1971年1月15日金曜日

弘法山 1964年春

小学校3年生の時に遠足で弘法山へ行きました
これが私の初めての山登りでした

私が育った家は横浜の丘陵地帯にありました
ふだん遊ぶところは野山でしたから山坂を歩くのは慣れていました
遠足で山に行けることが嬉しくて待ち遠しくてたまりませんでいした

そして実際に楽しかった経験が心にしっかり刻まれました
何がそんなに楽しかったのでしょう?
梢越しに見えた大山と丹沢の大きな山並み
それを見ながらの昼食
家の周りよりさらに急な登降がある山道などです

それからみんなで電車に乗って遠くまで出かけこと
自分の体を思い切り動かすことができたこと
これらのことが言い知れない充実感をもたらしてくれたのだと思います

ここまでの小学校生活では、私はこれといって特徴のない、パッとしない生徒だったと思います
勉強ができるわけでもなく、体格がいいわけでもなく、身なりもぱりっとしない子供でした

親から「勉強しろ」と言われないのをいいことに、宿題はほとんどやりませんでした
からだは小柄で同級生の間では目立ちませんでした
そしてわが家は貧乏人の子沢山で家計が苦しく、それが服装にも表れていました

同級生が私に目を止めることがなかったのは当たり前だったと思います

私はそのことをとくに気にしたりはしませんでした

それでも小学校生活の中でうまく自己表現ができないモヤモヤした気分はあったかもしれません


そんな時に遠足で行った弘法山は、私のそんなモヤモヤを一時的にではあれ吹き払ってくれました

親さえも気が付かなかったと思いますがそれはにとっては会心の出来事だったのです

なぜなら私は弘法山での山登りを全身で楽しむことができたからです


それは標高わずか235mの小山でのことでしたがそんなことは関係ありませんでした

私は山坂を歩き、稜線からの眺望に見惚れ、みんなと昼食したことが楽しかったのです


弘法山への登山は小田急線の大根(おおね)駅(現東海大学前駅)から始まりました

駅から北に向かうと道が徐々に傾斜を増してきます

住宅地を少し登って振り返ると、自分たちがすでに山の麓に差し掛かっているのが分かりました


道の傾斜がどんどんきつくなると、前方に弘法山の稜線が見えてきました

このあたりで早くもバテて足がなかなか前に出ない生徒や先生が出始めました


私は元気いっぱいでした

バテた友達の手を引いたり、先生のお尻を押したりして、苦も無く稜線に立ちました

そこからは大山の頂上へつづく稜線が大きく望めました


稜線を西へ辿っていくと、大山から丹沢へと続く山並みが視界に大きくなってきました

私の気持ちは大きくふくらんで、雲の上を歩むような心持ちで弘法山へと向かいました


弘法山の山頂付近で昼の休憩をとりました

こうしてみんなでいい景色を眺めながら昼食を食べることがこんなに楽しいとは思いませんでした


私たちは昼食を終えて山頂から下り始めました

これまで穏やかな尾根歩きと打って変わって急な下り坂でした

おじけづいて動けなくなる生徒や尻餅をつく先生が続出しました

誰かが転ぶたびにキャーと悲鳴を上げていました

私はぜんぜん平気で駆けるようにして下っていきました

山登りとはなんて楽しいものだろうと思いながら