1986年12月31日水曜日

八幡平・裏岩手山

 1983年から84年にかけての年末年始にKSとふたりで八幡平から秋田駒へとスキー縦走した。その時の充実感を再度求めてやってきた。網張温泉スキー場から八幡平へ北上し、後生掛温泉へくだるルートだ。

12月31日

 網張スキー場に到着した時は、吹雪だった。出発の仕度が遅いKちゃんにイライラする。スキー場のリフトで、犬倉ロッジまで登った。そこにあったポストに登山計画書を投入れる。降りしきる雪の中を出発する。


 視界が悪く、ルートが定かでない。「双子峠コース」という看板と丸鉄板の番号標があった。これを500M位たどる。このコースは、スキーヤーがゲレンデをはずれて、樹林帯を大きく右側から巻くルートである。途中でスキーヤーの行くルートが左に下りはじめている。そこに1本の立木があった。ここから北西に向け、オオシラビソの林の中に入っていく。が、ルートが分からない。


 30分ほどウロウロした後、また1本の立木のところまで戻る。すると登山者が2人やって来た。盛岡山岳会の人たちだった。三ツ石山荘までのルートを尋ねる。2通りあるそうだ。ひとつはわたしたちが最初に試みたルート。しばらく行くと大松倉山に向かう切り開かれたルートに合流する。もうひとつは「双子峠コース」を忠実にたどる。ルートはずっと切り開かれているが、やや遠回りになる、とのこと。わたしたちは後者を選んだ。あらかじめもっと調べてくるべきだったと反省した。


 雨まじりの強風の中、先行パーティーのトレースに助けられながら三ツ石山荘にたどりついた。途中で地元のパーティーにあわなかったら、ここまで来られたか疑問である。


1月1日

 朝になっても吹雪は止んでいなかった。最終下山日は1月3日の予定だ。昨日迷ったので慎重になり、とりあえず1日ここで停滞することにした。


1月2日

 ようやく雪が小降りになったので、急ぎ松川温泉に下山した。次の低気圧が駆け足でやって来るのだ。

1月3日

 八幡平スキー場でスキーをした。後生掛温泉の湯治棟に泊って、ゆっくり温泉に入ろうという願いを満たせず、後髪をひかれる思いで帰京した。



1986年12月21日日曜日

1986年12月21日~23日 札幌国際スキー場

 Kちゃんも往復飛行機で北海道へスキーに行きたいと言いだした。自分1人だけで行ったのはずるいと。それで急遽旅行会社の企画するツアーに参加して、また出かけた。

 天気が悪くて、スキーはあまり楽しめなかった。

 

1986年12月15日月曜日

1986年12月15日~18日 ニセコ比羅夫 職員組合

 日本のバブル景気は、1987年から1990年にかけて起ったとされる。それがわたしの身近で感じられたのが、この早大職員組合主催の北海道スキーツアーである。この年まで、職員組合が企画するスキーツアーは志賀高原へのバスツアーなどだった。それがこの年、初めて往復ジェット機利用というリッチなスキーツアーになったのだ。2年前、新婚旅行を兼ねて北海道へスキーに行ったが、その時は上野駅から夜行急行列車で行き、帰ってきた。

 ニセコの雪は乾燥していて、とても軽快な滑りができたのが印象的だった。雪があまりに軽くて、ゲレンデ外で転倒し、スキーが外れて雪にもぐってしまうと、探すのが大変だった。


1986年11月23日日曜日

富士山

 去年に引き続き、ひどい山行をしてしまった。一体どうしてこうこの頃の自分はいい加減なのだろうかと思う。山そのものに向かい合わないで、常に人のことを気にしているように思える。山に対する思い入れもなく、ただズルズルと人にくっついて登っているだけ。こんなことでいいはずがあろうか。


1986年11月2日日曜日

城ケ崎

  わたしたちのように、技術レベルの低いクライマーが、このようなかたちでコンペをするのが良い事なのだろうか。このコンペで優勝しても、実力ありとは言えない。

 厳しいクライミングがしたいのなら、自分自身を甘やかさないで、先鋭的なクライマーのグループに飛び込めばいい。TSMCのような仲良しサークルの中で、自分だけストイックに厳しいぶっているのは、見ていて滑稽である。


