上野駅22:17発の長岡行、通称「谷川列車」は、土日のみの運行になった。これに乗って、土樽まで行き、駅の陸橋で仮眠する。駅は合理化で無人駅になってしまった。
翌朝、晴れを期待してはいなかったが、雨である。しばらくシュラフの中でじっとしていたが、時間がたつにつれ空が青く見えるような気がしてきたので、まだ寝入っているみんなを起こして出発する。
魚野川に沿って林道を歩く。関越自動車道の側道を歩かせていただくという感じである。しばらくいくと魚野川は、右万太郎谷、左蓬沢、と別れる。右へ行く林道へ入る。土樽駅から小1時間で万太郎谷に降り立つ。どんよりとした雲が頭上を圧し、今にもまた雨が降ってきそうだ。朝食をとり、身支度をして、そそくさと出発する。
水流は意外に冷たく感じる。河原を少し行くと、大きなナメが現れてきれいだ。そこを過ぎると、左か流木の多い川棚沢を迎える。関越トンネルの巨大な排気塔がある。これは全く興ざめだが、これを作るために林道を通さなかったのは不幸中の幸いだ。
その上がオキドウキョの淵である。ゴルジュを通過するには水泳しなければならない。それを避けて危ういヘツリや大高巻きをするくらいなら、泳いだ方がすがすがしい。先行した3人が、淵を前にためらっているので、わたしがまずザンブと泳いで渡った。その上の滝状(1.5M)は水量が多くて登りにくい。水中ボルダリングという感じで越す。次にまた淵があって、再び泳ぐ。対岸へ着き、上がろうとしたがホールドがない。四苦八苦しているうちに水につかった下半身が寒さに強ばり、えいとばかりに持ち上げた左足が痙攣した。
井戸小屋沢の出合付近で雨が激しくなってきた。ここから谷川新道を下山する。谷川新道は廃道に近く、非常に歩きづらいので、排気塔のところから万太郎谷を下った。沢を泳いだり、ウォーターシュートしたりしながら、朝食をとったところまで楽しく下った。
湯沢駅まで出て、駅前の温泉に入って冷え切った体を温め、新幹線で帰京した。
わたしの山日記もとうとう3冊目が終わった。1冊目が高校1年の秋まで。2冊目が大学職員になった年の初冬まで。そして3冊目は30歳の夏までである。
縦走と沢登りの時代、模索の時代、山スキーと岩の時代がそれぞれに対応しているように思える。山行回数は200回に近づいている。4冊目は山スキーと沢の時代だろうか。