ポピーが見頃だろうと思って出かけた。
途中太郎衛門橋を桶川方向に渡って、橋のたもとを荒川左岸沿いの自転車へ下ろうとしたところ、「旧陸軍桶川飛行学校→」という小さな立て札が目についた。何だろうと思って行ってみた。そこで見たこと聞いたことは、忘れられないものとなった。
わたしは桶川に日本軍の飛行学校があったことを初めて知った。1937年6月から1945年2月まであった、陸軍の飛行士を養成するための学校である。その当時の兵舎や面会所・車庫などが残っている。(公開は土日祝日10:00-15:00)飛行場はわたしが自転車の散歩でで良く通るホンダエアポートで、訓練兵は兵舎から飛行場まで歩いて通ったのだという。
戦争映画で日本兵がどんな兵隊生活をしていたか見たことがあったが、実際に兵舎を見るのは初めてだった。ここを管理しているボランティアの人に施設を見させてもらった。木造建築でスレート葺きの建物は、建てられてから75年以上経過していて、屋根や土台など傷んだ部分もある。しかし、このような建物が何故今まで壊されずにいたか、不思議だ。それは、この兵舎が終戦後海外から引き揚げてきた人たちの住居として、つい最近まで使われていたからであった。だから敷地の裏の建物には、最後まで住んでいた人の残置した荷物がまだ生々しく散乱していた。正面のメインの建物は、今でこそ兵舎として使われていた当時に近く修復されているが、引き揚げてきた人々が住んでいた時は、間仕切りや風呂場などが設置されていたそうだ。兵舎としてのすがたに戻すために、ボランティアの人が修復に取り組んだという。
施設を見たあと、ここで整備員として1941年1月から1945年5月まで勤務したという柳井政徳さん(86歳)から直接お話を聞くことができた。とても驚いたのは、この飛行場から特攻隊員として飛び立った兵士がいたという話だった。通称アカトンボと呼ばれた練習機に乗って飛んで行ったのだが、直接出撃したのではない。特攻隊基地の一つがあった知覧へ出発して行ったのである。アカトンボの航続可能距離は短く、とても一度に知覧までは飛べない。桶川から岐阜県の各務原、そこから北九州、そして最後に知覧まで飛んで、そこから出撃していったのだという。何ということがあったのだろうと思う。話を聞くだけで悲しく、涙をこらえられなかった。
わたしは悄然として飛行学校跡をあとにしてポピーの咲く鴻巣馬室へと向かった。