2026年9月27日日曜日

ピースボートで世界一周 シンガポール


この前シンガポールに来たのは、ざっと30年ほど前です
その頃の仕事関係の出張でした
休みの日にこの街を歩き回りました
中心街は整然としていて、ゴミ一つ落ちていません
かみ終わったガムを道にプッと吐き捨てると罰金を取られると聞きました
それが裏通りに入ると、とつぜん趣がただよいだしました
その街区には中国系、インド系、マレー系の人たちが一緒に暮らしています

インドにルーツを持つ人達が多く住む一角に公園があり、子供たちが遊んでいました
ベンチに座り屋台で買ったサモサを食べながらその様子を眺めていました
それを見つけた子供たちが、私の周りにばらばらと雀のように寄ってきました
英語を話す子が「あなたはどこから来たのか?」と私に聞きました
この人はいったいどこから来た人だろう、と思ったのでしょうね
「日本だよ」というと皆がいっせいに「ちがう!、ちがう!」と言いました
「じゃあどこからだと思う?」と逆に聞きました
「メキシコ!」と元気よくいう子がいました
私は、「よくわかったねえ」とその子を誉めました

シンガポールに寄港した日に、今回も街をうろうろと歩き回りました
記憶をたよりにあの公園があったあたりへ行ってみました
すっかり観光地化していて、遊んでいる子供の姿は見えませんでした
ぶらぶら歩いていると理髪店があったので、散髪することにしました
「あんたみたいなスタイルにして」と刈ってもらいました
するとこんな髪形になりました
てっぺん部分の毛量がちがうので同じスタイルにはできなかったようです
刈ってくれた彼の笑顔に、30年前の子供たちの笑顔がダブって見えました


2026年9月14日月曜日

ピースボートで世界一周 太陽

2026年4月7日
 ピースボートから何度も日の出や日の入りを見ました。その美しさは私の文章力ではとても表現しきれません。ただ、50年前にこれを見たら、私はその感動をエネルギーにして、どんな夢をつむいだだろうか、などと想像しました。

 すばらしい数々の太陽をこの船旅で見て、私の心に湧き上がってきたのは、夢とはほど遠いものでした。地球を一周している間には、赤道直下の灼熱もあれば、氷山の脇を通ることもありました。いろいろなところから太陽を眺めて、ひとつのことに思いが至ったりまのです。宇宙に地球が生まれ、その地球を太陽が照らし続けた。地球のすべての生き物の育ての親は太陽である、ということです。

 これは宇宙の真理ともいうべきものです。地球上の生き物は、何よりもまず太陽を大切にしなければならないのです。世の中には科学や宗教などのいろいろな「真理」があります。これらの「真理」の真贋は、宇宙の真理をふまえているかどうかで見極めなければなりません。

 毎日毎日、地球のあちこちで悲しい出来事がたくさん起きています。人類はもう滅亡する段階に入っていると思います。人類の活動が、太古からの太陽と地球の関係を壊すことで、地球は人類の住めないところへと変わっていくのです。それは宇宙の真理をないがしろにした人類の活動の結末です。

 人間の欲望が、宇宙の真理とは相いれないところまで肥大したこと。その欲望を充足しようとして、宇宙の真理を無視した行動を続けたことが、根本的な誤りだと思います。人間の過剰で有害な活動によって地球環境は破壊され、人間自身がそこに住めなくなろうとしています。

 荘厳な朝日も、輝かしい夕日も、そして穏やかな昼の光にさえも、そこには太陽の諫め(いさめ)がたっぷり含まれていることを私たちは知らなくていけないのです。

2026年9月2日水曜日

ピースボートで世界一周 海と空と

インド洋上で
2026年4月21日
 若い時から旅や山登りで息をのむような景色に出会ってきました。見尽くしたなどは言わないまでも、船旅ではそれほど驚くこともないだろう、という気分はありました。そんな気持ちはピースボートに乗って航海に出ると吹き飛びました。

 この船旅のあいだ、何度もずっと、バルコニーから広がる景色を見ていました。港に出入りする際や、海峡や運河を通過するとき以外は、いつもそこに海と空が広がっていました。人工的なものどころか、陸地さえまったく見えない日が何日もつづきました。それを見ているのが退屈どころか、いつまでも見ていたいと思いました。

