| インド洋上で |
2026年4月21日
若い時から旅や山登りで息をのむような景色に出会ってきました。見尽くしたなどは言わないまでも、船旅ではそれほど驚くこともないだろう、という気分はありました。そんな気持ちはピースボートに乗って航海に出ると吹き飛びました。
この船旅のあいだ、何度もずっと、バルコニーから広がる景色を見ていました。港に出入りする際や、海峡や運河を通過するとき以外は、いつもそこに海と空が広がっていました。人工的なものどころか、陸地さえまったく見えない日が何日もつづきました。それを見ているのが退屈どころか、いつまでも見ていたいと思いました。
海の色が大洋の先々でこれほど違うとは思いませんでした。色だけでなく、その表面も様々な表情を見せます。波のある時はとても分かりやすい。波が大きいか小さいか、波がどちらから向かってくるのかなど。波がない時でも、海の表面がどろりとしていたり、小さく模様がついていたり、といろいろです。
空の変化もとてもおもしろかった。朝焼けや夕焼けは光と色と雲が無数の組み合わせで変化するのを楽しむ時間。それ以外でも、見ている景色が唯一無二で、それが絶えず変化している。「いまここだけ」の眺めがずっと展開しました。
そうやってバルコニーから海と空を眺めていると、ときおり生き物が目に入りました。海にはイルカ、ウミガメ、クジラなど、空にはカモメや渡り鳥。これらの生き物は、私たちと違い、海や空のさまざまな変化の意味をしっかりつかんでいるに違いありません。そうでなければ、これまで生きて来られたはずがありません。
地球一周の旅が終わり近づき、再び日本の近海に戻った時、空気の匂いに日本を感じることができました。それはほんの小さな一つの経験でした。大洋に生きるものたちはこのような変化をつかみ取りながら生きているのだ、ということがわかりました。
その海にたくさんのゴミが浮いているのを見ました。ペットボトルや発泡スチロールや漁具のようなものの数々。こうした廃棄物は海の生き物に取り返しのつかない悪影響を与えています。空気の組成の変化は目には見えないけれども、太古からの均衡を大きく負の方向へと逸脱しているに違いありません。
人間の所業は、生き物としての人間にも跳ね返ってきています。日本だけでなく地球のあらゆる場所で、危機的な気候変動が起こっていることを見れば、その罪科は明白です。自らの日々の暮らしが、地球の生き物にカオスをもたらす活動になってしまっている。海と空を見ていて、もっとそのことに心して、自分ができることをしなければいけない、と思いました。