2026年10月13日火曜日

焼岳(日本百名山85峰目)

やけだけ 2,455m
昨日は八ヶ岳の赤岳に登りました
久々の登山でしたが、足もつらず景色を楽しみながら6時間歩き通せました

昼過ぎに下山した後、麓の珍しい温泉に入りました
ぬるい湯につかりながら明日どこに行くか考えました
昨日までは鳳凰三山へ行こうと思ってました
今日明日連続はきついので焼岳へ行くことにしました
尖石温泉
中の湯登山口の駐車場へ行って車中泊をすることにしました
寝る準備をしていると中国語が聞こえてきました
その人達は私のところに来て、「上高地まで乗せて行ってください、お金払います」と言いました
「ここから5分下ったところに温泉があるので、そこに行けばタクシーを呼べますよ」と伝えました

翌朝起きると駐車場とその前後の路上には車が百台ぐらい停まっていて大賑わいになっていました
9月はずっと雨だったので、大勢の人が10月の紅葉を楽しみに来たのでしよう
6:20
サンドイッチの朝ご飯を食べて出発しました
登山口からの道は始め平らで、すぐに木の根岩角の登りになりました
樹林帯を登り続けると小びろい所に出て、やがて樹林帯を抜けます
今朝の冷え込みで霜が降りたようです
7:40
多数の登り下りする登山者に混じって
焼岳の噴煙が見えるところまで来ました
ナナカマドの葉が赤く色づいています

50年近く前にKさんと滝谷へ岩登りに行ったのは今頃だったなあとナナカマドを見て思いました
8:30
岩のゴロゴロした道を登って南峰と北峰の間のコルに着きました
噴煙をバックに記念写真を撮っているカップルがいました

8:45
焼岳北峰の頂上に着きました
360度の展望です

槍ヶ岳、穂高岳、眼下に上高地
加賀白山
焼岳南峰と遠くに乗鞍岳
笠ヶ岳
焼岳は噴火警戒レベル1で、最高峰の南峰は登山規制になっています
それにしては北峰の周りにばかり噴煙が上がっています
どういうわけでしょう?
9:00
混み合う山頂をあとにして下りにかかります
途中でゆっくり下っている人達を何人も追い越しました
もちろん挨拶はして通り過ぎます
何か気分を悪くしたのか、抜かれたあともわたしの後を一生懸命ついてくる人がいました
10:15
駐車場に帰着しました
朝から4時間の歩行でした
10:50
駐車場で整理体操をして帰路に着きました
グーグルマップで検索した下道で帰りました
信号機が少なく、走りやすい道でした
しかも、到着予定時刻ぴったりに川越に着きました
AIは日々進化しているなと思いました










ピースボートで世界一周 朝食

ある日の朝食
ピースボートに乗っている間は、朝昼夕の三食が提供されます
その三食を順にご紹介していきます

基本いろいろなものを好きなだけ食べられます
100日間の船旅で食べすぎて太る人、好みが合わなくて痩せてしまう人、いろいろです

朝食のオプションは、和食、洋食、ビュッフェのバイキングのいずれかです
それぞれ場所が違うのでまずはそこへ行きます
和食は5階、洋食は6階、ビュッフェは14階で、和洋は6時から、ビュッフェは5時からです
そこでその日のメニュを確かめて、食べるかどうかを決めます

5階と6階はレストランで、入り口に係の人がいて席に案内してくれます
何も言わなければ6人の相席になります
1人でも2人でも、自分たちだけで食べたければ空きテーブルを探してくれます
運よく朝日の見えるテーブルに案内された時などは、素敵な一日の始まりに感謝しました

初めはこの着席システムを知らなかったので、しばらく案内されるまま相席で食べていました
すると、時には同席の人から不用な情報を提供をされることもありました
他愛ない冗談ならともかく、容認できない話題もあったので、その後相席はやめにしました
これは夕食についても同様です

席に着くと係の人が注文を取りに来てくれます
係の人はすべて白人以外の人で、基本は英語でやりとりをします
メニューは日英で表記されているので、もし英語ができなくても大丈夫です

朝は和食を一番多く食べました
ピースボートでは日本人が多数派なので、和食のレストランはいつも混んでいました

朝食で注文できるものは、毎朝決まっています
ご飯、みそ汁、納豆、焼き魚、煮物、漬物、温泉卵、のり、サラダ、ヨーグルト、飲み物です
ものぐさな人は「オール」といえばこれらが全部出てきます

ご飯は玄米やお粥を選ぶこともできます
焼き魚、煮物、漬物は日替わりでいろんなものが出てきました

ご飯もおかずも、これはいらないとか、もっと欲しいとか、わがままを聞いてくれます
ですから基本的には残飯は出ないはずですが、残念ながら残している人もいました
お口に合わなかったのでしょうかね?

わたしの味覚からするとほとんどのものが美味しくて全く問題ありませんでした
煮物の味付けなどは具合が良くて、日本人シェフが作っているのだろうかと思いました

洋食も何度か食べました
洋食は全て自分の食べたいもの、飲みたいものを選びます

こちらのレストランはいつも空いていていました
自分たちのテーブルの周りにはほとんど人がいませんでした
ですから和食のレストランよりもずっとのんびりと食事ができます
それはまた、注文をしてから料理が出てくるまで和食より時間がかかる、ということです
それなのでちょっとペースが合わず、いきおい和食の方に多く足が向きました

レストランでは、席に案内してくれた人、注文を取ってくれた人、料理を運んでくれた人へ必ず感謝の言葉を残しました
チップは置かなくていいのです
中には、寄港先で買った小さなお土産品をあげたりしている人もいました