 海の色が大洋の先々でこれほど違うとは思いませんでした。色だけでなく、その表面も様々な表情を見せます。波のある時はとても分かりやすい。波が大きいか小さいか、波がどちらから向かってくるのかなど。波がない時でも、海の表面がどろりとしていたり、小さく模様がついていたり、といろいろです。

 空の変化もとてもおもしろかった。朝焼けや夕焼けは光と色と雲が無数の組み合わせで変化するのを楽しむ時間。朝夕以外でも、見ている景色が唯一無二で、それが絶えず変化している。「いまここだけ」の眺めがずっと展開しました。

 そうやってバルコニーから海と空を眺めていると、ときおり生き物が目に入りました。海にはイルカ、ウミガメ、クジラなど、空にはカモメや渡り鳥。これらの生き物は、私たちと違い、海や空のさまざまな変化の意味をしっかりつかんでいるに違いありません。そうでなければ、これまで生きて来られたはずがありません。

 地球一周の旅が終わり近づき、再び日本の近海に戻った時、空気の匂いに日本を感じることができました。大洋に生きるものたちはこのような変化をつかみ取りながら生きているのだ、ということがわかりました。

 世界のあちこちの海にたくさんのゴミが浮いているのを見ました。ペットボトルや発泡スチロールや漁具のようなものの数々。こうした廃棄物は海の生き物に取り返しのつかない悪影響を与えています。海とは違い、空気の変化は目には見えないけれども、太古からの均衡を大きく負の方向へと逸脱しているに違いありません。

 人間の所業は、生き物としての人間にも跳ね返ってきています。日本だけでなく地球のあらゆる場所で、危機的な気候変動が起こっていることを見れば、その罪科は明白です。自らの日々の暮らしが、地球の生き物にカオスをもたらす活動になってしまっている。海と空を見ていて、もっとそのことに心して、自分ができることをしなければいけない、と思いました。
 

2026年8月27日木曜日

ピースボートで世界一周 香港

尖ったビルの辺りがビクトリアピークです
2026年4月12日
 香港の景色を一望しようと、ビクトリアピークに登りました。ピースボートが停泊した九龍からフェリーで香港島に渡り、すぐに歩き始めます。人がすごく多い。とりわけ多い辺りには、路上生活する人の住処がずらりと並んでいます。どこから来てこれからここで何をしようとしている人たちなのか?あれこれ雑多なものを山ほど積んでいるマーケットにも、たくさんの人が集まっています。

 高層マンションが林立するあいだの急坂をゆっくりと登っていきました。ベンチのある所で休んでいたら、すぐ蚊に喰われました。仕方なくまた登りはじめ、ようやく港の景色が見えてきました。建物や木々にさえぎられて視界はすっきりしません。それから車道を歩いてもう少し登り、ようやく山頂近くの公園に着きました。港が見渡せるだろうと思しき辺りには、電波塔が立っていて立ち入り禁止でした。

 ビクトリアピークから走るように降りてきて、さっきのマーケットをのぞいてみました。食べ物や、着る物や、飾る物など、単価の安い物がたくさん売られています。そこに、主に若い女性がいかにも楽しそうに群がっています。この辺りで働いている人たちが、休みの日に遊びに来ているのでしょうか?そういえば今日は日曜日でした。

 フェリーで九龍に渡り返し、今度はストリートマーケットへ向かいました。街を抜けて行くと、通りに面したビルの入り口で、ショートパンツにタンクトップの女性がタバコを吸っています。そういうスタイルの人があちこちにいて、無表情な目つきで私たちを眺めています。あの人たちは、休んでいるのか、なにかの仕事中なのか、分かりません。

 ストリートマーケットは、朝見たビル内のマーケットを露天に置き換えたようなものでした。あちらほどの人出ではなく、ちょっと足を止めて商品を見ると、店員が寄ってきます。手に取った段階で買う気十分と判断され、値段を聞いたらもう買ったと同様に見なされます。そのことが分かったので、あとはなるべく店は見ないようにして歩くことにしました。

 香港は物価が高くて、胃が縮みます。コンビニに入って500㏄のビールとつまみを買い、海沿いの公園へ行きました。ここも人の波で、座るところを見つけるのさえ一苦労です。それでもようやく座ってビールを飲みました。

