1991年12月7日土曜日

日向山 1991年12月7日

 冬の陽だまりを探して、秩父に出かける。日向山は、芦ヶ久保駅の正面にある。麓へは1988年の夏に、渉が久美ちゃんのお腹に入っている時にプラム狩りに来た。その時とは対照的に、しんと寒い日陰の駅に降り立つ。

川を渡り、日向山に登る斜面に取り付くと、山の名前通り日向を歩くようになる。急な舗装道路を登って行くと、眺めがどんどん良くなる。渉は道路の脇に吹き寄せられた落ち葉の上を、ガサガサと元気よく歩いて行く。売店やシイタケの栽培場を過ぎて、あづまやで小休止する。

ここからは本格的な山道になる。すっかり葉の落ちたクヌギの林を一投足で日向山の山頂に着く。風もなく、穏やかな冬の日である。家族連れはわたしたちだけだった。勿体ないような陽光を浴び、楽しかった。

横瀬駅に下山したが、途中残念ながらダンプカーの排気ガスがひどかった。


1991年11月30日土曜日

富士山 1991年11月30日

 早朝新座を車で立ち、富士宮口5合目に8時に着く。雪が少ない。はるか上部に小屋が見え、そのあたりから雪がある。あそこは8合目だという。標高3,230m付近か。ともかくそこまで登らないと飲み水もないので、ザックに入りきらない荷物をザックにブラブラとぶら下げて、ザクザクの道を歩く。

富士宮口から富士山に登るのは初めてだが、吉田口に比べて風が弱く歩きやすい。3時間で8合目に着いた。ここにある診療所の一角が開放されていて風をしのげる。

天気がいいので、経験者はこれから山頂を往復することになる。9合目を過ぎるとさすがに雪が堅くなり、気が抜けない。慎重にステップを運び、お鉢に辿りつく。風を避けながらしばらく休み、往路をまた慎重に下った。

夜は超満員の小屋で宴会をやり、肩を寄せ合って寝た。

翌日の午前中は初心者に冬山技術を教えた。


1991年11月3日日曜日

子の権現 1991年11月3日

 足が丈夫になるようにと、子育てにご利益があるという子の権現に行く。今日は7回目の結婚記念日でもある。

吾野駅から車道を歩いて谷をつめる。渉は都会のコンクリート道は嫌いだが、山の急坂や階段は良く歩く。道が狭く急なつづら折れになると子の権現だった。まだきれいな紅葉が残っている。どこかの会社の健康組合の歩け歩け大会と鉢あってしまい、ごったがえしている。

子の権現から一投足で大きな夫婦下駄と鉄のワラジがある。久美ちゃんは渉と何かお願い事をしていた。そこから竹寺へ下り、バスで飯能に出た。


1991年11月2日土曜日

城ケ崎ファミリーエリア 1991年11月2日

 1年間執行委員としてつき合った職員組合も、今回の引き継ぎ合宿で終わる。そのしめくくりをフリークライミングで飾る。もっともまたブラザークラック(5.9)が登れなくて、結局この1年間何の上達も無かった。しかし、1年間が終って清々したし、次期の執行委員になる藤森や遠藤に頑張ってもらいたい気分だった。


1991年9月16日月曜日

海沢 1991年9月16日

 今夏ブロードピークへ登りに行ったTSMCメンバーの帰国歓迎山行ということで、氷川キャンプ場に20名が集まった。前夜徹底した酒宴があっため、翌日海沢へ登りに行くと申し出た精鋭は与作、木村、江波戸、橘、それにわたしの5名だけ。台風の余波が残り、沢は荒れているだろう、と誰もが言う。それはそうだろう。だがわたしたちは登りたいのである。

海沢林道の奥、公衆便所のところに車を置き、沢に入る。歩き初めは沢沿いの遊歩道がある、何の変哲もない河原である。最初の滝は2段で、階段状である。しかしそれ以降に出てきた滝は大きく手強いものばかり。このところの雨で水量も多く、迫力がある。登攀図によれば、人工登攀を要する滝が多かった。アプザイレンを1度交えて沢をへつり、廊下を過ぎるとワサビ田になる。沢はここから再び河原状になり、遡行意欲が減退したので登山道を大岳山へと登る。途中でゲロを吐く者もいて、結構滑る。視界の無い山頂にタッチしてさっさと下った。


1991年8月24日土曜日

小川山 1991年8月24日、25日 

 職員組合書記局の小柳さんが、キャンプとフリークライミングをセットにした行事を計画した。これに家族で参加した。フリークライミングは、初心者ばかりなので、ガマスラブなどでワイワイいいながら楽しんだ。夜はキャンプファイヤーとバーベキューで楽しかった。翌日は唐沢の滝あたりまで登った。木村浩さんも奥さんと男の子ひとりといううちと同じ家族構成できていた。フリークライミングは初めてとのことだが、マラ岩で楽しんだようだった。