朝食の時間をゆっくりと楽しみたい人にはこれらのレストランは快適でした
食事のあとのコーヒーや紅茶も楽しめます

用事で早く済ませたい時や、体調が良くなくて軽く済ませたい時はビュッフェへ行きました
こちらは朝の5時から、和洋中の料理を好きなように取って食べられます
テーブルは大小沢山あって、好きなところに座って食べます
食べ終わった後の食器はテーブルに置いたままでOKです
終わると係の人が来て、きれいに片づけてくれるのです
ほんとうに何から何まで行き届いていましたね


2026年10月2日金曜日

八ヶ岳(日本百名山84峰目)

八ヶ岳というのは、一つの峰の名称ではなくて、連峰のことです
山梨県の北西、長野県との県境に南北に連なる峰々が八ヶ岳と呼ばれています
その中の最高峰が赤岳(2,899m)で、そこに日帰りで登りました

川越を早朝2時過ぎに車でたって、八ヶ岳山麓の美濃戸(標高1,680m)に着きました
いま6時40分なので、家から4時間半かかりました
そこに車を置いて、いつもながら慌てて出発したため、スマホを車の中に置き忘れました
なので今回はフォトレスの記録です

佐久から白樺湖を経由して美濃戸へ来る間は、ところどころ濃い霧の中でした
その霧がまだ少し残っている感じですが、今日は晴れる予報です
日帰りなので荷物は軽く、昨夜は5時間とやや短時間ながらぐっすり寝たので快調です

歩き出すとすぐに樹林帯の中の、南沢という流れに沿った道を行きます
樹林の下の苔が木漏れ日に映えてきれいです
ところどころ急な登りがあり、沢を渡り返したりと結構変化がある道です

沢の流れが緩やかになって、時折岩の稜線が前方に見えだすと行者小屋でした
ここはもう標高が2,350mあります
このところ雨が多かったので、水場にはたっぷり水が流れていました

横岳から赤岳、阿弥陀岳へとつらなる稜線が頭上に見えます
ここから赤岳へは、地蔵尾根と文三郎道のどちらかを登ることになります
どちらから行くか考えました
コースタイムはどちらも同じです
岩場や鎖場のある地蔵尾根を登り、赤岳からの下りは文三郎道を通ることにしました

針葉樹林の中を登ると最初の岩場が出てきました
足場材ががっちり組んであるので、技術はいらず、高めのステップを登れば問題ありません
岩がごつごつした急な道を行くと最後の岩場があり、ここも一歩一歩登ります
するとあっけなく稜線上の地蔵の頭(2,710mくらい)に出ました
行者小屋から1時間だったので、標準タイムより20分早い
これは、私が早く歩いたからではありません
岩場や鎖場でよくある他の登山者の通過待ちを、この日は全くしないで済んだためです

そこにあった小屋を風除けにして少し休みました
もう赤岳の山頂にいる人の姿が見えます

ザレた稜線の道を30分ほどで山頂に着きました

山梨県側はガスが出ていますが、長野県側は晴れていています

雲海の上には、遠く乗鞍岳や御嶽山も見えます

見下ろせば 行者小屋の赤い屋根も見えました


下りの文三郎道に向かうといきなり岩場の下りになりました

谷の下までずっと見えるので上りより怖いです

そこを慎重に下って文三郎道の降り口まで来ました

そこには人が数人休んでいて、景色を楽しんでいました


文三郎道に入るといきなり階段が続きます

その階段は等間隔の階段なのでかえって歩きづらい構造でした

体を横向きにして下っていくと、途中で休んでいる人が何人もいました

 そういう人を抜いてどんどん降りていきました

降りるのは得意です

行者小屋へは赤岳の山頂から1時間で着きました


小屋のチップ トイレで 用を足し、また歩き始めました

一時過ぎには着きそうなので、午後は何をしようかなどと考えながらどんどん歩きました


こうして84峰目の百名山に登ることができました

ことしは百名山に一つも登れないかな、と思っていましたが、登れてよかった

やはり何よりも行動を起こすことが大切だと改めて思いました







2026年9月27日日曜日

ピースボートで世界一周 シンガポール


この前シンガポールに来たのは、ざっと30年ほど前です
その頃の仕事関係の出張でした
休みの日にこの街を歩き回りました
中心街は整然としていて、ゴミ一つ落ちていません
かみ終わったガムを道にプッと吐き捨てると罰金を取られると聞きました
それが裏通りに入ると、とつぜん趣がただよいだしました
その街区には中国系、インド系、マレー系の人たちが一緒に暮らしています

インドにルーツを持つ人達が多く住む一角に公園があり、子供たちが遊んでいました
ベンチに座り屋台で買ったサモサを食べながらその様子を眺めていました
それを見つけた子供たちが、私の周りにばらばらと雀のように寄ってきました
英語を話す子が「あなたはどこから来たのか?」と私に聞きました
この人はいったいどこから来た人だろう、と思ったのでしょうね
「日本だよ」というと皆がいっせいに「ちがう!、ちがう!」と言いました
「じゃあどこからだと思う?」と逆に聞きました
「メキシコ!」と元気よくいう子がいました
私は、「よくわかったねえ」とその子を誉めました

シンガポールに寄港した日に、今回も街をうろうろと歩き回りました
記憶をたよりにあの公園があったあたりへ行ってみました
すっかり観光地化していて、遊んでいる子供の姿は見えませんでした
ぶらぶら歩いていると理髪店があったので、散髪することにしました
「あんたみたいなスタイルにして」と刈ってもらいました
するとこんな髪形になりました
てっぺん部分の毛量がちがうので同じスタイルにはできなかったようです
刈ってくれた彼の笑顔に、30年前の子供たちの笑顔がダブって見えました


2026年9月14日月曜日

ピースボートで世界一周 太陽

2026年4月7日
 ピースボートから何度も日の出や日の入りを見ました。その美しさは私の文章力ではとても表現しきれません。ただ、50年前にこれを見たら、私はその感動をエネルギーにして、どんな夢をつむいだだろうか、などと想像しました。

