1971年1月16日土曜日

スキー 1965年12月30日~1966年1月3日 秋田県

ひょんなことからスキーを初経験することになりました
小学4年生の冬に秋田県ででした

スキーに全く関心が無かったのにどうしてそういうことになったのか?

まずは、そのきっかけから話しましょう


当時の父の勤め先に、秋田県から出稼ぎに来ているKさんという人がいました

父はその人を東北なまりで「チクッツァン」と呼んでいました

父の実家の宮城県古川市とKさんの家のある秋田県雄勝郡は奥羽山脈を挟んで東西に位置していました

故郷をこよなく愛する父からすると同じ方言を話すKさんは親類同様で、すぐ懇意になったのです


そのKさんが年末年始に帰省する際に私と兄を秋田へ連れて行ってくれることになったのです

我が家は経済的に困窮していたのでそれまで泊りがけの旅行などしたことがありませんでした

なので秋田へ行けると聞き、二人とも喜んで出かけたのでした


暮れも押し詰まった寒い夜、私と兄はKさんと品川駅前へ向かいました

ここから東北へ向かう京浜急行の帰省バスが出るのです

駅近くの広場にお土産を入れた大きな荷物を抱えた大勢の人がバスを待っていました


私たちが乗った大型バスは暗い国道を延々と走り続けました

途中トイレ休憩で停車した時にバスの外へ出てみると、夜空にもの凄い数の星がまたたいていました

やがてバスは仙台あたりから山間部へ入り、作並街道を経て奥羽山脈を越え行きました


翌朝早く山形県の天童駅に着きました

そこでバスを降り、奥羽本線に乗り換えて秋田へ向かうのです

駅のホームで列車を待っていると、まっ黒いSLが雪の中を沢山の煙を吐き出しながらやってきました

短く汽笛を鳴らしてホームに停車すると今度は車体の下から勢いよく蒸気を吹き出しました

この様子がとても頼もしくて、これから見知らぬ雪国へ行くのも不安はありませんでした


私たちが乗ったSLは平野をしばらく走り、真室川という駅に着きました

父は家で酔って機嫌がいい時に、よく「真室川音頭」という民謡を歌っていました

何も知らず父の歌に合わせて手拍子を取っていましたがここがその真室川かと思いました


谷あいを走るSLの両側の雪はどんどん深くなり壁の間をすり抜けていくようになりました

あたりは一面の銀世界です

「真室川音頭」の中に「花の咲くのを待ちかねて」というのもなるほどと思いました


SLはどんどん山の中を登って行き、峠を越えると横堀駅に着き、ここで下車しました

駅舎から出ると、大きな家々はすっぽりと雪をかぶり、窓から光がもれていました

見たこともない夜の雪景色です


凍った街道を足元に気をつけながら歩いていくと、通りに面してひときわ大きな家がありました

これが清國(チヨクニと発音)という大関の生家でした

堂々とした体躯の力士に似つかわしい立派な家だと思いました


街道をさらに行き、少し脇に入った田んぼの中と思しきところにKさんの家は建っていました

街道沿いの民家ほどは大きくない木造平屋建ての農家でした


着いた日が大晦日だったので翌日はもう元旦でした

朝からストーブが焚かれ、部屋の中は思いのほか暖かでした

新年を迎えるお神酒が子供たちにもふるまわれ、みんな上機嫌でした

簡素ながらもおごそかで、横浜の家とはまた違った良い正月の雰囲気でした

食べるものは全てとてもおいしくてご飯とみそ汁を何杯もおかわりしました


Kさんの家には私たち兄弟と同じくらいの子供がいたので一緒に遊びました

その遊びの中の一つがスキーで二度やりました


一度目はKさんの家からしばらく歩いて行った山の中のスキー場でやりました

スキー場といってもリフトもレストハウスもなく、ただ立木のない山の斜面です

道具は竹で自作したスキーで、それを長靴にひもで縛りつけて滑るのです


私たちはもちろん上手く滑れず、何度も顔面から雪の中に突っ込みました

長靴の中は雪まみれになって足がかじかみました

背中や手袋の中にも雪が入って融け、じっとり冷たくなりました


もう一度は街道の橋のうえでやりました

ここは転んでも雪まみれになる恐れはありません

硬くしまった路面は竹スキーがよく滑ります

あまりによく滑るので左右の足が離れていき股裂きになりそうで怖くなりました


路上スキーをやったあとKさんの知り合いの家へ遊びに行きました

街道沿いの大きな家で、屋根から太い巨大な氷柱が何本も下がっていました

その家には子供が大勢集まっていたので、広い部屋でカルタや鬼ごっこをして遊びました


調子に乗りすぎた誰かが戸にぶつかり、派手な音をたててガラスを割ってしまいました

すると、その家のお婆さんがやってきました

私はてっきり怒られるのかと思いました


お婆さんはまず子供たちに怪我が無かったことを確かめました

そして「割れ、割れ、いくらでも割って構わね。うんだけんど怪我だけすんな」と明るく言い放ちました

それからお婆さんは割れたガラスを念入りに片付けていました


ある夜、ストーブを囲んでKさんから怪談を聞きました

ストーブの上に鍋が載せてあり、その中にはジャガイモがモミ殻と一緒に浮かんでいました

子供たちは茹であがったジャガイモを頬ばりながらKさんの怪談を聞きました


その話がどんな内容だったか覚えていません

覚えているのはその話がとても怖かったことだけです

私はすっかりおじけづいてしまいました


間が悪いことにたまらなく小用をしたくなってきました

便所はストーブから5メートルほど離れてたところにあります

そこへ行くことすら怖くてできなくなっていました

兄に頼んで一緒に便所まで来てもらい、用をたしているあいだ便所の前で待ってもらいました


Kさんの家で布団にくるまって寝ていると奥羽本線を走る夜汽車の汽笛が聞こえました

この印象的な秋田へ旅からどのようにして帰ってきたのかすっかり忘れてしまいました

突然記憶が蘇るのは横浜に戻ってきたところからです


私たちはKさんが寝泊まりしている出稼ぎの宿舎に着きました

その宿舎の前でしばらく立ち話をしました

その時、私はどうにも暑くて着ていたジャンパーを脱ぎました

横浜の冬はこんなにも暖かいのかと全く呆れてしまいました