1986年10月31日金曜日

日和田山

 今日は平日で天気がいい。女岩のハングを登ってやろうと、意気込んで行く。

 朝一番は男岩で肩慣らしをして、女岩の左ルート(Ⅵ)におもむろに取り付く。思ったより簡単に登れた。右ルート(Ⅵ+)は登るにつれて右に寄ってしまい、完登したことにはならなかった。


 今後の課題は、女岩西面のど真ん中の中央ルート(Ⅵ+)である。トレーニングを積んで来年挑戦してみよう。今年はもう腕がパンパンである。


1986年10月26日日曜日

日和田山

 前回竹内と城ケ崎へ行って、ロクに登れないながらも、もっとやれるという気になって帰って来た。こうなると、次から次に欲が出てくる。

 日和田はTSMCに入会間もない頃に1度来て、フリークライムを初めて見た所だ。その時は女岩が印象に残ったのだが、今日は意図的にそこをはずして、もっと簡単な所を繰り返し登った。日曜日のため人が多く、思ったように登れなかった。そこで今度は平日に来ることをTTと約束した。


1986年10月4日土曜日

城ケ崎

 谷川岳一ノ倉沢の滝沢第3スラブを登る計画であった。前夜関越道を竹内車で走っていると雷雨になってきて、スラブ登りはとりやめとなった。休みがもったいないので、急遽城ケ崎へ行先を変更し、ファミリーとあかねの浜で遊ぶ。


ファミリー

<アンクルクラック> 5.9 リード 0

<ファザークラック> 5.10A トップロープ ×

<ブラザークラック> 5.9 トップロープ 0

<マイクラック> 5.10- リード ×


あかねの浜

<イソギク> 5.6 リード 0

<ツワブキ> 5.9 リード 0

<ライトレイン> 5.8 フォロー 0

<増長天> 5.8 フォロー 0

1986年9月28日日曜日

越沢バットレス

 ひさかたの、ひかりのどけき秋のひに、岩に登ってきた。体の筋肉がすっかり落ちていて、Ⅴ-はどうにか、Ⅵをテンションで、最後のⅤは墜落という無様加減であった。体調を整えなければいけない。


1986年9月23日火曜日

大岳山

 前日に思い立って、奥多摩にハイキングに出かける。毎年のことだが、秋口は夏の疲れが出る。調子が悪かったのにやや無理をした。ツヅラ岩に登ってスリルのある景色を楽しんだ後、大岳山から御岳に下った。途中やけくそ気味に歌を歌いながら歩いた。こういう中途半端な気持ちで山登りをしたのは、例の仏果山の落ち込み山行以来の気がする。いつもこうして立ち上がるきっかけを探している。


1986年8月11日月曜日

黒部川源流域

以下、報告書(K)より

8月11日

 夜の明けきらない大町に降り与作と合流。駅前にはそばの鉢植えがあり白い花をつけていた。始発バスに乗り扇沢へ。6:30のトロリーバスは時刻表から消えていて7:30が始発となっている。人はバスで荷物はトラックと運搬方法が変更になっていて、バスは通勤ラッシュなみの混雑でした。


 ダムで身支度をととのえ出発!(8:20)春先はダムサイトまで滑れるそうだが、わたしなんかは、ダムに突っ込みそうな気がする。湖に沿って平ノ小屋までハイキングコースを歩く。花が咲き終わり、実をつけた植物が目につく。雪どけと同時に一斉に花開くのだろうと、その頃歩けたら最高と思いつつ、与作の足並みに遅れないようについていく。


 平ノ渡しには先客が1人。後から青年2人が来て、我々と3パーティー船に乗る。(12:05)渡しの料金はいらないが、下船時おじさんにスマイルを返すことを忘れないこと。


 対岸に着き歩き始めると、こちらに向って走ってくる男性がいる。「待ってくれー」と叫びながら船着場に走っていく。これを見てK、当会のS氏を思い出すなあと苦笑する。


 テンバで夕食を食べていると、平ノ渡しで会った青年がダルマとツマミ持参で、上ノ廊下のことを詳しく知りたいと言って合流する。与作寝ているが、もそっと起き上がり、地図を広げて説明をする。飲むほどに舌もなめらかに回り、最後は焚火をかこみ合唱が始まる。雲ノ平の歌があることを知り、青年に教わるが、覚えられなかった。K、与作の声が夜空にひびく。わたしは札付の音痴故にパクパクとオゾンを吸っている。


