サン=ランベールを流れるロワール川 |
ライン川を源流から河口まで辿ったのは2017年のことです。
期待と不安が入り混じるなか6月のスイス・アルプスからソロリと漕ぎだしました。
奔流と二人三脚するように平地へ降りれば心も軽くなります。
絵画のような景色の中を走る旅に陶酔し
水蒸気をたなびかす原発を眺めては何のための旅だったか思い出しました。
自転車で旅しながら人々の暮らしとその暮らしを形作った出来事の軌跡を自分の目で見る
これがブラック・ツーリズムという旅の目的でした。
ストラスブール、マインツ、ボン、ケルンという大都市でも道に迷うことはありません。
川に沿って下っていくと天を突くカテドラルが見えてきます。
そこを目指して行けばそこが街の中心地です。
自転車に乗りテントに泊り、自炊しながらのシンプルでゴージャスな旅でした。
デュッセルドルフを過ぎると河畔の風景は途端に単調になりました
黙々と煙をあげる工場地帯と茫々とした沼沢地
その退屈さを打ち消すようにドミニクというフランス人が現れました
彼とライン川の河口まで楽しく走り再会を約してロッテルダムで別れました
さらにアムステルダムまで走りゴッホ美術館、アンネの家を訪ねました。
世界一よく整備されたオランダの自転車道路もつぶさに見ることができました。
旅の目的はお釣りがくるほど十分に達成できたと実感して成田行きの飛行機に乗りました。
ライン川に沿って1,700㎞走った初めてのブラック・ツーリズムでした。
あれから一年経ち今日はフランスへドミニクに会いに行きます。
彼と一緒にロワール川を源流から河口まで自転車で走るためです。
ロワール川 |
そしてフランスの電力消費の7割を占める原発が河畔のあちこちにあります。
このような正負の遺産を眺めながらのひと月ほどのブラック・ツーリズムです。
どんな大河も流れ出しは泉のようなものです。
それが蛇行するゴルジュを抜けて広々とした平野に出ます。
やがて船も上り下りするゆったりした流れになります…
ロワール川の両岸にはワイン畑が広がる景色が見えるはずです。
見るだけはなく飲みます。
スーパーで買ってキャンプで飲みます。
ゴールの河口は北大西洋に面したサン=ナゼールです。
ナチのUボート基地だった町です。
海の幸に期待してます。
スーパーで買ってキャンプで食べます。
キャンプしながらの旅は気儘で楽です。
予約しなくていいし宿泊料は一泊1,000円前後できれいなシャワーとトイレを使えます。
カメラやガラケーへの充電もコインランドリーで洗濯もできます。
フランス人のドミニクとフランスを旅するので何の不安もありません。
雨風も道連れにして行ってきます。
<6月1日> 川越➡サン=ランベール
午後6時
カラッと晴れたリヨン・サンテグジュペリ空港に着きました。
そこにはドミニクが友人のジャン=ジャックと一緒に車で迎えに来てくれていました。
リヨン空港に着陸 2018年6月1日 |
昨年はチューリッヒ空港から雷雨の中をタクシーで市内のホテルへと向かいました。
何という違いでしょうか。
ルノーはリヨン南郊の高速道を西へ向かって快適に走ります。
炭鉱で栄えたサン=テティエンヌを経てドミニクの家まで2時間ほどのドライブでした。
着いたところはロアール川に面した小さな町です。
ロワール川を挟んで東側がサン=ジュスト、西側がサン=ランベールです。
合併してサン=ジュスト=サン=ランベールという一つの町になりました。
夕食は3人でスモーク・サーモンのタルトをいただきました。
南仏サン・トロぺのロゼを飲み、幸せな旅の第一夜が過ぎました。
ドミニクの家の庭 |
午前6時
鳥の鳴き声で目覚めました。
いまだかってこんなふうに目覚めた記憶がありません。
集積所のゴミを狙うカラスの喚き声で朝の眠りを破られることはしばしばあります。
ふだんこのように大切にされることはありません。
一人で旅をしていれば早く出発したくてウズウズしているところです。
ゆっくり起きて3人で朝食です…
ここらでは軽い朝食、ガッツリの昼食、そして再び軽る目の夕食というのが標準のようです。
パン、クロワッサン、チーズ、ジャム、紅茶、ジュース |
ジンときますね。
朝飯をさらっとすませたあと庭で自転車を組み立てます。
自転車を入れて運んできた段ボール箱を開けて焦ることなく作業します。
そのあと携行品の最終チェックをしました。
そうそうガスストーブ用のボンベを買わなくてはいけません。
自転車の調子を見がてらドミニクとサン=ランベールの街を走ります。
家から100メートルほどのところにゆったりとロワール川が流れています…
川岸には芝生の公園が広がっています
土曜の朝の散歩を楽しむ人がちらほら |
フランシーズ門と町並み |
サン=ジャン礼拝堂 |
サン=ランベールの青果店 |
そして明日からのキャンプで必要な食料や雑貨を買いにドミニクと車で出かけました。
新しい居住地区やショッピング・エリアの佇まいはアメリカの地方都市を思わせます。
昼食は庭のパラソルの下で3人でいただきます。
バーベキューの野菜とポーク・ムースというのでしょうか?
ワインと一緒に楽しみました。
もう結構バカンス気分です |
昼寝の後はちょっと庭仕事の手伝いをしました…
ずいぶん背が伸びてしまったバラの枝をデッキブラシで押さえて縄をかけました。
その後また買い出しに行きました。
プリムスというメーカーのガスボンベがなかなかみつからないのです。
サン=ランベールのスポーツ用品店をあちこち回りましたがだめです。
最後はサン=テティエンヌにある登山用品店まで行ってようやく見つけました。
家に帰るともう夕飯の時間でした。
マリー=ポールが作ってくれたネギのお好み焼き(正式名称は失念)をいただきます。
食べているときにドミニクからサン=テティエンヌの町の印象を聞かれました。
この町の名前は以前から知っていました。
松井さんというJリーガーがプレーしたことのあるサッカーチームのある町だったからです。
今日実際に見たその町は正直言ってちょっとくすんだ感じでした。
中心街には五、六階建ての古い石造りの建物が立て込んでいました。
そこを縫うように細い一方通行の道があちこちに向かっています。
土曜の夕方の目抜き通りにはアラブ系の人々が三々五々歩いたり立ち話ししていました。
建物から突き出た看板の「HOTEL」の字体がちょっとレトロだったり。
窓から下げられた旗がながいあいだ雨風にさらされていたままの様子だったり。
厚いガラスのショウウィンドウの向こうにひと気がないことなどに気がつきました。
この町がもっと活気に満ちていた頃の様子を想像するのは難しくありません。
何かのきっかけでこの町のあちらこちらがリニューアルされたらどうなるでしょう。
磨きをかければ目抜き通りも町の真ん中の広場も素敵なところに様変わりするはずです。
くすんだ表情のしたにはきっと往時の輝きが潜んでいるに違いない。
わたしが暮らす川越に蔵造りの街並みというのがあります。
今でこそたくさんの観光客でにぎわっていますが30年ほど前は閑散としていたそうです。
伝統の蔵造りは看板建築で覆われて見る影もなかった。
それが商店主らの粘り強い努力と協力で素晴らしい江戸時代の景観に蘇りました。
たびたび海外のメディアにも紹介されて国際的な観光都市になったのです。
川越の蔵造りの街並み |
良かった理由の説明は忙しかった一日と頂いたワインのせいでシドロモドロになりました。
このようにして旅の第二夜もめでたく暮れました。
<6月3日> サン=ランベール➡グデ
午前6時半
起きました。
窓から外を眺めると、流れる雲の間に青空がのぞいています。
ロアール川の源流あたりは雷雨の予報です。
家から北東方向を見る |
ルノーに自転車二台を括りつけました |
マリー=ポールの運転でサン=ランベールを出発しました。
行き先はロワール川の源流モン・ジェルビエ・ド・ジョン。
南に向かって2時間のドライブだそうです…
源流へは川沿いの道ではなく中央高地のうえのハイウェイを行きます。
日本だと山のうえに無理をしてハイウェイを作ると橋とトンネルだらけになります。
フランスの中央高地は古い火山が平らになったところなので道も作りやすそうです。
とても平らな古い火山のうえを走ります |
10時20分
モン・ジェルビエ・ド・ジョンに着きました。
雷雲を走り抜けて薄日が射しています |
彼は生まれも育ちもリヨンだから、このあたりの火山からインスピレーションを得たのかな。
ロワール川の源流といわれる泉は建物の中から湧き出しています。
そこで手を清め記念撮影をしました。
そこで手を清め記念撮影をしました。
建物の入口右下にちょろっと垂れているのがその泉 |
マリー=ポールの見送られてドミニクとロワール川の源流から走り出しました。
ロアール川河口までの自転車旅の始まりです。
源流近くの流れ |
下りベースで気持ちがいい |
イサルレのカルデラ湖に着きました。
12時10分 イサルレの村でマリー=ポールがわたしたちを待っていました。
ここでピクニックです。
マリー=ポールが作ってくれたお米のサラダを食べます。
旅のスタートを祝って早くも乾杯です。
お米のサラダ おいしい! |
自分の牧場がない人々がここで牛を飼っていたのだとマリー=ポールに教わりました。
芝生の真ん中に草の色の濃い輪があるでしょう。
あそこに食べられるシャンピニョン(きのこ)が生えてます。
イサルレのピクニック・グラウンド |
車で運んできてもらったパニアバッグを自転車に取り付けました。
15時 ロワール川の川端まで下降してグデという村のキャンプ場に着きました。
今夜はここで泊まります。
キャンプ場の前を流れるロワール川 |
古城が見下ろすグデのキャンプ場 |
グデの教会 |
本日の走行距離:46㎞
<6月4日> グデ➡ル・ピュイ=アン=ヴレ
午前8時
グデのキャンプ場を出発しました。
グデのキャンプ場で出発準備完了 左に三つ並んでいるのはリサイクルゴミの収集コンテナ |
