2018年6月4日月曜日

ブラック・ツーリズム ロワール川 グデ➡ル・ピュイ=アン=ヴレ

8時 グデのキャンプ場を出発しました
いきなりの急坂です
迷わず押し歩きします

8時50分 長い坂を登りきってユセルの丘の上につきました
バスの待合所のようなところで休んでいると時折雨がパラつきます
その雨が小さな氷粒のようで吐き出す息が白い

ドミニクが道路工事のおじさんと何やら話しています
この先の迂回路を確かめていたのです
ドミニクは昨日キャンプ場で女性から通行止めの箇所があると聞いたとのこと
自転車旅ではこういう情報収集能力がモノを言います

走っていくと畑の真ん中に進入禁止の看板が立っていました
迂回路について何も掲示がありませんし辺りに民家もありません
迂回路を知らなければ間違いなく手こずるところです

迂回路の入り口には「除雪なし注意」の看板がありました
ドミニクから「除雪してちょうだい」とからかわれました
ここいらは冬は雪が積もるのですね

9時半 火山台地の畑の間を快走して廃線跡の遊歩道に入りました
樹林のあいだの舗装されていない道です
こういう道をヴォア・ヴェルトと言うそうです

柱状節理の岩がベンチ
10時 雨が少し強くなったのでソリニャックで様子見の休憩をします
ドミニクは少しの雨でも大雨に感じるとのこと

廃線跡の道には長いトンネルが5本ありました

トンネルの中を行くドミニク
トンネルとトンネルの間はいい眺めです

ヴォア・ヴェルトからロワール川の谷を望む
ル・ピュイ=アン=ヴレの町が見えました


この町について知っていることはただひとつ
今年5月に訪れた天草の大江天主堂を完成させたガルニエ神父の出身地だということです
ガルニエ神父は20代前半に日本へ来ました
そして80歳で亡くなるまで質素な暮らしをしながら天草で布教を続けたそうです
彼が精魂傾けた大江天主堂の佇まいに心を打たれました

大江天主堂
12時 ヴォア・ヴェルトの砂利道を走り続けてル・ピュイに着きました
雨は止んでいます

巻き上げられた砂利がフェンダーに当たってバッグに大量着地
ル・ピュイ=アン=ヴレは古くからの宗教都市で教会と巡礼の人を泊める宿が犇いてます
盆地の中に火山岩頭がいくつか突き出ています
これをピュイといいます
その上に聖母像や教会が立っています

左から大聖堂の塔、聖母像、礼拝堂

ノートルダム・ド・フランス像

サン・ミシェル・デギュイユ礼拝堂
12時半 自転車を押し上げて大聖堂までたどり着きました
火山岩で作った急な坂と階段で心臓がバクバクになりました
この大聖堂の階段がサンティャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道のスタート地点です

ノートルダム・ド・アノンシアション大聖堂
大聖堂の階段から見たル・ピュイ=アン=ヴレの町並み
階段から建物の間を縫うようにして続く巡礼道を眺めていると話しかけくる人がいます
さっき祭壇の前で長いことお祈りしていた学生風の青年です


小さなペンダントを差し出してこれを私にあげたいと言います
なんで私にとちょっと面食いました
何か思いつめたような面差しに拒むのも気の毒なのでいたただくことにしました

青年がくれたペンダント
このペンダントがどういうものか表に刻まれた次の言葉を頼りに調べてみました

"Ô Marie, conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous."

このペンダントは「Médaille miraculeuse(不思議のメダイ)」を模したもので言葉の意味は
「原罪なくして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉るわれらのために祈り給え」
ということだそうです

14時半 街中のスーパーで買い出ししました
それから少し走って今夜泊まるキャンプ場に着きました
まもなくまた雨が降ってきました
キャンプ場の受付の裏にあるラウンジでドミニクと晩ご飯を食べました

本日の走行距離: 47㎞




ル=ピュイ=アン=ヴレ➡サン=ランベールへつづく