 すばらしい数々の太陽をこの船旅で見て、私の心に湧き上がってきたのは、夢とはほど遠いものでした。地球を一周している間には、赤道直下の灼熱もあれば、氷山の脇を通ることもありました。いろいろなところから太陽を眺めて、ひとつのことに思いが至ったりまのです。宇宙に地球が生まれ、その地球を太陽が照らし続けた。地球のすべての生き物の育ての親は太陽である、ということです。

 これは宇宙の真理ともいうべきものです。地球上の生き物は、何よりもまず太陽を大切にしなければならないのです。世の中には科学や宗教などのいろいろな「真理」があります。これらの「真理」の真贋は、宇宙の真理をふまえているかどうかで見極めなければなりません。

 毎日毎日、地球のあちこちで悲しい出来事がたくさん起きています。人類はもう滅亡する段階に入っていると思います。人類の活動が、太古からの太陽と地球の関係を壊すことで、地球は人類の住めないところへと変わっていくのです。それは宇宙の真理をないがしろにした人類の活動の結末です。

 人間の欲望が、宇宙の真理とは相いれないところまで肥大したこと。その欲望を充足しようとして、宇宙の真理を無視した行動を続けたことが、根本的な誤りだと思います。人間の過剰で有害な活動によって地球環境は破壊され、人間自身がそこに住めなくなろうとしています。

 荘厳な朝日も、輝かしい夕日も、そして穏やかな昼の光にさえも、そこには太陽の諫め(いさめ)がたっぷり含まれていることを私たちは知らなくていけないのです。

2026年9月2日水曜日

ピースボートで世界一周 海と空と

インド洋上で
2026年4月21日
 若い時から旅や山登りで息をのむような景色に出会ってきました。見尽くしたなどは言わないまでも、船旅ではそれほど驚くこともないだろう、という気分はありました。そんな気持ちはピースボートに乗って航海に出ると吹き飛びました。

 この船旅のあいだ、何度もずっと、バルコニーから広がる景色を見ていました。港に出入りする際や、海峡や運河を通過するとき以外は、いつもそこに海と空が広がっていました。人工的なものどころか、陸地さえまったく見えない日が何日もつづきました。それを見ているのが退屈どころか、いつまでも見ていたいと思いました。

 海の色が大洋の先々でこれほど違うとは思いませんでした。色だけでなく、その表面も様々な表情を見せます。波のある時はとても分かりやすい。波が大きいか小さいか、波がどちらから向かってくるのかなど。波がない時でも、海の表面がどろりとしていたり、小さく模様がついていたり、といろいろです。

 空の変化もとてもおもしろかった。朝焼けや夕焼けは光と色と雲が無数の組み合わせで変化するのを楽しむ時間。朝夕以外でも、見ている景色が唯一無二で、それが絶えず変化している。「いまここだけ」の眺めがずっと展開しました。

 そうやってバルコニーから海と空を眺めていると、ときおり生き物が目に入りました。海にはイルカ、ウミガメ、クジラなど、空にはカモメや渡り鳥。これらの生き物は、私たちと違い、海や空のさまざまな変化の意味をしっかりつかんでいるに違いありません。そうでなければ、これまで生きて来られたはずがありません。

 地球一周の旅が終わり近づき、再び日本の近海に戻った時、空気の匂いに日本を感じることができました。大洋に生きるものたちはこのような変化をつかみ取りながら生きているのだ、ということがわかりました。

 世界のあちこちの海にたくさんのゴミが浮いているのを見ました。ペットボトルや発泡スチロールや漁具のようなものの数々。こうした廃棄物は海の生き物に取り返しのつかない悪影響を与えています。海とは違い、空気の変化は目には見えないけれども、太古からの均衡を大きく負の方向へと逸脱しているに違いありません。

 人間の所業は、生き物としての人間にも跳ね返ってきています。日本だけでなく地球のあらゆる場所で、危機的な気候変動が起こっていることを見れば、その罪科は明白です。自らの日々の暮らしが、地球の生き物にカオスをもたらす活動になってしまっている。海と空を見ていて、もっとそのことに心して、自分ができることをしなければいけない、と思いました。
 

2026年8月27日木曜日

ピースボートで世界一周 香港

尖ったビルの辺りがビクトリアピークです
2026年4月12日
 香港の景色を一望しようと、ビクトリアピークに登りました。ピースボートが停泊した九龍からフェリーで香港島に渡り、すぐに歩き始めます。人がすごく多い。とりわけ多い辺りには、路上生活する人の住処がずらりと並んでいます。どこから来てこれからここで何をしようとしている人たちなのか?あれこれ雑多なものを山ほど積んでいるマーケットにも、たくさんの人が集まっています。

 高層マンションが林立するあいだの急坂をゆっくりと登っていきました。ベンチのある所で休んでいたら、すぐ蚊に喰われました。仕方なくまた登りはじめ、ようやく港の景色が見えてきました。建物や木々にさえぎられて視界はすっきりしません。それから車道を歩いてもう少し登り、ようやく山頂近くの公園に着きました。港が見渡せるだろうと思しき辺りには、電波塔が立っていて立ち入り禁止でした。

 ビクトリアピークから走るように降りてきて、さっきのマーケットをのぞいてみました。食べ物や、着る物や、飾る物など、単価の安い物がたくさん売られています。そこに、主に若い女性がいかにも楽しそうに群がっています。この辺りで働いている人たちが、休みの日に遊びに来ているのでしょうか?そういえば今日は日曜日でした。