迷わず押し歩きします。
8時50分
長い坂を登りきってユセルの丘の上につきました。
バスの待合所のようなところで休んでいると時折雨がパラつきます。
その雨が小さな氷粒のようで吐き出す息が白い。
ドミニクが道路工事のおじさんと何やら話しています。
この先の迂回路を確かめていたのです。
ドミニクは昨日キャンプ場で女性から通行止めの箇所があると聞いたとのこと。
自転車旅ではこういう情報収集能力がモノを言います。
走っていくと畑の真ん中に進入禁止の看板が立っていました。
迂回路について何も掲示がありませんし辺りに民家もありません。
迂回路を知らなければ間違いなく手こずるところです。
ドミニクが工事のおじさんから聞いたとおり行くと迂回路がありました。
入り口には「除雪なし 注意」の標識があります。
ドミニクは「除雪して」とわたしをからかいました。
ここいらは冬は雪が積もるのですね。
9時半
火山台地の畑の間を快走して廃線跡の遊歩道に入りました。
樹林のあいだの舗装されていない道です。
こういう道をヴォア・ヴェルトと言うそうです。
柱状節理の岩がベンチ |
雨が少し強くなったのでソリニャックで様子見の休憩をします。
ドミニクは少しの雨でも大雨に感じるとのこと。
廃線跡の道には長いトンネルが5本ありました。
トンネルの中を行くドミニク |
ヴォア・ヴェルトからロワール川の谷を望む |
この町について知っていることはただひとつ。
ここがガルニエ神父の出身地だということです。
ガルニエ神父は明治時代に20代前半でカトリックの布教のために日本へ来ました。
九州の天草で質素に暮らしながら80歳で亡くなりました。
今年5月に彼が精魂を傾けて建てた大江天主堂を訪れ、その白い壁に心を打たれました。
大江天主堂 |
ヴォア・ヴェルトの砂利道を走り続けてル・ピュイに着きました。
雨は止んでいます。
砂利だらけになったバッグ |
盆地の中に火山岩頭がいくつか突き出ています。
これをピュイといいます。
その上に聖母像や教会が立っています。
左から大聖堂の塔、聖母像、礼拝堂 |
ノートルダム・ド・フランス像 |
サン・ミシェル・デギュイユ礼拝堂 |
自転車を押し上げて大聖堂までたどり着きました。
火山岩で作った急な坂と階段で心臓がバクバクになりました。
大聖堂のこの階段からサンティャゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が始まります。
ノートルダム・ド・アノンシアション大聖堂 |
大聖堂の階段から見たル・ピュイ=アン=ヴレの町並み |
さっき祭壇の前で長いことお祈りしていた学生風の青年です。
小さなペンダントを差し出してこれを私にあげたいと言います。
なんで私にとちょっと面食いました。
青年の何か思いつめたような面差しに拒むのも気の毒と思い貰うことにしました。
青年がくれたペンダント |
"O MARIE CONÇUE SANS PECHE PRIEZ POUR NOUS QUI AVONS RECOURS A VOUS 1830"
このペンダントは「Médaille miraculeuse(不思議のメダイ)」を模したものです。
ちょっと不思議な経験でした。
14時半
街中のスーパーで買い出しをしてから少し走って今夜泊まるキャンプ場に着きました。
また雨が降ってきたので晩ご飯はラウンジで作りドミニクとおいしくを食べました。
本日の走行距離: 47㎞
<6月5日> ル・ピュイ=アン=ヴレ➡サン=ランベール
午前5時すぎ
また鳥の声で目が覚めました。
イカルでしょうか?
「お菊二十四」と言おうとしているように聞こえます。
雲がたれこめていますが昨夜来の雨はあがりました。
ル・ピュイ=アン=ヴレのキャンプ場 右の建物に調理場、シャワー、トイレがある |
ル・ピュイのキャンプ場を出発します。
今日はロアール川のゴルジュ(峡谷)地帯を走ります。
キャンプ場の下手のロワール川にかかる橋 |
ロアール川を挟んで対岸に古城が見える道端で休憩します。
牧場の向こうにラヴート・ポリニャック城 |
鉄道橋の下をくぐる時は自転車の通行帯が狭くなります。
露岩帯では岩にぶつからないようにしなければいけません。
すぐ隣の車道を行く自動車は制限速度90キロで走っています。
ちょっとした不注意が命取りになります。
丘のうえに崩れかけたアルティア城が見える |
雲が晴れました。
道端にピクニック・テーブルがあったのでテントを乾かしながら昼食を取ります。
ドミニクは濡れたテントがとても嫌いですので。
車道の脇ですがピクニックするにはいい場所でした |
東の方向に見える丘の手前をロワール川が流れています |
ドミニクが雨宿りしようというので大きなひさしの下に入ります。
壁にバ=アン=バセと書いてあります |
ロワール川は濁っているので上流のどこかで降雨があったようです。
14時
オレック=シュル=ロワールのキャンプ場に着きました。
受付開始までまだ3時間もあるのでここで泊まるのは止めました。
オレックのキャンプ場入り口 |
ロワール川にかかるオレックの吊り橋 |
どこまでが絵でどこからが本物なのか分からず目を凝らして見ました。
真横から見てすべて絵だったと分かりました!
ここからサン・ランベールまでの間にキャンプ場がないか町の観光案内所で尋ねました。
残念ながら無いようです。
それならば今日はサン・ランベールまで行きましょうということになりました。
ル・ペルチュイセから長い登行になりました。
この道をドミニクは時折ロードバイクで走るそうです。
今日は荷物をたくさん積んだ重たい自転車でスピードが出ません…
16時
何とか自転車を押し歩きせずにシャンブルに着きました。
ここにタワーがあります。
シャンブル教会の隣に立つタワー |
その上からの眺めがすてきでした。
南方向にロワール川のゴルジュ |
北方向にはこれから向かう平野部 |
ダム湖の近くの家々 |
シャンブルから長く気持ちの良いダウンヒルでサン・ランベールに着きました。
とりあえず街中のバーで源流からここまでの走りを祝ってビールで乾杯します。
17時半
再びドミニクの家にお世話になります。
晩ご飯にマリー=ポールが作ってくれたおいしいパエリアをいただきました。
何ともありがたいことです。
本日の走行距離:95㎞
<6月6日> サン=ランベール滞在
昨日はアップダウンつきで98キロ走りました。
1日で2日分走ったので今日はドミニクの家で完全休養します。遅く起きていつものように朝食を食べます。
それから洗濯とバイクの整備をしました。
雨の未舗装路を走って着るものが汚れバイクの潤滑油が飛んでしまいましたので。
それが済むとまたドロドロと眠くなったので少し昼寝しました。
起きたら庭でワインを飲みながら昼食です。
マリー=ポールが作ってくれたトマトの牛ひき肉詰め(tomates farcies)を頂きました。
うわあーおいしそう! |
ジャガイモも一緒に煮込んであってボリュームたっぷり!
ドンと出たひと鍋を三人でみんな食べてしまいました |
フランスのあちらこちらのチーズ |
食後の休憩の後にロワール川沿いへ散歩に行きます。
昔サン=テティエンヌでひと山当てた人々が建てた別荘がリフォームされて使われています。
川面に面した家々 |
橋から下流の眺め |
菩提樹(tilleul)のようです |
ごちそうになってばかりで申しわけないと思います。
何かお礼の気持ちが表せないかと思い日本語を少し教えてあげることにしました。
「クウネル」は日本語では「食う寝る」だから「manger et dormir」だよ。(笑)
通じたかな?
こんな調子で旅が続くことを願っています。
本日の走行距離:0㎞
<6月7日> サン=ランベール➡ヴィルレスト
午前8時半
ふたたび出発の準備が整いました。
ドミニクの家から出発です |
マリー=ポールにお礼を言ってお別れです。
11時
ドミニクとジャン=ジャックが冬場によく走るという田舎道を快調に走ります。
ドミニクとジャン=ジャックは並んでお喋りしながら走っています。
車がほとんど通らない麦畑の間の道 |
双子の羊 |
雷雨が来そうな感じがする |
バルビニーの墓地で水を汲んだついでに昼飯食べます。
昼食後「いつかまた会いましょう」と言ってジャン=ジャックと別れました。
ラ・ディーグから上り坂になりました。
気温が高くなりこたえます。
ところどころ押し歩きです。
ロワール川がだいぶ下に見えるようになりました |
ダム湖にこぢんまりした城が見えます。
この城はもとはロワール川に面した断崖の上にありました。
それがヴィルレストにダムができて湖上に浮かんだ古城になりました。
ロシュ城 |
平野に出ればあとは上り下りのないフラットな道です |
ヴィルレスト・ダムのかたわらのキャンプ場に着きました。
ヴィルレスト・ダム |
丘の上のヴィルレ |
キャンプ場に着くなり生ビールを飲み、夜はレストランで牛挽肉ステーキを食べてしまいました。
牛挽肉ステーキって大きなハンバーグみたいです。
一口食べてから写真を撮りました |
<6月8日> ヴィルレスト➡パレ=ル=モニアル
ヴィルレスト |
ヴィルレスト・ダム脇のキャンプ場を出発しました。
ここでロワール川のゴルジュ帯を全て抜けたことになります。
ここから河口のサン=ナゼールまでもう大きなアップダウンはないとのこと。
ほっとします。
ロアンヌへ向かう道を行くと見慣れた植物が路肩に生えています。
イタドリです。
私の住んでいる川越近くの荒川の河川敷にもたくさん生えています。
ロワール川のイタドリ |
川岸の在来植物を駆逐するだけでなく背が高くて、いたく景観を害するからです。
また土手のコンクリートやアスファルトを突き破るほどの力があります。
知りませんでした。
なんと「世界の侵略的外来種ワースト100」にイタドリも名を連ねています。
君がそんな奴だったとは知らなかったよイタドリ君!
