2019年6月26日水曜日

2019ドナウ川の自転車旅

Danube from wiki

プロローグ
このドナウ川の自転車旅はブラックツーリズムの第三弾です
なぜドナウ川なのか、とブラックツーリズムについてはのちほどお話しできればと思います

ドナウ川は長さ2850㎞でヨーロッパ第二の河川です(第一はボルガ川で3690㎞)
ヨーロッパ中央部を西からほぼ東へ向かって流れ、流域は17か国にまたがっています
シュバルツ・バルト(ドイツ)が水源で、ドナウ・デルタ(ルーマニア)で黒海に注ぎます

今回は源流の町ドナウエッシンゲンからブダペスト(ハンガリー)までを3週間で走ります
一緒に行くドミニク(フランス人)とはドナウエッシンゲンで5月30日に落ち合う約束です
旅のスタイルは自転車にキャンプ道具一式を積み、基本はテントに泊りで、自炊をします
過労少楽にならないように、一週間に一日の割合で休養日をとって物見遊山もします

1500㎞と想定される行程を21日間で走り切れるかどうかわかりません
天候や体調、自転車など装備の具合、走り通す技術と気力などにかかっています
ドミニクは2013年にここを走ったことがあります
その際には源流地帯で雪が降ったり、中流部では増水のため迂回を強いられたそうです

ことしはどんな旅になるか分かりませんが、無理せず楽しくやってきます

モスクワに置いてけぼり
ことしはヨーロッパの行き帰りにあえてアエロフロートを使うことにしました
難のある航空会社だと承知していますが運賃が安く、飛行時間が比較的短いことが魅力です
さらに自転車を段ボール箱に入れずに預けられるので行き帰りの準備がとても楽です
しかも多くの大手航空会社が徴収する100ドル程度の自転車荷扱い料金をとられません



5月29日
9:00
写真のとおり、ペラペラのナイロン袋に自転車と寝袋などを入れて成田空港で預けました
小雨の成田空港でチェックインへ向かう
12:15
隣は空席のままアエロフロート機で成田空港を離陸しました

16:00
モスクワ・シェレメーチェヴォ空港に定刻に着きました
ここに来たのは32年ぶりです
まだ社会主義国だったあの頃とはすっかり変わって、広い空港にやたらと免税店が目立ちます
搭乗ロビーの片隅のバーでビールをちびちび飲みました
女性店員の様子をぼんやり見ていて、その気だるい動作にあの昔を思い出しました
1杯 299ルーブル≒500円
18:30
今月5日にアエロフロート機の事故(41名死亡)があったばかりの空港を無事離陸しました
ほっとしてモスクワの町を見下ろす
21:00
チューリッヒにも定刻に着き、旅は順調にスタートしたようでした
そう思いつつ空港で自転車が出てくるのを待っていました

22:00
1時間ほど待ってもわたしの自転車が荷物受取口から出てきません
しびれを切らして係員に調べてもらいました
「あなたの荷物(自転車)はまだモスクワにあります
あすの午後にはここに届くでしょう...」

ショック!

どうしてわたしの荷物だけがモスクワに置いてけぼりをくったのだろうか?
あの不定形で重たく持ちにくい荷姿のためだったのか
それともシェレメーチェヴォの地上勤務員の緩慢な動作のためだったのだろうか
それとも…
※帰国後、空港で働く人(=外国人労働者)が足りないためと知りました

とりあえずいまここでできることは何もありません
仕方なく明日また来ることにしました

23:00
予約してあった空港近くのホテルにチェックインしました
ドミニクの留守電に状況説明のメッセージを入れ、シャワーも浴びずに寝ました



5月30日
3:00
4時間ほど寝ただけで目が覚めてしまいました
シャワーを浴びて、本(「レ・ミゼラブル」)を読み、再び寝ました

6:30
ラジオ体操をしてからレストランに朝食を食べに行きます
家にいるときと同じようなものを食べて元気がでました

7:30
空港の手荷物係にメールをしました
「わたしの荷物が届いたらメールで至急連絡をもらいたい
届いた荷物をどこへ取りに行ったらよいか知らせてほしい
今日の午後わたしは空港周辺にいる」

8:00
ドミニクから電話が来ました
わたしのメッセージは携帯設定の不具合で聞けなかったとのこと
改めて事情を説明し、ドナウエッシンゲンへの到着時刻は分かり次第連絡すると伝えました
ドミニクはたいして驚いていない様子です

8:30
空港の手荷物係からメールがきました
「あなたの荷物はこちらに12:30に到着する予定です
こちらのオフィスはターミナル2の到着ロビー2
Lost & Found2です」
これで13:00すぎには自転車を受け取れるでしょう

9:00
自転車を受け取ってから列車に乗るまで準備にどれくらいかかるか
ドナウエッシンゲンへの列車の接続は都合よくあるか
重たい自転車を押して乗り換えにどれくらい時間がかかるか
切符を先に買った方がいいか、後にしたらいいか

いろいろ気になるがあれこれ考えてもしかたがありません
開き直ってまた「レ・ミゼラブル」を読みます
目的を達成しようとして障害に阻まれ、それをどうにか乗り越えようと葛藤している
この点においていまのわたしは状況はジャン・ヴァルジャンのそれと似ています
深刻さはまったく違いますが

10:30
突然掃除のおばさんが部屋に入ってきました
ベッドで寝ころがって本を読んでいるわたしを見て慌てて出ていきました

11:30
ホテルのPCでわたしの荷物が確かにチューリッヒ行きの便に乗っていることを確認しました
それからチューリッヒ空港からドナウエッシンゲン行きの列車の乗り換え便を調べました
最低でも途中で二回は乗り換えなければなりません

12:00
ホテルの前を走っているトラムに乗って空港へ行きます

12:15
手荷物を受け取る場所とそこから空港駅のホームまでの行き方を実地で確かめました
ホームは地下です
自転車には大きな荷物を付けているのでエレベーターでないと行けません

12:30
切符を買う窓口に30人ほどの行列ができています
対面式でお話ししながら買います
飛行機でやってきて地上の旅をはじめるためにここで切符を買う旅行者がメインです
やっとわたしの番がきました
窓口の女性に自転車に荷物を積んでいるので乗り換えの少ない便で行きたいと伝えました
いろいろ調べてもらった上、15:16にここを出発して2回乗り換え、17:39に着く列車にします

13:10
空港の手荷物係から荷物を受け取りました
自転車に目立ったダメージはないようでこれで一安心です

13:30
空港ビルの隅で自転車を組み立てて荷物を自転車に取り付けます
一時間ほどで作業は終わりました
それを最初からずっと横のベンチで見ていた男性がニコッと笑って見送ってくれます

15:00
下見した経路を通って空港駅のホームに降りました
ホームには次々と列車が到着しては出発します
チューリッヒ空港駅のホーム
15:16
めざす列車に乗って出発します
ドミニクにドナウエッシンゲン駅の到着時刻を知らせました
彼はもうキャンプ場に着いていたけれどドナウエッシンゲン駅まで迎えに来てくれるという
列車内の自転車置き場
15:20
列車が地上に出て、チューリッヒの街を抜けると2年前に見た景色が車窓に広がりました
輝く青空の向こうにアルプスの白い峰々が見えます
車窓からスイスの晴れた空をながめる
16:10
シャッフハウゼンの手前でライン川を渡りました
ライン川がこんなに波立っている箇所はライン滝付近だけだと思います
ライン川 ライン滝のすぐ上流の鉄橋から
17:40
ドナウエッシンゲン駅のホームでドミニクと11か月ぶりの再会のハグ!

18:30
駅からRiedseeキャンプ場まで自転車で行きます
ドミニクと「なんか先週ナントで別れたばかりみたいな気がするね」なんて話しながら
キャンプ場の事務棟
20:00
きょうはこちらは休日で店が開いていないため食料が買えず自炊はできません
ドミニクとキャンプ場のレストランで乾杯をして食事もします
シュニッツェル(トンカツみたいの)とポテトフライの大盛りをおいしく食べました
さっそく乾杯!
21:00
11か月ぶりにテントで寝ました

<走行距離> 10km
<出費> 100€(鉄道運賃45€、自転車搬送料20€、昼食代6€、キャンプ料12€、
        ビール代4€、夕食代13€)
<Riedseeキャンプ場の評価> 〇 料金、施設設備、サービス、いずれも平均なレベル



5月31日
なんでドナウ川なのか
ひと昔ほどまえ、わたしはとある大学の生涯学習センターで働いていました
いわゆる団塊の世代の方たちが大量に離職し始めた頃です
退職後の学びが注目されて、大勢の方が平家物語や西洋哲学などの受講を希望をしていました
同僚が「団塊バブルだ」などと、口詮無いことをいっていたのを思い出します

じっさい団塊世代の方々は、成長につれてその爆発的な人口圧力を日本社会にかけ続けました
たとえば小学校で彼らは1クラス50から60人のすしずめ状態になりました
そのせいで彼らのあいだでは競争状態が日常化しました
大学に至っては当局と紛争に及んで日本の大学教育はしばらく完全にマヒしました
さらに企業に就職すると長時間労働もいとわず日本の高度経済成長を後押ししました

そのような世代の方々の中に、生涯学習を退職後の生きがいとする人々がいました
世代全体から見ればそう多い数ではなかったかもしれません
とはいっても母数が並外れて大きな世代ですから、その影響は大でした
わたしのいたセンターにも受け入れられないほどの受講希望者が押し寄せました

人気講座の教室は受講生であふれ受講環境は日に日に快適さを失っていきました
不満をつのらせた受講生がセンターの事務所に怒鳴り込んでくることもありました
わたしは激高した高齢の男性から罵声を浴びせかけられました
「俺がこのセンターの責任者だったらお前なんかクビだ!」

その頃センターの責任者はドイツ文学が専門の教員でした
わたしが受講生からのクレームについて報告すると、「ご苦労さん」と同情してくれました
そして時折南ドイツの文化やそこに暮らす人々の話をしてくれました
そのあたりの人々の明るい気質と多様な文化はドイツの北部などとはかなり異なるそうです

このような話はもちろん日々のクレーム対応には直接には役に立ちませんでした
それでもわたしにとっては、とげとげしい日常業務から頭を切り替えられる瞬間でした
そしてわたしはドナウ川流域のことに興味を持ちました
ふだんから自転車で川沿いを走ることが多かったからかもしれません
ドナウ川に関する本を読んでみました


この本にあった「ドナウ世界」や「ドナウ意識」という言葉に魅了されました
そこには人為的な国境ではくくれない長い歴史が築きあげた多文化社会の匂いがしました
いつかドナウ川沿いを自転車で走りながら、人々の暮らしを覗いてみたいと思いました

ブラック・ツーリズムとは
このような旅をわたしはのちにブラック・ツーリズムあるいは黒旅と呼ぶことにしました
海外の旅であればブラック・ツーリズム、国内であれば黒旅です
ブラックなツーリズム、あるいは黒い旅とはどういうことでしょうか

ふつうの旅とちがうところは負の遺産を積極的に訪れるところです
城や大聖堂にも入ればグルメもつまみますが、戦争、事件、公害などの跡にも行きます
それは負の遺産も、というか負の遺産こそ人々の運命を大きく左右してきたと思うからです
そして負の遺産のイメージはブラックあるいは黒なのでそれを旅のシンボルにしました
黒いからといって暗くさびしい旅ではありません
楽しい旅です

ドナウ川の流域ではローマ時代から現代にいたるまで幾多の戦争が繰り広げられてきました
冷戦時代には東側では経済が停滞し、公害が起き、大規模な自然破壊も計画されました
ブラック・ツーリズムにとってドナウはまたとない負の遺産の「宝庫」です
栄耀栄華をしのばせる城や大聖堂と共に草葉の陰に埋もれた戦跡も見ることができるでしょう

ブラック・ツーリズムで見て思ったことは帰国後に自分にできる形で表現します
「認識は、表現にいたってこそ完結する」『レオナルド・ダ・ヴィンチ考』山岸健 からです
稚拙ながらこのブログ「人力遊山記」がそのひとつです

ブラック・ツーリズムの軌跡
はじめてのブラック・ツーリズムとして2017年にライン川を源流から河口まで旅しました
いきなりドナウ川に出かけるのは敷居が高い気がして人臭いところから入ったのです
このときにデュッセルドルフでフランス人のドミニクと知り合いました
彼と意気投合してライン川の河口まで一週間ほど一緒に走りました
2018年は彼とフランスのロアール川を源流から河口まで走りました
その折にはロアール川の上流のドミニクの家に何泊もさせてもらいました
そして今年また彼とドナウ川を源流からブダペストまで走ります

8:50
Riedseeのキャンプ場からドナウエッシンゲンの町に戻りました
ドナウの源流の町からこの旅をスタートします
その道々フュルステンベルク候の居城が見えました
源流の泉はこの城の脇にあります
フュルステンベルク城
9:00
円形の泉からこんこんと水が湧き出しています


ここから海まで2840㎞という表示されています

ここの海抜は678mと、ライン川やロアール川と比べても長い川なのに源流の標高が低いです

10:10
スーパーでの買い出しを終えてドナウの川端にやってきました

ドナウ川には源流争いというのがあります
突端を隔てて左からブレーク川、右からブリガッハ川が流れてきています
この二つの川が合流するこの地点から川の名称がドナウになります
さっきの泉はブリガッハ川に流れ込んでいます
元々はフュルステンベルク城の泉がドナウの源流とされてきました
その後ブレーク川とブリガッハ川もこちらこそ源流だと名乗りをあげたのです
源流争いは以上で閑話休題

10:40
いよいよブダペストへ向けて走り出しました
まだ菜の花が咲いていて春の名残りを感じさせます
日差しは強く初夏の暑さです

いまは黄色い花の季節なんですね

この鳥が屋根の上の巣で子育てしているのをよく見ました
ドミニクがシゴーニュを言っていました
いわゆるコウノトリですね

11:40
屋根付きの橋です
冬に橋の雪が凍結して通行が困難にならないように屋根をつけています
いまは良い陽気ですが冬は寒いところだと分かります

12:10
教会の外に結婚式を終えたカップルが見えました
新婦のお腹がこころなしか大きいような?
出来ちゃった婚かな?

13:20
ピクニックする場所を探しながらトゥットリンゲンまで来てしまいました
町の中の公園にようやくいいところを見つけました

この町のホールの壁に男女の彫像があります
男性は女性を指さして何かをとがめているよう
女性はそれに向かってアカンベ―をしています
これを見て結婚を思いとどまった人がいたとかいないとか...