 フェリーで九龍に渡り返し、今度はストリートマーケットへ向かいました。街を抜けて行くと、通りに面したビルの入り口で、ショートパンツにタンクトップの女性がタバコを吸っています。そういうスタイルの人があちこちにいて、無表情な目つきで私たちを眺めています。あの人たちは、休んでいるのか、なにかの仕事中なのか、分かりません。

 ストリートマーケットは、朝見たビル内のマーケットを露天に置き換えたようなものでした。あちらほどの人出ではなく、ちょっと足を止めて商品を見ると、店員が寄ってきます。手に取った段階で買う気十分と判断され、値段を聞いたらもう買ったと同様に見なされます。そのことが分かったので、あとはなるべく店は見ないようにして歩くことにしました。

 香港は物価が高くて、胃が縮みます。コンビニに入って500㏄のビールとつまみを買い、海沿いの公園へ行きました。ここも人の波で、座るところを見つけるのさえ一苦労です。それでもようやく座ってビールを飲みました。

 港の公園でブルース・リーの銅像を見ました。彼が主演した「燃えよドラゴン」を見たのは高校の卒業を目前にした正月でした。見終わった後、肩で風を切って映画館を出たのを覚えています。数年後に、ヨーロッパの山登りへ行く途中で香港に立ち寄りました。当時の香港国際空港は、今とは違って九龍湾にありました。「世界一着陸が難しい空港」と言われていたそうです。その時が初めてのフライトだった私は、そんなことは知りませんでした。乗っていた飛行機は、まばゆいばかりの夜景に突入し、海の上の滑走路にふわりと着陸しました。

 ピースボートに戻って、出航するデッキから夜景を眺めながら、そんなことを思い出しました。
 


2026年8月12日水曜日

ピースボートで世界一周 その船

レイキャビクに停泊中のピースボート
 ピースボートの船を間近に見るととても大きい。目の前に高さ15階のビルが250メートルもの幅で立っていることを想像してみてください。長さと幅は戦艦大和と同じくらいですがボリュームははるかに大きい。そこに2,500人くらいの人が乗って地球をまわるのです。

 こんなに小山のように大きな船ですが、航海中に3回ぐらいはしっかり揺れました。歩行に支障があるような揺れでしたが、飛行機で経験したような急激なアップダウンはありませんでした。その揺れにも一週間ぐらいで慣れてしまい、その後は少々の揺れは気にならなくなりました。

 この船が作られたのは30年前のイタリアでした。船内は使い込まれたヨーロッパのミドルクラスのホテルといった感じです。アトリウムやレストラン、シアターやラウンジといった人が集まるところはゆったりと落ち着いています。船内はどこも清掃が行き届いていました。

 フロアは全部で15階ですが、13階はなく、9階や4階はあります。ゆっくり上下するエレベーターでフロアを行き来しますが、いつも階段を使いました。船内には会話やゲームをしたり、本を読んだりするスペースがたくさんあります。これは相部屋の人たちが、部屋の外でくつろげるように配慮したものと思われます。 

 私たちのキャビンは、10階右側の後方でした。キャビンの位置はとくにそこを希望したわけではありませんでした。広さはバルコニーも入れて17㎡で、そこにシャワーやトイレ、デスクにクローゼット、ベッド、テレビなどが備えられています。私はバルコニーからぼんやりと海を眺め、頭に何か浮かんできたら自分史に書きたいと思っていました。このキャビンであればそれができるだろうと思いました。

 船にはジムやジャグジーなども備わっているし、一周600mぐらいのデッキでウォーキングもできます。卓球台もあるし、ヨガやダンスなどのレッスンも受けられるので、その気さえあれば運動不足になる心配はありません。

 プロのミュージシャンが何組も常時乗船していて、船内のあちこちで生の音を楽しむことができます。シアターや屋外の大きなスクリーンで名画を鑑賞できるし、部屋でお酒を飲みながらドラマなどを見ることもできます。

 これらはどんなクルーズでも似たり寄ったりでしょう。ピースボートらしさが現れているのは、「水先案内人」とすでにお話しした「自主企画」でしょう。

 「水先案内人」というのは、ピースボートが選んだこの船旅にかかわるあれこれについてのスペシャリストです。あれこれとは寄港する地域の文化や課題などで、じつにバラエティーに富んでいます。この人たちが講演やパフォーマンスを船上で繰り広げるのです。

 大人数が一つの船で旅するので、一人当たりの二酸化炭素排出量は少ないのではないかと期待しました。ネットで調べてみると、クルーズ船は環境汚染の原因となる排出物の量は他の交通手段と比べて格段に高いことが分かりました。重さが7万トンもあることや、前時代的なディーゼルエンジンを使っていることが主因のようです。ガッカリしましたが、船旅は船でしかできないし、一生に一度だからごめんなさいと割り切ることにしました。

 

2026年8月4日火曜日

ピースボートで世界一周 船でこれをしよう

連れと出航の記念撮影
 私はこの10年で一か月間のヨーロッパ自転車旅を6回しました。毎回衣食住に必要なすべてを、自転車と共に日本から持って行きました。食料や燃料は向こうで買いました。それに比べると、この船旅は何という身軽さでしょう。もちろん船を漕ぐ必要もありません。そんな安直な旅が同時に空疎なものにならないよう準備しよう、と思いました。

 105日の間、船で旅をしたら自分は一体どうなるか、出発前にあれこれ想像してみました。航程によれば、17か国の19港に寄港はするものの、港に停泊するのは25日だけです。あとの80日間は海の上を移動しているだけですから、持て余すほどの時間があります。この時間をどう過ごすかが、この旅の重さを決めるだろうと思いました。

 船内にはあれこれ多数のイベントやカルチャースクールも用意されているようです。それらがいくら盛りだくさんでも、自分がそれに興味がなければ仕方ありません。カルチャースクールに社交ダンスがありました。数年前までやっていたので、これを機に再開しよう、と思いました。運動不足を防げるし、知り合いができるかもしれません。ダンス用の靴やシャツとパンツを用意して、荷物に詰め込みました。

