2026年10月13日火曜日

焼岳(日本百名山85峰目)

やけだけ 2,455m
昨日は八ヶ岳の赤岳に登りました
久々の登山でしたが、足もつらず景色を楽しみながら6時間歩き通せました

昼過ぎに下山した後、麓の珍しい温泉に入りました
ぬるい湯につかりながら明日どこに行くか考えました
昨日までは鳳凰三山へ行こうと思ってました
今日明日連続はきついので焼岳へ行くことにしました
尖石温泉
中の湯登山口の駐車場へ行って車中泊をすることにしました
寝る準備をしていると中国語が聞こえてきました
その人達は私のところに来て、「上高地まで乗せて行ってください、お金払います」と言いました
「ここから5分下ったところに温泉があるので、そこに行けばタクシーを呼べますよ」と伝えました

翌朝起きると駐車場とその前後の路上には車が百台ぐらい停まっていて大賑わいになっていました
9月はずっと雨だったので、大勢の人が10月の紅葉を楽しみに来たのでしよう
6:20
サンドイッチの朝ご飯を食べて出発しました
登山口からの道は始め平らで、すぐに木の根岩角の登りになりました
樹林帯を登り続けると小びろい所に出て、やがて樹林帯を抜けます
今朝の冷え込みで霜が降りたようです
7:40
多数の登り下りする登山者に混じって
焼岳の噴煙が見えるところまで来ました
ナナカマドの葉が赤く色づいています

50年近く前にKさんと滝谷へ岩登りに行ったのは今頃だったなあとナナカマドを見て思いました
8:30
岩のゴロゴロした道を登って南峰と北峰の間のコルに着きました
噴煙をバックに記念写真を撮っているカップルがいました

8:45
焼岳北峰の頂上に着きました
360度の展望です

槍ヶ岳、穂高岳、眼下に上高地
加賀白山
焼岳南峰と遠くに乗鞍岳
笠ヶ岳
焼岳は噴火警戒レベル1で、最高峰の南峰は登山規制になっています
それにしては北峰の周りにばかり噴煙が上がっています
どういうわけでしょう?
9:00
混み合う山頂をあとにして下りにかかります
途中でゆっくり下っている人達を何人も追い越しました
もちろん挨拶はして通り過ぎます
何か気分を悪くしたのか、抜かれたあともわたしの後を一生懸命ついてくる人がいました
10:15
駐車場に帰着しました
朝から4時間の歩行でした
10:50
駐車場で整理体操をして帰路に着きました
グーグルマップで検索した下道で帰りました
信号機が少なく、走りやすい道でした
しかも、到着予定時刻ぴったりに川越に着きました
AIは日々進化しているなと思いました










ピースボートで世界一周 朝食

ある日の朝食
ピースボートに乗っている間は、朝昼夕の三食が提供されます
その三食を順にご紹介していきます

基本いろいろなものを好きなだけ食べられます
100日間の船旅で食べすぎて太る人、好みが合わなくて痩せてしまう人、いろいろです

朝食のオプションは、和食、洋食、ビュッフェのバイキングのいずれかです
それぞれ場所が違うのでまずはそこへ行きます
和食は5階、洋食は6階、ビュッフェは14階で、和洋は6時から、ビュッフェは5時からです
そこでその日のメニュを確かめて、食べるかどうかを決めます

5階と6階はレストランで、入り口に係の人がいて席に案内してくれます
何も言わなければ6人の相席になります
1人でも2人でも、自分たちだけで食べたければ空きテーブルを探してくれます
運よく朝日の見えるテーブルに案内された時などは、素敵な一日の始まりに感謝しました

初めはこの着席システムを知らなかったので、しばらく案内されるまま相席で食べていました
すると、時には同席の人から不用な情報を提供をされることもありました
他愛ない冗談ならともかく、容認できない話題もあったので、その後相席はやめにしました
これは夕食についても同様です

席に着くと係の人が注文を取りに来てくれます
係の人はすべて白人以外の人で、基本は英語でやりとりをします
メニューは日英で表記されているので、もし英語ができなくても大丈夫です

朝は和食を一番多く食べました
ピースボートでは日本人が多数派なので、和食のレストランはいつも混んでいました

朝食で注文できるものは、毎朝決まっています
ご飯、みそ汁、納豆、焼き魚、煮物、漬物、温泉卵、のり、サラダ、ヨーグルト、飲み物です
ものぐさな人は「オール」といえばこれらが全部出てきます

ご飯は玄米やお粥を選ぶこともできます
焼き魚、煮物、漬物は日替わりでいろんなものが出てきました

ご飯もおかずも、これはいらないとか、もっと欲しいとか、わがままを聞いてくれます
ですから基本的には残飯は出ないはずですが、残念ながら残している人もいました
お口に合わなかったのでしょうかね?