15:10
急坂を登って古い建物の前に泉があるミュールハイムの町にやってきました

ドミニクの自転車旅にはポリシーがあります
・坂道や回り道をいとわず、見所ははずさない
・行動中の飲み物は泉や墓地や店先などで調達した水道水だけ
(たまにビールや赤ワインを飲むことも)
・分からないことはすぐに土地の人に聞く
 ほかにもたくさん...
 この町でさっそくこのポリシーが生きました
 美しい家並み、きれいな泉と飲み水、お年寄りとの語らい
泉の前で
15:30
ミュールハイムからドナウは両岸が岸壁となって狭まり、第一のゴルジュ帯に入ります
自転車道の脇にはアルプスのふもとのような景色が広がります



16:10
遠くの岸壁の上にヴィルデンシュタイン城が見えます

城を眺め、写真を取りながら走ります

17:30
これはまたとんでもない断崖の上に城がたっています
ヴェーレンヴァーク城です

17:40
まだ初日だというのにきょうはずいぶん走ってしまいました
ドナウ川に面したHausenのキャンプ場で泊まります
週末に入るのでキャンプ場は大賑わいです
カヌーを楽しむ人たち
22:00
シャワーを浴び、光る岩肌を仰ぎながら夕食を食べ、寝ました

<走行距離> 90km(累計 100㎞)
<出費> 28.5€(食料代16.5€、キャンプ料9.5€、ビール代2.5€、累計 128.5€)
<Wagenburgキャンプ場の評価> ◎(料金がやすく、立地とスタッフの愛想がいい)



6月1日
5:30
起きてテントから出ると、霧がドナウの谷底を漂っています
Hausenのキャンプ場で
きょうも天気がよさそうです

8:55
キャンプ場を出発して間もなくThiergartenという無人駅を過ぎました

ドミニクが、ここの駅名は「動物園」だ、といいます
駅のまわりは森ばかりでそれらしきものは見えません
のちほどわかりました
動物園のつづりはThiergartenではなくTiergartenです
ではThiergartenとはなんでしょう
わかりませぬ

9:32
向こうからくるサイクリストが自転車を押してきます
見ると自転車道におおいかぶさるように木が倒れています

さっそくドミニクと木の撤去にかかります
木の根元を見て、おやおや、犯人がわかりました
ビーバーの仕業です

川べりに見ると流れに面して彼らの家があります
自転車道と川の間には人の背丈ほどのフェンスがあるのでビーバーにはこの木を運べません
木を川の方に放り投げました

10:00
急坂を登りインツィクコフェンの修道院の中庭で休憩しました
窓ガラスには波が打ち、雨樋は銅製のとても古い建物です
教会に入ると結婚式用の音楽が流れています

10:25
インツィクコフェンからドナウへ下る坂を快走して
ホーエンツォレルン家の居城があるジグマリンゲンに着きました

町の中には新旧の建物が混在し、通りは土曜の朝の人出でにぎわっています

建物の間からそそり立つ城が見えます

ドミニクが「町の上手に教会が建っている眺めがいいところがある」というので行ってみます

10:54
荷物を付けたままの自転車を押してひと汗かいて丘のうえに着くと、これはいい眺めです!

ここには私たち以外に誰もいません
こんないいところを教えてくれたドミニクに感謝です
わたしはドミニクと旅をすることで、いつもとちがう景色を見ることができます

川霧に濡れたテントを干しながらドミニクから第二次世界大戦末期の逸話を聞きました

ドイツに占領された1940年から1944年まで、フランスの首都は中部のヴィシーにありました
ノルマンディーに連合軍が上陸すると、ドイツ軍はヴィシーの閣僚をこの城に拘束したのです
そしてドイツ軍の敗戦までの一年間、閣僚たちはこの城の中で過ごしたそうです
よく晴れた日に囚われの身で望む彼らの目に、ドナウの谷の景色はどう映ったでしょうか

17:04
逆風を突いてリートリンゲンの町に着きました

屋根の上にシゴーニュの巣が見えます
右の木は春の訪れを祝ったメイポール
きれいに修復された家並みが美しい




19:02
ながい一日が終わり、リートリンゲン近くのキャンプ場にテントを張りました
シャワーを浴び、ビールを飲んでくつろぎます

このキャンプ場にはめずらしくビールが自動販売機で売られています
値段が手ごろ(501ml瓶 1.5€)なので何本も飲んでいるみなさんもいました

19:43
今夜のメニューはドミニクの山料理、牛ひき肉とパスタのトマトソース煮です
まずはひき肉を炒めます

同時にパスタをゆでます

ゆで上がったパスタにトマトソースをかけてまぜます

19:52
ひき肉にパスタを加えて塩コショーで味をととのえ、はい10分でできあがりです

一日動き回ったあと、ワインを飲みながらの味は格別です

食後に、今日訪れたリートリンゲンの町は美しかった、とドミニクにいいました
着かず離れず走ってきたフランス人夫婦はリートリンゲンの町を訪れなかったそうです
もったいないことです
旅程に限りはあるとしても見るべきものはちゃんと見ておかなくては
えてして「今日はどこまで行く」とか「何時までにあそこに着かなければ」を優先しがち
先を急いだためにいいものを見過ごしてしまっては旅に出た甲斐がないというものです
こういうメンタリティを共有していなければ一緒に旅はできないよ、とドミニクはいいます
なるほどね

22:00 就寝

<走行距離> 66km(累計 166㎞)
<出費> 22.5€(食料 14€、キャンプ 6€、ビール 1.5€)(累計 151€)
Vöhringer Hofキャンプ場の評価> ◎(料金がとてもやすく、立地がいい)



6月2日
7:54
出発の準備をしているところにフランス人夫婦の男性の方がドミニクに話しかけています
わたしはもうスタンバイしてます
朝のフェーリンガー・ホーフ・キャンプ場

手作りの看板を写真に撮りました
このキャンプ場はなんか感じがよかったから
フェーリンガー・ホーフ・キャンプ場の看板
キャンプ場の様子をすこしお伝えします
牧場と道を隔てたところにある、古い大きな家の農家がやっているところです
隣に鉄道の線路があるけれども列車は時たましか通りません
芝生のキャンプ場に平地は少ししかなく、大半は緩い傾斜地
わたしたちが着いた午後4時には家族連れのキャンピングカーが一台いただけ
日差しがきついので日陰の平地にテントをたてました
その後ばらばらとサイクリストがやってきて夕方までには20張りほどになりました
みんな日影を探してたてています
入口の近くにはケータイなどの充電ボックスがあります
その反対側には食事を作り食べるためのスペース
トイレとシャワーは農家に隣接して各一つです
キッチンも小さなシンクが一つで農家の庭先を借りている感じです
必要最低限のものしかないこじんまりして居心地の良いキャンプ場でした

8:38
今日は日曜日で通り過ぎる町は静かです
屋根の上のシゴーニュの巣にひな鳥の姿が見えました
ダウーゲンドルフ付近で
8:57
はじめは麦畑の中をのんびり行きますが、次第にアップダウンが多くなります
急な坂の途中に咲いていたオダマキ
9:54
時折あたりに目をやると町のたたずまいにハッとさせられます
ウンターマルヒタール付近で
11:41
強い日差しのもとでアップダウンを繰り返しエーインゲンに着きました
きれいな泉のまわりにサイクリストが集まっています
フランス人夫婦もやってきました
彼らはちょっと疲れた様子です
エーインゲンのマルクトプラッツの噴水
ここで青い泉「ブラウトップフ」を見るために回り道するか、直接川沿いに行くか相談します
「川沿いは単調だよ」、とドミニクがいうので青い泉を見ていくことにします
フランス人夫婦も一緒に行きたいというので、ここから4人で走ることになりました

14:41
途中ピクニックをしてブラウボイレンの大きな修道院に着きました
ブラウトップフはこの裏手にあるそうです
ブラウボイレン修道院
堰の向こう側にある泉から大量の水があふれだしています
ブラウトップフの堰
これがそのブラウトップフです
ブラウトップフ
カルスト泉という石灰分を多く含んだ泉だそうです
ブラウトップフとブラウボイレン修道院
16:50
今回はじめての大きな町ウルムに着きました
サイクリスト用の方向表示板も街中ではややこしくなりました
ウルム市街にて
ウルムの付近にはキャンプ場が無いとのことです
実際にはボートハウス脇でキャンプができたようですがわたしたちは分かりませんでした

さてフランス人夫婦も一緒にホテルを探します
まずはドミニクが前に泊まったノイウルムのアパートへ行きましたが閉まっていました
仕方なくホテルを探して街を歩きまわります
歩くといっても荷物を前後左右に付けた自転車を押しながらなので思うにまかせません

ふらふらと歩いているとレストラン兼酒場の看板にホテルがあると書かれていました
中に入って女将さんに聞くと、ここからすぐ近くでツインルームが一泊50€とのこと
もうみんなウンウンと快諾です
宿帳も書かず現金で一人25€ずつ払いそのホテルへ行きました

ホテルの一階の扉の内側に自転車を置けるので安全です
部屋は二階で、裏のベランダにテントを干せます
共用の食事スペースがあるので明日の朝はここで食事ができます

18:05
今日は日曜日なので店が閉まっていて食料を買うことができません
街を見て歩き、夕食もとることにして4人で出かけます
ウルムを見て歩く
街の中をドナウ川がまったりと流れています
ヘルド橋からドナウ下流を眺める
ウルム大聖堂の尖塔は世界で一番高い(162m)とのことです
この教会は1377年に建て始めて、完成したのがなんと1890年だそうです
ウルム大聖堂
今日の昼に訪れたブラウトップフからの流れが家々の足元を洗っていきます





アムステルダムで見たような前傾している家
わたしが子供のときに住んでいた家は少し傾いていたので、こういう家に親しみを感じます


20:11
市役所前の広場にあるレストランで晩ご飯を食べました
ウルムの市役所
コロッケみたいなやつと赤ワイン
ここらでは夕食にパンが付かないのですね
おいしかったけどちょっと物足りないです...

21:21
ほろ酔い気分で川風が吹くドナウ川を渡りホテルに帰ります

元は山ヤとしての二人
ウルムではドミニクとホテルで相部屋することになりました
二人とも相部屋することにとくに抵抗ありません
これにはいささかの説明が必要かと思います

ドミニクとは二年前にデュッセルドルフのキャンプ場で知り合いました
まだ自転車旅の経験が浅かったわたしがすぐに感じたのは、かれの勘の良さでした
それはきっと自分の今後に役立つだろうと思い、わたしはかれに同行を願い出たのでした
かれは同行を快諾してくれました
それから今まで一緒に二千キロほど旅して、ようやくその勘の中身と由来が分かってきました

自転車で何十日も旅をするには体力やルートを見定める力以外にも色々な能力が必要です
飲み水や食料を確保する工夫、キャンプ生活の知恵、お金のかからない観光地の楽しみ方...
そして旅を完遂しようとするメンタリティがこれらを根底で支えます

キャンプ場でワインを飲みながら、かれと幾晩もいろいろな話をしてきました
そしてある時ふと、かれとわたしのかなり決定的な共通点にたどりつきました
偶然ながら、二人とも青春時代を山とスキーに明け暮れたもの同志だったということです
昭和の日本ではそういう連中は山ヤ(やまや)と呼ばれていました
山ヤという言葉がうさん臭ければ、二人はアルピニストだったといってもいいでしょう
そして洋の東西はあっても、アルピニストのめざすところは同じでした
安全を確保しながら自己の能力を最大限に発揮して高みをきわめることです

時は流れ、かれもわたしも自分の限界を試すような山登りはしなくなりました
そして退職とともに長い自転車旅に自分のあらたな楽しみと可能性を見出しました
その可能性を支えるいくつかの大切な能力は過去に登山の経験を通じて獲得したものでした
共通の経験に立つかれの自転車旅にわたしが魅かれたのはむしろ当然といえるでしょう

かれと最初に相部屋したのは2017年にロッテルダムの近くで風雨に見舞われた日でした
旅のつれづれで知り合っても、同じ部屋に泊まるにはちょっと抵抗があるでしょう?
恋愛感情でもあれば別でしょうが
それがその時二人ともとくに躊躇なくツインベッドの部屋にチェックインしたのです
宿泊代は二人で60€ぐらいだったと思います

わたしが相部屋をためらわなかった理由はいくつかあります
・ホテル泊はあくまでキャンプ泊の例外であること
・ホテル代はキャンプ代と同程度の出費に抑えたいこと
・出費を抑えるためにはツインルームがお得であること
ドミニクもこれと同じ考えだったと思います

元山ヤの二人にとっては、自転車旅でのホテル泊は登山で山小屋に泊まるようなものなのです
ダウーゲンドルフ付近で
22:00 就寝

<走行距離> 87km(累計 253㎞)
<出費> 45€(食料 2€、ホテル 25€、ビール 3€、夕食 12€、ワイン 3€、累計 196€)

<ホテルの評価> 〇(料金、サービスは普通、立地はいい)



6月3日
8:30
ウルムのホテルを出発しました
まずアインシュタインの像へ向かいます
かれはこの町のうまれなのです

8:37
おなじみの舌を出した彼の顔
台座が広島や長崎に投下された原子爆弾を連想させ、ちょっと複雑な気持ちになります

頭の中には大小のアンモナイトがぎっしり詰まってます

9:00
ウルム大聖堂の中にレゴを11万個つかった大きなミニチュアがありました

9:29
ドナウの川べりに太陽光発電のモーターで航行する船がなにげに二隻泊まってます
ドイツらしい眺めです

10:56
ウルムのはずれでバイエルン州に入りました
深い森のなか、砂利も穴も少ない未舗装の道が続きます
人も自転車もほとんど通りません
こんなときいろんなことが頭に浮かびます

不便を楽しむ旅
昨年、一昨年と自転車で旅をしていて面白い人に会い、感じるものを見てきました
そのことをブログに書き、人に話すと反応はさまざまでした
興味を持ってくれる人もいれば、そんな不便な旅はとうていできないという人もいました

この自転車旅は日常の生活に比べるとたしかに不便です
洗濯は頻繁にはできないので常に清潔というわけにはいきません
食料に欠くことはありませんが調理の手段は小さなガスストーブ限られます
寝るのはテントの中で雨風も、時には騒音も忍ばなければなりません

それらに加えてこの旅にはすこし制約をつけています
インターネットとお金をなるべく使わないということです

インターネットをひんぱんに使いながら自転車旅をしている人もいます
便利で、旅ではいち早く情報を手に入れて、安く楽に沢山ものを見るのに役に立ちます
それをあえて使わないのは旅の面白さ、発見や感動や出会いをたいせつにしたいからです
どんな名著や名画でもはじめにあらすじや山場を知っていたら面白さは激減するでしょう
インターネットを頼らない旅には味わい深い楽しさがあります

お金もなるべく使いません
レストランにはめったに入りませんし、スーパーで買い物をするときも値段を吟味します
名所旧跡を訪ねても入場料のかかるところへはほとんど入りません
なるべく自分の手足と頭を使って興味深いところを見て歩くようにします

それがどんなものかこのブログで紹介できたらいいなと思います

12:48
スーパーで買い出しをして、眺めのいい日陰で昼食にしました
目の前をドナウがゆったりと流れ、その向こうに時折列車が走って行きます

13:07
再び走り出すと前方に排気塔が見えます
グンドレミンゲン原子力発電所です
2021年まで運転予定の一基だけから湯気があがっています
ドイツの原発は2022年までにすべて運転停止し、その後廃炉することが決まっています

13:39
原発とバイオガス・プラントのツーショット
屋外に積み上げられた燃料?からの臭いが強烈でした

13:56
石材工場の前を通るとどこかで見たような石像がありました
レーニンですね

知らない人たちと並んでいます
積み上げられた石材むこうにはスターリンの立像も見えます
なぜこんなものがここに?