肩身が狭いのはこのイタドリが日本から持ち込まれたと信じられていることです。
フランスではLa Renouée du Japonと日本産であることに全く疑いなしという感じです。
かのシーボルトです。
どうもあの方のされたことはあれこれとよろしくない。
なぜイタドリをヨーロッパに持ち込む必要があったのでしょうか?
日本産のイタドリがヨーロッパで毛嫌いされている事実にどう向き合えばいいでしょう?
ひとつの思いつきはイタドリを食材としたヨーロッパ人向きのレシピを考案することです。
そしてゼンマイやマツタケのように皆がイタドリを奪い合うような状況を作ることです。
どなたかよろしくお願いします。
9時
北へ向かう運河が始まるロアンヌに着きました。
ロアンヌの運河 |
お墓参りをすると言うので一緒について行きました。
ロアンヌの墓地 |
彼は静かに頭を垂れていました。
自分もこの墓に入るつもりだと言っていました。
人力居士もお墓にお辞儀をしました。
「孫のドミニクさんに厄介になっています」と感謝の気持ちを伝えました。
それにしてもヨーロッパに来てお墓参りするとは思いませんでした。
ロアンヌ駅 |
車が通らない走りやすい道です。
右岸を行きましたが正しい道は左岸沿いでした |
中へ入ってみると竹細工に使えそうな竹が生えていました。
藁竹茅さんが喜びそうな竹がありました |
港 |
教会 |
緑陰 |
イーグランドの廃線駅跡の公園で昼食にしました
しばらくすると工事の人ふたりがやって来て隣のベンチで食事を始めました
ドミニクは彼らと気やすく何やら話をしています
14時
マルシニ―の近くの林の中を走っていると雷雨がやって来ました
ポンチョをかぶりじっとしてやり過ごします |
それがタイヤとフェンダーの間に詰まって仕舞いには走りづらくなりました。
やむなく停止してフェンダーにこびりついた泥を搔き落としました。
ヤレヤレ。
16時
今夜の宿泊地パレ=ル=モニアルに着きました。
パレ=ル=モニアルのバジリカ |
たくさん教会が街中にあり中央には中世に建物られた荘厳なバジリカが天を指しています。
その中でミサが執り行われていてたくさんの人が耳を傾けています。
カラフルな民族衣装を纏ったグループもいます。
人種の分け隔てなく女性がほとんどです。
なぜでしょうか?
裏側に回るとこれはまた荘厳な佇まいをしています。
サクレ・クール寺院 |
サン・二コラ教会のタワー |
パレ=ル=モニアルの町役場 |
公園のようなキャンプ場で晩ご飯です。
ドミニクと割り勘で買ったワインを飲みながら食べました。
テントの上に虹が出ました |
遊具のように可愛らしいベンチ |
スーパーで買った6ユーロのワイン |
<6月9日> パレ=ル=モニアル➡ドシーズ
パレ=ル=モニアルのキャンプ場受付 |
パレ=ル=モニアルのキャンプ場を出発しました。
今日も運河に沿った緑道を走ります。
朝から良く晴れて鏡のような運河の水面に木々と空が映えます。
道端で用事を足しているとき足元にチクチクする草が生えていました。
イラクサです。
「これをスープに入れて食べるんだよ」とドミニクが教えてくれました。
イラクサ(Ortie) |
ディゴアンの手前で |
ディゴアンに着きました。
ここは運河とロワール川が交差するところです。
橋の上を行くボートに乗ってみてください。
川の上に橋がかかっています |
石造りのがっちりした運河橋です |
ほとんどがツーリストの船で貨物船はほとんど見ませんでした。
写真を撮ってから手前の女性に叱られました 「無断で撮っちゃいけないのよ!」 あとで笑ってました |
右奥へロアンヌへと向かう運河の分岐点 |
ブルボン=ランシーのきれいな池のある公園で昼食にします。
Plat d'eau |
違いはここには破壊行為(vandalisme)の影が差していないように感じることです。
炎天下のアップダウンに たまらず帽子を取り出す |
クロナの教会の前で飲み水のありかを人に尋ねました。
クロナの教会 |
ほとばしる冷たい水を飲み水筒に満たしました。
かたわらに戦没者の慰霊碑があり、少しくたびれた三色旗が風に揺れていました。
クロナの戦没者の慰霊碑 |
戦没者の墓碑銘(épitaphe) |
そのうちの70人もがここに還れなかったことをこの墓碑銘は静かに伝えています。
彼らの若さにかつてこの村を襲った悲しみの深さを思いました。
悲しいほどお天気 |
ドシーズのスーパーで買い出しをします。
17時
歴史を感じる石橋を渡ってドシーズのキャンプ場に着きました。
19時半
今晩は一本4ユーロのローヌ・ワインでドミニクと乾杯!
ワイン選定 ソムリエ・ドミニク
|
<6月10日> ドシーズ➡ラ・シャリテ
出発前の雨宿り |
私たちはいつものように出発しようとしていました。
雲行きはよくなくて今にも雨が降って来そうです。
その時キャンプ場の管理人が血相を変えて飛んで来ました。
雷雨が来るので自転車ごと屋根の下に退避するようにと言っています。
サイクリスト6、7人がガヤガヤと雨宿りしました。
30分ほどで雨は上がったので三々五々出発します。
特殊液体燃料(H²0+VR) |
運河沿いの緑道を走っているとまた一昨日のように前輪に物が詰まり出しました。
これから先の長い道のりを考えるともっと根本的に対処したほうがよさそうです。
前輪のフェンダーを外すことにしました。
作業をしているとサイクリストが何人か止まって大丈夫かと聞いてきます。
ロワール川を自転車で走る日本人はパンダのように珍しい存在です。
とりわけ好奇心いっぱいで様子を見ていた男性がいました。
その人が外したフェンダーを自転車にくくりつけるためのフックをくれました。
15分ほどで作業は終了しました。
これで絶対に物が詰まらないようになりました。
前輪のフェンダーをはずしたところ |
ドミニクが土地の人にパン屋のありかを尋ねました。
ヌベールの手前にパン屋があるとのことです。
美味しいパンを買いました |
品書きと営業時間 |
パンを買ったらヌヴェールへは行かずにサイクリング道を走り続けることにしました。
このようなことも知らないといちいち面倒なことになります。
遠目にしたヌヴェールの町 |
ゲタンの運河橋をわたり橋の脇の広場で昼食にします。
自転車は降りて通ることになってます |
ゲタンの運河橋 |
前輪のフェンダーの対処は少し遅くなりました。
今度は躊躇なくチューブを替えることにします。
これも15分ほどで作業を終えました。
再三ドミニクをお待たせして恐縮です。
感謝の気持ちをはっきりと言葉で伝えました。
ドミニクが道を良く知っているのでわたしはこうして苦もなく自転車旅が出来ます。
去年一人でライン河を走った時はあちこちで道を間違えました。
毎日30分ぐらいロスしていたのではないかと思います。
出発しようとした時さきほどフックをくれたパトリックが来たので一緒にで出かけます。
14時
ロワール川の大きな支流であるアリエ川の分岐点に着きました。
上流と下流のポイント地点まで距離が標示されていました。
木々の間に川面が見えます |
出発点のモン・ジェルビエ・ド・ジョンまで453㎞ |
ゴール手前のナントまで488㎞ |
昼下がりの日差しの下で景色もひらけない中を走るのはちょっと退屈です。
馬鹿話で気を紛らします。
麦畑の道を行くドミニクとパトリック |
ラ・シャリテのキャンプ場に着きました。
本日は特殊液体燃料のおかげで快調でした。
テントを張ったあと中世の面影が色濃く残る教会や街並みを一人で見て歩きました。
ロワール河畔から見た教会 |
城壁から見た町並み |
教会と町並みそしてロワール川 |
教会のステンドグラス |
夕暮れ迫るロワールの流れ |
私たちは帰りがけにその店で夕食用のワインを格安で仕入れました。
サンセールの赤です |
<6月11日> ラ・シャリテ➡サンセール
今日はサンセールまでの楽な行程です。
好天は期待できそうにもありません。
いつもよりのんびり行くつもりでした。
パトリックはもう出かけました。
昨日前輪タイヤの空気が抜けるトラブルがありました。
なので念のため空気圧をチェックしました。
ヒーヒー言いながら小さなポンプで再度空気を入れ直しました。
そんなことをしているうちに出発が9時過ぎになってしまいました。
10時
ロワール川を右側に麦畑を左側に見ながら土手の上を走ります。
ロワール川は連日の降雨で茶色く濁り行き来する船も見えません。
ドミニクによれば水深は4mくらいだそうですが砂州が隠れているので航行は難しいようです。
ここがライン川とロワール川の大きな違いです。
ライン川は河川敷がほとんどなく幅の広い運河のような川に船がたくさん通っていました。
ロワール川は川幅が広く河川敷にはたくさんの樹木が茂っており船はほとんど通りません。
ロワール川はライン川より野性的な流れです。
河畔に山羊の牧草地 |
雨の中サンセールの麓のキャンプ場に着きました
ドミニクが受付の女性に早くチェックインできないか尋ねるとあっさりOKしてくれました
こういう柔軟性、いいですね!
