ランジェのキャンプ場を出発しました。
小さな町の真ん中に立つ大きな城の下を行きます。
城璧の上に回廊があります。
その回廊がせり出した部分の下にいくつも穴が並んでいます。
城璧の下まで襲来した敵にあの穴から煮え油を注ぐのだそうです。
兵隊が大鍋でグツグツ油を煮ている姿を想像してみました。
あまり快くない仕事のように思います。
ランジェの町から左岸(南側)に渡り土手の上の道を走ります。
曇り空ですが追い風ですので快調にペダリングします。
土手の道は自動車の通行が少なくグーグル・ストリービューで見たイメージ通りの道です。
<9時半>
土手の道からユッセの城が見えました。
ここが童話「眠れる森の美女」で王女が目覚めた城のモデルになったのだそうです。
城の前にたむろするのは5、6人の自転車乗りのおじさんばかりでした。
<10時>
ユッセからロワール川を離れて南へ向かいます。
ロワール川のもう少し下流にはシノン原発があります。
シノン城へ行くため原発はパスします。
上り下りの続く道をシノンまでヒイヒイ言いながら走ります。
途中でブールという競技を見させてもらいました。
(動画が横向きでごめんなさいね)
ブールについて説明してくれたおじさんのバイクに漢字で活力と書いてありました。
人生にはエネルジーが必要だからだそうです。
<11時>
シノンに着きました。
ビエンヌ川の対岸から高台の上に立つシノン城を眺めました。
川に面した狭い街並みがあります。
往時は街と川の間に高い石壁が築かれていたようです。
<12時過ぎ>
森の中でゆっくり昼食を食べました。
食事の最中にドミニクに息子さんから電話が入りました。
日本で地震があって亡くなった人が出ているそうです。
わたしに知らせるためにわざわざ連絡してくれたのです。
息子さんにありがとうとドミニクから伝えてもらいました。
川越に電話して状況を確かめました。
地震は大阪で発生し倒壊したブロック塀の下敷きになって小学生の女の子が亡くなりました。
気の毒でした。
関東地方の被害はなかったとのことでした。
<13時50分>
カンド=サン=マルタンに着きました。
石造りの家が並ぶ小さな町の真ん中に古くて大きな教会が立っています。
教会の中は聖人サン=マルタンに纏わる絵画や彫刻などがたくさんあります。
サン=マルタンは397年にここでなくなったそうです。
教会の中に日本語の説明書きが置いてありました。
その入り口の周り壁にはたくさんの石像が掘り込まれていますが全て首がもがれています。
フランス革命の時にやられたそうです。
教会の前の家の窓からおばあさんが愛嬌を振りまいていました。
道を下りていくとビエンヌ川がロワール川と合流するところに出ました。
小さな木造船が何隻か岸にもやわれています。
司祭に盗まれたサン=マルタンの遺骸はここからトゥールへ運ばれて行ったのでしょう。
ドミニクはここからの眺めが好きだと言っていました。
<15時>
モンソローに着きました。
キャンプ場にテントを立ててから散歩に出かけます。
段丘際に建てられた古い家並みの間の径を登っていきます。
ロワール川を睨むようにしてモンソロー城が立っています。
空は抜けるように青く道端の立葵が風に揺れています。
チシマギキョウのような花が咲いていました。
段丘のうえに着くとシノンの原発から立ち上る蒸気が見えました。
この花も可愛らしいなあ。
<17時>
キャンプ場に戻ってビールを飲みながらドミニクに感謝の気持ちを伝えました。
彼は人力居士がこの旅に満足していることが何より嬉しいようでした。
夕食は鮭のクリームソテーを一緒に作りました。
ソミュールの良く冷えた白を飲みながらそれを食べました。
本日の走行距離:52キロ
モンソローへつづく