1971年1月22日金曜日

丹沢主脈 1969年6月15日

先週行った丹沢表尾根が楽しかったことを兄に話しました
すると兄はじゃあ来週は表尾根よりもっとすごい丹沢の主脈を縦走しに行こうといいました
あまりに急だったのは弟に負けたくないという兄の気持ちの表れではなかったかと思います
丹沢主脈縦走は表尾根より時間がかかるので家を早く出発しようと約束しました

当日は兄は朝の新聞配達から帰ってくるのがだいぶ遅くなりました
これから丹沢主脈に出かけるのは無理かなと思いました
ところが兄は当然行くという感じで強行することになりました

ヤビツ峠に8時30分に着きました
表尾根を超スピードで歩き塔ノ岳に12時15分に到着しました
休憩をとらずにそのまま丹沢山に向かいます
霧で視界が悪い竜ヶ馬場(1504m)で15分休憩しました
それから丹沢山(1567m)、不動の峰(1614m)と過ぎていきます
そして丹沢山塊の最高峰である蛭ヶ岳(1673m)に着きました

これで「丹沢山」がわたしが最初にのぼった日本百名山になりました
霧の晴れた蛭ヶ岳の山頂で立ったまま休みました
何しろ時間がもったいないので心残りの蛭ヶ岳から下りはじめました

姫次(1433m)まで下ると塔ノ岳から蛭ヶ岳までの稜線が雲に覆われているのが見えました
八丁坂を過ぎ、黍殻山(1273m)を巻き最後のピークである焼山(1060m)に着きました
てっぺんには鉄塔があったのであがって遠くを見渡しましたが良く見えませんでした
暗くなる前になんとか長野に下り着き、19時15分頃のバスに乗って横浜へ帰りました