 ちなみに青年は、日産自動車山岳部所属で、今日は総勢できているとのこと。


 満天の星空。明日もはれ。(敬称略)


8月12日

 いよいよ体力だけがたよりの山歩きの始まりです。(7:15)大丈夫かな・・・。小屋の前の大木に高天原新道入口と書いた真新しい看板が打ちつけてあり、その根元にはキヌガサソウが群生している。すぐに笹におおわれた、ゆるやかな登りとなる。樹林帯のため、それほど暑さも気にならず歩くことができるが、笹の切り株が、やたら靴に引っかかり歩きにくい。笹も太いし、木も大木が多く、人の手の入っていない山奥へと進んでいく。樹林帯から薬師岳が見え隠れし、アップダウンの始まりとなる。与作、昨日のアルコールが残っているらしく、足元がかろやかに踊っているように見える。


 1,866M付近に元気のでる水あり(名づけて高天原銘水)。(10:30)正確な位置は与作氏におたずねください。この先を歩いているとK、今何か黒いものが走っていった。カモシカかクマかも知れんという。与作笛を出そうかどうしようかと迷うが、ヘロヘロコールで追い払うことにする。口元のタルへの急降下の途中、真黒な大キジを発見。これは誰のもの。もしかすると・・・。


 口元のタルで、スノーブリッジをながめながら昼食。(11:35)後を流れる川の上部にミズバショウのおばけが1株あった。


 2,070M地点を通過し歩いていると、何やら獣の走る音をK、小出の2人が聞く。与作笛を取り出し吹く。恐かったですヨ。


 笹をかき分けようやく薬師見平に着く。(15:15)突然別世界に来たように感じ、ワタスゲの白さが印象的でした。その名のとおり薬師を存分にながめることができる。


 今日の目的地姿見平へと急ぐ。こちらは薬師が一段と大きく迫ってくる。(17:15)


 沢から10分位のところなので水の心配はいらないが、湿地のため団体の場合はテンバに不自由するかもしれない。今日は途中で仕入れた松茸を夕食に調理し、食べる。他にもカラフルな茸あり。秋に茸をよく知っている人と一緒に歩くと、かなりの収穫を得られるかも。体力に自信のある方は是非1度お試しください。


 Kは、Kちゃん今頃新宿に向っているころだとつぶやく。今日は夢でお話ししてください。


 今日も星空明日も晴れ。


8月13日

 昨日食べた松茸の影響も出ず元気に目ざめる。モウセンゴケに虫がかかっているとK。わたしも見たことないので、確かめる。試しに指を出してみるが変化なし。虫でないとだめなようだ。


 歩きはじめは、なだらかな草原と庭園歩きを楽しむことができる。(6:20)そして急降下がはじまり、夢ノ平近くまでアップダウンを繰り返すが、昨日の比ではない。岩のペンキを拾いながら歩く。日当たりの良いところで突如、ヘビの出現に驚き、なかなか動かないので遠回りをする。先頭を歩いている与作つらいヨネ。


 やがて、なだらかな歩きになると夢ノ平は間近です。


 与作の夢にまで見たところ、とうとう来ました。(9:05)左に入っていくと大きな池塘があった。そこでリュックをおろし、しばし夢を見る。温泉で汗を流し、ビールで元気つけて、上ノ廊下にチャレンジ。温泉から沢への下りは、踏み跡を拾いながら行くので迷い込まないように注意すること。



 いよいよ沢歩きの仕度をする。3人3様のかっこうである。靴下の上にワラジをつけて、初めての沢歩きを体験。なかなか歩き心地よいもので、ワラジを見直しました。ワラゾウリは子供の頃履いた記憶があるのですが、みなさんは履いたことはないでしょうネ。


 立石の大きな釜を見て、ここで泳ぐのかなと不安になるが、先行パーティーが岩の上を歩いて行ったのでホッとする。(13:05)しばらくするとK水の中にズンと入っていく。わたしも後に続くが、腰の上まで水が来た時は、心臓がドキンドキン。黒部川に気迫負けしそうになる。水も少し冷たく感じる。立石の奇岩にしばし見とれる。(13:45)なかでも、川のそばに石柱のようにそそり立つ岩肌を見ながら崩壊する様を想像し、遠巻きにながめ返す。この先は岩をピョンピョン飛びながら歩くようになる。途中の岩の上にカワラナデシコが群生していて、甘い香りを漂わせており、○○をする。Kは気がついたかな?はるか先を歩いている。後からくる与作を待って、この甘い香りを味わってもらう。迷惑だったかしら!