ここで働いている人にドミニクが聞いてみました
ベルリンの壁の崩壊後に旧社会主義諸国にあった革命の英雄の像が二束三文で売りに出ました
いい仕事の像なのにもったいないとこの工場の経営者がを買い集めてここに置いたそうです

これはエルンスト・テールマンというひとの像

ところでいまの気温は日陰で摂氏30度を超えているそうです

14:20
スポーツ店と薬屋を探しに小さな町に立ち寄りました
観光客どころか土地の人もちらほらのしずかな町です
クンデルフィンゲンにて
ドミニクが虫刺されに効く飲み薬とストーブ用のガスボンベを買うためです
薬は買えましたがボンベはありませんでした
そのかわりスポーツ用品店の人が快く飲み水をくれました

14:58
自転車道はときおりふつうの町の中をとおります
ラウインゲンの通り
15:30
ディリンゲンのキャンプ場に着きました
まずテントをたて、スーパーへ買い出しに行きます
キャンプ場にもどりビールを飲みながら、しばらくドミニクとバカ話をします
それから夕食を作ります
今夜はソーセージとザワークラフトです
ドミニクは、冬の料理なのにこんなに暑い日に食べるなんて、とぼやいています
蒸し暑い夏の夕方にふうふう言いながら寄せ鍋を食べる感じでしょうか

19:48
まずソーセージを茹でます

20:11
ザワークラウトと一緒に盛り付けてできあがり

ワインを飲みながら食べました
ソーセージが少し辛すぎてザワークラフトには合わないようです

21:30 就寝

<走行距離> 60km(累計 313㎞)
<出費> 45€(食料(ワイン込み)16€、キャンプ 10€、ビール 3€、累計 241€)
<Donauキャンプ場の評価> △(車の騒音、施設の整備、サービスなどちょっとづつ気に入らない)



6月4日
8:19 出発
ディリンゲンのキャンプ場で出発の準備をしているところです
あわただしさは無くみなさん普通にあれこれと動きます

9:09
ルネサンス様式の軽やかな外観をしたホーホシュタット城の下を通ります
じつにきれいに修復されています
ばっちり逆光ですね

10:04
なんだかユーモラスな像がブリントハイムの教会の空の泉にありました
この北西の原では1704年にスペイン継承戦争の戦いがあり数万人が亡くなったそうです

10:17
ホーホシュタットからルートを間違えました
正しいルートに戻りグレムハイムで右岸(南側)に渡ります

11:13
ドナウヴェルトの手前でまた左岸(北側)に渡り返します

12:07
ロマンティック街道の町、ドナウヴェルトに着きました
この歴史のある古い町にはエアバスの大きなヘリコプター工場があります
リーダー門
街中の観光案内所でこの先にあるキャンプ場の場所を教えてもらいました
ドナウヴェルトの町並み
13:00 昼食
ドナウヴェルトの公園でスペイン人夫婦とピクニックしました

15:08
ドナウヴェルトから上り下りの多い道を走りライトハイムの古城ホテルに着きました
ライトハイム城のホテルから ドナウが森のあいだに少し見えます
通りがかった古城ホテルの従業員にドミニクが宿泊料を尋ねてみました
数百ユーロとのことでしたのでわたしたちは予定通りキャンプ場に泊まることにしました
ライトハイム城のホテル
15:37
キャンプ場があるというマルクスハイムへ向かいます

観光案内所でキャンプ場だと教えられた所へ行ったところ、そこはレストランでした
インターネットで調べた情報が誤っていたのです
この先キャンプ場は20㎞以上行ったノイブルクまでありません
行くしかありませんね

16:02
おやおやこんなところに突然日本語で「ロマンティック街道」と併記された標識があります

16:32
道がわかりにくいので地図を見て確かめます

17:32
ドナウの堤防工事のため脇の山の上の迂回路を走る羽目になりました
脇の山の上から
17:45
ようやくノイブルクの町が見えました

18:00
エリーゼン橋の上で通りがかりの人が声をかけてくれキャンプ場の場所を教えてくれました
ノイブルクのエリーゼン橋
ルート探し
きょうは何度もルート探しをしました
ふつうは道路わきにある標識に注意してその矢印どおりに行けばルートは分かります
たとえばこういう標識です

このようにポツンと立っていれば明白です
ところが建て込んだ家の壁に矢印のパネルが張ってあるだけということもしばしばあります
見逃した標識が直進ならばいいですが曲がる矢印だったら明後日の方向へ行ってしまいます
ルートを外すと道沿いの様子が段々あやしくなり、これはおかしいと気づきます
そして正しいルートまで戻らなければなりません

二人で走っていると単独で走っている時よりも標識の見落とし回数はぐっと少なくなります
それでも分かりにくい場所は必ずあり、また一瞬注意力が散漫になることも避けられません
誰のせいでもないですから、こんなときは笑って正しいルートをたどることにします

場合によっては標識がなかったためにルートを外してしまうこともあります
標識が取り付けてあった建物が取り壊しになったり、誰かがいたずらして標識を外したり
して

ルート上の工事で遠回りに迂回させられることがよくあります
それがひどいデコボコ道だったり、急な坂の道だったりすることも間々あります
なので「Umleitung(迂回路)」という標識に出くわすと、反射的にいやだなと思います

なにかの理由で現在位置が分からくなったときは、なるべく早く土地の人を見つけます
そして現在位置を確かめて正しいルートへもどる道を尋ねます
ほとんどの人は親切に道を教えてくれるので、スマホを出さなくても問題は解決します

ドミニクはルートを探すのが上手です
標識はほとんど見逃さないし、道を人に聞くのも自然にできます
そうはいっても疲れてくるとルートをミスすることもあります
そのミスで思わぬいい景色へと導かれることもあり、また親切な人の出会いにもつながります

18:30 到着
だいぶくたびれてドナウ川に面したボートハウスのキャンプ場に到着しました

20:00 夕食
サラダに鯖の缶詰、ポテチップにパンにワインとおかしな取り合わせの夕食になりました

21:00 就寝

<走行距離> 84km(累計 397㎞)
<出費> 26€(食料(ワイン込み)12€、キャンプ 11€、ビール 3€、累計 267€)
<Ruderclubキャンプ場の評価> △(芝生伸び放題、シャワー・トイレの清掃いまいち)



6月5日
8:30
ノイブルクのキャンプ場を出発して、街中の城へ行きます

ドイツ語でノイは新しい、ブルクは城ですから、ノイブルクは「新しい城」です
きれいに修復されていてたしかに新しく見えます
建てられたのはいまから500年以上前の1504年です

城に入り、左側の古い木の扉を開けると中が教会になっていました
地味な扉から入り見上げる荘厳な天井画が印象的です

中庭のイタリア・ルネサンス風のバルコニーが朝日を受けています
この中庭でこれまでどんなことがあったのでしょう

城壁に囲まれた街中の家々はどれもみな個性的です
同じ形や色の家は一つもないようです

中世の城塞都市を歩いている実感がします

9:09
真っ直ぐで真っ平な道を東へ向かって行きます

11:45
インゴルシュタットに着きました
フランケンシュタインはこの町の大学で製造されました
この町にはまたアウディの本社と工場があり、そこらじゅうに出来立て?が走っています
我らの淑女教会
15:39
「迂回路」をたどっているうちに現在位置が分からなくなりました
ドミニクが地図を見ていると庭仕事をしていたおじさんが道路を渡ってやって来ました
行き先を丁寧に教えてくれます

15:48
別にきたないわけではないでしょうが池の水はたいてい濁っています
そういう池で泳いでいる人をよく見かけます
この池でも泳いでいました
暑いのでたしかに泳ぎたくなりますけど、この池ではちょっと...

16:10
このあたりではドナウの流れが分岐しているのでおとなしい感じです
遠くの雲の形がひと雨来そうな感じ
ザーッと降ってすこし涼しくなるといいんだけど

ドナウの川の水は美しくも青くもなくて自転車乗りの影が映っています

17:00
ノイシュタットの町はずれにあるキャンプ場に着きました
ここの設備はびっくりするほどきれいです
キャンプ場の受付
キッチン・シャワー・トイレ棟
料理スペース

シャワールーム
トイレ大
トイレ小
手洗い場
西日をまともに浴びてのどが渇き、ビールを二本飲んでしまいました

テントサイトのよもやま話し
この晩になんでそういう話しになったのか覚えていません

ドミニクに私はいいました
「日本に来たら文化のちがいにびっくりして面白いよ」

するとドミニクはいいました
「日本へ行くなんて怖くてできない」

このこたえは意外でした
好奇心の旺盛な彼ならきっと文化のちがいにも興味があるだろうと思っていたからです
なんで怖いのか聞いてみました

ドミニクはいいました
「日本人が家の中で靴を脱ぐことは知っている
例えば自分がうっかり靴を履いたまま日本人の家の中に入ってしまったらどうなるだろう
その家の人は私のことをひどく𠮟るかもしれない
そんな失敗をしてしまうのではないかと考えるととても怖くて日本へなんか行けない」

私はいいました
「それは単なる習慣の違いが原因なんだから、そんなことで叱る日本人はいないよ」

ドミニクはさらにいいました
「日本人はふとんで寝るんだろう?
だけど自分はふとんで寝たことがない
ふとんは毎朝片付けるんだろう?
だけど自分はいったいどうやってふとんを片付けるのかしらない
寝袋をしまうときみたいにぐるぐる巻くのか?」

ぐるぐる巻きにされたふとんの脇に立つドミニクの姿が頭に浮び私は大笑いしてしまいました

ドミニクは、これだから行きたくないんだ、という顔をしていました

21:00 就寝

<走行距離> 81km(累計 478㎞)
<出費> 28€(食料 12€、キャンプ 13€、ビール 3€、累計 295€)
Felbermühleキャンプ場の評価> ◎(施設設備が素晴らしく、ビール安くてうまい!)



6月6日
8:20 出発
朝からいい方向の風が吹いています

8:45

道端にRömerkastell Abusinaというローマ軍のキャンプ跡がありました

2000年近く前のもので基礎しか残っていません

9:22
ドナウの谷が狭まってヴェルテンブルク修道院のあるゴルジュの入り口に着きました
車のスピーカーから賑やかな歌が鳴り響き対岸から続々と人が渡ってきます
カトリック信者の行進だそうです

到着した人々は救急車のところでマメの治療をしたり、修道院のビールを飲んだりしています
まだ朝なのでわたしはぐっとこらえます
蚊が猛烈に襲来してきてじっとしていられません

修道院のビールというのは初耳です
1050年から作っていて、ここはビール好きの聖地だそうです
また飲みたくなってきました

修道院の角に洪水の高さの記録がありました
一番最近は2013年6月で背の高さを越えています
ドミニクが初めてここを走った年です

10:02
10:30の船をここで待ちます

今は川幅一杯に水が流れていますが、昨秋は河原が歩けるほどで船も通れなかったそうです

10:31
出発した船は濃緑の水面を滑るように下り修道院の建物があっという間に小さくなりました

10:38
ゴルジュのとりわけ狭いところへ入っていきます

動画で観光船の案内が聞けますよ

河岸段丘のうえに大きな建物が見えました
ドイツがナポレオンの支配から解放されたことを記念して建てられたお堂だそうです
解放記念堂
11:02
30分ほどの乗船でケールハイムに着きました
この町でマイン運河がドナウに合流します
1992年にこの運河が完成して北海と黒海の水運が可能になりました
マイン・ドナウ運河

12:23
川岸の道の完成を記念して1794年に建てられた記念碑

12:45
バド・アプバッハという温泉治療で有名な街の公園のベンチで昼ご飯を食べました
公園の背後には病院が建っていて、目の前をいろいろな人が行き来します
人に付き添われてゆっくりと歩いている人
花束をかかえて忙し気に通り過ぎる人
詳しい事情は一切わかりませんが人生はどこでもいろいろだという思いがします

14:45
砂利道の右岸土手をしばらく走りレーゲンスブルクのキャンプ場に着きました
やれやれ今日は泊り場に早く着いた、明日は休養日だ、とほっとしたところ
ドミニクが自転車が壊れたといっています

これはいけません
後輪のリムがふくらみブレーキが効かなくなっています
ドミニクが今日途中で、何か自転車から音がする、といっていたのはこれでした

自転車の長旅ではこのようなトラブルは必ず起きます
それへの対処のしかたが旅の行方を左右します
さて明日どうする

19:30 夕食
ベーコン玉子、カップ麺、パン、ワイン

21:00 就寝

<走行距離> 53km(累計 531㎞)
<出費> 37€(食料 9€、キャンプ 18€、フェリー 10€、累計 332€)
<Azurキャンプ場の評価> 〇(場所と設備はいいが、料金が高い)



6月7日
7:00 起床
今日は休養日なのでいつもより1時間ゆっくりと起きました

7:10 朝食
朝ご飯はいつものように食べました

8:30 洗濯
ドミニクは自転車を修理にだすためにレーゲンスブルクの市内へ行きました
キャンプ場に残るわたしはそのあいだに彼の分も一緒に洗濯します
こうすれば洗濯代(10.5€)を半額にできます

キャンプ場の事務所で洗濯機と乾燥機のトークンと洗剤を買います
そこの人によると洗濯には一回2時間かかるとのこと
いつも家でやっている3倍かかりますがしかたありません

洗濯場には洗濯機が二台ありますが、そのうち一台は故障していました
動く一台は使用中で、その機械の表示によると終わるまであと1時間以上かかります
その洗濯機の上に洗濯物を載せ、表で本(レ・ミゼラブル)を読みながら待つことにします

いま洗濯機を使っている女の人が何度も様子を見に来ます
永遠に終わらないような気がする、といっていました

10:20
ようやく前の人が終わったので、洗濯機に衣類と洗剤を投げ込んでスタートさせました
これから洗濯が終わるまでの2時間でレーゲンスブルクの市内を見物に行きます

まず石橋へ行きました
この橋を見てみたいと思っていました
Steinerne Brücke
きれいで新しいように見えますが最初に作られたのは12世紀です
十字軍はこの橋を渡ってエルサレムへ向かったそうです
当時ドナウのような大河に橋を架けるのが難しかったことは想像にかたくありません

プラハの街中を流れるモルダウ川にこれと似たカレル橋という橋がかかっているそうです
その橋が作られたのは15世紀の始めです
レーゲンスブルクのマイスターたちが中心になって完成させたとのこと
石橋から上流のながめ
石橋のすぐ南側に大聖堂があります

中にはたくさんの観光客がいます
So beautiful...という女性のつぶやき声が聞こえてきます
豪壮ではあるけれど淡白なつくりだと思いました

つぎにドミニクに薦められた聖エメラム修道院へ行ってみます
すばらしい内部装飾です
見に来ているのはわたしのほかは地味な老婦人一人でした

彫像の明るい表情が印象的でした

12:30
昼ご飯をスーパーで買い、キャンプ場に戻って洗濯の終わった衣類を乾燥機に入れました
テントへ行くとドミニクがピクニックテーブルで昼食を食べていました
めずらしくワインをつけて休み気分を出しています

自転車店に修理を頼んでくるのに歩いて往復2時間かかった、とぼやいてます
このカンカン照りの下を歩いてきてきつかったでしょう
街で人に聞いて自転車店をみつけたとのこと

今日は週末前の金曜日のため自転車店は忙しく、今日中に修理が終わるかかわからない
午後にまた自転車店へ行き修理が終わっていれば持って帰ってくる、といっています
明日出発できるかはその時まで分かりません

14:00 
ドミニクは日盛りのもと、また自転車店へ歩いて行きました
わたしはまぶたが重くなってきたので昼寝します

14:30
目が覚めたのでたまっていた日記を書ました
木陰で涼しい風に吹かれながらぼんやりと旅を振り返るのは楽しいことです
と、ウルムで別れたフランス人夫婦がやって来ました
だいぶ疲れている様子で、ドミニクの自転車トラブルのことを話してもうわの空です

16:30
ドミニクと待ち合わせた大聖堂の前の広場にふたたびきました

先に着いていたドミニクがニコニコ顔で修理が終わった自転車を押して来ます
160€で後輪リムの交換修理がすっかりできたとのこと

自転車を広場の片隅にしっかりとカギをつけて駐輪し
さてこれから今日二度目のレーゲンスブルク見物です

ドミニクとはこれまで3年にわたってあちこちの町を一緒に見て歩いています
そして思うのは、この人はなんと町を歩くのが上手なのだろう、ということです
わたしは今朝この町に来て、ひととおりは見た気になり、それなりの印象をもっていました
それが今こうして再びふらふらと彼と一緒に歩きだすと町の様子が違って見えるのです

もっと立体的で、

もっとカラフルで、

つまりいきいきと脳裏に焼き付いてくるのです

それがなぜかは分からなくてもそのことをとてもありがたく思います

ふたたび石橋に、こんどはそのたもとにやって来ました

下をくぐって

反対側に出ると何やらいい匂いがします
キッチンをのぞくとソーセージをジュージューと焼いていました

ここは1340年開業のドイツで一番古いソーセージ専門店だそうです
通りから見ると壁にしか見えません

さらにほそい路地を入っていくと

歩いている人まで中世しています

そうだよね

あとはもう

百聞は一見にしかずですよ

19:30 夕食
あのソーセージ専門店に励まされ、スーパーでホワイト・バジル・ソーセージを買いました
キャンプ場でそれを焼き、冷たいビールを飲みながら食べました
あとはまたドミニクとよもやま話です

21:30 就寝

<走行距離> 16km(累計 547㎞)
<出費> 37€(食料 7€、ビール代 2€、キャンプ 18€、洗濯代 5€、累計 364€)

<Azurキャンプ場の評価> 〇(場所と設備はいいが、料金が高い)




6月8日
6:30 起床
昨夜は大風が吹いて木の葉や小枝がテントに落ちてきました
外に出てみると風は収まっていて空は雲におおわれています
ひさしぶりに肌寒い朝です

8:20 出発
ドミニクは一晩寝てきのうの疲れがとれたようです
「よし!」(私がドミニクに教えた数少ない日本語のひとつ)と元気よく出発!