わたしの味覚からするとほとんどのものが美味しくて全く問題ありませんでした
煮物の味付けなどは具合が良くて、日本人シェフが作っているのだろうかと思いました

洋食も何度か食べました
洋食は全て自分の食べたいもの、飲みたいものを選びます

こちらのレストランはいつも空いていていました
自分たちのテーブルの周りにはほとんど人がいませんでした
ですから和食のレストランよりもずっとのんびりと食事ができます
それはまた、注文をしてから料理が出てくるまで和食より時間がかかる、ということです
それなのでちょっとペースが合わず、いきおい和食の方に多く足が向きました

レストランでは、席に案内してくれた人、注文を取ってくれた人、料理を運んでくれた人へ必ず感謝の言葉を残しました
チップは置かなくていいのです
中には、寄港先で買った小さなお土産品をあげたりしている人もいました

朝食の時間をゆっくりと楽しみたい人にはこれらのレストランは快適でした
食事のあとのコーヒーや紅茶も楽しめます

用事で早く済ませたい時や、体調が良くなくて軽く済ませたい時はビュッフェへ行きました
こちらは朝の5時から、和洋中の料理を好きなように取って食べられます
テーブルは大小沢山あって、好きなところに座って食べます
食べ終わった後の食器はテーブルに置いたままでOKです
終わると係の人が来て、きれいに片づけてくれるのです
ほんとうに何から何まで行き届いていましたね


2026年10月2日金曜日

八ヶ岳(日本百名山84峰目)

八ヶ岳というのは、一つの峰の名称ではなくて、連峰のことです
山梨県の北西、長野県との県境に南北に連なる峰々が八ヶ岳と呼ばれています
その中の最高峰が赤岳(2,899m)で、そこに日帰りで登りました

川越を早朝2時過ぎに車でたって、八ヶ岳山麓の美濃戸(標高1,680m)に着きました
いま6時40分なので、家から4時間半かかりました
そこに車を置いて、いつもながら慌てて出発したため、スマホを車の中に置き忘れました
なので今回はフォトレスの記録です

佐久から白樺湖を経由して美濃戸へ来る間は、ところどころ濃い霧の中でした
その霧がまだ少し残っている感じですが、今日は晴れる予報です
日帰りなので荷物は軽く、昨夜は5時間とやや短時間ながらぐっすり寝たので快調です

歩き出すとすぐに樹林帯の中の、南沢という流れに沿った道を行きます
樹林の下の苔が木漏れ日に映えてきれいです
ところどころ急な登りがあり、沢を渡り返したりと結構変化がある道です

沢の流れが緩やかになって、時折岩の稜線が前方に見えだすと行者小屋でした
ここはもう標高が2,350mあります
このところ雨が多かったので、水場にはたっぷり水が流れていました

横岳から赤岳、阿弥陀岳へとつらなる稜線が頭上に見えます
ここから赤岳へは、地蔵尾根と文三郎道のどちらかを登ることになります
どちらから行くか考えました
コースタイムはどちらも同じです
岩場や鎖場のある地蔵尾根を登り、赤岳からの下りは文三郎道を通ることにしました

針葉樹林の中を登ると最初の岩場が出てきました
足場材ががっちり組んであるので、技術はいらず、高めのステップを登れば問題ありません
岩がごつごつした急な道を行くと最後の岩場があり、ここも一歩一歩登ります
するとあっけなく稜線上の地蔵の頭(2,710mくらい)に出ました
行者小屋から1時間だったので、標準タイムより20分早い
これは、私が早く歩いたからではありません
岩場や鎖場でよくある他の登山者の通過待ちを、この日は全くしないで済んだためです