 小屋まで、あと少しだが空腹に耐えきれず、腹ごしらえをする。また歩き出すと、木の標識が目につくようになり小屋が近いことを確認する。ふり返ると、真っ青な空が谷に吸い込まれるように消えている。山深く入って来た実感を味わう。やがて目の前に吊り橋が見え小屋が見えてくる。(17:20)


 T、Kの両氏と合流。2人は3時前に着き、いまか、いまかと首を長~くして待っていたが、5時までに合流できなかったので、今日の宿泊手続きを完了した時にKが到着したので宿泊をキャンセルする。小屋の人に、「どこに寝ているのだ」と言われたそうだ。ここは幕営禁止になっているようだ。しかし奥に入ると、テントがあるある。お互い心得たものである。


 河原で焚火をしながら夕食をとる。


 星が出ている明日も晴れ。


8月14日

 朝食をとりながら、今日のコースを考える。黒部源頭をつめていき、帰りに祖父沢、祖母沢のコースに別れようか、と冗談を言いながら、源頭をつめることにする。与作は、今日は休養日にするという。わたしもうむと考えるが、せっかくきたのだからと歩くことにする。

昨日使ったワラジを前後逆に履きかえ出発。(8:20)


 赤木沢出合までは、危険な所もなく歩きやすく、心なしか廊下よりも流れが緩やかなような気がする。赤木沢の出合の釜を見つめながら明日は、ここを泳ぐのかな、やだなと思って見上げると、あったあった登山道が。こういうところは必ず高巻く道があることを知る。(9:00)また、春にカモシカと出会った場所でもあるとのこと。鷲羽が見えるあたりからお花畑が左右に広がりクロユリを発見した時は皆を呼び戻してしまった。


 祖父岳の360度のパノラマを楽しむには、大きなケルンがたくさんあり目ざわりに思うが、(13:45)雲の平山荘からの祖父岳はケルンのない丸味をおびやさしく横たわっていました。(14:35)


 ビールを飲んで小休止し、広い広い雲ノ平をぬけ、薬師沢への急降下が始まると、50分ほどで小屋に着く。(16:50)テンバに行くと、Mが到着している。これで安心とのんびり食事をする。与作は昼に小屋でラーメンと煙草を注文したらラーメンしか出てこなかったとなげく。そして橘君のことを先輩と慕いはじめる。焚火をかこみ夕食をとる。今日はデザートつきでした。全員揃ったせいか、遅くまで焚火をし与作の美声をまた聞くことができました。そして、皆がしょってきたアルコールは底をついてしまった。


8月15日

 くもり空をあおぎながら、赤木沢出合いに向って歩く。(8:00)途中高巻きしたところに、ミズバショウのおばけが生えていました。


 出合でも高巻いたが、釜を横切った橘いわく、楽に渡れるとのこと。滑滝が続いていて、なんと気持ちのよいものなんだろう。これが沢登りというものか最高!水温もむしろ暖かいと感じ楽しみながら歩く。稜線が見えはじめてくると大滝も近い。35Mの大滝は一見の価値があります。(10:40)


 さらにつめ、焚火で濡れた衣類を乾かし稜線に出る。直下に雪渓が残っていて、誰からともなく与作に向って雪をなげはじめる○○退治のはじまりはじまり。足元をみると、山椒魚が1匹氷漬けになっているのを発見。どうしてこんな所に迷い込んだのかな・・・。遊びすぎるとこうなるのかな。(13:05)