 港の公園でブルース・リーの銅像を見ました。彼が主演した「燃えよドラゴン」を見たのは高校の卒業を目前にした正月でした。見終わった後、肩で風を切って映画館を出たのを覚えています。数年後に、ヨーロッパの山登りへ行く途中で香港に立ち寄りました。当時の香港国際空港は、今とは違って九龍湾にありました。「世界一着陸が難しい空港」と言われていたそうです。その時が初めてのフライトだった私は、そんなことは知りませんでした。乗っていた飛行機は、まばゆいばかりの夜景に突入し、海の上の滑走路にふわりと着陸しました。

 ピースボートに戻って、出航するデッキから夜景を眺めながら、そんなことを思い出しました。
 


2026年8月12日水曜日

ピースボートで世界一周 その船

レイキャビクに停泊中のピースボート
 ピースボートの船を間近に見るととても大きい。目の前に高さ15階のビルが250メートルもの幅で立っていることを想像してみてください。長さと幅は戦艦大和と同じくらいですがボリュームははるかに大きい。そこに2,500人くらいの人が乗って地球をまわるのです。

 こんなに小山のように大きな船ですが、航海中に3回ぐらいはしっかり揺れました。歩行に支障があるような揺れでしたが、飛行機で経験したような急激なアップダウンはありませんでした。その揺れにも一週間ぐらいで慣れてしまい、その後は少々の揺れは気にならなくなりました。

 この船が作られたのは30年前のイタリアでした。船内は使い込まれたヨーロッパのミドルクラスのホテルといった感じです。アトリウムやレストラン、シアターやラウンジといった人が集まるところはゆったりと落ち着いています。船内はどこも清掃が行き届いていました。

 フロアは全部で15階ですが、13階はなく、9階や4階はあります。ゆっくり上下するエレベーターでフロアを行き来しますが、いつも階段を使いました。船内には会話やゲームをしたり、本を読んだりするスペースがたくさんあります。これは相部屋の人たちが、部屋の外でくつろげるように配慮したものと思われます。 

 私たちのキャビンは、10階右側の後方でした。キャビンの位置はとくにそこを希望したわけではありませんでした。広さはバルコニーも入れて17㎡で、そこにシャワーやトイレ、デスクにクローゼット、ベッド、テレビなどが備えられています。私はバルコニーからぼんやりと海を眺め、頭に何か浮かんできたら自分史に書きたいと思っていました。このキャビンであればそれができるだろうと思いました。

 船にはジムやジャグジーなども備わっているし、一周600mぐらいのデッキでウォーキングもできます。卓球台もあるし、ヨガやダンスなどのレッスンも受けられるので、その気さえあれば運動不足になる心配はありません。

 プロのミュージシャンが何組も常時乗船していて、船内のあちこちで生の音を楽しむことができます。シアターや屋外の大きなスクリーンで名画を鑑賞できるし、部屋でお酒を飲みながらドラマなどを見ることもできます。

 これらはどんなクルーズでも似たり寄ったりでしょう。ピースボートらしさが現れているのは、「水先案内人」とすでにお話しした「自主企画」でしょう。

 「水先案内人」というのは、ピースボートが選んだこの船旅にかかわるあれこれについてのスペシャリストです。あれこれとは寄港する地域の文化や課題などで、じつにバラエティーに富んでいます。この人たちが講演やパフォーマンスを船上で繰り広げるのです。

 大人数が一つの船で旅するので、一人当たりの二酸化炭素排出量は少ないのではないかと期待しました。ネットで調べてみると、クルーズ船は環境汚染の原因となる排出物の量は他の交通手段と比べて格段に高いことが分かりました。重さが7万トンもあることや、前時代的なディーゼルエンジンを使っていることが主因のようです。ガッカリしましたが、船旅は船でしかできないし、一生に一度だからごめんなさいと割り切ることにしました。

 

2026年8月4日火曜日

ピースボートで世界一周 船でこれをしよう

連れと出航の記念撮影
 私はこの10年で一か月間のヨーロッパ自転車旅を6回しました。毎回衣食住に必要なすべてを、自転車と共に日本から持って行きました。食料や燃料は向こうで買いました。それに比べると、この船旅は何という身軽さでしょう。もちろん船を漕ぐ必要もありません。そんな安直な旅が同時に空疎なものにならないよう準備しよう、と思いました。