 長い船旅ですから、この機会でなければできない何かはないか、と考えました。私はこのところ自分史を執筆していたのですが、人生の半分あたりのところで立ち往生していました。若くてイケイケだった頃の話は、気恥ずかしくてもむしろ書きやすかったのです。その後ややこしくなってきたわが人生について、ふだんの生活の中で書くことに困難を感じていました。それは何か思い出したくない、書きたくない記憶として頭の底によどんでいました。船室のバルコニーから、日がなぼんやりと海と空と水平線を眺める。三度三度の食事や、寝るところ住むところは、いっさい心配ない。時々ダンスをする。そういう夢のような環境でれば、あの頃のことを思い返してみよう、という気になるかもしれません。PCも荷物に加えました。

 ピースボートには自主企画というのがあって、これがどうも花盛りのようでした。乗客が思い思いのテーマで乗客を対象に何かをするのです。テーマは政治や宗教などにかかわったものから、フラダンスやカラオケまで、硬軟自在のようです。今回のピースボートには海外の方も含めて1,750名が乗船すると聞きました。このような二度とない機会に自分も何かしてみよう、と思いました。

 となれば、わら細工ワークショップです。わら細工は初めてという人が乗客の中にたくさんいるでしょう。私はこのワークショップを、日本以外から来た人たちをメインに英語でやることにしました。この企画をあらかじめピースボートに相談したところ、とくに問題は無さそうでした。五つの作品を各回10名定員でやる準備をしました。船の上では何も手に入らないので、材料はもちろん床に敷く大きなシートまで用意しました。前回の写真で私がかついでいた大きな段ボールには、わら細工の材料が入っていたのです。


2026年8月3日月曜日

ピースボートで世界一周 横浜出航

荷物をかついで横浜港の大桟橋へ向かう
 退職したら船旅に行きたいと思っていました。それは今から10年以上も前のことです。その時、やりたいと思っていたことは沢山ありました。船旅はその中では優先順位がかなり低い方でした。百名山の山旅や日本一周やヨーロッパの自転車旅には早い機会に行きたいと思っていました。船旅はそれらの後で、もし時間があったら、という程度でした。旅と同様に、退職したら好きな手仕事をがっちりとやりたいと思っていました。藁細工、竹細工、そして茅葺きです。どれひとつとっても、未知の洞窟のようにどこまでも深く、いくらでも時間のかかることでした。

 じっさいにやってみると、旅も手仕事も想像以上に楽しかったのです。退職後の日々はあっという間に過ぎて行きました。やりたかったそれぞれについて、思った以上の成果も上がってきたことを実感していました。今から3年ぐらい前のことです。ずいぶん頑張ってきたのだから、このへんで自分にご褒美してもいいかなと思いました。70歳にもなることだし、連れもできたし、ということもありました。

 そう思ったのが先だったのか、ピースボートの新聞広告を見たのが先だったのか、今でははっきりしません。船旅に行きたいという思いがふたたび湧き上がりました。反射的に、105日間で地球を一周するピースボートの旅に連れと一緒に申し込みました。

 その時点では、出発は2026年12月で、航路は西回りで南極を見る予定でした。2年ほどそのつもりで待っていました。とつぜん、今年の1月にピースボートから、2026年4月出航のツアーに変更しませんか、という誘いがありました。変更すれば、かなりの額のお小遣いがもらえるとのことです。そのツアーは、急な航路変更で多数キャンセルが出たので、その穴埋めがしたいのでした。こちらは航路にこだわりはなく、むしろ早く、安く行けるのが魅力でした。変更の手続きをして、今年の4月7日に横浜港から旅立つことになりました。


2026年2月23日月曜日

人力遊山記とは

私がここまでの人生で遊んできたことの記録です
いろんな遊びをしてきましたが、集約すると、山遊び、水遊び、自転車遊びの三つです
その三つをやって感じたあれこれをここに書いています

遊んだことのひとつひとつをできるだけ詳細かつ正確に書きました
記憶している限りにおいてすべて正確な内容であり虚偽はありません
もしこれは変だななんてことがありましたら是非お知らせください
それをどうするかはもちろん内容次第ですが・・・

わたしはまだ生きているので人力遊山記はまだ続きます
死んだらそこで終わりです
死ぬまで書きます

伯耆大仙に登る

2025年11月7日金曜日

黒旅 9回目 尾道⇒米子 2025年10月30日~11月5日

宍道湖東岸 2025年11月2日

10月30日 走行距離20㎞

8:30 郭町から富澤家のミニに乗せてもらって羽田へ

10:20 羽田第一ターミナルに着き荷物を預け弁当を買い富澤家の3人と別れる

11:00 保安検査を通過した 飲料水の持ち込みはできる 植栽のあるスペースで弁当を食べる その横に立ち食いそばや🍺を売っているところがあった こっちの方が良かったな

11:30 搭乗

12:15 離陸
飛行中に識別できた山
瑞牆山 甲斐駒ヶ岳 北岳 間ノ岳 農鳥岳 八ヶ岳 加賀白山 伊吹山 伯耆大山
間ノ岳から農鳥岳の稜線

13:20 広島空港着陸 バスは13:50かと思っていたが実は15:10だった 佐川の営業所まではタクシーで5000円かかるとのことでバスを待つことに

15:10 三原駅へのバスに乗る 台湾での失敗があったので下車に注意 無事下車した 
1キロ歩いて佐川急便の営業所を着く 自転車を受け取る 輪行袋が見た感じ少しやつれている 建物の前で30分で組み立てる ここから尾道まで20キロ ゆっくりはしっても6時には着くだろう
自転車の組立を完了