石橋からドナウ川に沿って追い風に押されながら快調に走ります
10kmも走るとパルテノン神殿のような建物が左手の丘のうえに見えます

ヴァルハラ神殿というその建物の前からドナウの流れがよく見えます


建物の中には大理石で造られたヨーロッパの偉人たちの彫像が並んでいます
右端はアインシュタインかな
入場料を払って入ったわりに内部は大したことはありません

すこし川筋を離れて走っているとパン屋が開いていたので昼食を買いました

このあたりは昔ドナウが蛇行していた沼沢地で土手の上を走っていても流れが見えません
昼ご飯を食べている時、船がゆっくり草の間を横切って行ったので、川の位置が分かりました
草原をゆく列車のようにも見えます

ドナウの南側に張り出した中洲にある町、ストラウビンに立ち寄ります
どの町もたいてい歴史というものがあります
それにしてもこの町の歴史はとても古く、人が住み始めたのは新石器時代です
人類はおよそ1万年前から定住生活を始めたといいますからここは地球最古級の住宅地です

土曜の午後ののんびりした目抜き通りを走り抜けました
Theresienplatz
Holy trinity column

Stadtturm tower
14:00
ストラウビンの町を抜けてドナウを左岸(北側)に渡り返し、土手沿いを走ります

16:00 
朝からの走行距離が80㎞近くなってきました
そろそろ本日のリミットです
道端にサインの出ているヴァルテンドルフのキャンプ場で泊まることにします
写真のとおりじつに何もない麦畑のすぐ脇のテントサイトです

19:48 夕食
今夜は白身魚のフライにグリンピースと人参の水煮、パン、それにワインです

自転車に乗った縄文人
きょうの昼過ぎにストラウビンという町をとおりました
今から1万年ほど前の新石器時代から人が住み始めたところです
新石器時代は日本では縄文時代の中頃にあたります

それまで人類は食料を求めてあちこちへと移動する生活を400万年ほども続けていました
このような生活スタイルを遊動生活といいます
それがおよそ1万年前の氷河期の終りとともに困難になったのです
地球が温暖化して大型の獣が減少したためです
反面、農耕や漁撈が可能な土地が広がったことで定住生活の条件が整ってきました
人類の長い歴史からみれば定住生活が始まったのはついこの間のことなのです
(『人類史のなかの定住革命』西田正規)

ところでなぜ自転車旅が楽しいのか、自分でもよくわからないでいました
ともかく楽しいのだから、理由が分からなくても差しさわりはありません
それでも、なんでこんなに楽しいのだろう、と時々ふしぎに思っていました
上の本を読んで、遊動生活にそのヒントがあると思いました

人類が長いあいだ営んでいた遊動生活とはいったいどのようなものだったのでしょうか
ざっくりといえばこういうことになると思います

人は獲物の豊富なところを目指してときおり移動をしていました
生活に必要な最低限のものしか携えていなかったはずです
空腹になると獲物をとり、渇きをいやす水を探して飲んでいました
夜を安全に過ごすためにさまざまな注意を払い病気になったときは薬草を使ってなおしました

もちろんすべてが完璧にはいかなかったと思います
それでも遊動生活に必要な知識を蓄え、持てる能力を駆使して暮らしていたでしょう
その生活は厳しくも充実したものだったに違いありません
でなければ幾度もの氷河期を乗り越えながら長い間生き続けられなかったはずだからです

そして思ったのがこの自転車旅です
自転車旅はわたしたちの祖先の遊動生活ととてもよく似ているのです

自転車旅では毎朝どこかへ向けて走り出します
走る時には自動車や道の間違い、天候の急変などに注意します
自転車のほかにはテントや炊事用具、衣類など最小限のものしか携行していません
途中で食べたいものをスーパーで買ったり、噴水や墓地で水を補給しながら走ります
日が傾く前にキャンプ場に着き、夜を過ごしやすい場所にテントを張ります
簡素な夕食をとったあとは昼間一日走った疲れですぐに眠くなります

このように遊動生活と自転車旅の生活スタイルはかなり重なり合っています
そこで縄文人の末裔であるわたしは自転車をこぎながら次のように思い至ったのでした

自転車旅はかつて人類が長いことやっていた遊動生活をいまに再現する営みだから楽しい!

21:20 就寝

<走行距離> 82km(累計 613㎞)
<出費> 27€(食料代 9€、キャンプ代 10€、入場料 4.5€、ビール代 1.5€ 累計 359€)
<Waltendorfキャンプ場の評価> 〇(料金とビールは安い、施設設備はさっぱり)



6月9日
6:00 起床
日陰のまったくないキャンプ場に朝日がまともに照りつけてきます
おかげで早く目が覚めました
肌寒いのは昨日と同じです

6:20 朝食
今日は日曜日で食料が手に入らないなあなどとぼやきながら、ほんの気持ち少なめに食べます

8:10 出発
ここまで10日間走っているあいだ、必ず自転車のどこからか小さな音がしていました
その発生源はブレーキだったり、フェンダーだったり、どこかわからなかったり
今朝ブレーキを調整して、ようやくどこからも異音の出ない自転車になりました

走り出して10分ほどでもう暑くてたまらず薄着になります

今日はパッサウまで80㎞近く走る予定です
暑くならないうちに距離を稼ごうと、いつもより少しだけスピードを出して走ります
それでも時速25㎞には届きません
時速30㎞はとうてい出せません

9:30 デッゲンドルフ
ここまでオーバーペースながら快調に来ました
ここから迂回路の砂利道が多くなりハイペースは無理になりました
おまけに昨日までの追い風から一転して向かい風です
景色はいいんですが風が...

迂回の原因はドナウの堤防修理です
仕方がない
それもようやくホーフキルヒェあたりで終わりました
第一次世界大戦で亡くなった人達の慰霊碑
12:20 ヴィンドルフ
あまりいい場所ではありませんが昼食にします
強い日射と高温でとてもくたびれました
ベンチで座ったまますこしウトウト居眠りします

今日の目的地パッサウまであと20㎞です
気持ちをしゃんとさせてまた出発します

14:15 カヒレット・ダム
レンガ造りの大きな水力発電所の脇をとおって南岸へ渡ります
Kachlet dam
14:45 パッサウ
きつい走りの1日でしたが無事パッサウに着きました
ドミニクは先にテント場へ行くというので、ひとりで街中を見て歩きます
市役所前広場
対岸の崖の上にそびえるオーバーハウス要塞
レジデンツプラッツ
パッサウ大聖堂
大聖堂の中の息をのむような美しさに、目が回りそうです




パイプが一万八千本ある世界最大の教会オルガンだそうです
一昨日見てまわったレーゲンスブルクは、かつて東方への商業の拠点でした
このパッサウは東方への防備と布教の重要な拠点でした
15世紀にウィーンが勃興すると、二つの町は政治経済文化の中心をそちらに譲り渡たしました

パッサウで支流がふたつドナウに流れ込みます
北からイルツ川、南からはイン川です
ドナウに合流するイン川(向こう側)
パッサウからはウィーンやブダペストに向けてたくさん船便が出ています
イン川の合流点から方向転換して下流へと向かう船が見えました

16:30 パッサウのキャンプ場
イルツ川に面した静かなキャンプ場に着きました

ドミニクはもうテントを張ってシャワーも浴びています
街中のパン屋で買ったクロワッサンを渡すと、ありがとう、といってすぐ食べてました
わたしもシャワーを浴びてビールを飲みました
夕飯にはまだ早いのでイルツ川をながめながらドミニクとまたお話しです

テントサイトのよもやま話 その2
なんでこういう話になったのかさっぱり覚えていません

ドミニクがまだ若かったころ妻のマリーポールと北モロッコへ山旅に行ったそうです
標高が3,000メートルをこえる山々をひと月かけて歩く長旅です

出発地でロバを買い、それに荷物を載せて歩くのが通例だそうです
ドミニク達もそうすることにして、若くて元気そうなロバを買いました
鳴き声は少々頼りなげですが腹がポーンと張っています

蹄鉄をつけてもらい、いよいよ出発です
歩き出すと間もなくロバがおならをし始めました
おならをするのは不思議ではありませんがずいぶん頻繁です
様子に注意しながら歩いて行きました

それからもロバは歩きながらおならをしました
ふと見るとポーンと張っていた腹がへこんでいるように見えます
おならはその後も続きとうとうロバの腹はぺしゃんこになってしまいました
腹を膨らませていたガスがおならですっかり抜けてしまったのです

ロバはやせて一気にひ弱になりました
それでもせっかく買ったロバですから荷物を運ばせなくてはなりません

山にさしかかると岩石がむき出しの道になります
そのロバは蹄鉄をつけて歩くのが初めてでした
岩の上に乗ると足が滑るのでびくびくしています
そのうち慣れるだろうと期待しながらドミニクはロバの手綱を引いていました

その矢先、ロバは下り坂で思いきり前足を滑らせて転倒してしてしまいました
ロバは倒れたまま一段と頼りなげな鳴き声をあげています
顔面をしたたか地面にぶつけて前歯が一本折れてしまいました
かわいそうやら、おかしいやら、ドミニク達はもう泣きたい気分です

無理はさせられないとロバに載せた荷物を少しおろし、二人で分けて背負うことにしました
すると身軽になったロバは道草を食いはじめました
ドミニクが手綱を引っ張ても容易に動こうとしません
これではにっちもさっちも行きません

思案した末、マリーポールが背中にまぐさをゆわえつけロバの前を歩くことにしました
ロバはそのまぐさにつられて前へ前へと進むという仕掛けです
これはそこそこ上手くいき、前よりも早く進めるようになりました

それにしても、と二人はまた考えました
こうまでしてロバを連れて歩く必要はあるだろうか......

二人はバカバカしくなって、村で見かけた子供たちにそのロバをあげてしまったとさ

******************************************

話の途中からわたしは笑いが止まらくなってしまいました
話が終わったあともドミニクがロバの鳴き声を何度もまねします
そのたびにまたおかしくなって笑いが止まりません
小さなキャンプ場にロバの鳴きまねとバカ笑いがしばらくこだましていたようです
私たちのテントの前を皆さんが通り過ぎる時、含み笑いがその顔に浮かんでいました

19:00 夕食
ピザ、トマト、ゆで卵サラダ、ビール

21:00 就寝

<走行距離> 82km(累計 695㎞)
<出費> 20€(食料代 8€、キャンプ代 9.5€、ビール代 2.5€ 累計 379€)

<Passauキャンプ場の評価> ◎(場所が良く静か、施設設備良く、スタッフ感じ良し)



6月10日
6:00 起床
昨日の走りはくたびれました
迂回路の多い道を、暑くて向かい風の中、急いで走ったためでした
走りがたいへんになる条件がいろいろ重なりました
これに上り坂が加わっていたらほぼ完ぺきです

あまりくたびれると町を見物する余裕もなくなります
もっとゆっくりしたペースで走った方がいいとドミニクもいっていました
そこで今日は早く出発してのんびり走れるように、ほんの少し早く起きました

6:30 朝食
いよいよ食料が乏しくなってきて朝はパン、バター、ジャム、紅茶ですませます
ドミニクはいつもこの程度ですが、わたしはこれではちょっと物足りない
今日は3連休の最後の日で買い出しができないのでちょっと困ります

8:00 出発
ここはシンプルなこぢんまりしたキャンプ場で居心地がよかった
ありがとうという気持ちで写真をとりました

パッサウからはドナウの両岸に自転車道がついています
ドミニクが左岸の方が交通量が少なく静かだというのでそちらを行きます
行って見るとたしかにそのとおりです
車の量が多いか少ないかで自転車旅の印象はずいぶん変わります
人魚姫はこちらでよく見かけるモチーフです
10:07
手前がドイツ側で、小さな橋の向こうからオーストリアです

10:35
すこし雲行きがあやしくなって雨がパラパラ降ってきました

11:02
ドナウの三つ目のゴルジュが始まるアウの渡船場に着きました
ちょうど船が出るところでした
対岸まで200mほどであっという間についてしまいます
1€で100mは高いとドミニクがぼやいています

12:01
昼になったので川端のテラスで食事することにしました
レストランで昼食するのは二人にとってとてもとても珍しいことです

ドミニクはハム、チーズ、タマゴの入ったシェフサラダ
わたしはクヌーデル入りのハウスサラダ
ビールもつけてバカンス気分です!

クヌーデルはミニハンバークのように見えますがジャガイモの団子でビールに合います

12:56
ゴルジュの両岸に山が迫っています
斜面の針葉樹がところどころ茶色く立ち枯れています
ドミニクが2013年に来た時には見なかったということです

13:10
ホンダのエンジンをつけた小さなレジャーボートに乗っている人がいました
こういう動力がまだなかった時代には船につけた縄を陸から引っ張って遡行したのでした
自転車道から川面までは1mと離れていません
つまりこの自転車道はその昔は船を上流へと引っ張る道だったのです

14:28
ゴルジュを抜け、ある街に入るとベンチの脇にこんなものがありました
これは産制具ではなく自転車のチューブの自動販売機です
ロードバイク、ツーリングバイク、マウンテンバイクなどいろんなタイヤに合うのがあります
となりにちゃんと工具も備え付けられています

ドミニクはオーストリアの自転車道は舗装がきれいだといいます
たしかにフラットでとても走りやすい路面です
そしてこのチューブ自動販売機
自転車の存在価値の大きさが分かります

16:00
左岸沿いの道をずいぶん走り、くたびれてオッテンスハイムの町に着きました
町はずれの小川の脇に10張ほどしかテントが張れない小さなキャンプ場があります
その小川はちょっと見るとドブ川のようですが女の人が泳いでいます
ドミニクが尋ねたところ、透明度はいまひとつだけど水質はいいそう

19:00 夕食
キャンプ場で買ったビール2本を飲みながらスライスチーズ、サラミ、中華麺を食べました

就寝

<走行距離> 88km(累計 783㎞)
<出費> 29€(昼食代 10€、渡船代 2€、キャンプ代 10.5€、ビール代 6.5€ 累計 408€)

<Hofmuhleキャンプ場の評価> △(場所や施設がいまひとつ、ビールが高い



6月11日
オッテンスハイムのキャンプ場
7:00 起床
今日のコースはいつもより短い予定なのでゆっくりと起きました
天気は良くなく今にも雨が降り出しそうです
ドミニクはもう雨具を着て、荷物に防水カバーをつけています

8:00 朝食
キャンプ場から1㎞ほどのところにスーパーがあって朝早くから開店していました
朝食を買いドナウの川端の公園で食べることにしました

公園のベンチから眺めていると鋼鉄製の渡船が音もなく両岸を行き来しています
空中のワイヤに滑車でつながっているので下流に流されることはありません
それにしてもどうやって動くのかな?
これは川の流れを横向きの動力に変換して進む1964年製のフェリーです
古くても使えるものは使う、真っ当な考え方だと思います

ドナウの上にハングしたすごくきれいな自転車道を行くと遠くにリンツの尖塔が見えます
「この道路はEUの資金で建設されたんだ。つまりオレが払った税金が使われているんだ」
と問わず語りに解説している人が近くにいます

9:21
ドナウに臨むオーストリア第三の都市リンツ

9:26
川沿いの自転車道を伝ってあっという間に町の中心まできました
新市庁舎
ニーベルンゲン橋から東をのぞむ
にぎやかな市街
裏通りはまだ静か


11:50
対岸にリンツのコンビナートを眺めながら左岸沿いの自転車道を行きます

12:19
急な坂を自転車を押して登ります
とても蒸し暑くて後ろの日本人は上半身裸です

12:30
マウトハウゼン強制収容所に着きました
アシスト自転車に乗った人がたくさんきています

12:39
一時間の予定で見学をはじめました
入口

バラック

洗面所

トイレ

焼却炉

ガス室

「死の階段」を見下ろす
1938年8月から1945年5月5日のマウトハウゼン強制収容所での死者数は122,766人から320,000人(ウィキペディア)