キャンプ場の受付 |
テントを立てて昼食を食べました。
13時
このキャンプ場はサンセールの丘の麓にあります。
ドミニクは雨が降っているのでサンセールへは行かないと言っています。
わたしは一人で自転車に乗って行くことにしました。
麓の街並みを抜けて広い道を登って行くと雨が止んできました。
右手にブドウ畑が広がります。
サンセールの丘に広がるブドウ畑 |
右から左へとロワール川がうねりその向こうに丘陵が地平線まで続いています。
サンセールの丘の上からの眺め |
どこまで見えているのだろう |
ベルヴィルの原発のようです。
明日はあの脇を通ります。
14時半
ワイン会館を見学し終わったところでドミニクと会いました。
晴れてきたので登って来たのです。
ワイン会館 |
どこかのおじいさんがドミニクに古い家々について長々と講釈していました。
ドミニクはそれに根気良く耳を傾けていました。
おじいさんの話は面白かったのかな? |
ドミニクがシャビニョールという村へ行こうというのでついて行きました。
おいしい山羊乳のチーズとワインの醸造所があるそうです。
道々開花したブドウの香りに陶然とする思いです。
立ち止まってブドウの花の香りを嗅ぐ |
シャビニョールからサンセールの丘を望む |
2.05ユーロでした |
ドミニクがお願いして 醸造所の中をちょっと覗かせてもらいました |
ブドウの栽培に使われる農薬のことです。
サンセールには300ものワイン醸造業者がいて大量のワインを生産しています。
原料のブドウには虫害、病気、天候による影響から守るための農薬が散布されます。
その農薬の影響をワイン生産に携わる人や近隣住民が受けてガンを発症しているそうです。
毎晩楽しく乾杯しているかげでこうした問題が起きていることを忘れてはいけません。
ワインを飲みすぎると「農薬からの症状より、肝臓機能の低下が先に起こる」そうです。
喜ぶべきか悲しむべきかどちらでしょうか。
ともかくほどほどにいたします。
18時
今日買った山羊乳のチーズはまろやかでなんともおいしい!
それを食べながらスーパーの特価で買ったプイイ・フュメをドミニクと飲みました。
ラベルが汚れているので9.99ユーロでした |
本日の走行距離: 47キロ
<6月12日> サンセール➡ジアン
朝の運河からサンセールの丘を望む |
サンセールのキャンプ場を出発しました。
昨夜までは南風が吹いていました。
今朝はひんやりした北風に変わっています。
青空を雲が南に流れていきます。
9時半
麦畑の向こうに変なかたちの雲が出ていると思ったらベルヴィル原発から立ち上る水蒸気です。
水蒸気が遠くに見えてきました |
あっという間に目の前に迫ってきました |
水蒸気は雲と見分けがつかない |
そのため原発の運転には大量の水が必要です。
それで原発は水の確保が容易な海や川の近くに作られるのです。
フランスの多くの原発はタービンを回した後の蒸気を排気塔から大気に放出します。
それが今わたしたちが目の前にしている光景です。
フランスには25か所に総計58基の原発があります。
これらの原発がフランスの総発電量の77%を発電しています。
ロワール川沿いにはベルヴィル原発のほかに3か所の原発があります。
ダンピエール、サン・ローラン、シノンです。
下流へ行くにしたがってこれらの原発も目にすることになるでしょう。
原発の近くに休憩所がありました |
ベルヴィルの村に着きました。
原発から2キロ弱の距離です。
その間全く民家はありませんでした。
ベルヴィルはこれまで通ってきたいくつもの集落と変わらない佇まいです。
フランスにも原発立地への思いやり予算はあるのでしょうか。
外見からはちょっと分かりませんでした。
11時
続けざまに二回道を間違えてしまいました。
一度は小川を渡り、もう一度は同じ道を何度も行き来して正しいルートに戻りました。
ロワール川の本流を渡るのではなくてラッキーでした |
それを見逃さなければルートを探すのは難しくありません。
景色を眺めていたり考えごとをしていたりすると表示板を見逃すことがあります。
そうすると時間をロスすることになります。
これもある程度は仕方のないことです。
人間ですから。
マントロの閘門(こうもん)にかかる石橋 |
ブリアールまで走り運河橋の手前のベンチで昼食にします。
運河を挟んだ向かいにレストランがあり年配者で満席です。
運河のこちら側ではお年を召した女性4人が一つのベンチに座って賑やかにランチしています。
13時半
ブリアールの鋼鉄製の運河橋を渡ります。
この運河橋の建設にはギュスターヴ・エッフェルもかかわっています。
ただし彼が建てたのは橋の両端部と橋脚だけです。
エッフェル塔をほうふつとさせる鋼鉄製の橋桁は別の建築家が担当しました。
橋を渡って対岸から見たところ |
ブリアール運河橋の袂で |
なにが書いてあるのだろうと見ていたらドミニクが要約してくれました。
フランス軍はこの橋を第二次世界大戦初めにドイツ軍の侵攻を食い止めるため破壊しました。
一旦復旧しましたがその二年後に今度はドイツ軍によって破壊されました。
なんということでしょう。
今はエレガントな姿に改修中です。
15時
今日の目的地のジアンに着きました。
右手にジアンの教会と城、左手にはもう次の原発の湯気が見えます |
それからドミニクとジアンの町へ行きました。
ジアンは第二次世界大戦のときドイツ軍の爆撃で徹底的に破壊されました。
当時の写真がウェブで見られます。
破壊のすさまじさが手にとるように分かります。
自分で撮った現在の姿と比べてみました。
教会の鐘楼 |
Ce qui reste du clocher de l'église du château. juin 1940 |
壁のモザイクが美しい城 |
Le château, cour intérieure. Le feu qui ravageait la charpente a été arrété par un violent orage. juin 1940 |
教会の前から傾斜の強い屋根がきれいに並んだジアンの町並みが見下ろせます。
中世の町のように見えますが空襲のあとに再建された家々です。
教会の前から町並み越しにロワール川を見る |
Quai Lenoir et le pont. juin 1940 |
ガンベッタ通りの中華レストランで夕食を食べました。
ドミニクが以前にテイクアウトしたことがあったそうです。
アントレに焼餃子、水餃子、シウマイをひとつづつ。
プラはエビの唐揚げ。
リで広東風のチャーハン。
デザートとしてアーモンドのクッキー。
これに青島ビールを飲んで10ユーロでした。
店員はチップを受け取らずお土産にライターまでくれました。
まさしくアジア的です。
こうして楽しく過ごしたこの店のある通りもかつて空襲で見る影もなく破壊されたのです。
Rue Gambetta. juin 1940 |
<6月13日> ジアン➡シェシー
冷たい朝風がロワール川を渡ってきます |
ジアンのキャンプ場を出発です。
日差しもなくキーの低い1日の始まりです。
9時半
林の中のダートが続いた後に土手の上の道に出ました。
右後方に湯気を塔から吹き出している原発が見えました。
ダンピエールの原発です。
湿った空気を拭き払うように画然とした景色が目に入ってきました。
シュリー=シュル=ロアール城です。
ロワール川の源流からここまで700キロ以上を走ってきて初めて見る宝石のような佇まいです。
石造りの壁の上に乗った傾斜の急な屋根が軽やかさを醸し出しています。
中には入りませんでした。
城のドアノブ |
徒歩旅行のスイスの若い人と三人でロワール川を眺めながら昼食します。
旅の経験や今後の抱負を述べあったり食料を分け合ったりと楽しいひとときを過ごしました。
Jargeauあたり |
シェシーのキャンプ場に着きました。
整備が行き届いて清潔なキャンプ場です。
管理人からテーブルと椅子を借りてきました |
ジアンからはるばる運んできたワインを飲みながら食事をしました。
サン・ランベールからここまで7日間休まず毎日走ってきました。
二人とも少しくたびれたので明日は走りません。
一週間ごとに一日の休みを入れるのがドミニクの考えです。
昨年一人でライン川を走ったときは3週間のあいだ一日も休まずに走ってしまいました。
天気も体調も良かったからですがそれは危険なことでもありました。
それに大きな街ではずいぶん見所を逃してしまいました。
疲れがたまると注意力が低下して事故を起こしやすくなります。
怒りやすくなったり物事への好奇心が薄れたりもします。
疲れたら適度な休養を取るのが楽しく長旅を続けるコツでしょう。
このところ日中に欠伸が出ていたのでちょうど良いタイミングです。
明日はジャンヌダルクで有名なオルレアンへバスと電車を使い日帰りで遊びに行きます。
遠足へ行く前の晩のような気分でボンニュイしました。
本日の走行距離:70㎞
<6月14日> シェシー⇔オルレアン
まずしっかり朝食を食べてから |
身一つで歩くのは気楽ですね。
10時
キャンプ場から20分歩いてバス停に着きました。
バス停 |
お客さん下がってください! |
運賃はバスとトラム通しで片道1.5ユーロです。