 両脇にリンドウやハクサンイチゲを見ながら黒五に進んでいく。山頂に着いた頃はガスでみんなの顔しか見えなかった。(14:30)テントを張っていると背後でヘロヘロコールが聞こえる。(16:15)しばらくながめていると、こちらに飛んでくる人がいる。近づいてみると丸㤗である。聞けば前日について待っていたのだそうです。さっそくビールで乾杯となる。


 今日もデザートつき。Y氏たくさん食べたいので水の量を3倍程にするが固まりました。次回からはこの作り方で質より量を追求しましょう。


 テントにかこまれているSのツエルトがかわいく見えました。


8月16日

 ゆったりとした出発のため、テンバを後にしたときには、テントが1張だけ残っていました。(7:45)


 小屋の後から一気に登りがはじまりややきつく感じるが、こういう時は黙々と足を前に出すに限る。目の前が明るくなってくると三俣手前のピークであり、ここで一休みする。2日前に歩いた祖父岳、雲ノ平を間近に望み、今日は谷底じゃなく、上へ上へと歩いて行くのかと思うと気が楽になってくる。


 三俣から双六へのなだらかな歩きがはじまり、ゴゼンタチバナ、リンドウ、ウサギギク、ETCが目を楽しませてくれた。


 双六小屋でラーメンを食べたり、牛乳を飲んだり、青リンゴもありました。(11:10)下界のラーメンより麺が固いそうです。よくかんで食べましょう。双六池の脇に小さな雪渓が残っていた。弓折の直下に黒ユリを発見するが、色からして茶ユリと呼びたくなる。秩父岩のところの雪渓で水を補給すべく探すが見当たらずにあきらめる。こんな所でテントを張っている人がいる。そして、側の岩には、ここでの幕営を禁ずと白ペンキで大きく書いてある。また登りはじめ杓子の分岐に着いたころには、疲れを感じる。(15:40)笠の小屋が見えているが遠く思える。みんなが腰を上げようとしないので隊長自ら立ち上がり、リュックをしょっての一声でみな立ち上がる。


 テンバはまあまあの広さだが石がゴロゴロしているので、どこにでも張れるという訳にはいかない。(16:40)水場は3分ばかり下った雪渓のところにある。さっそくK、Kはサブザックでアルコールを仕入れに小屋へとむかう。赤いザックをふくらませて帰ってくる。ビール、チューハイ、ウィスキーが並ぶ。早速最後の晩さんがはじまる。各自残っている食料を放出し、それらしくなる。


 コーヒーゼリーで締めくくるつもりが、寒天とゼリーを併用したためか、固まらず1晩放置する。


8月17日

 朝テントから顔を出すと、槍・穂高の黒いシルエットがうかびあがっている。近くで見ると槍の山頂は丸味をおびている。最後の食事にふさわしく、おぞうにを食べました。もう下山日。予定どおりの進行である。


 昨日作ったコーヒーゼリーが1晩冷気にさらされ食べごろとなっていたが日が昇るにつれ分離がはじまり水々しいゼリーとなってしまった。


 笠への登りで、新穂高へ下る道は途中橋が流されているので中止しましたというグループに出会う。山頂では隊長が悩んでいる様子だが、予定どおり行動することに決定する。


 ここでK地下足袋の上にワラジを履く。これがなかなか笠とマッチしている。これからの下りは昭文社と日地の地図で確認すると2時間の差が生じているが♨につけば、はっきりするだろう。どんどん高度を下げていく。ここは登ってくる人はいないよ誰にも会わないよと言っていたら、来るではありませんか、男が1人。すごいなあ。心の中で声援を送る。錫杖岩にクライマー達がとりついているのが見え沢を横切ると♨はもうすぐ。みんなの足運びが速くなる。下りきったところに「増水時は、笠新道に回るように」と看板がたててありました。


 ビール片手に温泉へつかる宿の前に赤く色づいた野イチゴがあったので味見をしたがおいしくなかった。バス停は近い。そして、そこの売店のメニューがおもしろい。みだらしだんご1本50円が印象に残る。バスを乗り継ぎ新島々へ。そして、代表の待つ小波へと急ぐ。代表に連絡をとるが通じない。我らだけで祝杯をあげ帰京する。