見学を終えて、ここは殺人工場だったと実感しました
ここには生きていた人の痕跡がありません
所持品は取り上げられ、毛髪や臓器まで取り去られ、ただ殺されてしまいました
人として扱われず思いはすべて消し去られています

こういう過ちを人間は歴史の中で繰り返してきました
いまも大なり小なり同様のことが地球上で起っています
人間は何かの拍子にこうして集団で狂気にかられる生き物です
まずはそのような拍子へと至らないようにしましょう
もしそのような拍子を見つけたら手遅れにならないうちに抜き取りましょう

14:00
すっかり遅くなって駐輪場に戻るとドミニクはパンを食べながら私を待っていました
収容所の丘の上から一気のダウンヒルでドナウにもどりふたたび自転車道を走ります
昼食をどこでどう食べたのか覚えていません

17:58
アウのキャンプ場に着いてテントを張り、まずビールを飲みました

18:47
今夜はコロンボ警部の好物、チリコンカーンです
まずフライパンを熱して

牛ひき肉をよく炒めます

水煮のビーンズを加えてさらに炒めます

チリコンカーンの素を加えて

よくまぜながら炒めればできあがり

19:19
いただきます!(ドミニクが覚えた数少ない日本語その2)

22:00 就寝

<走行距離> 54km(累計 837㎞)
<出費> 36€(食料代 18.5€、キャンプ代 13.5€、ビール代 4€ 累計 444€)

<Auキャンプ場の評価> 〇(場所や施設は良いが、キャンプ代とビール代が高い



6月12日
6:00 起床
今日も天気がいいようです
キャンプ場の上に青空が広がりポプラの梢が風に吹かれています
それを写真に撮ろうとしたらジャマが入りました

隣のテントはフランス人のリタイヤ夫婦でずっと海外自転車旅をしているとのこと
これまでに行ったところはタイ、ラオス、ベトナム、チリ、ペルーなど
ドミニクはあとでタイやラオスあたりのことをメールで教えてくれるよう頼んでいました
だんなさんはよく話し、おくさんはもの静かなのが印象的でした

8:00 出発
今日は70㎞ほど走る予定で出発しました
これはわたしたちの平均的な一日の走行距離です
今日は向かい風のようですから少しきついでしょう

左岸土手に出ると案の定向かい風でした
わたしが先行してしばらく走っていると他のサイクリストがわたしの前に出ました
それと同時にドミニクが「アレジ!、アレジ!」といいます
わたしは何のことか分からずポカンとしてました
するとドミニクがわたしの前に出てそのサイクリストの後ろにピタリとつけました

やっと分かりました
向かい風が強いのでみんなで交代しながら走ろう、ということでした
先頭が風除けになり、後続が楽をする仕組みです
しばらくすると今度はドミニクが先頭に出てみんなを引っ張りました
5分ぐらいでわたしも先頭に出て走りました

その集団走行は30分ほどで終わりました
ダムを渡るところでわたしたちは小休止、向こうはそのまま行くからです
さようならの挨拶も走ったままであっさりしたものです

ヴァルゼー・ミッテルキルヘンのダムを渡ります

10:35
ダムからしばらくすごい田舎道を走りました
Tiefenbach橋からグラインの町が見えます

10:55
ボーっとするぐらいの暑さの中を町を見て歩きます
役場前広場
 目つきの良くない人はいないので自転車は役場の前にカギをしないで置いていきます
役場
教会の前に温度計がありました
日陰で32℃あります!
教会に入って涼みました
石造りの建物は涼しいですね
教会
11:11
おだやかに見える流れですが半世紀前まではここはドナウ一番の難所だったのですよ
岩山が両岸にせまり、川床には大きな岩がごろごろしていて難破船が続出したそうです
流れを遡っていく船は自転車より遅いスピードに見えます
城からの眺め
11:57
Tiefenbach橋まで戻り、対岸に渡って右岸沿いに走ります
こちら側の方が日影が多く少し楽です


少し下流に下ったところで昼食にします
流れのすぐ脇でいい眺めです
対岸にも自転車道がありますが自動車の交通量が多くカンカン照りです
こういうちょっとした違いで旅の印象はがらっと変わるものです

12:12
今日の昼ご飯です
サラダ、ソーセージ、リンゴ、ヨーグルト、水
チーズ、パン
12:50
のんびりと昼食を終えてまた走ります
キャンプ場のあるペヒラルンまで36㎞です
2時間半ほどで着くでしょう

15:31
猛烈な暑さのなかイップスを過ぎようやく先が見えました

15:55
ペヒラルンのすこし手前で小さな流れがドナウに注いでいます
ここに最初のキャンプ場がありました
ドミニクはここには泊まらないといいます
なぜなのか聞きました
「少し行った町中にキャンプ場があるからここには泊まらない
ここは買い物するのに町中まで往復する必要がある
明朝も町中にくらべ少し遠くから出発することになる」
いささか大袈裟ですが一応ごもっともな話ではあります

1㎞走って町中のスーパーまで来ました
夕食の買い出しをして町中のキャンプ場へ向かいます
店の前で男性に町中のキャンプ場の場所を確かめました
この町にはキャンプ場はないといっています
えっ!
この時にわたしはドミニクに、さっきのキャンプ場へ行こう、とぼやいてみるべきでした

ドミニクの地図を頼りにこのあたりかな、と探しますがキャンプ場は見当たりません
通りがかった女の人にも聞いてみます
キャンプ場があったことすら知らないといっています
うそ!
この際わたしはドミニクに、さっきのキャンプ場でいいじゃないか、と言ってみるべきでした

役場の前で通りがかりの男の人に尋ねると対岸にキャンプ場があると教えてくれました
そこまで5㎞あるそうです
もう時計は17時を回っています
ここでわたしはドミニクにきっぱりと、さっきのキャンプ場へ行こう、と主張すべきでした
1㎞ちょっと走ればいいだけですからね

なぜ三回も言うタイミングがあったのにわたしは言わなかったのでしょうか
よくわかりません
一日暑くて、くたびれて、頭の回転が鈍っていたのでしょう

下流へ1㎞走って大きな橋に着き、1㎞走ってそれを渡り、さらに「上流へ」2㎞走りました
キャンプ場らしきものは全く見当たりません
サッカー場の脇の建物に人影が見えたので行ってキャンプ場はどこか尋ねてみました
「ここにあったキャンプ場は廃止になったよ」
がっくり!

ドミニクがここの芝生でひと晩泊まっていいか聞きました
するとひと晩だけならいいと言ってくれました
ただしシャワーもトイレもなしです
飲み水をもらい落ち着いて考えました

最寄りのキャンプ場は上流へ6㎞行ったところです
これは戻る方向ですから論外です
下流には12㎞行ったメルクにキャンプ場があるとのこと
ドミニクが言うにはメルクのキャンプ場は最悪だそうです
トイレやシャワーは恐ろしく汚く、キャンプ場の横に停泊した船からひと晩中騒音がする

ここでも最初のキャンプ場へ戻ることには思い至りませんでした
メルクのキャンプ場も改善されているだろうと期待してあと12㎞走ることにしました

18:00
大きな橋を渡り返し、右岸土手の上の砂利道を走ってメルクのキャンプ場に着きました
もう日陰の場所は空いておらず、日没まで日向とおぼしきところにテントを張ります
今日はずいぶん距離を稼げて良かった、と思うしかありません
そうだよ、良かったよ
乾杯!
こうしてまた今夜もまたドミニクとのバカ話が始まるのでした

19:30 夕食

21:30 就寝

<走行距離> 97km(累計 934㎞)
<出費> 22€(食料代 10€、キャンプ代 10.5€、ビール代 1.5€ 累計 466€)
<Melkキャンプ場の評価> △(キャンプ代は普通だが、施設が貧弱


6月13日
6:00 起床
昨日は早くキャンプ場に着ける予定でした
それがちょっとした行き違いでいつもよりミッチリと走ることになってしまいました
キャンプ場に着くのが遅くなるとちょっと厄介です
テントを立てる場所を見つけ、シャワーを浴び、夕食を作って食べ、食後にのんびりする
これらがすべて押せ押せになり、せわしない気分になってしまいます
昨日は残念ながらそういう感じでした
日記をつける時間もあまりなかったので今つけています

8:40 出発
キャンプ場の隣の船着き場には大型観光バスが駐車していました
そのとなりに中国人女性のガイドとおぼしき人が旗を持って立っています
ドナウのツアー船はこうして夜は観光地の近くで停泊し、翌朝バスで見学に出かけます

キャンプ場の事務所にもなっている建物の壁に過去の洪水の記録がありました
ここのところ10年おきくらいに大水が押し寄せてきています
そのたびに川沿いのいろいろな施設は休業せざるを得なくなります
水をかぶった建物や設備には被害が及ぶでしょう
これではキャンプ場の経営は困難だと思います
キャンプ場が廃業する理由は利用者の減少と洪水による被害かなと想像します

キャンプ場のすぐ近くにメルクの町があります
ここに自転車を置いて丘の上の修道院へ行きます

9:17
この修道院はなんとまあゴージャスなバロック建築でしょう

内部装飾は信じられないほどキンキラキンです
その様子は撮影禁止でしたので残念ながらお見せできません

合衆国のザイオン国立公園で歩いたナロウズを思い出す回廊です

9:47
修道院から出てくると入れ替わりに中国人観光客がツナミのように入っていきました
ドミニクはこうやって上手く時間を見計らって見学するんですね

丘から降りて来る途中の家の扉にチョークで何か書いてあります
工事するためのメモ書きかなと思ってみているとドミニクがそれを説明してくれました
ドアの上の方にぼんやりと見えますか?
20+C+M+B+19とチョークで書かれています
これは公現祭(エピファニー、1月6日)で貰ったチョークで書いたものです
意味は20と19で2019年、CMBは東方の三博士カスパール、メルキオール、バルタザールです
東方の博士とはなんでもキリストが生まれたときにやってきて拝んだ人たちのようです
Christus Mansionem Benedica キリストがこの家を祝福しますように、の縮約でもあります
おまじないのようなものですかね

自転車置き場に戻るとアシスト自転車のサイクリストが大挙してやって来ていました
かき分けるようにして自分の自転車に辿りつき、きれいな町メルクのをあとにしました

10:18
町はずれで高低差50mぐらいある橋に自転車を押して登ります

橋の上からキャンプ場(中央の停泊場の脇)とメルク修道院(段丘の上)が見えました
ここからヴァッハウ渓谷へと入っていきます

道端に、これはどうやらフルーツ・ブランディ―の無人販売所らしい

11:05
あんず畑が広がっています
ここでかのヴィレンドルフのヴィーナスが発見されたのですよ

小さな村が次々と現れます
Iglesia de San Segismundo (iglesia filial)
11:55
シュピッツの日当たりのよい斜面にブドウ畑が広がっています

12:04
城のような教会のすがたに否応なく越し方の厳しさを思います
Wehrkirche St. Michael
13:43
ナポレオン時代の1805年にこのブドウが穫れる谷を奪い合った戦いの碑

14:23
美しいヴァッハウの谷を抜けクレムスに着きました
こぢんまりした感じのいい街です

さて今日もキャンプ場を探す時間になってきました
わたしのガイドブックにはトライスマイアー・マリーナにキャンプ場アリと書かれています
ドミニクの地図にはトライスマイアーのキャンプ場の場所が示されています
これだけの情報をもとにキャンプ場探しです

ドナウ左岸に臨むトライスマイアー・マリーナはボートの港でした
港の脇に芝生が広がっていますがキャンプ場はやっていませんでした
わたしのガイドブックは訂正が必要です

つぎにドミニクの地図にあったキャンプ場へ行ってみました
ここにはスポーツクラブという看板がありましたがキャンプ場はありませんでした
ドミニクの地図も訂正が必要です

ドミニクがしょんぼりしているとクラブ脇のレストランからおじさんが出てきました
キャンプ場を探している、と話すとマリーナへ行く途中にあると教えてくれました

トライスマイアーの町で買い出しをしてからおじさんが教えてくれたところへ行きました
そこはレストランがオートキャンパーに場所を提供しているキャンプ場でした
レストランの責任者にキャンプをしたいと話すと一人15€だといいます
シャワーは冷水で、とても高いですがほかにキャンプ場は無いので仕方ありません

すでに泊まっていたキャンパーの隣にテントを建てました
するとそのキャンパーの人がどうしてこんな近くに建てるんだとぼやいています
こちらは当然そこがいい場所だと思うから建てているわけです
ぼやきは無視して建て終わると、レストランで冷たいビールを買ってきて飲みました
これはとてもうまかった!

19:30
赤ワインを飲みながら出来合いのチキン煮込みライスを食べました

<走行距離> 92km(累計 1,026㎞)
<出費> 39€(食料代 20€、キャンプ代 15€、ビール代 4€ 累計 505€)
<Aplicoキャンプ場の評価> ✖(キャンプ代高く、施設貧弱でスタッフ感じ悪し





6月14日

5:00 起床
早く目が覚めたので昨日の日記のつづきを書きはじめました
去年は日記代わりのブログを毎日投稿しました
ガラケーでポチポチ文章を書くのは時間がかかり、また通信料もばかになりません
今年はいつでもどこでも気軽に書けるノートに日記を書くことにしました
ガラケーをしょっちゅう充電しなくてよくなり楽ちんです

6:30 朝食
キャンパーの老夫婦を起こさないように池畔のテーブルへ行って朝食をとります
昨日あんなに腹を立てていたドミニクですが、このような気遣いには感心します
人によくすると自分の気持ちもよくなりますからね

今朝はパンにジャムとバターをつけ、紅茶をすすります
ドミニクは朝にフルーツは食べませんがわたしはキウィとバナナも食べます

さっそく池の白鳥と鴨がおねだりにやってきます
ふたりとも何もあげないことにしています

8:00 用足し
レストランの従業員がようやくやって来ました
一人は留守番することにしていますのでどちらが先に行くか協議します
ドミニクはシャワーも浴びたいというので譲ることにします
逆じゃないかな
まあいいや

8:30 出発
ドナウの右岸土手に戻り東へ向かいます
ウィーンのすぐ手前のクロスターノイブルクまで行く予定です
きょうも暑くなりそうで、午前中に距離を稼ごうとするドミニクのペースが速いです

9:04
オーストリアではこうしたダムによる水力発電が国内最大のエネルギー源です
Hydroelectric power plant Altenwörth
9:15
ダムから離れて森を走り抜けると目の前に突然巨大な建物が現れました
ツヴェンテンドルフの原子力発電所跡です
この原発は40年ほど前に現在価格で10億€をかけて完成しました
直後の国民投票で操業反対が多数となり、一度も稼働することなく廃止がきまりました

少々迂回をさせられたあとトゥルンに着きました

10:24
「ニーベルンゲンの歌」の碑の前に着きました
10年前にドナウの自転車旅を思い立ち、今ようやくここまで来ました
こうして自由で、健康であることに感謝します

「ニーベルンゲンの歌」の一節が広げてあります


11:02
トゥルンの町で昼ご飯を買いました

観光案内所の前で飲み水も補給しました

11:23
この像が見たかったんです!
自転車道の脇にあるなんてなんとラッキーでしょう
マルクス・アウレーリウスさんです

人生は短いのだからやりたいことはすぐやった方がいい、と「自省録」に書いた人です
人生やりたいことをやらなければだめ、と思ってここまできましたよ、マルクス!

