朝の運河からサンセールの丘を望む |
昨夜までは南風が吹いていました。
今朝はひんやりした北風に変わっています。
青空を雲が南に流れていきます。
9時半 麦畑の先に変な雲が出ていると思ったらベルヴィル原発から立ち上る水蒸気でした。
水蒸気が遠くに見えてきました |
あっという間に目の前に迫ってきました |
水蒸気は雲と見分けがつかない |
そのため原発の運転には大量の水が必要です。
それで原発は水の確保が容易な海や川の近くに作られるのです。
フランスの多くの原発はタービンを回した後の蒸気を排気塔から大気に放出します。
それが今わたしたちが目の前にしている光景です。
フランスには25か所に総計58基の原発があります。
これらの原発がフランスの総発電量の77%を発電しています。
ロワール川沿いにはベルヴィル原発のほかに3か所の原発があります。
ダンピエール、サン・ローラン、シノンです。
下流へ行くにしたがってこれらの原発も目にすることになるでしょう。
原発の近くに休憩所がありました |
10時 ベルヴィルの村に着きました。
原発から2キロ弱の距離です。
その間全く民家はありませんでした。
ベルヴィルはこれまで通ってきたいくつもの集落と変わらない佇まいです。
フランスにも原発立地への思いやり予算はあるのでしょうか。
外見からはちょっと分かりませんでした。
11時 続けざまに二回道を間違えてしまいました。
一度は小川を渡り、もう一度は同じ道を何度も行き来して正しいルートに戻りました。
ロワール川の本流を渡るのではなくてラッキーでした |
それを見逃さなければルートを探すのは難しくありません。
景色を眺めていたり考えごとをしていたりすると表示板を見逃すことがあります。
そうすると時間をロスすることになります。
これもある程度は仕方のないことです。
人間ですから。
マントロの閘門(こうもん)にかかる石橋 |
運河を挟んだ向かいにレストランがあり年配者で満席です。
運河のこちら側ではお年を召した女性4人が一つのベンチに座って賑やかにランチしています。
13時半 ブリアールの鋼鉄製の運河橋を渡ります。
この運河橋の建設にはギュスターヴ・エッフェルもかかわっています。
ただし彼が建てたのは橋の両端部と橋脚だけです。
エッフェル塔をほうふつとさせる鋼鉄製の橋桁は別の建築家が担当しました。
橋を渡って対岸から見たところ |
ブリアール運河橋の袂で |
なにが書いてあるのだろうと見ていたらドミニクが要約してくれました。
フランス軍はこの橋を第二次世界大戦初めにドイツ軍の侵攻を食い止めるため破壊しました。
一旦復旧しましたがその二年後に今度はドイツ軍によって破壊されました。
なんということでしょう。
今はエレガントな姿に改修中です。
15時 今日の目的地のジアンに着きました。
右手にジアンの教会と城、左手にはもう次の原発の湯気が見えます |
それからドミニクとジアンの町へ行きました。
ジアンは第二次世界大戦のときドイツ軍の爆撃で徹底的に破壊されました。
当時の写真がウェブで見られます。
破壊のすさまじさが手にとるように分かります。
自分で撮った現在の姿と比べてみました。
教会の鐘楼 |
Ce qui reste du clocher de l'église du château. juin 1940 |
壁のモザイクが美しい城 |
Le château, cour intérieure. Le feu qui ravageait la charpente a été arrété par un violent orage. juin 1940 |
教会の前から傾斜の強い屋根がきれいに並んだジアンの町並みが見下ろせます。
中世の町のように見えますが空襲のあとに再建された家々です。
教会の前から町並み越しにロワール川を見る |
Quai Lenoir et le pont. juin 1940 |
ドミニクが以前にテイクアウトしたことがあったそうです。
アントレに焼餃子、水餃子、シウマイをひとつづつ。
プラはエビの唐揚げ。
リで広東風のチャーハン。
デザートとしてアーモンドのクッキー。
これに青島ビールを飲んで10ユーロでした。
店員はチップを受け取らずお土産にライターまでくれました。
まさしくアジア的です。
こうして楽しく過ごしたこの店のある通りもかつて空襲で見る影もなく破壊されたのです。
Rue Gambetta. juin 1940 |
ジアン➡シェシーへつづく