バスもトラムも車内に見やすい行き先案内パネルがあります。
おしゃれなトラムが来ました。
10時40分 オルレアンのカテドラル前に着きました。
オルレアンの大聖堂 |
ローマ、ゴシック、ルネサンスと地上に現れた地層のように歴史が堆積した石積みです。
聖堂内にはジャンヌ・ダルクの伝説が何枚も頭上高くステンドグラスで語られています。
ステンドグラスを眺めていたら先日ラ・シャリテで別れたパトリックとばったり会いました。
ドミニクとともに再会を喜びました。
パトリックも今日は一日観光するとのことで一緒に街を見て歩きました。
ジャンヌダルク通り |
ジャンヌダルクゆかりの家 |
昔のオルレアン首長舎を見に行きました。
入口にジャンヌ・ダルクのブロンズ像が飾られています。
建物の中を見終えて入口の階段を下るときにその像の後背部が見えました。
髪の毛の一本一本までが再現されています。
よく見ると後頭部の左側がへこんでいます。
像を正面からもう一度見てみると身体に数ヶ所不規則な穴があいています。
受付の女性になぜ穴が開いているのか尋ねました。
先の戦争中に土中に隠されこの像を仏軍が重機を使って探した際にできた穴だそうです。
12時半
街をぶらついてから適当なレストランに入りました。
人力居士ははるばるロシアから来た魚くんのクリームソース煮を食べました。
三人でワインをたくさん飲みくだけた話しをしました。
パトリックはオルレアンからロワール川を少し下流へ行ったブロアに住んでいます。
彼はわたしたちにぜひ彼の家に寄って行ってくれと言っていました。
それからまた街をぶらついたり食料を買ったりしました。
違うキャンプ場へ帰るパトリックと別れてシェシーへ帰りました。
帰りのトラムである駅に着いたとき警官が数人ホームで待っていました。
ドアが開くと彼らが鋭い顔で乗り込んできて学校帰りの少年数人に質問をしました。
大柄な黒人の子が警官にカバンやポケットの中身をすべて出すよう命じられたようです。
ノートやペンやラインマーカーなどを通学カバンからバラバラと座席の上に出しました。
警官の厳しい態度と少年の固い表情にちょっとショックを覚えました。
ドミニクはドラッグ所持の容疑ではないかと言っていました。
18時
キャンプ場にもどるとドミニクの友人ジョリーが遊びに来ました。
ジョリーはプロのカヌーイストでシェシーでスクールを開いています。
数年前に冬季のロワール川の単独下降を試みました。
その時に運悪くサン・ランベール付近で悪天候に見舞われました。
ドミニクは川で難渋していた彼を自宅に連れてきて泊めてあげたのです。
オルレアンワインの白とおつまみにテリーヌを持ってきてくれました。
ラベルのデザインがすてきです |
ロワール川でとれた魚のテリーヌ |
ドミニクはわたしを日本から来たサイクリストだよと紹介しました。
わたしたちは受付でビールを買って飲みました。
今日買ってきたチーズは強烈です。
ものすごい匂いと表面に糸を引くような粘りがあります。
いやとんでもないのを買っちまったなと思いました。
味は悪くありません。
というか美味しい。
どうもMaroillesはなかなか由緒正しいチーズのようです。
本日の走行距離:0キロ
<6月15日> シェシー➡ミュイード
シェシーのキャンプ場 |
連泊したシェシーのキャンプ場を出発します。
昨夜は9時過ぎまでキャンプ場の管理人夫婦は遅く到着した人の対応をしていました。
今朝は6時前から施設の清掃をしていました。
そして今出発する私達を笑顔で見送ってくれています。
9時10分
運河伝いに50分走ってオルレアンに着きました。
バスとトラムでくるより自転車のほうが15分速いことが分かりました。
しかもあちらこちらにこころの和む風景が広がっています。
ロワール川沿いの運河 |
朝日を浴びている鴨たち |
ヨーロッパ橋 |
きれいな石橋のあるボージャンシーに着きました。
その隣の教会は11世紀建てられましたが一度破壊されます。
17世紀に再建されたもの現在あるものです。
内部の意匠のバランスが良くとても綺麗でした。
ボージャンシ―の石橋がよく見える公園で昼食をとりました。
中洲ではカモメが巣作りに大忙しです |
13時半
家並みの向こうにサンローランの原発が見えます。
家並みのあいだからモウモウと湯気が立ち上っています |
対岸に排気塔がよく見えます |
ミュイードのキャンプ場に着きました。
ロワール川に隣接した公共のキャンプ場です。
芝生が広々としていて料金は一人6.6ユーロと格安です。
19時
いつものようにそれぞれのメニューで食事をしました。
夕食のあと明日以降の日程についてドミニクと話し合いました。
シャンボール城を見てそれからパトリックの家があるヴィヌイユへ行くことにしました。
本日の走行距離: 61キロ
<6月16日> ミュイード➡ヴィヌイユ⇔ブロア
ブロアの町並みの向こうにロワール川が見えます |
わたしたちは雨で芝生がじっとりと濡れているミュイードのキャンプ場を出発しました。
昨夜はしゃいでいた子供たちも今は静かに朝食を食べています。
9時
わたしたちは古い門をとおり森の中の真っ直ぐな道を進みました。
遠くにシャンボール城が見えてきました。
森を抜けると朝日を受けた城が正面に見えました。
わたしはこの古城の姿をこれまで何度も本やウェブサイトで見てきました。
実際に見るこの城は思っていたほどには大きくない感じました。
自分が広大な空間の中に身を置いているので城を小さいと錯視しているようです。
今までに見たことのない複雑な石造りの建物の重量感です。
10時半
シャンボール城から一走りでパトリックが住んでいるヴィヌイユに着きました。
ドミニクが彼に電話をしてすぐに落ち合うことができました。
今日は土曜日なのでわたしたちはパトリックの行きつけのパン屋でパンを買いました。
二人ともわたしと同じおじさんなのにパンを自転車にくくりつけるなんてしゃれてます。
フランス人としてはごく普通のことのようです。
11時半
わたしたちはパトリックの家に着きました。
パトリックの奥さんのシルヴィーが迎えてくれます。
わたしたちは庭でバーベキューをご馳走になりました。
パトリックの勧めでビールにピコンというリキュールを入れて飲みました。
ドミニクはパトリックからガスボンベを譲ってもらうために彼の家にきました。
今はもうワインまで出てすっかり飲み会になってしまいました。
ドミニクはこうなることを回避しようとしていたようです。
パトリックの強引なキメワザに敢えなく組み伏せられた格好です。
エスカルゴ、こんなに食べてしまいました |
彼女は日本のマンガがきっかけで日本語に興味持ったそうです。
彼女は友達と一緒に日本語を勉強しています。
どんなきっかけにしろ日本に興味を持ってもらえるのはありがたいことです。
そのおかげでわたしは縁もゆかりもない人にこうして温かく迎えられています。
もっと大局的に言えば日本という世界の田舎がなんとか世界から忘れられず済んでいます。
そんなことをわたしがぼんやり考えていると白ワインが出ました。
シルヴィーお手製のケーキも頂きました |
みなさんすっかりお腹が一杯になりました。
みんなでブロアの街へ見物に行くことにしました。
わたしたちはパトリックの車に乗って行きました。
ブロアの大聖堂と町並み |
人力居士だけ入場料11ユーロを払ってブロア城を見物しました。
ドミニクとパトリックとシルヴィーは見にきたことがありますから入りません。
この城はフランスの歴代の王や王妃の居城でした。
ブロア城の中庭 |
国王の寝室 |
ブロア城の外観 |
城の見物を終えて皆さんと合流しました。
カテドラルや街並みを見て歩きました。
ブロアはそこここに永い歴史の積み重なりの感じられ活気もある街です。
ドニ・パパン像から見下ろす |
Cathédral Saint-Louis EGO SUM PANIS VITAE. わたしは命のパンです |
リンゴ酒 |
わたしたちは再び裏庭で夕食を食べました。
パトリックの息子さんも参加してさらに賑やかになります。
ご馳走と会話と酒が飛びかいます。
日が落ちてすっかり暗くなったのでみんな家に入りました。
オセアンの日本語の質問はまだまだたくさんあるようです。
23時半
いよいよ皆さん瞼が重くなりお開きになりました。
きょうはよく飲みよく食べました。
パトリックの家の庭にテントを張って寝ました。
<6月17日> ヴィヌイユ➡アンボアーズ
ロワール川自転車道から見たブロア市街 |
パトリックの家の庭の静かな芝生の上で目覚めました。
ありがたく快眠しました。
7時半
朝ご飯は家の中で自分の食料を食べます。
シルヴィーも起きてきて話に加わり食事がなかなか進めみません。
そうこうしているうちにオセアンヌも起きて来ました。
これはどうにもビズのタイミングですね。
皆さん「ビズ」をご存知でしょうか。
普通の日本人男性にとってビズは最も困難な異文化体験のひとつでしょう。
ふだんなにげなく振る舞っている日本人にとってビズはハードルの高いアクションです。
昨夜寝る前にオセアンヌとビズできたのはお酒の勢いも借りてのことと思います。
今朝みんなの視線が集まった中では二日酔いの体が強ばって上手くいきませんでした。
失敗すると二倍恥ずかしい!