12:10 昼食
マリーナの脇の日陰のベンチで昼ご飯を食べます
茹で卵2個、トマト(中)2個、バーガーパン2個、チキンハム5枚、スライスチーズ2枚
マヨネーズをたっぷりかけて食べました
食べ過ぎて眠くなり木陰で10分間昼寝しました

13:53
ウィーンまでもうすぐです

14:20
クロスターノイブルクのキャンプ場に着きました
ひさしぶりに施設の整ったキャンプ場ですが蚊がすごいです
テントを立て、洗濯をして、ビールを飲み、買い物に行きました

このあとどんなふうだったか覚えていません
いつものように飲んで、食べて、話をして、寝たんだと思います

<走行距離> 60km(累計 1,086㎞)
<出費> 32€(食料代 9€、キャンプ代 15€、洗濯代 4€、ビール代 4€ 累計 537€)
<Klosterneuburgキャンプ場の評価> 〇(場所と施設はいいけれど料金が高くて残念




6月15日
7:00 起床
きょうは休養日でウィーンへ観光へ行きます

ドミニクは大きな都市で休養を兼ねて観光します
都市の中心部は大抵治安が良くないのでキャンプは郊外でします
そしてキャンプ場から中心部へはバスやトラムなどの交通機関を利用します

7:10 朝食
昨晩と同じように蚊の襲来がものすごく、ゆっくり食べていられません
暑いのを我慢してズボンをはき、ヤッケをかぶります
ズボンが薄手の夏用なので蚊はその上からかまわず刺してきます
こんど来るときは蚊のくちばしが通らない厚手のズボンにしましょう

8:00 出発
キャンプ場の目と鼻のさきにウィーン行きの郊外列車の駅があります
駅舎の中の自動販売機で一日券を買おうとしますがうまく買えません
まわりのひとに聞いても誰も教えてくれません
仕方なく普通の片道乗車券を買います


8:35
新しいタイプの列車に乗ります

車内はいたずら書きもなくてとてもきれいです

構内に蒸気機関車が置いてあるハイリゲンシュタットで地下鉄に乗り換えます

ハイリゲンシュタットとはどこかで聞いたような地名です

******************************************

あきれたことに帰国してから思い出しました
ここはかのベートーベンが耳が聞こえなくなったことに絶望して遺書を書いた場所ですよ
わたしはなんと物忘れがひどいのでしょうか

2017年にライン川の自転車旅の途次でした
6月19日にボンのベートーヴェン・ハウスに立ち寄りました
そこでその「ハイリンゲンシュタットの遺書」を目にしたのでした
手書きのドイツ語でしたので何が書いてあるか分かりませんでした

ハウスの出口で係の女性が「これをご覧になりますか?」と日本語の資料を見せてくれました
それは「ハイリンゲンシュタットの遺書」を日本語訳したものでした
その女性は「こちらでゆっくりお読みください」とホールの椅子に案内してくれました
わたしはそこに座わり遺書を読みはじめました

わたしはその文章に感動しました
ベートーヴェンの音楽にかける思いがストレートに胸に伝わってきたからです
この思いを自分の生きる糧にしようとまで思いました

あれからまだ2年しかたっていないのになんということでしょう
ハイリゲンシュタットという地名すら忘れてしまうなんて
「遺書」のことを思い出していたらきっと彼の家に行きたいと思っただろうに・・・

このようにして大切な機会を逃してつぃまうのが凡人たるゆえんでしょう
しかたありません
恥を忍び「遺書」から受け取ったメッセージをもう一度ここに掲げます

「人生でやることをはっきりさせ、それに一心に取り組むこと」

きのうトゥルンで目見得したマルクスさんの励ましと通底したところがあるように思います

9:22
おおウィーンの市内へとやってきました
ウィーン歌劇場
町中にはところどころにこのような水飲み場があります
水を出すには若干のコツが必要です
レバーを止まるところまで引いてそのままにしておくとしばらくして水が出てきます

9:48
シュテファン大聖堂の内外にはすでに観光客が雲集しています
きょうは土曜日ですから仕方ないです


10:03
大聖堂のすぐ近くのモーツァルトが住んだアパートへ行ってみました
9€も払ったのに感動は得られませんでした
やはり自分にはモーツァルトよりベートーヴェンかな

10:57
町並みはいい感じですがブランド店が多くて興ざめです

11:00
ホーフブルク王宮の前に来ました

中庭の彫像の前を抜けて

ノイエブルクの前へ行きます
ツアーガイドが日本人観光客に説明しているのが耳に入ってきます
「あのテラスでヒトラーが演説をしました」
フーン


11:29
お腹がすいてきたのでドミニクとレストランを探すことにしました
中心街から離れたほうが手ごろな店を見つけられますから

ここはユースホステルです
参考までに空いているか聞いてみました
会員なら朝食付で20€で、14時以降にチェックインできるそう
駐輪場もあるのでいい宿泊先だと思います
Jugendherberge Myrthengasse
ウィーンにはむかしはこんな感じの建物がたくさんあったのだろうな

古い建物と新しいトラムの組み合わせがおもしろい

12:59
などとぶらついて写真を撮り、ようやく店を決めました
ドミニクはシュニッツェル、わたしはクラブサンドイッチ
フライドポテトの量が半端ない!

13:47
満腹になり中心街にもどると何やらお祭り騒ぎです
ユーロ・プライドというLGBTの人たちのパレードです
たくさんの人がものすごい音量とともに行進するフロートを取り囲んでいます














このようなパレードを初めて見たので少々面くらいました
参加している人の数がものすごく多いのでじぶんがマイノリティという感じです
ドミニクはお祭り気分で音楽やコスチュームを楽しんで写真を撮っています

14:35
老舗のカフェには観光客が行列しています

14:49
ナチスによるホロコーストの犠牲になった65,000人を追悼する記念碑があります
Judenplatz
15:08
日は差していませんがジェラートもすぐに溶け出すくらい暑いです

16:04
プラターという遊園地へ行きました
この観覧車は1897年製で映画「第三の男」にも出て来たそうです

小さな男の子が旅客機の風船を買ってもらい嬉しそうにしていました

17:09
地下鉄に乗ってキャンプ場へ帰ります
こうしてハイリゲンシュタットと行き先表示された写真まで撮っているのに
なぜベートーベンのことを思い出せなかったんだろう?
自分にざんねん!

19:30 夕食
今夕はキャンプ場に蚊が少なくてなにより
となりのテントのフランクフルトから来たドイツ人と話しながら食べました
献立はヌードルのあまり、パン、ハムそれにビールとワイン
これで満足です

22:00 就寝

<走行距離> 0km(累計 1,086㎞)
<出費> 57€(食料代 19€、キャンプ代 15€、交通費 10€、ビール代 4€ 入場料 9€
       累計 594€)
<Klosterneuburgキャンプ場の評価> 〇(場所と施設はいいけれど料金が高くて残念




6月16日
6:30 起床
ここまで毎日じつによく晴れて順調に走って距離を稼いできました
そのおかげでいまゆっくりとウィーン見物を楽しむことができます
きょうは城や墓などを見に行く予定です

7:00 朝食

8:10 出発
駅でウィーンの一日乗車券を買うことができました
キャンプ場の事務所に掲示されていたとおりに操作したからです
こうやって掲示までされているのは買い方が分かりにくいからに他ありません

やれやれ、と列車に乗ります

9:10
地下鉄に乗ってシェーンブルン宮殿に着きました
「美しい泉」が城の名前の由来だそうです

神聖ローマ帝国は威信をかけてヴェルサイユ宮殿を凌駕する規模の城を作ろうとしました
ところが帝国の財政事情が芳しくなくスケールダウンを余儀なくされました
外壁には金を塗る計画でしたがそれも黄色い塗料に変更になりました
その黄色「テレジア・イエロー」が青空に映えています

もとの計画では南の丘の上に宮殿を作り、そこから麓を見下ろすという豪壮なものでした
それが計画縮小と相成り、丘の上にはグロリエッテという戦争慰霊碑が建てられました
グロリエッテ

グロリエッテから、宮殿の向こうにウィーンの市街が望めます

宮殿に降りていくと観光バスから降りてきた大勢の人の波に出くわしました
宮殿前の広場が見る見る人で埋まります
その中に帽子をかぶった日本人とおぼしき中年の女性が走りながら何枚も写真を撮っています
その機敏な動作は群衆のなかでも際立っていました

11:01
旧市街にもどりました
昨日のパレードの喧騒はどこへやら、のんびりした日曜日の大都市の佇まいです
ウィーン楽友協会
12:38 昼食
大作曲家たちが眠っている墓へ行く前に腹ごしらえをしました
食べ始めてしまったケバブーとビールです

昼ご飯を食べ終えて墓地へ向かうトラムに乗っていた時のことです
黄色いワンピースを着た老婦人がこれまた老いた小型犬を連れて乗ってきました
わたしは彼女らをちらと見てまた地図に目を落としました
そのわたしの足もとを彼女の犬がペロペロと舐めます
あいさつ代わりという感じでけっして嫌な感じはありませんでした
その直後のことです
トラムが停まり女性と犬はホームに降りました
開いたままのドアの向こうで犬が女性に向かって激しく吠え、女性は犬に何かいい返してます
女性はあきらめたように持っていたリードの端の輪を犬にくわえさせました
輪を口にした犬はあっという間に女性を置き去りにして走って行ってしまいました
残された女性はトボトボとした足取りで犬がいった方へと歩きはじめました
ドミニクとわたしはその様子をポカンとながめていました
トラムの扉が閉まったあと顔を見合わせ爆笑してしまいました

13:45 ウィーン中央墓地 Wiener Zentralfriedhof
フランツ・シューベルト

ヨハン・シュトラウス

ブラームス
敬愛するベートーベンのお墓の写真を撮り忘れました

ユニークなお墓がたくさんありドミニクが、これは芸術だ!、と見てまわっていました



15:26
また旧市街にもどってきました
静かなオフィス街に子供たちのスケボーの音が響いています


15:38
ドナウ川沿いの自転車道を行く人

15:39
スマホのながら歩きとハイリゲンシュタット行きの地下鉄に乗ります
こうしてまたハイリゲンシュタットの行き先表示を撮っています
どうして「遺書」のことを思い出せなかったんだろう?

16:33
今夜はキャンプ場のレストランで晩ご飯を食べることにします
開店前にまずはメニューの研究です

19:15 夕食
ドミニクが食べたこれはコロッケみたいなもんですな

わたしはシュニッツェル、早い話、豚肉の唐揚げでここらの名物です
つけあわせの酸っぱいポテトサラダが美味しい

揚げ物にこの濁ったビールがよく合います


<走行距離> 0km(累計 1,086㎞)
<出費> 56€(食料代 21.5€、キャンプ代 15€、交通費 9.5€、ビール代 3.5€ 
       ガスボンベ 6.5€ 累計 650€)

<Klosterneuburgキャンプ場の評価> 〇(場所と施設はいいけれど料金が高くて残念



6月17日
6:20 起床
休養明けの朝、いつもよりほんのちょっぴり早く起きました

6:30 朝食
パン、バター、ジャム、コーヒーです
日本にいるときはバターとコーヒーはほとんど口にしません
自転車旅のときはとくにこだわらず何でも食べます

8:05 出発
クロスターノイブルクのキャンプ場を走り出しました
今度は蚊のいないときにここに来たいです

これまで通過してきた町とくらべてウィーンはけた違いに大きな都市です
なので市の中心部を通り抜けるには若干苦労することを覚悟しなければなりません

9:22 買い出し
きょうは月曜日で店が開いているので早速買出しします

9:28
町中は自転車道も判然とせず、あちこちと道を選びながら進みます

10:23
ようやく自転車道に出てドナウを左岸に渡る橋からウィーンを振りかえります
「ア・ビヤント、ヴィエナ!」

10:36
ドナウから離れてブラチスラバへと向かう地点にサイクリストが群れています

13:11
ウィーンからブラチスラヴァまでの行程はとても単調です
このたびは迂回路があちこちに設定されていて麦畑の中を延々と走りました
林の中に入ったところ迂回路が城の中に続いています
景色の変化がないのにうんざりしていたドミニクは城を入れて大喜びしています

エッカルトザウ城という由緒正しいお城です
シェーンブルン城と同じ「テレジア・イエロー」ですね

14:19
長い橋を右岸へ渡ってハインブルクに着きました
右に見える山の手前を右に越えていくとオーストリアとスロバキアの国境です
国境のすぐ先がブラチスラヴァです

15:05
東欧自由化の引き金になったヨーロッパ・ピクニック計画から今年で30年です
国境検問所の薄汚れた外壁とぺんぺん草が時の流れを感じさせます

麦畑の向こうにブラチスラヴァの城と高層ビルが見えました

15:25
UFO展望台のある橋を渡ってブラチスラヴァへ入ります

ブラチスラヴァはこれまで見てきた都市とはまったくちがう佇まいです

観光案内所を探しながら旧市街を歩いているとにわか雨に降られました
5月31日に旅をはじめて、ようやく雨に降られました
雨宿りしているとすぐに止んでしまいました

やっとみつけた観光案内所で今夜泊まるところを紹介してもらいす
条件は自転車が持ち込めて二人で一泊50€以下のホテルかペンションです

16:49
大統領官邸のすぐ近くのペンションを紹介してもらい5階の部屋にチェックインしました
その窓から戦争記念碑が丘の上に見えます

17:37
買い出しに出かけます
旧型のトラムがすごく目につきます




18:41 夕食
ビールはやっぱりチェコ産です

スーパーにはここまでほとんど見なかった海水魚がありました
サバの燻製を丸一匹買い、ひとりで食べてしまいました

<走行距離> 94km(累計 1,180㎞)
<出費> 36€(食料代 8€、ペンション代 27€、ビール代 1€ 累計 686€)

<Pension Petitの評価> 〇(古い建物で出入りは面倒、部屋はとてもきれい)



6月18日
6:30 起床

6:45 朝食

8:30
きょうは一日ブラチスラヴァの町を見て歩きます
ペンションから旧市街を西へブラチスラヴァ城へむかっていきます
くすんだような町並みですが外壁には意外な意匠などもあって個性を感じます

城の丘にさしかかるとトロリーが走っています
丘にはトラムには不向きな坂がありますからね

最後は急な階段を登って城にたどり着きました

まわりには大きな家がたくさん建っています

城では復元工事をしていました

破壊と再建を繰り返してきたこの城の歴史が外壁に見てとれます

城はたいてい見晴らしのいい場所にあります

この城の前からもドナウと町並みがきれいに見渡せました

城の中庭はがらんとしていました
おおきな城ですがそのコンテンツは何なのか不明でした

ふらふらと歩いているうちに大勢の観光客がやって来ました
リーダーの持っている旗でボートで旅行している人たちだと分かります


そろそろお時間がよろしいようですので退散します

見晴らしの良いベンチのある公園にティヨール(菩提樹)がかぐわしい香りを放っています
昨年はドミニクの住んでいるサンランベールの橋のたもとで香っていました



町を取り囲む二重の壁が闘争の歴史を思い起こさせます

石畳が旧市街のあちこちに残っています
街の表情を際立たせるにはこれ以上のものは無いと思います
乳母車、ハイヒール、タイヤの細い自転車などでの通行には不向きです

旧市庁舎の塔から西を眺めました

下を見下ろすと中庭を取り巻く建物の意匠がさまざまであることに気がつきます
長い年月をかけて作られた町並みであることが分かります

12:30
昼食の買い出しをしてペンションに帰って食べました
菓子パン、モツァレラチーズのサラダ、ビール
食後はお昼寝タイムです

15:10
暑いので目が覚めました
ドミニクの、さあ仕事にかかるよ、との掛け声でまた見物に出かけます

15:37
街角にときおり旧体制をしのばせるモニュメントを見かけます

16:01
青い教会がありました

中まで青い!

バックもとうぜん青です

何年前に造られたバイクでしょう?
街自体古いのでこうしておいてあっても違和感がありません

さきほどの青い教会に続き、東欧のイメージが洗われるような建物があります

もちろんソヴィエトチックな建物もたくさんあります


川端には大きくて平べったいボートが停泊しています
後ろの緑の橋はトラムと人と自転車用の橋です

杖をついたご夫婦がゆっくりとボートへ向かっていきました

トラム、トラム、トラム!