 105日の間、船で旅をしたら自分は一体どうなるか、出発前にあれこれ想像してみました。航程によれば、17か国の19港に寄港はするものの、港に停泊するのは25日だけです。あとの80日間は海の上を移動しているだけですから、持て余すほどの時間があります。この時間をどう過ごすかが、この旅の重さを決めるだろうと思いました。

 船内にはあれこれ多数のイベントやカルチャースクールも用意されているようです。それらがいくら盛りだくさんでも、自分がそれに興味がなければ仕方ありません。カルチャースクールに社交ダンスがありました。数年前までやっていたので、これを機に再開しよう、と思いました。運動不足を防げるし、知り合いができるかもしれません。ダンス用の靴やシャツとパンツを用意して、荷物に詰め込みました。

 長い船旅ですから、この機会でなければできない何かはないか、と考えました。私はこのところ自分史を執筆していたのですが、人生の半分あたりのところで立ち往生していました。若くてイケイケだった頃の話は、気恥ずかしくてもむしろ書きやすかったのです。その後ややこしくなってきたわが人生について、ふだんの生活の中で書くことに困難を感じていました。それは何か思い出したくない、書きたくない記憶として頭の底によどんでいました。船室のバルコニーから、日がなぼんやりと海と空と水平線を眺める。三度三度の食事や、寝るところ住むところは、いっさい心配ない。時々ダンスをする。そういう夢のような環境でれば、あの頃のことを思い返してみよう、という気になるかもしれません。PCも荷物に加えました。

 ピースボートには自主企画というのがあって、これがどうも花盛りのようでした。乗客が思い思いのテーマで乗客を対象に何かをするのです。テーマは政治や宗教などにかかわったものから、フラダンスやカラオケまで、硬軟自在のようです。今回のピースボートには海外の方も含めて1,750名が乗船すると聞きました。このような二度とない機会に自分も何かしてみよう、と思いました。

 となれば、わら細工ワークショップです。わら細工は初めてという人が乗客の中にたくさんいるでしょう。私はこのワークショップを、日本以外から来た人たちをメインに英語でやることにしました。この企画をあらかじめピースボートに相談したところ、とくに問題は無さそうでした。五つの作品を各回10名定員でやる準備をしました。船の上では何も手に入らないので、材料はもちろん床に敷く大きなシートまで用意しました。前回の写真で私がかついでいた大きな段ボールには、わら細工の材料が入っていたのです。


2026年8月3日月曜日

ピースボートで世界一周 横浜出航

荷物をかついで横浜港の大桟橋へ向かう
 退職したら船旅に行きたいと思っていました。それは今から10年以上も前のことです。その時、やりたいと思っていたことは沢山ありました。船旅はその中では優先順位がかなり低い方でした。百名山の山旅や日本一周やヨーロッパの自転車旅には早い機会に行きたいと思っていました。船旅はそれらの後で、もし時間があったら、という程度でした。旅と同様に、退職したら好きな手仕事をがっちりとやりたいと思っていました。藁細工、竹細工、そして茅葺きです。どれひとつとっても、未知の洞窟のようにどこまでも深く、いくらでも時間のかかることでした。

 じっさいにやってみると、旅も手仕事も想像以上に楽しかったのです。退職後の日々はあっという間に過ぎて行きました。やりたかったそれぞれについて、思った以上の成果も上がってきたことを実感していました。今から3年ぐらい前のことです。ずいぶん頑張ってきたのだから、このへんで自分にご褒美してもいいかなと思いました。70歳にもなることだし、連れもできたし、ということもありました。

 そう思ったのが先だったのか、ピースボートの新聞広告を見たのが先だったのか、今でははっきりしません。船旅に行きたいという思いがふたたび湧き上がりました。反射的に、105日間で地球を一周するピースボートの旅に連れと一緒に申し込みました。

 その時点では、出発は2026年12月で、航路は西回りで南極を見る予定でした。2年ほどそのつもりで待っていました。とつぜん、今年の1月にピースボートから、2026年4月出航のツアーに変更しませんか、という誘いがありました。変更すれば、かなりの額のお小遣いがもらえるとのことです。そのツアーは、急な航路変更で多数キャンセルが出たので、その穴埋めがしたいのでした。こちらは航路にこだわりはなく、むしろ早く、安く行けるのが魅力でした。変更の手続きをして、今年の4月7日に横浜港から旅立つことになりました。