えます。「歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である」と三島由紀夫が書き出した小説「潮騒」の舞台となった島です。いま人口は五百人あまりまで減ったそうです。

13:50 鳥羽からふたたび自転車を漕ぎだし伊勢に向かいました。静かな山道を下って平地に出るといたく整った田んぼが見えました。止まってみると「神宮神田」とありました。
14:30 伊勢内宮に着きさっそく「めひびうどん」で腹ごしらえしました。めひびとはわかめの芽かぶを乾燥させて刻んだものだそうです。
15:30 外宮へお参りにいきました。内宮とはまたちがい静かで明るいところでした。
16:30 河崎の商家町を見にいきました。通りと川に挟まれた狭い地割をできるだけ効率よくつかおうという工夫がいたるところに見えました。
ここの蔵には通りと川の方向に合わせて敷地が平行四辺形になっているものがありました。
商人の工夫は建物だけでなくソフトにも及んでいたようです。その最たるものが日本最古の紙幣といわれるこの山田羽書でしょう。詳細は写真を拡大してご覧ください。
18:00 星出館という古風な旅館にチェックインしました。
2016年4月5日 伊勢(三重県)➡伊賀(三重県)92km

7:45 星出館を漕ぎだしました。今日は晴れました。やや強い向かい風が吹いています。
10:00 津の市街で関宿への道を確かめようとフロントバッグの上の地図に目を落としました。そして顔を上げるともう知らないおじさんが目の前に立っていました。
「なにを探しているんですか?」
「関宿へ行く道です」
「それじゃあ県庁の前をとおって右に曲がって真っ直ぐいけばいいよ。いや県庁のところの坂がちょっと急かな。県庁の先を回ったほうがいいだろうか。でも大丈夫しょう。じゃあ気をつけていってください」
三重のひとは親切だなあと思いました。
11:30 津の市街をぬけて田んぼの中の真っ直ぐな道を漕いでいくと大きな寺の屋根が家並みの向こうに見えました。寺は専修寺(せんじゅじ)という真宗の古刹で家並みは重伝建地区である一身田(いっしんだ)の寺内町でした。

寺内町は寺を取り囲むように家が整然と密集しています。通りにはちりひとつ落ちていないし軒下には花などが飾られています。寺から流れてくる空気がこのまちなみを形作っているのを感じました。そしてこのような暮らしを必要とした当時の世の中一般の厳しさを想ってみました。
13:00 伊勢別街道をたどって重伝建地区である東海道の関宿まで来ました。この鳥居は伊勢神宮内宮にあったものです。式年遷宮のたびに古い鳥居を削りなおして移築するのだそうです。
13:15 関まちなみ資料館を見学しました。係のかたがとても丁寧に説明してくれました。
建物はよく保全されていて旅人が行き来した当時が目に浮かぶようです。多くは空き家でしんとしていました。どうやってここをひとが使うようにできるのか考えるのが大切ではないかと思いました。
14:30 関宿から大和街道の山桜の咲く谷あいを走っていくと道がふたまたになりました。バッグの上の地図に目を落とし、現在位置をたしかめ、そして顔をあげるといつのまにかおじさんが立っていました。
「どこへ行くの?」
「伊賀です」
「では右の道ですよ。関宿からきたんですか?」
「ええそうです。静かでいい道ですね」
「ここにいると当たり前でわからないが、そうですか?」
「まちがいなくそうです。ありがとうございました」
「気を付けて」
三重の人はほんとうに親切だなあとおもいました。
16:30 伊賀の芭蕉の生家に着きました。芭蕉は料理が上手だったそうです。弟子たちになにかのお礼のためにふるまったという品書が貼ってありました。料理のことはわからないわたしですがその品数の多さと献立の多様さに驚かされました。
生家のわきに釣月軒(ちょうげつけん)という建物がありました。芭蕉は帰郷した際にここで起居していたそうです。
17:00 薫楽荘という登録指定文化財の旅館にチェックインしました。
2016年4月6日 伊賀(三重県)➡明日香(奈良県) 68km

10:00 大和街道(国道25号線)のわきに自転車をころがして休みます。お茶畑がありのんびりした景色です。
11:30 大和高原を越えて奈良盆地の東のへりにある山辺(やまのべ)の道に出ました。無人販売所で甘夏を買ってたべました。ここから盆地の底まで気持ちの良い下りです。