9時
ようやく出発の準備が整いました。
シルヴィーとオセアンヌに見送られて出発です。
別れ際今度は自然にオセアンヌとビズしました。
数時間話しただけでしたが感じのいい子でしたからね。
馴れるといかにも心が通う感じしてビズはなかなかいいもんです。
なんちゃんて。
パトリックは途中までわたしたちを見送りに来てくれました。
また会いましょうと元気に別れました。
すっかりご馳走になってしまいました。
今日は日曜日です。
スーパーは午前中しか営業しないのでヴィヌイユのスーパーで買い出しをしました。
昨日の爆食爆飲でお腹がユルユルなのでついでにトイレにも行きました。
ドミニクも同じだと苦笑いしていました。
10時40分
ロワール川に面した段丘の上に立つショーモン城の下に着きました。
ドミニクが城を見に行くかとわたしに聞いてきます。
一日一城の行動原則に基づきここはパスします。
Il y avait un champ de coquelico avant de la village. |
広大な麦とトウモロコシの畑の中を上り下りしました。
川沿いの道ならアップダウンはないのにとぼやきつつ |
アンボワーズに着きました。
アンボワーズの町を見下ろす |
たくさんの観光客を避けて亀の泉の傍らで昼食を食べました。
14時
アンボワーズ城の対岸の中洲にあるキャンプ場に着きました。
テントを張って中で少しうとうとしました。
中洲から見たアンボワーズ城 |
アンボワーズの街ブラに出かけます。
今日は日曜なので取り分け混んでいます。
人波を掻き分けてクロ・リュセに来ました。
Clos Lucé |
ルネサンスの華やかさをまとった館に人類の偉大な足跡である彼の業績が展示されています。
それらを眺めながら彼の視線がいったいどこへ向いていたのかを改めて考えてみました。
やはりそれはルネサンスの理想である人間の解放かと思います。
多くのクビキを負った中世の人々をその苦痛からどれだけ解放できるかという試みでした。
人生の避けがたい苦難を思弁ではなく実践によって霧散しようとしたのだと愚考します。
彼の多く業績は現在においても依然として人々の幸福をその根本で支えています。
人力居士もそのささやかな幸せをいかに多く彼に負っているか改めて知りました
19時
キャンプ場の上空を南へ飛んでいくいくつもの熱気球を眺めながら食事して早寝しました。
本日の走行距離: 53キロ
<6月18日> アンボアーズ➡ランジェ
レオナルド=ダ=ヴィンチ像 キャンプ場の近くにありました |
明け方までテントを叩いていた雨は止みました。
9時前
ロワール川の中洲にあるキャンプ場を出発しました。
中洲から右岸へかかる橋のたもとに過去の水位が表示してありました。
中洲から右岸へかかる橋 |
最も水位が高かったのが1755年で それが最も古い記録です |
なぜそうなのかよく分かりません。
自転車道が真っ直ぐではなく迂回する場合にはいくつか理由があります。
・有名な観光地がある
・良い景色が見られる
・自動車の交通量が少ない
・道路のアップダウンが少ない
地図をよく見ると迂回の理由が事前に分かることがあります。
事前に分からなくても迂回した後にはほとんど間違いなく理由が分かります。
ところが今回はたびたび迂回路がありそこを通ったあとも迂回の理由が分かりません。
それで自転車道ではなく車道を真っ直ぐ進むことにしました。
車道は速度制限の標識がなければ最高速度は90キロまでOKです。
車道を走っていてすぐ脇を車に追い越して行かれるとヒヤッとします。
大抵の車は十分に間隔をとって追い越して行くのでそれほど身の危険は感じません。
ドミニクによるとこの7月から最高速度が80キロに下げられるとのことです。
税収を拡大するためにマクロン政権がスピード違反の罰金に期待をかけているそうです。
11時
トゥールに着きました。
ロワール河畔の道沿いに城の一部が残っています。
城の奥にカテドラルの四角い塔が二本が見えます。
Cathédral Saint-Gatien |
その後サンマルタン教会、ナポレオンが植えた松の木、逃げて殺されたサーカス象の剥製、市役所、トゥール駅を見ました。
Basilique Saint Martin |
Hôtel de Ville |
Gare de Tours |
トゥールに仕事で何度も来たことがあるドミニクの案内でスイスイ見て回ります。
全く彼なくしてこの旅はありえません。
Parc de Lac de la Bergeonnerie |
ヴィランドリー城に着きました。
城もさることながら付属の植物庭園が素晴らしいです。
幾何学模様の広大な人手がいくらでもかかるような作りです。
15時過ぎ
真っ直ぐランジェへ向かうドミニクと別れてアゼ=ル=リドーに向かいました。
16時
田舎道を走ってアゼ=ル=リドーに着きました。
城の受付で若い女性に「こんにちは」と挨拶されました。
挨拶だけでなく日本語がぺらぺらです。
聞けば日本に留学したことがあるとか。
きっとここには日本人観光客がたくさん来るのですね。
小ぢんまりと整ったアゼ=ル=リドー城の姿が青空に映えます。
内部の展示も整然としていて美しい。
庭も手入れが行き届いていて心が休まります。
この城がとても気に入りました。
17時過ぎ
受付の女の子ともう少し話しをしたい気がしましたが出発しました。
18時過ぎ
ランジェのキャンプ場に着きました。
受付の前で遊んでいた男の子が「知り合いの人がもう着いているよ」と教えてくれました。
テントをたてているとドミニクがワインをぶら下げて買い出しから帰って来ました。
本日の走行距離:78キロ
<6月19日> ランジェ➡モンソロー
8時過ぎ
ランジェのキャンプ場を出発しました。
小さな町の真ん中に立つ大きな城の下を行きます。
城璧の上に回廊があります。
その回廊がせり出した部分の下にいくつも穴が並んでいます。
城璧の下まで襲来した敵にあの穴から煮え油を注ぐのだそうです。
兵隊が大鍋でグツグツ油を煮ている姿を想像してみました。
あまり快くない仕事のように思います。
ランジェの町から左岸(南側)に渡り土手の上の道を走ります。
曇り空ですが追い風ですので快調にペダリングします。
土手の道は自動車の通行が少なくグーグル・ストリービューで見たイメージ通りの道です。
9時半
土手の道からユッセの城が見えました。
童話「眠れる森の美女」で王女が目覚めた城のモデルになったのだそうです。
城の前にたむろするのは5、6人の自転車乗りのおじさんばかりでした。
10時
ユッセからロワール川を離れて南へ向かいます。
ロワール川のもう少し下流にはシノン原発があります。
シノン城へ行くため原発はパスします。
上り下りの続く道をシノンまでヒイヒイ言いながら走ります。
途中でブールという競技を見させてもらいました。
(動画が横向きでごめんなさいね)
ブールについて説明してくれたおじさんのバイクに漢字で活力と書いてありました。
人生にはエネルジーが必要だからだそうです。
11時
シノンに着きました。
ビエンヌ川の対岸から高台の上に立つシノン城を眺めました。
川に面した狭い街並みがあります。
往時は街と川の間に高い石壁が築かれていたようです。
12時過ぎ
森の中でゆっくり昼食を食べました。
食事の最中にドミニクに息子さんから電話が入りました。
日本で地震があって亡くなった人が出ているそうです。
わたしに知らせるためにわざわざ連絡してくれたのです。
息子さんにありがとうとドミニクから伝えてもらいました。
川越に電話して状況を確かめました。
地震は大阪で発生し倒壊したブロック塀の下敷きになって小学生の女の子が亡くなりました。
気の毒でした。
関東地方の被害はなかったとのことでした。
13時50分
カンド=サン=マルタンに着きました。
石造りの家が並ぶ小さな町の真ん中に古くて大きな教会が立っています。
教会の入り口の階段 |
教会の中は聖人サン=マルタンに纏わる絵画や彫刻などがたくさんあります。
サン=マルタンは397年にここでなくなったそうです。
教会の中に日本語の説明書きが置いてありました。
その入り口の周り壁にはたくさんの石像が掘り込まれていますが全て首がもがれています。
フランス革命の時にやられたそうです。
教会の前の家の窓からおばあさんが愛嬌を振りまいていました。
道を下りていくとビエンヌ川がロワール川と合流するところに出ました。
小さな木造船が何隻か岸にもやわれています。
司祭に盗まれたサン=マルタンの遺骸はここからトゥールへ運ばれて行ったのでしょう。
ドミニクはここからの眺めが好きだと言っていました。
15時
モンソローに着きました。
キャンプ場にテントを立ててから散歩に出かけます。
段丘際に建てられた古い家並みの間の径を登っていきます。
ロワール川を睨むようにしてモンソロー城が立っています。
空は抜けるように青く道端の立葵が風に揺れています。
チシマギキョウのような花が咲いていました。
段丘のうえに着くとシノンの原発から立ち上る蒸気が見えました。
この花も可愛らしいなあ。
17時
キャンプ場に戻ってビールを飲みながらドミニクに感謝の気持ちを伝えました。
彼は人力居士がこの旅に満足していることが何より嬉しいようでした。
夕食は鮭のクリームソテーを一緒に作りました。
ソミュールの良く冷えた白を飲みながらそれを食べました。
本日の走行距離:52キロ
<6月20日> モンソロー
今日はここモンソローに滞在します。
ドミニクもパトリックも1週間走ったら1日は休養しているそうです。
昨年ライン川で人力居士はスイスの山中からアムステルダムまで三週間休まず走りました。
これはちっとも褒められることではありません。
アムステルダムに早く着き過ぎてしまい帰りの飛行機まで四日間観光しました。
これからは途中でもいろいろな都市を見ながら行こうと思いました。
9時半
ドミニクに連れられてトログロディットという岩窟住宅を見に行きました。
実にクロマニョン人以来の伝統ある住居です。
今は若い人も移り住んで来ているとのこと。
これ何だかわかりますか。
手荷物入れです!