17:20
日が傾いてきてレストランに人が入り出しました

18:34
スーパーで買い出しをしてペンションにもどり夕食にします
まず冷たいビールを飲みます

今夜はピリ辛ソーセージにトマトパスタを添えて食べます
すでに赤ワインもお待ちかね!

22:00 就寝

<走行距離> 0km(累計 1,180㎞)
<出費> 43€(食料代 10€、ペンション代 27€、ビール代 1€ 入館料 5€ 累計 729€)

<Pension Petitの評価> 〇(古い建物で出入りは面倒、部屋はとてもきれい)



6月19日
6:20 起床
昨夜は涼しい風が吹いていて寝やすかった

6:30 朝食
昨夕帰りがけにメロンを買いました
ドミニクは朝に果物を食べる習慣が無いので、持っていき昼に食べようといっています
わたしは朝に食べたいと思いました
メロンは重いこと、朝のフルーツはからだに良いこと、メロンが傷むことを言い聞かせました
ドミニクはしょうがないなという感じでメロンを食べました
味はまあまあといったところでした

ペンションの部屋を出るときにわたしはゴミを部屋のゴミ箱に入れていこうとしました
するとドミニクが、持って出て通りのゴミ箱に入れよう、といいます

二人の間では意見が分かれた場合は意思をはっきり示した方に従うのが暗黙の了解になっている感じです
さっきのメロンのようにです
そのほうが物事は上手く運ぶような気がします

ごみを二人で分けて持ち、外に出て、通りにおいてあるゴミ箱にゴミを入れました

一人旅に比べて二人旅の良いところのひとつは目が四つあることです
一人旅だと大切なものを見落とすことがないようにいつも気を張っています
それでも水飲み場やトイレ、方向指示版などを見逃してしまうことがあります
また二人旅では面白い景色や安い食品などに気がつく機会が増えます
ひとつひとつは些細なことでもひと月におよぶ旅ではそれが大きな違いになります

一人旅のいいところは完全にマイペースで行けるところです
それを好んでやっている人もたくさんいます
その気持ちは分からないこともありませんが一人旅はいつでもできます
いまは気の合うつれがいることを大切に思い二人旅をしています

7:43 出発
ペンションの受付わきに駐輪しておいた自転車に荷物をつけて出発です
ここから今回の旅のゴールのブダペストまで4日かけて走る予定です
ブダペストへ「行く」のと日本へ「帰る」のが合わさった気分になってきました

7:55
ラッシュアワーの町を抜けてドナウの南側へと渡ります

ラッシュアワーといってものんびりした感じではあります

自動車以外が通れる橋を気分よく渡ります

ブラチスラヴァの町ともこれでお別れです


8:44
あちこちで橋や高速道路やらやたら工事をしています

9:25
スロバキアとハンガリーの国境をまたぎました
建物や標識などとくに何もありません

9:35
このご婦人方はここでこうしてどのくらいの間お話ししているのでしょうか
万国共通の平和なながめではあります

ハンガリーに入ってから、道端の子供がこちらに向かって手を振ってきます
通りすがりの旅の自転車を笑みをたたえて迎えそして送る
ただそれだけのことですがそういうことがここまで絶えてなかったと気がつきました
こういう土地を旅することの大切さに早く気がつかないといけません

10:12
麦秋です

ブラチスラヴァからしばらくドナウはスロバキアとハンガリーの国境となって流れます
その流れは平原の上をのたうつヘビのようです
自転車道は流れを離れて真っ直ぐに続きます

ときおりこのようなカヌー用の標識が洗われます
ドナウの支流のゆっくりと蛇行する流れは漕いで遡行するのも楽ですからね

10:54
モションマジャロバールという長い名前の町で両替と買い出しをしました
ハンガリーはユーロではなくフォリントという自国の通貨を使っています

町並みも人ものんびりしていて、明らかに雰囲気が変わりました
大ざっぱにいうとアジアっぽくなった感じです

12:10
茅葺きのあずまやで昼食をとりました
目の前の自転車道をときたま行き過ぎるのは土地の人か普通のサイクリストです
ブラティスラヴァまでたくさんいたお年寄りのeバイクはほとんど見かけなくなりました

12:22
大型トラックが走る道を馬車が通り過ぎていきました
子供をわきにのせ馬を御しているおじさんは上半身裸です

13:16
きょうは朝からぱっとしない天気でした
とうとうここで雨が強く降ってきましたのでバス停で雨宿りです
退屈しのぎにクロスワードをしている人もいるようです

降り方が弱くなってもなかなかやまないのでポンチョをかぶってでかけます
すると間もなく雨はやみました

16:00
ウィーンとブダペストのちょうど中間点にある町、ジェールに着きました
きょうはここで泊まります

観光案内所へ行って安い泊り場を紹介してもらいます
条件は一泊二人で40€以下で自転車を中に入れられるところ
たくさん候補があるなかから30€のペンションに決めました
するとそこに電話を入れて予約してくれました

ペンションにチェックインしました
かなり古い建物です
シャワーを浴びて買い出しに行きました

19:11
これはジェールの市庁舎です
建物の感じがずいぶん変わったなと感じます

19:35
ここらはけっこう湿度がありますのでやっぱりビールが美味しい

今夜はSPARというスーパーで買ったフライドチキン、フライドポテト、それに赤ワインです

22:00 就寝

<走行距離> 84km(累計 1,264㎞)
<出費> 25€(食料代 10€、ペンション代 14€、ビール代 1€)累計 754€

<Corvin Pansionの評価> △(建物が陰気で清潔感に欠ける、だから安い)



6月20日
6:20 起床
昨夜は涼しい風が吹いていて寝やすかった

6:30 朝食
昨夕帰りがけにメロンを買いました
ドミニクは朝に果物を食べる習慣が無いので、持っていき昼に食べようといっています
わたしは朝に食べたいと思いました
メロンは重いこと、朝のフルーツはからだに良いこと、メロンが傷むことを言い聞かせました
ドミニクはしょうがないなという感じでメロンを食べました
味はまあまあといったところでした

ペンションの部屋を出るときにわたしはゴミを部屋のゴミ箱に入れていこうとしました
するとドミニクが、持って出て通りのゴミ箱に入れよう、といいます

二人の間では意見が分かれた場合は意思をはっきり示した方に従うのが暗黙の了解になっている感じです
さっきのメロンのようにです
そのほうが物事は上手く運ぶような気がします

ごみを二人で分けて持ち、外に出て、通りにおいてあるゴミ箱にゴミを入れました

一人旅に比べて二人旅の良いところのひとつは目が四つあることです
一人旅だと大切なものを見落とすことがないようにいつも気を張っています
それでも水飲み場やトイレ、方向指示版などを見逃してしまうことがあります
また二人旅では面白い景色や安い食品などに気がつく機会が増えます
ひとつひとつは些細なことでもひと月におよぶ旅ではそれが大きな違いになります

一人旅のいいところは完全にマイペースで行けるところです
それを好んでやっている人もたくさんいます
その気持ちは分からないこともありませんが一人旅はいつでもできます
いまは気の合うつれがいることを大切に思い二人旅をしています

7:43 出発
ペンションの受付わきに駐輪しておいた自転車に荷物をつけて出発です
ここから今回の旅のゴールのブダペストまで4日かけて走る予定です
ブダペストへ「行く」のと日本へ「帰る」のが合わさった気分になってきました

7:55
ラッシュアワーの町を抜けてドナウの南側へと渡ります

ラッシュアワーといってものんびりした感じではあります

自動車以外が通れる橋を気分よく渡ります

ブラチスラヴァの町ともこれでお別れです


8:44
あちこちで橋や高速道路やらやたら工事をしています

9:25
スロバキアとハンガリーの国境をまたぎました
建物や標識などとくに何もありません

9:35
このご婦人方はここでこうしてどのくらいの間お話ししているのでしょうか
万国共通の平和なながめではあります

ハンガリーに入ってから、道端の子供がこちらに向かって手を振ってきます
通りすがりの旅の自転車を笑みをたたえて迎えそして送る
ただそれだけのことですがそういうことがここまで絶えてなかったと気がつきました
こういう土地を旅することの大切さに早く気がつかないといけません

10:12
麦秋です

ブラチスラヴァからしばらくドナウはスロバキアとハンガリーの国境となって流れます
その流れは平原の上をのたうつヘビのようです
自転車道は流れを離れて真っ直ぐに続きます

ときおりこのようなカヌー用の標識が洗われます
ドナウの支流のゆっくりと蛇行する流れは漕いで遡行するのも楽ですからね

10:54
モションマジャロバールという長い名前の町で両替と買い出しをしました
ハンガリーはユーロではなくフォリントという自国の通貨を使っています

町並みも人ものんびりしていて、明らかに雰囲気が変わりました
大ざっぱにいうとアジアっぽくなった感じです

12:10
茅葺きのあずまやで昼食をとりました
目の前の自転車道をときたま行き過ぎるのは土地の人か普通のサイクリストです
ブラティスラヴァまでたくさんいたお年寄りのeバイクはほとんど見かけなくなりました

12:22
大型トラックが走る道を馬車が通り過ぎていきました
子供をわきにのせ馬を御しているおじさんは上半身裸です

13:16
きょうは朝からぱっとしない天気でした
とうとうここで雨が強く降ってきましたのでバス停で雨宿りです
退屈しのぎにクロスワードをしている人もいるようです

降り方が弱くなってもなかなかやまないのでポンチョをかぶってでかけます
すると間もなく雨はやみました

16:00
ウィーンとブダペストのちょうど中間点にある町、ジェールに着きました
きょうはここで泊まります

観光案内所へ行って安い泊り場を紹介してもらいます
条件は一泊二人で40€以下で自転車を中に入れられるところ
たくさん候補があるなかから30€のペンションに決めました
するとそこに電話を入れて予約してくれました

ペンションにチェックインしました
かなり古い建物です
シャワーを浴びて買い出しに行きました

19:11
これはジェールの市庁舎です
建物の感じがずいぶん変わったなと感じます

19:35
ここらはけっこう湿度がありますのでやっぱりビールが美味しい

今夜はSPARというスーパーで買ったフライドチキン、フライドポテト、それに赤ワインです

22:00 就寝

<走行距離> 84km(累計 1,264㎞)
<出費> 25€(食料代 10€、ペンション代 14€、ビール代 1€)累計 754€

<Corvin Pansionの評価> △(建物が陰気で清潔感に欠ける、だから安い)



6月21日
6:00 起床

7:00 朝食
このペンションでは3€で朝食が食べられるのでそれを頼みました
ハムとサラミのオニオンオムレツ、パン、それに紅茶です
今回の旅ではじめて宿の朝食をとりました
おかげで早く出発できます

7:45 出発
Duna Pension(右)
コマールノの町中をゆっくり流していくと若い人から英語で大声をかけられました
「どこへ行きたいんだい?」
「ただ通り過ぎているだけだよ」
そう答えると
「いい一日を!」
と見送ってくれます
こういう一日の始まり方が好きです
Trojičný stĺp
8:02
ラッシュアワーの橋を渡ってドナウ左岸(北側)のしずかな土手を行きます
ガイドブックでは右岸(南側)の車道を行くことになっています
ドミニクはその道を前に走って危険だったので、今回はこちらに来ました
正解です

走りながら写真を撮りました
朝陽の下に雲が美しく広がっています
おまけに追い風が吹いていてとても幸せな気分です
ドミニクも口笛を吹いたり歌を口ずさんだりしています


9:17
満々と水をたたえたドナウがゆっくりと流れるわきを走ります

11:01
トウモロコシ畑の向こうにエステルゴムの円頂塔(キューポラ)がかすかに見えます

12:05
ドナウを南側に渡りエステルゴムの町に入ります
この橋は第二次世界大戦中の1944年にドイツ軍に破壊されたままでした
2001年に復旧工事が完了して再び渡れるようになりました

エステルゴム大聖堂
ここはハンガリー・カトリック教の大本山です
ハンガリーの初代国王イシュトバーン一世は1000年頃にローマ教皇からここで戴冠されました

橋のたもとの公園で昼食(パン、ヨーグルト、ビール)してから大聖堂へ行きました

ドナウの眺めがきれいです

いい景色に満足して自転車にもどろうとしたところ看板がありました
キューポラかあ
上まで400段あり有料だそうですが登ってみることにしました

キューポラの基部を一周できます
これはまたいい眺めです
北側

東側
復元された城


大聖堂のなかも見てみました






エステルゴムをあとにして左岸の木陰の道を気持ちよく走ります
時折交通の激しい車道にでます

14:58
Szobへの「はしけ」の渡し場に着きました
タグボートが「はしけ」を押して渡すというシンプルなシステムです

15:49
ようやく乗れます

16:12
Szobには宿もキャンプ場もないのでまた走ります
ドナウ・ベンドというすてきなところです


右岸前方の山の上に古城が見えてきました


水浴びしている人たちがいます

16:53
うれしいことにここにキャンプ場がありました
ナジュマロシュというところです

18:15
眺めのいい場所にテントを張り終えてカンパイです

蚊の襲来を恐れていましたが日が暮れても出てきません
不思議です
夕食はレストランで夕日に映える古城を見ながら食べました
ポークシュニッツェルとフライドポテト、それにまたビールです


テントにもどりワインを飲みながらドミニクとまたバカ話をしました
すると藪から棒に、20代のときにお前と会いたかった、とドミニクがいいます
どうして、と聞くと
いろんな山を一緒に登りたかった、といいます
ひと泣かせるようなことをいうな!
こうしていまを楽しんでいるじゃないか

21:00 就寝

<走行距離> 87km(累計 1,414㎞)
<出費> 32€(食料代 16€、キャンプ代 9€、ビール代 3€、艀代 2€、入場料 2€)
    累計 816€

<Sólyom-Kempingの評価> ◎(場所良し、料理・ビール美味し)



6月22日
6:00 起床

6:30 朝食

8:00 出発
このキャンプ場に昨夜泊まったのは週末にもかかわらずわたしたちを含めて4人だけでした
静かできれいないいところですが経営は難しいのじゃないかと思います

ハンガリーの社会主義体制の末期に、ここにダムを造る計画がありました
ここはドナウの両岸に山がせまっていてダムを作るのに適しています
水力発電による電力を近くの大都市ブダペストに供給できます
それで白羽の矢が立ったのですがハンガリーの環境保護運動がそれを中止させました
もしその計画がとん挫していなかったらこのキャンプ場はいまなかったはずです
こういうキャンプ場はいつまでも残ってほしいと願います

ドナウ・ベンドを抜けると自転車道は車道のわきを通ります

ところどころ分かりづらい道を拾っていくとブダペストのサインがありました
きょうがこの旅のゴールだとはっきり知らせてくれています

9:20
バーツで右岸へ渡ります

9:43
きょうで旅が終わるのかと思うと何でもかんでも写真に撮っておきたい気持ちにもなります

10:14
たいていは一般道のわきを走りますがところどころ公園のようなところを行きます
路面はかなり荒れているところがあるので注意しながら走ります

10:51
センテンドレという町につきました
観光客がたくさんいます
もっと落ち着いた感じかと楽しみにしていましたが仕方ないですね

今夜のブダペストの宿を確保するためにドミニクが昔泊まったペンションに電話しました
そこに彼は6年前に泊まったのですが電話は通じませんでした

12:28
ブダペストの手前の巨大なスーパーで昼食の買い出しをしました

13:11
ブダペストに近づくにつれ道がどんどん分かりにくくなります
しかたなくホームも走ります

13:29
そんなことを繰り返しているうちに川沿いの道に出て前方の景色がひらけました
ドミニクの歓声が聞こえます

13:40
なんとも予定した通りの日にブダペストに着きました

鎖橋は土曜の午後ですごい人なので自転車を押して歩きます

14:00
まずは今夜のお宿を決めようと観光案内所へ行きます
観光案内所の近くの宿泊あっせん所を紹介されました
観光案内所は観光客への対応で手いっぱいなので宿の紹介は民間でということでしょう