13:00 するすると路地を行くとおもむきのある十字路に出ました。八木札ノ辻というところだそうです。走ってきた道は日本書紀(613年)にでてくる日本最古の官道(国道)だそう。
札ノ辻の両側の建物は江戸時代に建てられた旅籠(はたご)です。右(東)側は復元改築されて八木札ノ辻交流館になっています。係のひとが丁寧に説明してくれ、お茶までいただきました。

うえの写真は2階の部屋から札の辻を見下ろしたところです。右は2階から1階に降りる急な階段の上部です。夜は板戸を下ろして行き来ができないようにしていたそうです。さてなぜでしょうか?
14:00 今井町の重伝建地区に着きました。ここも一身田の街並みと同じ寺内町で感じがよく似ています。今井まちや館に入り係のかたから今井町のいまについてお話をうかがいました。

今井町は古くからこの地方の経済・流通の中心地でした。町内にはたくさんの商家があり、その従業員は商家の持ち家に住んでいました。時が過ぎて経済が今井町の外で展開するようになると今井町の商業は下火になりました。従業員が減り空き家が増えました。今井町ではこの空き家にこれから若い人が住んでくれることを期待しています。じっさい大阪も通勤圏に入るほど立地は良いので可能性を感じるのですがいかがでしょうか。
16:45 高松塚古墳を見てから石舞台古墳へ来ました。作業を人力でやっていた時代に、このような巨石をどこからどのようにして持ってきたのでしょうか。これはながいあいだ個人的ななぞでした。石積を近くで見てみるとあらためてその大きさにおどろかされます。近くに説明看板があり、古墳をどのように作ったか描いてありました。長年の疑問は氷解しました。さらに自分が入るくらいの古墳は自分で作れそうだなと自信を得ることもできました。
17:15 明日香村のアスカゲストハウスにチェックインしました。とおりに面した古民家の内装をモダンに改装したすてきな宿舎です。写真は共同のリビングです。
2016年4月7日 明日香(奈良県)➡高野山(和歌山県) 58km

11:00 五條新町が重伝建地区であることに着いてから気がつきました。ずぶぬれのまま「まちなみ伝承館」に入り係の方から説明をうかがいました。五條という地名は5つの大きな街道が交わることに由来すること。天誅組の変では市内に「五條仮政府」が置かれたこと。五條と新宮を結ぶはずだった鉄道の高架橋が残っていること、などなど。わたしの知らなかったこのまちにもあまたの歴史が積み重なっているのですね。
15:10 高野山への登り口は標高100mぐらいです。そこから2時間かけて嵐の中を標高854mの大門に着きました。そこから成福院の宿坊までは10分ほどの下りでした。
2016年4月8日 高野山(和歌山県)➡和歌山 63km

