1992年4月18日土曜日

ラモナ・フォールズ 1992年4月18日

 たしかPSUの留学生サービスから紹介されたと思うけど、ボブという親切な独身中年の白人アメリカ人がいました。その人とハイキングへ行くことになり、ちょうどポートランドに滞在していた早大職員の桜井さんも誘って行くことにしました。

当日の朝、ボブが車で迎えに来てくれました。それから、途中で桜井さんをピックアップして、2週間前に行ったばかりのマウント・フッドの麓を目指しました。天気は曇りでした。サンディー川のほとりの広い空き地に車を止めて、林の中のトレールに入ります。渉も歩いてゆきます、ゆっくりと。ボブは桜井さんに気をつかいながら歩いて行きます。川沿いの静かな樹林帯の道をたどることしばらくで、ラモナ・フォールズに着きました。

滝は1つだけですが、スダレ状に幅広い滝なので、フォールズと複数形なのでしょうね。あたりはじめっとしていました。そこでお昼を食べて、またのんびりと下りました。

ところでこのハイキングの後、ボブと桜井さんから、別々に苦情めいたことを言われました。ボブは桜井さんのことを独身だと思って、数日後に音楽会に誘ったのだが、桜井さんは結婚しているから、と断った、というのです。最初にわたしが桜井さんを紹介する際に、「ミズ・サクライ」と言ったのが、ボブには「ミス・サクライ」と聞こえたようです。わたしは後でボブと桜井さんの両方に謝りました。


1992年4月5日日曜日

マウント・フッドスキー場 1992年4月5日

 留学先にオレゴン州を選んだのは、ここならばスキーや山登りも楽しめるだろうと思ったから。その留学生活も、何度も買い物に行って生活に必要なものを買い足し、なんとかスタートしました。ホッと一息ついた頃、そろそろ春スキーのシーズンもおわるので、とりあえず1回行っておこうということになりました。

車も買いました。ジュディの連れ合いのディックに助けてもらいしました。週末になると、オレゴニアンという地方紙に、中古車の3行広告がたくさん載る。まず、その中から手ごろなものを探す。わたしは、スキーやキャンピングに行くことも考えてワゴン車の4WDが欲しかった。それで、スバル・レオーネで探すことにした。2,000ドルぐらいから、いろいろな価格で売りに出ている。その中からいくつか選び、ディックが広告を出した人に電話して、実際に車を見るアポイントメントを取る。ディックの車に乗ってその売りに出ている車を見に行く。わたしは結構どれでも良さそうに見えたが、ディックは気になるところがあるらしく、「これは止めておいた方がいい」といって、なかなか決まらなかった。4、5台みたあとで、ようやくディックも気に入ったのが見つかった。エアコンは付いていないが、ポートランドの夏は日本のように蒸し暑くないので、必需品ではないという。値段は2,600ドルだったかな。

マウント・フッドはポートランドから東に100㎞ほどのところにある。天気の良い日はポートランドの市外から、つばの広い帽子を伏せたような山容がきれいに望まれる。その中腹にスキー場があり、標高1,800mのあたりにティンバーラインロッジがある。このロッジは、1930年代の大恐慌の後に、復興政策の一環として建設された豪壮な木造のホテルだ。土曜日に出かけ、ロッジに1泊し、翌日半日スキーを楽しんで、またポートランドに帰ってくる計画にした。

ポートランドの市街地から一般道を東へ東へと走っていく。道の両側は、民家から農耕地、牧草地へと変わり、疎林が高さ30m以上あるような針葉樹の高木帯に変ると、山にぐっと近づいた感じがする。道に傾斜が出てきて、ワインディングをしばらく繰り返して道路の終点で、ティンバーラインロッジがあるところに着く。

ロッジのフロントへ行くと大きなセントバーナードの老犬ハイジが出迎えてくれた。わたしたち親子が3人で泊まる部屋は、広めの2人用寝室といった感じ。内装も年季の入った木造りです。外は雪まじりの天気だが、部屋のなかはとても暖かい。屋外のスパに入ってから夕食にレストランへ行く。スタッフがとても暖かい感じのところで、料理の味もサービスも良かった。

翌日は貸スキーを借りて滑る。雪はもうベタ雪で、全くの春スキー気分だ。渉をオンブ紐で背中にくくりつけ、ゲレンデを何回か滑り降りる。リフトに乗る時に、係員が怪訝な顔をして見るが、注意はされなかった。子供をオンブして滑る人は珍しいのだろう。久美ちゃんも滑ってから、昼には切り上げて帰途につく。明日は月曜で、またハードな授業が始まる。楽しい週末は、あっという間に過ぎてしまった。