そこにあった小屋を風除けにして少し休みました
もう赤岳の山頂にいる人の姿が見えます

ザレた稜線の道を30分ほどで山頂に着きました

山梨県側はガスが出ていますが、長野県側は晴れていています

雲海の上には、遠く乗鞍岳や御嶽山も見えます

見下ろせば 行者小屋の赤い屋根も見えました


下りの文三郎道に向かうといきなり岩場の下りになりました

谷の下までずっと見えるので上りより怖いです

そこを慎重に下って文三郎道の降り口まで来ました

そこには人が数人休んでいて、景色を楽しんでいました


文三郎道に入るといきなり階段が続きます

その階段は等間隔の階段なのでかえって歩きづらい構造でした

体を横向きにして下っていくと、途中で休んでいる人が何人もいました

 そういう人を抜いてどんどん降りていきました

降りるのは得意です

行者小屋へは赤岳の山頂から1時間で着きました


小屋のチップ トイレで 用を足し、また歩き始めました

一時過ぎには着きそうなので、午後は何をしようかなどと考えながらどんどん歩きました


こうして84峰目の百名山に登ることができました

ことしは百名山に一つも登れないかな、と思っていましたが、登れてよかった

やはり何よりも行動を起こすことが大切だと改めて思いました







2026年9月27日日曜日

ピースボートで世界一周 シンガポール


この前シンガポールに来たのは、ざっと30年ほど前です
その頃の仕事関係の出張でした
休みの日にこの街を歩き回りました
中心街は整然としていて、ゴミ一つ落ちていません
かみ終わったガムを道にプッと吐き捨てると罰金を取られると聞きました
それが裏通りに入ると、とつぜん趣がただよいだしました
その街区には中国系、インド系、マレー系の人たちが一緒に暮らしています

インドにルーツを持つ人達が多く住む一角に公園があり、子供たちが遊んでいました
ベンチに座り屋台で買ったサモサを食べながらその様子を眺めていました
それを見つけた子供たちが、私の周りにばらばらと雀のように寄ってきました
英語を話す子が「あなたはどこから来たのか?」と私に聞きました
この人はいったいどこから来た人だろう、と思ったのでしょうね
「日本だよ」というと皆がいっせいに「ちがう!、ちがう!」と言いました
「じゃあどこからだと思う?」と逆に聞きました
「メキシコ!」と元気よくいう子がいました
私は、「よくわかったねえ」とその子を誉めました

シンガポールに寄港した日に、今回も街をうろうろと歩き回りました
記憶をたよりにあの公園があったあたりへ行ってみました
すっかり観光地化していて、遊んでいる子供の姿は見えませんでした
ぶらぶら歩いていると理髪店があったので、散髪することにしました
「あんたみたいなスタイルにして」と刈ってもらいました
するとこんな髪形になりました
てっぺん部分の毛量がちがうので同じスタイルにはできなかったようです
刈ってくれた彼の笑顔に、30年前の子供たちの笑顔がダブって見えました


2026年9月14日月曜日

ピースボートで世界一周 太陽

2026年4月7日
 ピースボートから何度も日の出や日の入りを見ました。その美しさは私の文章力ではとても表現しきれません。ただ、50年前にこれを見たら、私はその感動をエネルギーにして、どんな夢をつむいだだろうか、などと想像しました。

 すばらしい数々の太陽をこの船旅で見て、私の心に湧き上がってきたのは、夢とはほど遠いものでした。地球を一周している間には、赤道直下の灼熱もあれば、氷山の脇を通ることもありました。いろいろなところから太陽を眺めて、ひとつのことに思いが至ったりまのです。宇宙に地球が生まれ、その地球を太陽が照らし続けた。地球のすべての生き物の育ての親は太陽である、ということです。

 これは宇宙の真理ともいうべきものです。地球上の生き物は、何よりもまず太陽を大切にしなければならないのです。世の中には科学や宗教などのいろいろな「真理」があります。これらの「真理」の真贋は、宇宙の真理をふまえているかどうかで見極めなければなりません。

 毎日毎日、地球のあちこちで悲しい出来事がたくさん起きています。人類はもう滅亡する段階に入っていると思います。人類の活動が、太古からの太陽と地球の関係を壊すことで、地球は人類の住めないところへと変わっていくのです。それは宇宙の真理をないがしろにした人類の活動の結末です。

 人間の欲望が、宇宙の真理とは相いれないところまで肥大したこと。その欲望を充足しようとして、宇宙の真理を無視した行動を続けたことが、根本的な誤りだと思います。人間の過剰で有害な活動によって地球環境は破壊され、人間自身がそこに住めなくなろうとしています。

 荘厳な朝日も、輝かしい夕日も、そして穏やかな昼の光にさえも、そこには太陽の諫め(いさめ)がたっぷり含まれていることを私たちは知らなくていけないのです。

2026年9月2日水曜日

ピースボートで世界一周 海と空と

インド洋上で
2026年4月21日
 若い時から旅や山登りで息をのむような景色に出会ってきました。見尽くしたなどは言わないまでも、船旅ではそれほど驚くこともないだろう、という気分はありました。そんな気持ちはピースボートに乗って航海に出ると吹き飛びました。

 この船旅のあいだ、何度もずっと、バルコニーから広がる景色を見ていました。港に出入りする際や、海峡や運河を通過するとき以外は、いつもそこに海と空が広がっていました。人工的なものどころか、陸地さえまったく見えない日が何日もつづきました。それを見ているのが退屈どころか、いつまでも見ていたいと思いました。

 海の色が大洋の先々でこれほど違うとは思いませんでした。色だけでなく、その表面も様々な表情を見せます。波のある時はとても分かりやすい。波が大きいか小さいか、波がどちらから向かってくるのかなど。波がない時でも、海の表面がどろりとしていたり、小さく模様がついていたり、といろいろです。