1986年8月2日土曜日

南アルプス大井川赤石沢 K、TH、T、K

 赤石沢という名前の沢は全国各地にあるが、南アルプスにも甲斐駒ケ岳の大武川の支流に赤石沢がある。しかし、この2つの赤石沢は、持ち味が非常に異なる。


 昨年夏に、大武川赤石沢の奥壁と前衛壁でハードな岩登りをした。花崗岩の壁は明るく、スッキリとしていた。ざらざらの岩肌にこすられて、カラダのあちこちに擦過傷ができた。照りつける太陽にあぶられ、ノドがカラカラに渇いて、コールする声がかすれた。クライミングで酷使した腕は、ひどい筋肉痛になった。


 一転して、今年の大井川赤石沢はどうだったであろう。水量は少なめで、受けたイメージがソフトだった。美しく磨かれたラジオラリアの巨岩に肌をひたとつけた時の心地よい冷たさ。透き通った水際を、ジャブジャブと水しぶきをあげて歩く爽快さ。うっそうとした谷間の木々の先の、限られた青空の奥に見えた赤石岳の稜線の清さ。ノドが乾いたら、足元の水を両手ですくって飲む。


 わたしは、岩登りと沢登りを天秤にかけて、優劣を論じるなどという愚は犯さない。ただ、山にひたりきりたいなら、沢登りという方法は素晴らしく良い。


THによる報告。


8月1日

 車で新宿発、2時間かかって、静岡インター着。運転を代わり、一路富士見峠を目指して、車を走らせる。峠道にさしかかると、なかなかのワインディングロードで、久しぶりに興奮しながら運転をする。井川ダムまで対向車が1台も来なかったのには驚いた。井川の部落を通って畑薙ダム着。(3:20)ダム脇の駐車場でマットを広げて、Kさんのワインを飲んで寝る。


8月2日

 7:00頃までぐっすり寝た。目覚めると梅雨明けの青空と、ダム独特の人工物に囲まれていた。椹島ロッジのバスで椹島まで行く。往復3,000円也。南アルプスは初めてなので、目に入るもの皆珍しい。人も住まないこんな所にこんな立派な林道と橋、トンネルにあきれているうちに、唐松林に囲まれた椹島に到着。ロッジ裏の椎茸のホダ木が並んだ登山道を登り林道に出る。カーブを1つ曲がると赤石沢に下るロープが張ってあり、河原に降りて朝食にする。(9:00)


 見た感じ水量が少ない。わたしが調べたどの記録にも程遠い。遡り始めると平凡な川原が続き、イワナ淵など気付かずに通り過ぎてしまった。斜め滝5Mが現れ、落ち口の渡渉が悪い。Kさんが飛んで渡りザイルを張り後続する。ここがニエ淵の核心部ではないかとKさんが言いだす。人が6時間かかっている所を、いくら水量が少ないといっても1時間はないでしょうと言いながら歩き出す。釜を泳いだり小さな滝を登ったり側壁をへつったり、全くあきさせない所だ。5M位の滝の落ち口が悪い。ここもKさんが飛び渡りザイル工作の後、後続する。(12:00)


 行動食を食べながら地図と遡行図を広げて、ここがニエ淵の核心部ではないかと話あう。ジャブジャブとゴルジュの中を行けば曲り滝と出合う。左岸のルンゼ状の草付を高巻き滝上部に出る。20M位行くと桂の岩小屋に着いた。(13:20)ここはフォールナンバーの写真で見たことがあったので、断定出来た。やっと自分たちが何処にいるのかはっきりしたわけだ。曲り滝もここに着いて断定出来たわけです。


 ビバークポイントとしては教科書通りの場所で、沢床より1Mは高く砂地で大岩に囲まれて、エスケープも簡単に出来る。もちろん焚き木にも不自由しない。過去の記録やガイドブックを読んで、初日はここまで来られればよし、と思っていた。ところが素晴らしく足並みの揃ったパーティー?なので、今日は計画通り北沢出合で泊まる事になった。


 残置ハーケンを握るA0のへつりを過ぎると長かったゴルジュ帯も終わり、北沢出合までは川原歩きに終始する。(15:00)