あっせん所へ行く前にドミニクと宿泊条件の最終確認をしました
二人で一泊60€以下で中心街から近く自転車を安全におけるところです

あっせん所の女性はいかにも手慣れた感じで英語を話します
こちらが示した条件に対してただ一軒だけ候補を提示しました
いま大きな医学学会がこの町で開催中で宿はどこも空きがないと・・・
いつかどこかで聞いたような言い訳です

提示されたペンションはここから2㎞のところで朝食付で一泊68€だそうです
予算をオーバーしているのでドミニクは渋っていました


そうはいってもここは大都市だし朝食付ならまあいいかということになりました
あっせん所に宿泊料金の2割を前払いしてペンションへ向かいます

きょうは土曜日で車の交通量は少ないのですが飛ばす車が多い印象です
ペンションの住所をたよりにしばらく探して見つけました
宿泊あっせん所から5㎞ほどもありました

場所は静かでスタッフの感じはよく部屋もきれいです
シャワーを浴びて遅い昼食、サンドイッチとヨーグルトを食べました

ドミニクは宿泊料がかさむのが気になる様子です
彼はここにあと4泊することになるので合計で150€以上になります
テント泊なら2週間キャンプできる金額ですから痛いですね

日本人が外国旅行をするのであれば朝食付きで一泊4,000円の宿を高いとは思わないでしょう
ところが物価というのは場所によって違いますから一概にはいえません
食料品などについてもそれぞれの国にはそれぞれの物価があります

ドミニクは普段暮しているフランスでの物価を基準にものを考えます
かれはブダペストからリヨンへとバスで24時間かけて帰ります
その料金が60€ですから一泊60€の宿泊料が高く感じるのは当然のことかと思います
そうは思っても何ができるわけでもないのですが・・・

18:00
このペンションは夕食はやっていません
ドミニクと外に出ましたがペンションのまわりにはレストランやスーパーはありません
冷えたビールは部屋の冷蔵庫のものを買えるので夕食はあるもので済ますことにしました

19:30 夕食
パン、サラミ、オレンジ、ナッツ、ビール

21:00 就寝

<走行距離> 64km(累計 1,478㎞)
<出費> 43€(食料代 7€、宿代 30€、ビール代 3€、フェリー代 3€)累計 859€

<Hotel Manzard Panzioの評価> 〇(部屋はきれい、場所がちょっと不便)



6月23日
6:00 起床

7:15 朝食
ペンションの朝食は充実していて美味しかった
ドミニクもそれが気に入ったようです
やれやれ

8:00 出発
ペンションから10分ほど歩いたところに地下鉄の駅があります
それを国際空港まで延伸する工事で週末はバスが代替え輸送しています
そのバスに乗りましたが料金の払い方が分かりません
運転手に聞いても知らんぷりです
こっちもしらんぷりで中心街でバスを降ります

町並みは適度にくすんだ感じで親しみがわきます



9:46
ドハーニ街のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)へ行きました
入場待ちの人が行列しています

中庭にホロコースト記念碑があります
柳の木の葉に虐殺された人の名前が彫りこまれています

内部はたいそうきれいな様子がうかがえますが行列したくないので今回はパスします

ぶらぶら歩きながら街をながめます






10:17
聖イシュトヴァーン大聖堂に入ります
エステルゴムで初代ハンガリー国王となったイシュトヴァーン一世にちなんだカテドラルです



ラテン語で「わたしは道、真理そしていのちである」と書いてあるそう



10:47
国会議事堂へ向かっていくと自由広場というところに出ました

モニュメントに抗議する文書が多言語でかかげられていました


このビルはちょっと拭き掃除が必要ですね

11:10
国会議事堂の前に出ました

11:30
銃弾の跡がいくつも壁面に残るビルが国会議事堂の近くにありました

向こう側はドナウに面しています

町並みが雨に濡れていい感じです

12:42
お腹がすいたので観光客の少なそうなレストランに入ります

食べたのはグヤーシュというハンガリー名物のスープです
スープは具が少なくていまひとつでしたがご飯がいけてました

13:49
またぶらぶら歩いていきました

ビルの正面にラーメンどんぶりの縁によくある模様が見えました
こんなところにアジアっぽさを感じます

13:57
中央市場に来ましたが今日は日曜日なので閉まっています
また明日来ましょう

14:05
橋を渡って左端に見えるゲッレールト温泉へ行きます

入場料が6,100フォリント(19€ぐらい)もします
日本の日帰り温泉より高くないですか?

温泉はあきらめて隣のゲッレールトの丘に登ります

14:52
けっこう登り甲斐がありましたがお釣りがくるほどのいい眺めです





15:17
ゲッレールトの丘から降りて帰ります

丘のふもとに見える建物も温泉です

また街のなかへ行きスーパーで夕食の買い出しをしました
そしてまたバスに乗ってペンションに帰るのです
今度は切符の買い方を予め確かめようとカフェにいたおじさんに聞いてみました
バスの中で買えといいます
それでバスに乗りましたがまた運転手にシカトされました
こちらもまたシカトしてバスを降りました

ペンションにもどってレセプションでバスのチケットはどこで買うのか聞いてみました
地下鉄の駅で売っているのだそうです
ふーん、あそう

19:00 夕食
まず冷蔵庫からビールを出して飲みます

きのうきょうとブダペストでオーバーツーリズムを実感しました
オーバーツーリズムとは有名な観光地に観光客が殺到して問題がおこる状況のことです
具体的な問題としては過度の混雑、ゴミ、文化財の劣化、住環境の悪化などです

ブダペストはもうすこし観光客が少なくのんびりしたところかなと思っていました
ところが行く先々で想像をこえる人々を見ました
これはやはりオーバーツーリズムだといわざるをえません

オーバーツーリズムの原因としてつぎのことが指摘されています
・世の中の中流階級といわれる人々が増えたこと
・格安航空券であちこちに行けるようになったこと
・中国人の旅行者が爆発的にふえていること

これらに加えて有名な観光地に観光客が集中する傾向も問題を大きくしているようです
ユーロモニター・インターナショナルは100都市に全観光客の半数が集中しているとしてます

オーバーツーリズムに対して観光地では様々な対策をとっています
そのなかで目に付くのが入場料などの高額化です
アムステルダムのゴッホ美術館は入館料が19€もしましたが有名美術館としてこれは普通です
スイスアルプスのマッターホルンへ登るガイドの料金は一日一人15万円です

ブラック・ツーリズムでも経路上やむをえず大都市を訪問することがあります
そのようにして訪問することも不本意ですがオーバーツーリズムにはつながります
これからのブラック・ツーリズムでは有名観光地をできるだけ避けることを考えます

ところで夕食には何を食べたのか忘れてしまいました?

22:15 就寝

<走行距離> 0km(累計 1,478㎞)
<出費> 51€(食料代 18€、宿代 30€、ビール代 3€)累計 910€

<Hotel Manzard Panzioの評価> 〇(部屋はきれい、場所がちょっと不便)



6月24日
6:50 起床

7:10 朝食

ドミニクは朝食後に町へでかけました
昼過ぎに町中で落ち合うことにします

わたしはあすの12:50にブダペストを飛び立つモスクワ乗り換え便で日本へ帰ります

出発時刻の24時間前すぐにオンラインチェックインすると席を自由に選ぶことができます
その時点で残っている席の中からではあります
それでも大方自分の希望する席が取れます
希望は、短距離であれば前方の日陰の窓側、長距離であれば前方の日陰の通路側です
うまく席を選ぶと隣を空席にできます

オンラインチェックインはPCかスマホからする必要があります
どちらも持っていないのでペンションのPCを使います
そのため午前中は出かけられません

13:00
オンラインチェックインで希望の席を確保できました
町中へと地下鉄で向かう途中でドミニクに電話をして国会議事堂の前に会うことにしました

13:50
ドミニクと国会議事堂の前で会います
雨が降ってきました
ドミニクは旧市街巡り、私は対岸の城巡りをして16:30に中央市場で再会することにしました

雨が降ってくると猫の子を散らしたように観光客がいなくなります
人のいない橋を渡って城へと登っていきます

14:15
城に着きました

まずドナウと反対側、西側を眺めました

つぎにドナウの方、東側を眺めます

雨にけぶる町並みがうつくしい

こんなすてきな景色を見ないのも惜しいし、オーバーツーリズムに加担するのは心苦しいです
どうしたらいいでしょうか?


15:10
ふたたび川端に降りました



15:26
中央市場に来ました
ドミニクと落ち合う前に中を見て回ろうと思います

中はこんな風です











2階にはその場で食べられるものを売っています

17:00
ドミニクと落ち合い、買い物を済ませてペンションへ帰ります
途中感じのいいレストラン街を通り抜けていきます

17:51
ペンションの少し手前で、あー、もう撮るものがなくなってしまう、と思いました
ゆっくりと歩きながら目の前にあるものを撮りました
Our Lady of Hungary Church
BMWのカーシェアリング


ペンションで夕食をのんびり食べました
まずナッツをつまみにビールを飲みます
そのあとはソーセージとラビオリを茹でてワインを飲みながら食べます

ドミニクと今回の旅のことを話しました

うまく予定通りにブダペストに着けた理由をあげてみます
・1日に90㎞前後走った日が7日あった
・連日好天が続いたので雨で停滞した日が無かった
・間隔をあけて合計6日間休養し観光にあてた
・ブダペストまで行こうという強い意志を持ち続けた

ブラチスラヴァ以降ブダペストまではルートのコンディションが悪化しました
・ルート表示板が少なく道に迷うことが多い
・路面に凸凹が多くなり走りにくい
・一般道の路肩を走ることが多くなり自動車に脅かされる
・キャンプ場が少なくなるのでホテルやペンション泊りか野宿することになる
・盗難の危険が増える
・景色の変化が乏しく観光スポットが少ない
ブダペストからドナウ河口の黒海までもこれと同様かそれ以下の条件になるでしょう

これは旅がヨーロッパ横断から地球横断のフェーズに入ってきたという予兆でしょう

ということでこの旅の総括はあっさりと終わりました
こういうことは旅の間に頭に浮かぶことなので、お互い考えがまとまっていたのですね

それからドミニクはわたしの日本の友達に伝えてくれと何度も言いました
もしお前の友達でロワール川を自転車で走りたいという人間がいたら
・リヨン空港に車で迎えに行く
・サン・ランベールの俺の家に泊め、出発の準備をし体調を整えてもらう
・俺の家からロワール川の源流まで車で送り届ける
・途中で必要があればまた俺の家に泊まってもらう

さらにドミニクはいいました
もしお前の息子たちがフランスに来たいならまず俺の家に泊まればいい

彼の親切心がどんな理由から発しているのか正確には知りません
ただその気持ちが何の対価も求めないピュアなものであることを知っています
わたし自身その親切にどっぷりと漬かった経験があるからです

彼の親切に預かりたいという友人や息子がいるかどうかはわかりません
どうあろうとわたしは彼の言ったことを彼らに伝えて名乗り出てくるのを待ちます

<走行距離> 0km(累計 1,478㎞)
<出費> 45€(食料代 10€、宿代 30€、ビール代 3€、地下鉄代 2€)累計 955€

<Hotel Manzard Panzioの評価> 〇(部屋はきれい、場所がちょっと不便)



6月25日
6:50 起床

7:10 朝食

ドミニクは朝食後に町へでかけました
昼過ぎに町中で落ち合うことにします

わたしはあすの12:50にブダペストを飛び立つモスクワ乗り換え便で日本へ帰ります

出発時刻の24時間前すぐにオンラインチェックインすると席を自由に選ぶことができます
その時点で残っている席の中からではあります
それでも大方自分の希望する席が取れます
希望は、短距離であれば前方の日陰の窓側、長距離であれば前方の日陰の通路側です
うまく席を選ぶと隣を空席にできます

オンラインチェックインはPCかスマホからする必要があります
どちらも持っていないのでペンションのPCを使います
そのため午前中は出かけられません

13:00
オンラインチェックインで希望の席を確保できました
町中へと地下鉄で向かう途中でドミニクに電話をして国会議事堂の前に会うことにしました

13:50
ドミニクと国会議事堂の前で会います
雨が降ってきました
ドミニクは旧市街巡り、私は対岸の城巡りをして16:30に中央市場で再会することにしました

雨が降ってくると猫の子を散らしたように観光客がいなくなります
人のいない橋を渡って城へと登っていきます

14:15
城に着きました

まずドナウと反対側、西側を眺めました

つぎにドナウの方、東側を眺めます

雨にけぶる町並みがうつくしい

こんなすてきな景色を見ないのも惜しいし、オーバーツーリズムに加担するのは心苦しいです
どうしたらいいでしょうか?


15:10
ふたたび川端に降りました



15:26
中央市場に来ました
ドミニクと落ち合う前に中を見て回ろうと思います

中はこんな風です











2階にはその場で食べられるものを売っています

17:00
ドミニクと落ち合い、買い物を済ませてペンションへ帰ります
途中感じのいいレストラン街を通り抜けていきます

17:51
ペンションの少し手前で、あー、もう撮るものがなくなってしまう、と思いました
ゆっくりと歩きながら目の前にあるものを撮りました
Our Lady of Hungary Church
BMWのカーシェアリング


ペンションで夕食をのんびり食べました
まずナッツをつまみにビールを飲みます
そのあとはソーセージとラビオリを茹でてワインを飲みながら食べます

ドミニクと今回の旅のことを話しました

うまく予定通りにブダペストに着けた理由をあげてみます
・1日に90㎞前後走った日が7日あった
・連日好天が続いたので雨で停滞した日が無かった
・間隔をあけて合計6日間休養し観光にあてた
・ブダペストまで行こうという強い意志を持ち続けた

ブラチスラヴァ以降ブダペストまではルートのコンディションが悪化しました
・ルート表示板が少なく道に迷うことが多い
・路面に凸凹が多くなり走りにくい
・一般道の路肩を走ることが多くなり自動車に脅かされる
・キャンプ場が少なくなるのでホテルやペンション泊りか野宿することになる
・盗難の危険が増える
・景色の変化が乏しく観光スポットが少ない
ブダペストからドナウ河口の黒海までもこれと同様かそれ以下の条件になるでしょう

これは旅がヨーロッパ横断から地球横断のフェーズに入ってきたという予兆でしょう

ということでこの旅の総括はあっさりと終わりました
こういうことは旅の間に頭に浮かぶことなので、お互い考えがまとまっていたのですね

それからドミニクはわたしの日本の友達に伝えてくれと何度も言いました
もしお前の友達でロワール川を自転車で走りたいという人間がいたら
・リヨン空港に車で迎えに行く
・サン・ランベールの俺の家に泊め、出発の準備をし体調を整えてもらう
・俺の家からロワール川の源流まで車で送り届ける
・途中で必要があればまた俺の家に泊まってもらう

さらにドミニクはいいました
もしお前の息子たちがフランスに来たいならまず俺の家に泊まればいい

彼の親切心がどんな理由から発しているのか正確には知りません
ただその気持ちが何の対価も求めないピュアなものであることを知っています
わたし自身その親切にどっぷりと漬かった経験があるからです

彼の親切に預かりたいという友人や息子がいるかどうかはわかりません
どうあろうとわたしは彼の言ったことを彼らに伝えて名乗り出てくるのを待ちます

<走行距離> 0km(累計 1,478㎞)
<出費> 45€(食料代 10€、宿代 30€、ビール代 3€、地下鉄代 2€)累計 955€

<Hotel Manzard Panzioの評価> 〇(部屋はきれい、場所がちょっと不便)



6月26日
6:36
さて日本へ帰ります
手前がわたしの、向こうがドミニクの自転車

三週間使ったペットボトルともお別れ

8:42
ブダペストの町中を空港へと向かいます

8:57
空港近くの雰囲気

9:00
歩行者が道路を横断するときに押すボタン

9:14
空港に着きました

9:29
現代的な建物です

9:35
自転車のパッキングをはじめます

10:43
パッキング終了です

15:34
モスクワに着きました

20:05
機内食が美味しく感じられます

2019年6月26日
11:32
家に帰り、焼酎と厚揚げにホッとします