岩窟住居の上に登るとロワール川をへだてて遠くまで見えました。
クロマニョン人もこういう景色を見たのかなあ。
見下ろすとけっこう整然と岩窟住居が並んでいました。
トログロディットからモンソローへの帰り道はロワール川沿いをいきました。
白鳥がきれいに等間隔で泳いでいます。
人もこのようにしておだやかに暮らせるといいですね。
14時半
昼寝をしたあとフォンテヴロー=ラベイへ行きました。
キャンプ場から走って30分ほどです。
登りですけど。
この修道院は十二世紀からフランス革命までたくさんの修道士を世に送りだしました。
英仏両国の王妃となったアノリエール・ダキテーヌは晩年ここに隠棲して亡くなりました。
寝ながら読書しているのがアノリエール・ダキテーヌです。 |
フランスで最も規律の厳しい刑務所でした。
ここの説明書きが面白いと思いました。
日本だったら名所の説明書きにはそこがどんなにすごい所か書いてあります。
ここにはフランス人らしくシニカルに直截に書いてありました。
この建物は時々の権力者が自分の名を後世に残すために利用されたと。
いまは博物館になっています。
回廊に石のモニュメントがありました。
この人たちも首や顔が削られているなあと思って眺めていました。
ふと中庭をへだてた屋根の上に目をやるとおなじモニュメントが見えました。
このモニュメントには首も顔もあります。
これはどういうことでありましょか。
人力居士の推測はこうです。
フランス革命のとき革命派によってモニュメントに刻まれた人物の顔や首が削られた。
刑務所が閉鎖され建物が修復されたときにモニュメントももとどおりに作り直された。
たいへんにご苦労なことだったと思います。
17時40分
キャンプ場へかえりドミニクとビールを飲みました。
それからキャンプ場のまえのシャルキュティエへ行きシュークルートの食材を買いました。
二人分で10ユーロと格安でした。
19時>
今晩はソミュールのロゼで乾杯しました。
季節外れのシュークルートにセボンを連発する居士でした。
昨晩につづきキャンプ場のレストランで買いました |
シュークルート(ドイツ語ではザワークラウト) |
キャンプ場からロワール川が湖のように見えます |
沈む夕日に得意のポーズを決めました |
本日の走行距離:20キロ
<6月21日> モンソロー➡ラ・ポッソニエール
キャンプ場の説明版 |
いつもより少し早くモンソローのキャンプ場を出発しました。
昨日は晴れて暑かったので今日は朝のうちに距離を稼せごうという考えです。
走りだすと雲がやってきて冷たい向かい風になりました。
なかなかうまくいかないものです。
ここに生えているおいしいベリーを何度も食べました。
出発のとき丁度庭師のひとがいたのでお礼を言いました。
岩窟を利用した城がありました。 |
ソミュールに着きました。
来てみたいと思っていた町です。
想像していたとおり感じのいい町です。
カラフルなたくさんの傘が通りの上で風に揺れています。
曇っていますが心の中は晴れています。
城まで一人自転車を押し上げました。
朝早いので城は静かです。
地形からしてきっと強固な要塞だったことでしょう。
途中の教会で見た古そうな木箱です。
12時半
ラ・ダークニエールで昼食しました。
アンジェの手前にスレートの採掘場がありました。
なるべく薄くて大きい一枚をお土産にしようと思い探しました。
このあたりは家は塀、橋、教会、そして城に至るまでスレートで造られています。
スレートで造られた教会 |
アンジェ城からの眺め |
メーヌ川を見下ろす |
アンジェ城の城壁 |
この白い部分は修復箇所でしょうか |
メーヌ川をはさんで対岸から見たアンジェ城 |
風車がありました |
17時
ラ・ポッソ二エールのキャンプ場に着きました。
ブシュメンヌからここまでロアール河沿いを走る道は上り下りがありました。
たくさん走った1日の終わりにはちょっとこたえました。
「今夜はキャンプ場のとなりで音楽祭があるけどいい?」とキャンプ場の受付で聞かれました。
今日は夏至でフランスのあちらこちらでこうした催しがあるそうです。
次のキャンプ場まで行く元気はもうありません。
返事は当然「構いません」です。
線路のすぐ隣ですがそれも構いません。
手早く作れて美味しかった!
ワインは赤とロゼ・ダンジュです。
22時
キャンプ場で行われている音楽祭へ行きました。
いろんな人がとっかえひっかえ演奏し結構いい雰囲気でした。
23時前
ロアール川の上の仄かに明るい空に半月がかかっていました。
フラッシュなしで写真が撮れるくらい明るい夜です。
音楽祭はまだ続くようですがくたびれたので寝ることにしました。
本日の走行距離:91キロ
<6月22日> ラ・ポッソニエール➡サント・リュス
9時前
ラ・ポッソニエールのキャンプ場を出発します。
晴れ渡った空に東風が吹いています。
追い風です。
「行き先を知らぬ者に追い風は吹かない」 セネカ
今日の行き先はナントの手前までですので追い風よろしくお願いします。
間もなく橋で左岸に渡ります。
土手の上を追い風に乗って快走します。
モンジャン、サン=フロランと教会を見ながら走り過ぎます。
12時
橋を右岸に渡りアンスニに着きました。
アンスニ城は周りに道路や橋が建設されています。
昔日の面影をわずかに残すばかりです。
パン屋の店先でW杯ロシア大会で日本がコロンビアに勝ったことを知りました。
13時半
ロワール川を臨む公園で昼食を食べます。
追い風を惜しむようにまた出発しました。
14時半
ウドンに着きました。
水運による商取り引きで栄えた町の中に几帳面な形のタワーが立っています。
ロワール川の右岸沿いの線路に挟まれた細い道を走り続けます。
16時前
ナントの少し手前にあるサント=リュスのキャンプ場に着きました。
周りには鉄道の線路や自動車道もない静かな森の中です。
19時
ソーセージを焼いて昨日のワインの残りを飲みました。
雨に降られた日もあったもののここまで順調に走って来ました。
おかげで日程に余裕があります。
明日は自転車をキャンプ場に置いて日帰りでナントに出かけます。
本日の走行距離:77キロ
<6月23日> サント=リュス⇔ナント
今日は自転車で走るのは休みナントへ観光に行きます。
14日にシェシーからオルレアンへ行ったのと同じパターンです。
ドミニクが日程をよく考えてくれるので本当に楽しく旅しています。
9時半
朝食を食べてからキャンプ場をブラブラ徒歩で出かけます。
15分歩いてバスに乗りさらに15分行きます。
トラムに乗りかえてもう15分。
ナントの市街までの地図とチケット |
ここでトラムを降りてすぐ近くのユースホステスへ行きました。
日本へ帰る前夜の宿探しです。
ユースの前庭のモニュメント |
これには年会費11ユーロが含まれています。
それでもユースは相部屋ですから安いです。
11時
ユースから5分ほど歩いてナント駅に着きました。
ここでドミニクがサン=ランベールへ帰る列車の乗り継ぎを調べます。
去年はロッテルダムで同じことをしました。
旅の終わりが近づいたということをはっきりと感じます。
なぜか窓口はとても混んでいたそうです。
出発到着時刻案内板 |
その昔はロアール河の中洲に位置していたこの古い城はとても良く修復されています。
古い要塞部分 |
右奥に入口の橋が見えます |
住居部(Le Grand Logis) |
高い城壁の上を歩いて城の内外の景色をぐるりと楽しめます。
こうやって気儘に歩けるのがなによりです。
ブルターニュの旗 |
城の隣の観光案内所に行きました。
ドミニクに三つ聞いてもらいました。
空港に一番近いのキャンプ場、
自転車を入れる段ボールが貰えそうな店、
フランス・フランの旧紙幣が買える店です。
これはわたしの息子へのお土産です。
空港の近くにキャンプ場は無いそうですが格安ホテルはあるとのこと。
一泊朝食付きで34ユーロからとのことです。
「から」がくせものですね。
12時半
昼はベトナムの人がやっている店でてんぶらと焼き鳥と鮨を食べました。
何しろ海の近くですから食材がいいですね。
つぎにナント・タワーという市街で一番高いビルの近くのスポーツ店へ行きました。
自転車が入る段ボールを貰えないかドミニクに聞いてもらいました。
すぐに親切にOKしてくれました。
27日に取りに来ることにしました。
それからエッフェル塔と同じ頃に建てられた商店街へ行きました。
素敵なブティックが入っていてうっとりするようなところです。
その商店街の一角でクイナマンというブルターニュのお菓子をドミニクが買いました。
広場に置かれたデッキチェアに座りクイナマンをゆっくり味わいます。
ブルターニュの濃厚な有塩バターの味がしました。
あちこち探してフランス・フランの旧紙幣を扱っている店をやっと見つけました。
既に週末休業の時間帯に入っていて閉まっていました。
また後日来ることにします。
街を歩いているとカテドラルの鐘の音が鳴り響きました。
中に入るとパイプオルガンと合唱が厚く厳かに満ちていました。
日本庭園へ行きました。
建物の中にフランス人の漫画が展示してありました。
プティ・ベールというビスケットの工場跡でドミニクに地ビールを奢ってもらいました。
また駅へ行きドミニクが帰りのキップを買いました。
トラムとバスを乗り継いでキャンプ場に帰ります。
途中で食料の買い出しをしました。
バス停からキャンプ場への道すがら鉄道の跨線橋の上でTGVの通過を待ちました。
30分待っても来ないので今日は諦めてキャンプ場へ帰りました。
本日の走行距離: 0キロ
でもナントの街を良く歩きました。
<6月24日> サント=リュス➡サン=ブルヴァン
ロワール川の川岸に係留された帆船 |
8時過ぎ
サント=リュスのキャンプ場を出発しました。
ロワール川の右岸をナントに向かって走ります。
まだ追い風が吹いています。
セネカさん、背中を押してくれるようお願いします。
今日は日曜日なのでナントの市街でまず食料を買いました。
それから分かりにくい道を拾いなから街を抜けました。
10時
バッス=アンドルで無料の渡し船に乗って左岸へ行きます。
ルートは川岸を離れてアップダウンのある道になります。