 北沢出合には工事用の真新しいビニールシートが捨ててあり今夜の寝床にする。KさんとKさんは釣竿を持ってきているので早速、取りだす。しかしKさんの竿が壊れていて圭三さん1人が釣りに行ったが釣果なし。焚き木を集め盛大にやる。飯を炊きながら飲み始める。滝本君、小林さんのザックから出てきたビールに感謝しつつ全部飲んでしまう。五目御飯の飯を食い終っても飲み続け、全酒量の3分の2を飲んでしまう。1人寝2人寝し、焚火と山深い南アルプスの山々に囲まれて幸せになって寝てしまう。


8月3日

 何時に寝たか覚えていないが、5:30に目が覚める。肌寒いので、前夜の火床をかき回し火を起こす。みんなポツリポツリ起きだして来る。飯を食い出発。(7:30)


 前夜の名残りをとどめフラフラノロノロ歩きはじめる。単純な川原歩きの後、両岸がせせり出しゴルジュっぽくなった所に大きく深い釜を持つ、門の滝があった。(8:30)ガイドブック通りに左岸より落ちる白蓬沢の滝の中段より取り付くKさんがトップ。残置ハーケンにビレーを取りながら登って行く。2番手にて取付く。ビレー点に着くとそのまま、落ち口のトラバースを確保してもらいながら通過。ザイルを解き、滝を上から覗くと、かなりの迫力がある。ブラブラしていると足元に行者ニンニクがあったので、今夜の味噌汁の実ができたと喜ぶ。


 みんながあがってきて、直ぐ上の河原で1本立てる。河原を行くと大きな釜を持つ滝に出合う。ガイドブックに巨岩の中を登るとあるところで、岩と岩の間に残置ハーケンがあり、ザイルを出していると、Kさんがザックを背負ったままで取り付くが、出口の穴が小さく抜け出られない。ザックを受取りザイルを渡す。するすると巨岩の上に出てしまう。ザイルを釣り上げる内に穴を抜けるが、抜けた上がかぶり気味で踏ん切りがつかない。ボルトとハーケンの残置がある。考えるよりはザイルと思い、ザックが全部吊り上がるのを待つ。ザイルを着け取付くとあっさり上がってしまう。後続もザイルを着けて登ってくる。この岩の上からは大ガランが見える。みんなバラバラで登り始める。(10:00)大ガランというよりも大ガラガラといった方が良い位に、不安定な土砂まじりのガラ場のトラバースである。


 先に着いた順に大岩の上で休む。みんな揃った所で行動食を食べる。岩のすぐ上にタイヤのチューブが捨ててあり、KさんとT君が泳いで遊んでいる。この辺りよりラジオラリヤの沢床が始まる。美しく不思議な風景である。朱色がくすんだような色で、濡れると鮮やかなアズキ色になる。古いお寺の風神雷神を思わせる縞模様の大岩や緑の釜のコントラストに、皆口々に、奇麗だとか、不思議だとか言いながら歩く。シシボネ沢出合にでると雪のブロックが転がっている。


 先には大ゴルジュの最初の滝が見える。確かに登れる滝ではない。シシボネ沢の枝沢を30M程登り大高巻きとなる。途中ザイルを出したところ1か所。アプザイレンが1か所。小1時間を要し、再び沢床に降り立つ。小雪渓沢、大雪渓沢を迎え、大淵の滝で大休止。(12:25)


 今日は、百間洞山の家までの計画だが、百間洞沢出合に泊ろうと言う話になる。理由は、焚火がしたい。誰もいない沢の中に泊まりたい。この2点で全員意見の一致をみた。裏赤石沢で百閒洞沢と間違えそうになったが、先に進む。途中岩棚にひっかかった小さな雪渓があり、みんなで釜に落そうとして躍起になる。石をぶつけたり、肩で押したり、流木をてこにしたりして、全部落してしまう。最後に滝本君が雪のブロックがプカプカしている釜を泳いでいる所を写真にとってTHE END。


 小さなゴルジュを抜け林に囲まれた、快適なビバーク地、百間洞沢出合に着く。(15:00)ちなみに裏赤石沢出合は、水量が2:1で裏赤石沢が少なく沢床も高い。百間洞沢出合は、水量が1:1で沢床は同じ位である。