10キロはしったところでタイヤに空気を足そうとした バルブのネジ棒を折ってしまった 空気漏れが止まらない ちゅーぶをt交換しないとダメです 交換に20分かかってしまった もうあたりは暗い
ゆっくり走って宿に着いた
晩飯はコンビニで買って来て宿で食べた

10月31日 走行距離2㎞

7:00 本降りの雨なので今日はどうしようかな
宿に浅川マキのレコードが置いてあった

予報では夕方までやまない
80キロの山道を雨の中走るのは今ひとつだ
鉄道で移動することに決めた
三次の宿も確保した

8:00 寝具の片付け、着替え、洗面、朝食、パッキング
他の泊まり客は寝ている

9:00 ポンチョを着て出発
ジャイアントの店に行きタイヤレバーを買う 昨日はこれが無くてタイヤを外すのに手こずった
予備のチューブも欲しかったのだがサイズが無かった

9:20 尾道駅で三次行きの切符を買う
自転車を持っているなら糸崎駅乗り換えが楽だとのこと
駅前で急いで自転車を輪行袋に入れる
前輪は外さずハンドルを抜きサドルを下げただけで袋にすっぽり入ることを発見
まるでこの自転車のためにデザインされた輪行袋かと思うほどのジャストサイズ

9:44 糸崎駅行きに乗る

9:52 糸崎駅で広島駅行きに乗る 乗り換え時間はわずか1分だが向かいのホームなので余裕で間に合う
列車は混んでいないので楽

八本松駅から狭く深い谷間を走った
垂ちゃんが写真集にしたのはこの辺りかなと思う
中野東というところでふと思った
山の斜面にびっしり家が建っている
そこだけ緑は無くところ狭しと家が建っている
ここに住もうと決意させる何かがここにあったからこうして住宅地が形成された
遠目から見るととても住み易い場所には見えない
山を背負って日照時間は短いし坂道の上り下りで普段の生活も大変だろう
それでもこうしてここで幸せになろうと決心した人たちがこんなにいることに驚く

11:12 広島駅に着く
待合室で本を読む 駅そばを食べた

12:10 三次行きのキハ47、二両編成ワンマンカーに乗る ただし乗務員は女性でした
列車はどれも空いているので自転車の置き場には困らない
線路際の樹木が伸びていてときどき枝や葉が窓にぶつかる

13:45 三次に着いた まだしっかり雨が降っている
宿に行くにはまだ早い
どこか行くところは無いかと探す
みよし風土記の丘ミュージアムがあるがちょっと遠い
コンビニで買いものして宿へ行くことにする

14:50 宿は超安宿だけどサービスのてんこ盛りにビックリ
コンビニで買い物する必要無かった
大きい風呂にゆっくり入ってあとは飲んで食べて寝た
飲み放題のウェルカムドリンク
盛りだくさんのアメニティ

11月1日 走行距離45㎞

6:00 外は雲が頭上にたれこめている 三次は雲海がよく出るところらしい
準備をして体操をして今日のルートを再チェックした
7:00 朝食をゆっくり食べる 和食、パン食、目玉はネギトロ丼か たくさん食べたいが食欲があまり無い

7:45 出発の時から降っていないだけまだまし
尾道から松江に中国山地を越えて行くルートはいつからか「やまなみ街道」と呼ばれている
「しまなみ海道」からヒントを得たのかな
尾道から三次までの80キロは雨でパスし三次からの出発です

8:45 布野の道の駅で休憩する 軽トラの店舗で甘栗を半額で売っているお爺さんが話しかけて来た 前歯が全部抜けている どこから来てどこまで行くのかと 三次から松江までと答えたら 山を越えたらぴゅーだよ 行きは良い良い帰りは怖いだけど と言ってました こうやって気さくに声を掛けてくれる人も少なくなりました 

9:20 道の駅を出るとすぐに雨が降って来た 降り出すのは峠を越えてからかと思いきやお早いお迎えです 上着は一枚だけになりその上にポンチョを着ました 雨具を着ると雨はそんなに気になりません 

10:30 赤名峠に着きました 三次からじわっとずっと登り坂でした トンネルを抜けると今日の目的地の頓原道の駅までくだり調子です
山陽から山陰に入ります

11:00 このルートは新しい国道54号線をたどっています 車で運転しやすいように直線的に道どりされています なので道はときどき登り坂になります それがエネルギーの無くなった私の足に響きます

12:15 道の駅頓原に着きました ホッ! 休憩所で食パンにベーコンを挟んで食べました 土日だけヤギがいます ヤギは雨が苦手だそう 本当に雨がが降って来たら雨宿りしてました
わたし(コハル)は雨が苦手

13:10 大しめ縄会館の展示品を見ました 日本各地のしめ飾りが展示ボードに飾られていました あちこちの知り合いに頼んで集めたり作ったりしたしめ飾りを素人が展示したのですね

15:15 道の駅頓原にチェックイン 宿泊施設は老朽化しているので普段は営業していないそう スタッフも昭和のいい感じが残っていて好ましいかった 音楽を聴きながら酒を飲む 窓の外には雲が流れてる 旅愁って奴

17:00 天気は明後日までは午前中に雨が降る予報 明日は松江に泊まるのだけど三連休の中日で安宿はどこも空いてない 怪しいドミトリーを予約しました 明後日は大山の標高800mのところの登山口に泊まります そこまで自転車で行くかバスで行くか決めていないけどとりあえず宿だけは予約しておく
18:30 晩ご飯の献立は頓原牛のすき焼き、ワニのフライ、蕎麦、ご飯 おかずだけでも普段の夕食の倍くらいある ご飯はすでに持ってあって返すわけにもいかないので完食しました 