ドミニクは以前は右岸を行く景色が良くて上り下りのない道だったとぼやいています。
11時
マルティニエール運河に着きました。
ここから運河沿いのまっすぐな道を走ります。
12時
運河が終わる手前で最後のピクニックをしました。
自転車に乗った少年が「ボナペティ!」とこちらに声をかけて通り過ぎて行きます。
13時半
パンブフを過ぎると牧場で草をはむ牛の肩ごしにサン=ナゼール橋が見えました。
あの橋のたもとがこの旅の終着点であるロワール川の河口です。
14時20分
幅の広い舗装道路を強い追い風に押されてあっという間にサン=ブルヴァンに着きました。
源流から三週間かけてロワール川の河口まで辿りつきました。
ドミニクのサイクル・コンピューターによれば寄り道も含めて1,241㎞の距離でした。
ここまで楽しく無事に走ってこられたのはドミニクのおかげです。
感謝の気持ちを伝えハグしました。
浜へ行き海水に足を浸します。
足元のきれいな小石がさざ波に濯われています。
それを片手一杯拾いお土産にします。
キャンプ場で日が傾くまで談笑しました。
そのあとまた浜に出ました。
夕焼けがきれいでした。
海鳥がねぐらへと帰っていきます。
山本コータローの「岬めぐり」を口ずさみながらテントへ帰りました。
本日の走行距離: 70㎞
<6月25日> サン=ブルヴァン➡サント=リュス
9時
サン=ブルヴァンのキャンプ場を出発しました。
今日からは日本への帰り足です。
ロワール川の河口にかかっているサン=ナゼール橋を渡ります。
行く先にサン=ナゼール橋が見えます |
橋の上からは四方に良い景色が見えるはずです。
路肩が狭いので自転車を止めて四囲を眺めることさえままなりません。
下りも注意して降ります。
橋の途中の欄干に花束(墓場にあった造花と同じようなもの)が括り付けてありました。
橋を渡ってから波止場へ向かいます。
十何階か建ての巨大な観光船が二隻建造中です。
建造中の客船 |
およそ一年だそうです。
造船所の先に第二次大戦でドイツ軍が使っていたUボート(潜水艦)の艇庫があります。
艇庫の外観 |
艇庫の入り口 |
大量のコンクリートと鉄筋で頑丈に造られたので連合軍の爆弾を跳ね返してしまうほどだったそうです。
だいぶ劣化しています |
海からの艇庫への入り口 |
潜水艦の停泊場所 |
艇庫の上の展示を見る人たち |
艇庫の上から見た景色 遠くにサン=ナゼール橋が見えます |
艇庫の上にあったくぼみ |
サン=ナゼール駅の構内 |
ドミニクはサン=ランベールに鉄道で帰るため明日26日にナントをたちます。
ナントまでの区間は在来線とTGVが線路を共用しています。
TGV |
在来線 |
スピードは日本の在来線特急と新幹線の間ぐらいです。
車内に自転車置き場があります |
植物公園で昼食をしてナント島を見て回りました。
植物公園 |
ナント島にあった第二次世界大戦の掩体壕 |
ドミニクとの最後の晩はプロバンスの赤ワインでした。
本日の走行距離: 42キロ
<6月26日> サント=リュス⇔ナント
ナントを流れるロワール川 |
サン=ランベールへ帰るドミニクを見送りにナントまで自転車で行きます。
この旅の中盤までの湿った天気はどこへやら今日も抜けるような青空です。
ナントの街角で手を振ってドミニクと別れました。
フランス人のドミニクとこの三週間二人三脚で旅をしてきました。
彼と一緒に旅をして旅の目的が達成できたことを感じています。
このブラック・ツーリズムという奇妙な旅のはじめに旅の目的をこう書きました。
自転車で旅をして土地の人々の暮らしと暮らしを形作った出来事の軌跡を自分の目で見る。
ドミニクと知り合ったことで昨年のライン川よりもやった感のある旅ができました。
ドミニクはわたしよりいろいろ大変だったかなと思います。
わたしにいい旅をしてもらおうといつもとても気を使っているのがわかりました。
もし逆の立場だったらわたしは到底彼のようにはできなかっただろうと思います。
そのような人と旅ができたのは幸運でした。
別れ際にドミニクはこう言っていました。
ワインでもフラン紙幣でも欲しい物があったら送るからメールで知らせてくれと。
わたしはとくに欲しい物はありません。
それでも日本へ帰ったらメールをすると約束しました。
ドミニクの後姿を見送ってからフランの旧紙幣を売っている店へ行きました。
店先に書かれた開店時間は過ぎていますがシャッターは閉まったままです。
店の前におじさんが二人立っていたのでこの店は閉店していないか聞いてみました。
閉店はしていないようです。
間もなくすると五十がらみの男性がやって来てシャッターを開けました。
フラン旧紙幣にはシリーズが三期あります。
時代色の強い初期、デザインが洗練し始めた中期、ユーロ紙幣の原型のような最終期です。
値段は古いものほど高いですが相場が全く分かりません。
カモですね。
最終期を買うことにしました。
額面は五百フラン、二百フラン、百フラン、五十フランの四枚で合計八百五十フランです。
この紙幣が流通していた頃の為替相場は1フラン二十円ぐらいだったでしょうか。
今はもちろん紙幣としての価値はありません。
息子へのお土産なのでまあいいかなと。
それからユースホステルへ行き明日の宿泊の予約をしました。
キャンプ場よりユースホテルの方がナント空港に近いからです。
何しろ明日は大きな段ボールを背負って空港まで行かなければなりませんからね!
ユースホステルから植物園へ行って昼食を食べました。
今日もたくさんのちびっこが遠足に来ています。
なんとも平和な景色です。
帰りがてらTGVの走行をビデオに撮り買いものをしてキャンプ場に戻りました。
午後は音楽を聴きながらブログをしたり洗濯をしたりしてのんびり過ごしました。
ワインを飲みながら久しぶりに夕食を一人で摂りました。
ドミニクはこのワインは嫌いだろうなと思いながら。
本日の走行距離:38キロ
<6月27日> サント=リュス➡ナント
サント=リュスのキャンプ場 |
挨拶したところウェールズから来たという若者5人組です。
イギリスからユーロスターに乗って昨夜キャンプ場に着いたそうです。
これから4日かけてオルレアンまで自転車で行くそうです。
笑い声が絶えずいかにも楽しそうに出発していきました。
11時
サント=リュスのキャンプ場からナントのユースホステルへと移動します。
12時
ナントのユースホステルにチェックインしました。
相部屋ですが他に誰もいません。
13時
昼食のサンドイッチを食べてから市内の自転車店に段ボールを取りに行きます。
昨年はアムステルダムの近郊で半日もかけてやっと段ボールをゲットしました。
しかも有料でした。
今年はすぐに手に入ったうえ無料です。
これもドミニクのおかげです。
段ボールをユースホステルに持ち帰り明日背負いやすいように紐を掛けました。
このあたりは昨年の経験がばっちり生きています。
17時
近くのスーパーへ行き即席ラーメン2個、ガムテープを3個買ってきました。
即席ラーメンでこの旅の最後の夜を祝いました。
ガムテープは段ボールのパッキング用です。
23時
暑くてうるさくてまだ寝られません。
今日は昼間から気温が摂氏30度を越えていました。
夜になってもなかなか涼しくなりません。
近所の人たちも寝付けないのか路上で大声で話をしています。
5人部屋に一人かと思っていたら夜になって一人また一人と泊まる人が部屋に入ってました。
どうも昼間近くで働いている人が泊り場としてここを利用しているようです。
国内でも民宿などに泊まるとこんな感じですね。
その人たちのいびきも始まりました。
キャンプ場は静かで涼しかったなあと思いました。
本日の走行距離:10キロ
<6月28日> ナント➡ナント空港
段ボールを背負って記念撮影 |
ナントのユースホステルから折り畳んだ段ボール箱を背負って出発します。
ナント空港まで道を間違えないように地図を見ながら注意して進みます。
この地図はサント=リュスのキャンプ場のお姉さんにプリントアウトしてもらいました。
あのキャンプ場は静かで清潔でスタッフは親切で料金は安かった。
合計で4泊もしてしまいました。
8時
ナントの街を走っているとすれ違う人が私の背中の段ボールに注目しています。
おやっと反応したり怪訝な顔でこちらを見たりしています。
自動車の中からこちらを指差して同乗者と笑っている人も。
朝から面白いものを見たとナントの街でごくわずかに話題になるでことしょう。
9時半
途中で2回、土地のおばさんとおじさんに道を尋ねて空港へたどり着きました。
ホステルから一時間半かかりました。
道を迷ったせいで予定より30分多くかかりました。
段ボールとともにナント空港に到着しました |
それだけでなく自動車に気をつけてとかもう少しだから頑張ってとか親身になってくれます。
率直に言って善人が多いなあという印象を受けます。
12時
空港ビルの入口で荷造りしてそれらを預けて身軽になって機中の人となりました。
飛行機が離陸するとナントの街とそれを突き抜けて流れるロワール川がよく見えました。
ロワール川の河口で拾った石ころ |
行く前から古城や原発の姿をウェブサイトで見ていました。
アゼ=ル=リドー城 |
この得がたい経験を自らのささやかな暮らしを振り返る糧にしたいと思います。
寝食を共にすることは人の理解に役立ちます。
3週間使ってペコペコになった 2リットル入りのペットボトル |
ドミニクの家の庭 |
厚かましいかなとは思いつつ人の家に上がり込んでその暮らしながめられたからです。
真実を理解したかどうかはともかくも自分なりに共感したり不思議に思ったりできました。
これだから旅はやめられません。
本日の走行距離: 14㎞
<6月29日> ナント空港➡川越
午前9時20分
成田空港に着きました。
成田空港に着きました。
自転車旅でペダルを漕ぎながらいろんなものを目にし耳にし口にします。
そのひとつひとつが自分の頭の中を駆け巡ります。
そして何かのリアクションを起こしたり起こさなかったりします。
自転車旅で自分のこころの声に耳を澄まします。
その回路がどんなに拙いものであれ自分の目で眺め自分の頭で考えそして自分の口で語る。
そのことこそが大切なのだと思います。
そのことこそが大切なのだと思います。