 空の変化もとてもおもしろかった。朝焼けや夕焼けは光と色と雲が無数の組み合わせで変化するのを楽しむ時間。朝夕以外でも、見ている景色が唯一無二で、それが絶えず変化している。「いまここだけ」の眺めがずっと展開しました。

 そうやってバルコニーから海と空を眺めていると、ときおり生き物が目に入りました。海にはイルカ、ウミガメ、クジラなど、空にはカモメや渡り鳥。これらの生き物は、私たちと違い、海や空のさまざまな変化の意味をしっかりつかんでいるに違いありません。そうでなければ、これまで生きて来られたはずがありません。

 地球一周の旅が終わり近づき、再び日本の近海に戻った時、空気の匂いに日本を感じることができました。大洋に生きるものたちはこのような変化をつかみ取りながら生きているのだ、ということがわかりました。

 世界のあちこちの海にたくさんのゴミが浮いているのを見ました。ペットボトルや発泡スチロールや漁具のようなものの数々。こうした廃棄物は海の生き物に取り返しのつかない悪影響を与えています。海とは違い、空気の変化は目には見えないけれども、太古からの均衡を大きく負の方向へと逸脱しているに違いありません。

 人間の所業は、生き物としての人間にも跳ね返ってきています。日本だけでなく地球のあらゆる場所で、危機的な気候変動が起こっていることを見れば、その罪科は明白です。自らの日々の暮らしが、地球の生き物にカオスをもたらす活動になってしまっている。海と空を見ていて、もっとそのことに心して、自分ができることをしなければいけない、と思いました。
 

2026年8月27日木曜日

ピースボートで世界一周 香港

尖ったビルの辺りがビクトリアピークです
2026年4月12日
 香港の景色を一望しようと、ビクトリアピークに登りました。ピースボートが停泊した九龍からフェリーで香港島に渡り、すぐに歩き始めます。人がすごく多い。とりわけ多い辺りには、路上生活する人の住処がずらりと並んでいます。どこから来てこれからここで何をしようとしている人たちなのか?あれこれ雑多なものを山ほど積んでいるマーケットにも、たくさんの人が集まっています。

 高層マンションが林立するあいだの急坂をゆっくりと登っていきました。ベンチのある所で休んでいたら、すぐ蚊に喰われました。仕方なくまた登りはじめ、ようやく港の景色が見えてきました。建物や木々にさえぎられて視界はすっきりしません。それから車道を歩いてもう少し登り、ようやく山頂近くの公園に着きました。港が見渡せるだろうと思しき辺りには、電波塔が立っていて立ち入り禁止でした。

 ビクトリアピークから走るように降りてきて、さっきのマーケットをのぞいてみました。食べ物や、着る物や、飾る物など、単価の安い物がたくさん売られています。そこに、主に若い女性がいかにも楽しそうに群がっています。この辺りで働いている人たちが、休みの日に遊びに来ているのでしょうか?そういえば今日は日曜日でした。

 フェリーで九龍に渡り返し、今度はストリートマーケットへ向かいました。街を抜けて行くと、通りに面したビルの入り口で、ショートパンツにタンクトップの女性がタバコを吸っています。そういうスタイルの人があちこちにいて、無表情な目つきで私たちを眺めています。あの人たちは、休んでいるのか、なにかの仕事中なのか、分かりません。

 ストリートマーケットは、朝見たビル内のマーケットを露天に置き換えたようなものでした。あちらほどの人出ではなく、ちょっと足を止めて商品を見ると、店員が寄ってきます。手に取った段階で買う気十分と判断され、値段を聞いたらもう買ったと同様に見なされます。そのことが分かったので、あとはなるべく店は見ないようにして歩くことにしました。

 香港は物価が高くて、胃が縮みます。コンビニに入って500㏄のビールとつまみを買い、海沿いの公園へ行きました。ここも人の波で、座るところを見つけるのさえ一苦労です。それでもようやく座ってビールを飲みました。

 港の公園でブルース・リーの銅像を見ました。彼が主演した「燃えよドラゴン」を見たのは高校の卒業を目前にした正月でした。見終わった後、肩で風を切って映画館を出たのを覚えています。数年後に、ヨーロッパの山登りへ行く途中で香港に立ち寄りました。当時の香港国際空港は、今とは違って九龍湾にありました。「世界一着陸が難しい空港」と言われていたそうです。その時が初めてのフライトだった私は、そんなことは知りませんでした。乗っていた飛行機は、まばゆいばかりの夜景に突入し、海の上の滑走路にふわりと着陸しました。

 ピースボートに戻って、出航するデッキから夜景を眺めながら、そんなことを思い出しました。