20:00 食い過ぎのため苦しかったが寝てしまった

11月2日 走行距離72㎞

6:00 今にも降り出しそうな空模様です 荷物をパッキングし体操して出発準備を整える 

7:00 朝食はトーストにコーヒーとサラダ 昨夜の爆食が尾を引いているのでこれで十分ですね
スタッフの人は雨なので済まなそうにしていました

7:15 出発するといきなり登り坂が2キロ続きました 坂の上が晴雲トンネルで標高が545mありました 気温は10℃以下で吐く息が白い ここから20キロ以上延々と下り坂が続きました 逆コースはキツイでしょう 甘栗売りのお爺さんが言っていた通りです
ここからずっと下りです

9:45 木次の道の駅で明日の予定を決めました  自転車を乗せて大山の登山口まで行くバスの実諸試験をしているのを見つけました 期間は明日までで今日15時までネットで申し込みとのこと まるで私のために行っているような実験ですね 喜んで試験台に立つことにしました 申し込むのに時間がかかりましたがチケットをゲットできました 明日は15時までに大山口駅へ行けばあとは登山口まで自転車ごとバスでいけます

12:00 宍道湖畔にでると強い東風が吹いていて湖面が波立っています 小腹が空いたのでコンビニで小さな中華丼を食べました
強風に波立つ宍道湖

13:00 風に背中を押されるようにして湖沿いの県立美術館に着きました ゲストハウスのチェックインまでまだ時間があるので美術館のロビーで本を読んだり日記を書いたりしました ソファの隣り座った老人夫婦がワールドシリーズの今日の試合についてボソボソ話しているので聞かないようにした

15:00 明後日の大山登山に備えて手袋と股引を買う事にする こんなに寒くなるとは思わず装備があまかった 初めユニクロへいったがヒートテックは暖かみに欠ける ワークマンに行ってシンサレートの手袋とメリノウールの股引を見つけました

16:00 セブンで食料を買う 軽めの夕食と朝食 

16:45 17時のチェックインまでまだ時間があるので宍道湖の端に夕陽を見に行った
宍道湖に沈む夕陽

夕陽を見ながら思った養生訓の一節
すべて疑うべきを疑い、信ずべきを信じずるのは迷いをとく道である

17:20 旅の宿ゲストハウス松江に到着 オーナーの女性は猫好きなので猫と人が共存できるゲストハウスにしたそうです 玄関、キッチン、洗面所、2階への階段下には木格子扉が付いていて猫が行き来出来ないようになっている ゲストハウスの管理運営は細かくルール化されていてそれを厳守するように前もって説明がありました そのルールは私にとっては常識的なものでした 自分の家でもそのようにしているので違和感はありません そのようにしていない人もいるのでしょう オーナー夫婦は過去に全国各地に6軒のゲストハウスを所有していたそうです それでこのような研ぎ澄まされた管理運転になるのかと思いました

18:00 シャワーを浴びて焼酎を飲みながら夕食を食べました 隙を見せると猫に食料を奪われます

20:00 少し本でも読んでから寝ようと思いましたが睡魔が襲ってきてあっという間に寝てしまいました

11月3日 走行距離48㎞

6:00 時折屋根を雨が叩く音がする 8時には出発するつもりで準備する 着替え、パッキング、体操そして朝食 今朝は大盛りきつねうどん 玉が鼻をクンクンさせている 紅茶をポットいっぱいに詰める 白バラ牛乳を飲むのを忘れそうだった

7:50 晴れ間が覗いているので出発する 今日は大山口駅まで走ってそこからバスに乗って大山寺まで行く

9:30 安来和鋼博物館に着いた 途中で霰が降ってきたのでしばらく雨宿りしました たたらのことは以前山陰に来た時に知った 今回は日本刀を持たせてもらえてよかった 気を良くして由香と川上に安来鋼の鎌をお土産に買いました
この刀の重さは約1㎏です

14:15 JR大山口駅に着きました 人がまばらでここからバスが出発するのが疑わしいほど 到着まで駅の待合室で日記を書きました

15:10 大山寺行きのバスに乗る 自転車も一緒です 客2人と研修生らしき学生2人が乗車
自転車は優先席の椅子に紐でしばった

16:00 今夜のお宿に着きました 最近オープンした韓国の人が経営する登山者向け宿舎 ドミトリーベッドに泊まった 何もかも新しい スタッフの対応がぎこちない

17:00 食料を自分で持ち込んだ人のスペースで夕食をとる 着いてから知った重大ルールはア持ち込んだアルコールは館内では飲めないということ 焼酎を水筒に入れて水割りにして湯呑みで飲んだ 

18:10 ベッドに戻り日記を書いていると何十人かの団体が来て俄かに騒々しくなる 養生訓の「養老」を読んだ 再びあの一節を思い出す

すべて疑うべきを疑い、信ずべきを信ずるのは迷いをとく道である

11月4日 走行距離22㎞

6:00 5時前から起きて準備している人がいた いつも通りに起きる 着変えてまず朝食にする けさは温めるだけの粥とお湯を入れるだけのスープ あっという間に終わった 準備も今日は山登りなので簡単だ

7:10 他の客が大方で払ったところで出発する   
弥山山頂までは標高差900mぐらい 一本調子の坂道なので所要時間は多く見積もって登り3時間、下り2時間だろう

8:30 山道の石段から丸太の土止めの階段へ 自然石の階段になって滑り易くなる ブナ林が灌木帯に代わるあたり避難小屋がある そこからは道が凍って滑り易くなる
ブナの間から日本海が見える

米子の市街が見える

9:10 9合目からは表面が凍結した木道で軽アイゼンがあると良い 山頂にも避難小屋がある 遭難の多い山なのだ

木道の上の雪が凍っていて滑る

9:30 弥山山頂に着いた 良い景色 風もないのでゆっくりパンを食べた 立ち入り禁止のところ入っている人がいるので注意した
大山(1,709m)山頂碑

剣が峰

下山中に見えた剣が峰
10:10 ブナ林の紅葉がきれいだ 長い下りで脚が攣りそうになってきた 自転車旅での疲労と寒冷による強張りと加齢による身体機能の低下と だましだまし歩く
滑りやすい尾根道を下る

