ドミニクもパトリックも1週間走ったら1日は休養しているそうです。
昨年ライン川で人力居士はスイスの山中からアムステルダムまで三週間休まず走りました。
これはちっとも褒められることではありません。
アムステルダムに早く着き過ぎてしまい帰りの飛行機まで四日間観光しました。
これからは途中でもいろいろな都市を見ながら行こうと思いました。
<9時半>
ドミニクに連れられてトログロディットという岩窟住宅を見に行きました。
実にクロマニョン人以来の伝統ある住居です。
今は若い人も移り住んで来ているとのこと。
これ何だかわかりますか。
手荷物入れです!
岩窟住居の上に登るとロワール川をへだてて遠くまで見えました。
クロマニョン人もこういう景色を見たのかなあ。
見下ろすとけっこう整然と岩窟住居が並んでいました。
トログロディットからモンソローへの帰り道はロワール川沿いをいきました。
白鳥がきれいに等間隔で泳いでいます。
人もこのようにしておだやかに暮らせるといいですね。
<14時半>
昼寝をしたあとフォンテヴロー=ラベイへ行きました。
キャンプ場から走って30分ほどです。
登りですけど。
この修道院は十二世紀からフランス革命までたくさんの修道士を世に送りだしました。
英仏両国の王妃となったアノリエール・ダキテーヌは晩年ここに隠棲して亡くなりました。
寝ながら読書しているのがアノリエール・ダキテーヌです。 |
フランスで最も規律の厳しい刑務所でした。
ここの説明書きが面白いと思いました。
日本だったら名所の説明書きにはそこがどんなにすごい所か書いてあります。
ここにはフランス人らしくシニカルに直截に書いてありました。
この建物は時々の権力者が自分の名を後世に残すために利用されたと。
いまは博物館になっています。
回廊に石のモニュメントがありました。
この人たちも首や顔が削られているなあと思って眺めていました。
ふと中庭をへだてた屋根の上に目をやるとおなじモニュメントが見えました。
このモニュメントには首も顔もあります。
これはどういうことでありましょか。
人力居士の推測はこうです。
フランス革命のとき革命派によってモニュメントに刻まれた人物の顔や首が削られた。
刑務所が閉鎖され建物が修復されたときにモニュメントももとどおりに作り直された。
たいへんにご苦労なことだったと思います。
<17時40分>
キャンプ場へかえりドミニクとビールを飲みました。
それからキャンプ場のまえのシャルキュティエへ行きシュークルートの食材を買いました。
二人分で10ユーロと格安でした。
<19時>
今晩はソミュールのロゼで乾杯しました。
季節外れのシュークルートにセボンを連発する居士でした。
昨晩につづきキャンプ場のレストランで買いました |
シュークルート(ドイツ語ではザワークラウト) |
キャンプ場からロワール川が湖のように見えます |
沈む夕日に得意のポーズを決めました |
本日の走行距離:20キロ
モンソロー➡ラ=ポッソニエールへつづく