1991年8月9日金曜日

南アルプス光岳から聖岳(百名山48、49峰目)

ことしはろくな山登りをしておらず夏山に行く予定もしていなかった
夏山のシーズン直前になってTSMCの雅子さんに誘われた
光と聖に行きませんかという

このところ山に行っていないので本格的な山登りには少し不安があった
行くメンバーがマイルドな人たちなのでゆっくり歩けば大丈夫だろうと思った

アプローチが遠い!
中央本線の夜行で辰野まで行き飯田線に乗り換えて平岡という駅で下車
そこから小さいバスで登山口まで行く

8月10日
バスを降りたところは沢の真ん中でなにも無いところ
そこから沢沿いに易老渡まで林道を歩く
沢を渡って易老岳への斜面に取りつく
樹林帯の標高差1,500mほどの登りだ
ともかくよく登り易老岳に着く

そこから稜線を南に向かいイザルガ岳を過ぎて光小屋のテント場についた
そこに荷物を置いて光岳の山頂を往復する
テント場にもどったころには暗くなっていた

8月11日
朝雲が稜線にかかっていた
北に向かって歩いていく
大きなアップダウンのない樹林帯の尾根を易老岳、茶臼岳と越していく

上河内岳のあたりから高山植物が目立つようになった
氷河地形の名残りをながめてさらに稜線を北へ向かう
聖平のテント場で二泊目の夜を過ごした

8月12日
今日はいい天気だ
まずテント場から西沢渡への下降点まで歩きそこにザックを置いた
空身になって聖岳に向かう
気持ちの良い山稜だ

到着した聖岳は標高3,013mだ
360度の展望を楽しめた

下降点に戻りザックを背負って西沢渡へ下る
針葉樹林帯の中で大きな松ぼっくりが沢山落ちている

汗びっしょりになって下りついた西沢で水浴びをした

そこからさらにバスの発着所まで延々と林道を歩いた







1991年4月28日日曜日

草津スキー場 1991年4月28日、29日

 教職員スキークラブの春スキーでへんなところを無理やり滑った。

1991年4月21日日曜日

岩手山(中止) 1991年4月21日 

  敗退(山へ行ったが登れなかったという意味)という不本意な記録であるが、のちのためにもしっかり書き残しておかなければならない。この頃山スキーをしていないので、準備がずさんになり、岩手山に登れなかった。 

 まず、通常スキー登山の場合はシールを持参するのだが、今回はスキーアイゼンだけを持って行った。岩手山には雪が少なく、その少ない雪の上に新雪が乗っていて、スキーアイゼンはぜんぜん使えなかった。 

 つぎに、普段はスキーと登山の兼用靴、つまり山スキー用の靴で山スキーへ行くのだが、今回はスキー靴で行ったこと。小雪と新雪に災いされてスキーアイゼンが使えなかったため、スキー靴のツボ足で登ることになったのだが、登山道は非常に歩きづらく、堅雪のうえは滑ってしまい、どうにもならなかった。 

 そして最後に、このごろすっかり体力が落ちていて、そもそも岩手山に登るという計画自体が無理だった。車を置いたところから歩きはじめ、1時間ほどしたところで体調が良くないと感じ、岩手山に登頂することは諦めた。それから真っ直ぐ帰ってしまうのは勿体ないので、八幡平スキー場へ行ってゲレンデで滑った。

1991年3月18日月曜日

万座スキー場 1991年3月18日~21日 

 万座ホテルに泊まり温泉を楽しみながらスキー。渉が派手に壁紙を破いてしまいホテルの人に平謝りした。

1991年2月11日月曜日

城ケ崎フナムシロック 1991年2月11日 

 1990年12月18日と同様に、気晴らしに富戸で下車してフリークライミングをする。 気晴らしも習慣化してくると、少々登れるようになってきて面白い。フナムシロックには以前1度だけ来たことがあるが、その時よりもずっと楽しく感じられた。

1991年2月4日月曜日

SAJ1級 1991年2月4日

 菅平スキー場であったスキーツアーに教職員スキークラブのメンバーとして参加して、SAJの1級に合格した。

1991年1月13日日曜日

安達太良山(百名山47峰目)

安達太良山は安達太良高原スキー場のリフトの終点から歩いた
風が強く視界が良くない
ゆるい傾斜の尾根を一時間ほど歩くと山頂に着いた
そのには数人の登山者がいた
景色も見えず風が吹いて寒いので早々に下山した

そこから宮城蔵王に移動した
安達太良山でしたようにまたスキー場から蔵王の山頂を目指そうとした
ところがこちらはそう簡単ではない
山頂まで距離があり地形も複雑だ
蔵王には後日登ることにして鳥帽子スキー場でスキーをして帰った