11:20 宿に着いた 置いておいた荷物と忘れた手拭いをピックアップして自転車に荷物を積む 大山寺の参道で昼食におこわと山かけそばを食べた
大山寺から山頂を仰ぐ

13:15 大山寺を出発する 米子まで20㎞の下りだ 

途中で大山を振り返り写真を撮る
14:50 ホテルに着いた 今日のお宿はシングルルーム二食付きで一泊5,000円のホテル 大浴場にサウナもある 肝心の自転車は一台も止める場所はないとのこと 自転車を駅の駐輪場に置きに行く ついでに駅の待合室で缶ビールを一杯
無料という言葉に弱い
16:00 チェックインして入浴 大浴場から大山がよく見える いいなあ 部屋に戻って早目の晩酌と日記書き

18:30 レストランに無料の夕食を食べに行く 生姜焼き定食かカレーライス定食の二択で生姜焼きにした ドリンクバーとサラダバーがある 食事は無料と言っているがホテルは全体としては儲けることを目的としているはずだ それが味や量に表れている とはいえ割安感はある そこそこ満腹になり部屋に戻って寝た

11月5日 走行距離 4㎞

6:00 今日はゆっくり出発だがいつもどおりに起きる パッキングしたり本を読んでいた

7:40 無料の朝食をレストランに食べに行く パン食かごはん食どちらでも好きなだけ食べられる あっさりと食べた

8:20 大浴場からの大山の写真を撮るために風呂へ行く 風呂には明日大山に登る高齢の男性が2人 写真は逆光でシルエットになってしまった

10:00 ホテルをチェックアウトして自転車を駅前の駐輪場へ取りに行く 駐輪場は地下なので自転車を地上に上げる人が楽なようにサイクルエレベーターが設けられている 形態はエレベーターというかエスカレーターですね


10:20 佐川急便の米子営業所に着き自転車のパッキングを始める 15分ほどで終わり受付に持って行ったが係の人と押し問答になる 荷物はこんべあーで運ぶので破損は免れないという これまで20回ほど運んだが破損したことはないと私は言った さらにどなたかに相談して下さいとも言った すると奥に行って誰かと話している様子だった 間も無く戻って来て「運送中に破損しても責任は負わない」ということを伝票に書き入れることを条件に預けられることになった これでこの旅での厄介ごとは全て終わった

11:05 佐川急便の営業所からJR三本松口へ歩いて行く 30分ほどで着いて列車を待つ 遠くに大山が見える

11:45 列車に乗る この旅で最初の列車に乗った時から感じていたことがある どうして乗客は全く話をしないのか 全く身じろぎもしないでじっとしている 表情もない それが旅の最後の列車でも感じられた 楽しくなさそうだな

12:15 米子空港に着いた ビールを飲みながらサンドイッチを食べた 日記を書きながら搭乗を待つ 

14:20 飛行機が搭乗口を離れた 出発予定時間よりも早く動き出すことがあるのだ
滑走路から大山を遠望
15:30飛行機が羽田空港へと高度を下げていくと京浜工業地帯がモヤの下にくすんで見えた 空港に近づくにつれてその景色は都内へと広がっていった 高層ビルのシルエットが立ち並ぶ廃墟のように浮かんでいる その向こうには判然としない低い建物がモヤで視界が限られるまで続いている この見渡す限りの都会に何千万人もの人が暮らしている そのただ一人として姿は見えない

17:27 池袋から東上線に乗る 10年前まではこの電車に乗って毎日通勤していたのだ よくそんな生活ができていたなと不思議に思う 

若い時から私はできるだけ自分が生きたいように生きようとしてきた 誰でもそれはそうだろう そうだとしてもその人生がそれぞれどうだったのかは一人一人違う 私は他の人のことは知らない 私が知っている限り自分自身の人生については書き残して公開したい もしこの世に生まれたすべての人がそうやって自分の人生について書き残してオープンしたら面白いのではないかと思う


2025年11月4日火曜日

伯耆大仙 (百名山83峰目)

 6:00 5時前から起きて準備している人がいた いつも通りに起きる 着変えてまず朝食にする けさは温めるだけの粥とお湯を入れるだけのスープ あっという間に終わった 準備も今日は山登りなので簡単だ


7:10 他の客が大方で払ったところで出発する   
弥山山頂までは標高差900mぐらい 一本調子の坂道なので所要時間は多く見積もって登り3時間、下り2時間だろう

8:30 山道の石段から丸太の土止めの階段へ 自然石の階段になって滑り易くなる ブナ林が灌木帯に代わるあたり避難小屋がある そこからは道が凍って滑り易くなる
ブナの間から日本海が見える

米子の市街が見える

9:10 9合目からは表面が凍結した木道で軽アイゼンがあると良い 山頂にも避難小屋がある 遭難の多い山なのだ

木道の上の雪が凍っていて滑る

9:30 弥山山頂に着いた 良い景色 風もないのでゆっくりパンを食べた 立ち入り禁止のところ入っている人がいるので注意した
大山(1,709m)山頂碑

剣が峰

下山中に見えた剣が峰
10:10 ブナ林の紅葉がきれいだ 長い下りで脚が攣りそうになってきた 自転車旅での疲労と寒冷による強張りと加齢による身体機能の低下と だましだまし歩く
滑りやすい尾根道を下る

11:20 宿に着いた 置いておいた荷物と忘れた手拭いをピックアップして自転車に荷物を積む 大山寺の参道で昼食におこわと山かけそばを食べた
大山寺から山頂を仰ぐ