1971年1月31日日曜日

丹沢主稜 1970年9月12日、13日

この冬にわたしは同級生のHOと丹沢主稜へ行きました
その後兄が主稜に行きたいといいだしたので今度は兄と一緒に行くことになりました

昨年兄と日帰りで主脈へ行ったときは兄の新聞配達が遅れ家を出るのが遅くなりました

そのため家に帰ってくるのがとても遅くなりました

今度は同じことを繰り返さないよう家を早く出ることにしました


上星川駅から下りの1番電車に乗りました

7時30分に大倉に着くと気が急きすぐに出発しました

重荷にめげずに大倉尾根を登り塔ノ岳(1491m)に10時30分に着きました

順調に登れたので少し安心して水場を往復することにしました

山頂から標高差100mほどある水場で往復に30分ほどかかりました


12時に塔ノ岳を出発しました

雨でどろんこになった尾根道を丹沢に向かいます

家の人はいま昼飯を食べているころかなと思いながら丹沢山(1567m)をすぎました

不動ノ峰(1614m)に登り棚沢ノ頭(1590m)を通り鬼ヶ岩(1608m)を下ります

3時に今日の宿泊地である蛭ヶ岳(1,673m)の山荘に到着しました

夕方には雲が晴れて周囲の山が良く見えました


翌朝起きてから今日のコースを決めました

一旦主稜へ向かい檜洞丸へは登らず手前の金山谷乗越から檜洞沢を下ります

ユーシンに出てそこから林道を歩いて玄倉まで行くことにしました


蛭ヶ岳から北へ向かっている主脈と別れ主稜へ入ります

初め仏谷の源頭となる尾根を急下降して登りかえし臼ヶ岳(1460m)に着きました

丹沢もこの辺は山深く神秘的な感じがあります


コブを四つ、五つ越すと金山谷乗越でここから檜洞沢を下ります

沢にはいくつか堰堤がありますが滝はありません

ゴロゴロとした大岩の間を下って行くと岩の陰に大きなシカの死体がありました

外傷は見当たらず毛並みもきれいな状態を保っていました

どうしてこんなところで死んだのかと不思議でした


ザンザ洞出合をすぎてまもなくユーシンに着きました

一休みして玄倉林道をゆっくり歩いて玄倉に着きました

次のバスの時間までしばらくあるのでさらに神縄まで歩くことにしました

神縄に着くとちょうど新松田行きのバスが来たのでそれに乗って帰りました