11:30 奥の院から和歌山へ漕ぎだしました。標高差750mの坂を一気に下りました。あとは紀ノ川に沿って和歌山まで行きます。
16:30 ツバメ号を宅急便で自宅へ送り、身軽になって和歌山の中心街へ向かいます。まず銭湯に入ってそれからどこかいい店を探しましょう。
黒旅(3)走行距離:331㎞
黒旅(1)~(3)走行距離:738㎞
10:00 去年の5月に雨の中ここ田原に着きました。今日は雨の中を出発です。
14:30 伊勢内宮に着きさっそく「めひびうどん」で腹ごしらえしました。めひびとはわかめの芽かぶを乾燥させて刻んだものだそうです。
ここの蔵には通りと川の方向に合わせて敷地が平行四辺形になっているものがありました。
2016年4月5日 伊勢(三重県)➡伊賀(三重県)92km
7:45 星出館を漕ぎだしました。今日は晴れました。やや強い向かい風が吹いています。
10:00 津の市街で関宿への道を確かめようとフロントバッグの上の地図に目を落としました。そして顔を上げるともう知らないおじさんが目の前に立っていました。
「なにを探しているんですか?」
「関宿へ行く道です」
「それじゃあ県庁の前をとおって右に曲がって真っ直ぐいけばいいよ。いや県庁のところの坂がちょっと急かな。県庁の先を回ったほうがいいだろうか。でも大丈夫しょう。じゃあ気をつけていってください」
三重のひとは親切だなあと思いました。
寺内町は寺を取り囲むように家が整然と密集しています。通りにはちりひとつ落ちていないし軒下には花などが飾られています。寺から流れてくる空気がこのまちなみを形作っているのを感じました。そしてこのような暮らしを必要とした当時の世の中一般の厳しさを想ってみました。
14:30 関宿から大和街道の山桜の咲く谷あいを走っていくと道がふたまたになりました。バッグの上の地図に目を落とし、現在位置をたしかめ、そして顔をあげるといつのまにかおじさんが立っていました。
「どこへ行くの?」
「伊賀です」
「では右の道ですよ。関宿からきたんですか?」
「ええそうです。静かでいい道ですね」
「ここにいると当たり前でわからないが、そうですか?」
「まちがいなくそうです。ありがとうございました」
「気を付けて」
三重の人はほんとうに親切だなあとおもいました。
16:30 伊賀の芭蕉の生家に着きました。芭蕉は料理が上手だったそうです。弟子たちになにかのお礼のためにふるまったという品書が貼ってありました。料理のことはわからないわたしですがその品数の多さと献立の多様さに驚かされました。
| 釣月軒 内部 |
| 釣月軒 外観 |
17:00 薫楽荘という登録指定文化財の旅館にチェックインしました。
2016年4月6日 伊賀(三重県)➡明日香(奈良県) 68km
8:00 伊賀米がおいしかった薫楽荘を漕ぎだしました。今日は晴れて風もありません。大和高原を越えて奈良へいきます。
10:00 大和街道(国道25号線)のわきに自転車をころがして休みます。お茶畑がありのんびりした景色です。
11:45 畑の向こうに箸墓(はしはか)古墳
が見えました。卑弥呼のお墓、とも
いわれる日本で最古級の古墳です。
ここから南下します。
が見えました。卑弥呼のお墓、とも
いわれる日本で最古級の古墳です。
ここから南下します。
| 八木札ノ辻交流館 |
うえの写真は2階の部屋から札の辻を見下ろしたところです。右は2階から1階に降りる急な階段の上部です。夜は板戸を下ろして行き来ができないようにしていたそうです。さてなぜでしょうか?
14:00 今井町の重伝建地区に着きました。ここも一身田の街並みと同じ寺内町で感じがよく似ています。今井まちや館に入り係のかたから今井町のいまについてお話をうかがいました。
今井町は古くからこの地方の経済・流通の中心地でした。町内にはたくさんの商家があり、その従業員は商家の持ち家に住んでいました。時が過ぎて経済が今井町の外で展開するようになると今井町の商業は下火になりました。従業員が減り空き家が増えました。今井町ではこの空き家にこれから若い人が住んでくれることを期待しています。じっさい大阪も通勤圏に入るほど立地は良いので可能性を感じるのですがいかがでしょうか。
石ひとつひとつに表情があるのですね。
8:50 朝から雨で様子見をしていました。好天のきざしがないのでポンチョを着て出立しました。
近鉄吉野線に沿って薬水まで行きました。そこから今度はほぼJR和歌山線に沿って五條まで雨の中を漕ぎました。さいわいアップダウンは少ないので消耗しませんでした。
11:30 通りに蕎麦屋があったので入りました。これから高野山への上りなので温かい蕎麦でもたべてすこし勢いをつけようかなと思いました。夫婦とそのどちらかのお母さんの三人で切り盛りしているちいさな店でした。雨の中をこれから自転車で高野山へ上ると知って主人は道順を一緒に考えてくれました。奥さんとお母さんはちょっと元気がありませんでしたが、出かけるときは笑顔で見送ってくれました。
15:10 高野山への登り口は標高100mぐらいです。そこから2時間かけて嵐の中を標高854mの大門に着きました。そこから成福院の宿坊までは10分ほどの下りでした。
宿坊の皆さんはとても親切でした。ストーブをつけてくれたので服や靴をきれいに乾かすことができました。風呂にはいってさっぱりしたあと夕飯には精進料理のお膳に般若湯をつけていただきました。
8:00 大門、金堂、東塔、御影堂などを見て歩きました。
11:30 奥の院から和歌山へ漕ぎだしました。標高差750mの坂を一気に下りました。あとは紀ノ川に沿って和歌山まで行きます。
黒旅(3)走行距離:331㎞
黒旅(1)~(3)走行距離:738㎞
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