 今日も焚火だとばかりに焚き木集めに精を出す。この頃より、笊が岳方面に絹雲がただよい始めていた。焚火を始めると風が出てきて積乱雲も出てきたが、気にするでもなく焚火をし、サラミやチャーシューを焼いて食う。味噌もそのあたりの葉っぱにくるんで焼いて食う。最後の焼酎をグビグビやる。白飯に行者ニンニクの味噌汁、佃煮で飯を食い、焚火を囲み、沢の中の最後の夜を楽しんだ。今晩も1人寝し2人寝してみんなツエルトの中に丸くなった。


 夜半1時頃より雨でツエルトの中が水びたしになるが、朝まで又寝る。


8月4日

 朝ラジオの音で目が覚める。天気予報では台風は南大東島付近とのことで、台風のせいではないなとか話しながら、行動食で朝食をすませ、出発。(7:30)


 雨の中なので慎重に行動する。いくつかの滝を高巻き百間大滝に出る。(8:30)左岸の小さなルンゼを詰め、落ち口にトラバースし滝上に出る。きびしい所はここまでなので、1本たてる。Kさんは、雨具がなく傘をさしてここまで来た。たいしたもんだ、と感心する。雨の中川原をジャブジャブ行く。二又になったところで小屋が見える。思い思いに薮をこぎ始める。最初にKさんが小屋に着き笛をピーピー鳴らしている。小屋のゴミに導かれて小屋のゴミ捨て場に出る。ポツリポツリと全員集合。(9:30)記念撮影後に小屋の中で休ませてもらおうとしたが、小屋番の言う事には、小屋の中が濡れるという理由で中に入れてもらえず、外で休む。

 体が冷えるので出発。百間洞幕営地でツエルトを被り、MSRで暖かく懐かしいオボスポーツを作り、飲む。(10:30)行動食を食べ体を暖めて出発。


 T、TH、Kちゃん、K、Kのオーダーで出発したが、百間平辺りから雨風が強くなりパーティーが前後バラバラになる。(11:00)そのまま赤石岳の頂上まで向ってしまう。


 頂上直下よりT君が寒さのために走り出してしまう。着いて行くのが精一杯で頂上に着く。こっちですよとばかり下り出すので着いて行ったが、避難小屋がみつからない。探してもない。T君がメタとツエルトを持ってますという。かなりまいっている様子なのでツエルトを被る。なかなか着かないライターにイライラしながらメタに火を着け、少しづつ燃やし続けていると、T君が、笛の音が聞こえるという。耳を澄ますと確かに聞こえる。コールを返す。又聞こえる。T君を残し再び頂上に向かう。途中よりはっきり聞こえ始めた笛の音に導かれ小屋の前に出る。3人とも避難小屋に居る。K氏とT君の所に戻り、小屋に入る。(13:00)


 小屋の中にツエルトを張りMSRを着ければ、ツエルトの中は真夏に戻った。あり余るKさんの味噌で何杯も味噌汁を飲み、やっと体が暖まる。


 1時間以上も休み、出発する。主稜を下り、椹島に向かって支稜にはいると風も雨も弱くなる。雨に濡れたお花畑をくだる。樹林帯に入ってホッとする。富士見平の手前で小休止し行動食を食べる。(15:50)持ってきたバターを出したが、カンカンでチューブから出てこない。Kさんのザックに着いている温度計を見ると8度しかない。主稜は、標高差と風速を考えると2度か3度、いや、もっと下がっていたかもしれない。


 後はルンルン雨の中を歩き、赤石小屋に着いた。(16:10)毛布とシュラフをつけて3,000円也。薪ストーブの廻りに陣取り、缶ビールで乾杯。ワンカップを飲みながら、飯を作り、Kさんの持ってきたオクラとみりん干しに感謝しつつ食事を終える。


 乾いて暖かいシュラフと毛布にくるまると久しぶりの屋根の下のせいか疲れたのかすぐに幸せな眠りについた。夜半満天の星に驚きながら又寝てしまう。


8月5日

 5時頃より起き始める。快晴なので椹島8:50発のバスを目指して下ることにする。(5:45)


 登山道は尾根沿いに下る。所々で展望が開け、赤石岳が、聖岳が、そして赤石沢がみえる。昨日の天気からは想像が出来ないような青空で、赤石岳、聖岳は初めて見る。ともかくドンドン下る。最後に無粋な鉄梯子を下り車道に出て終了。(7:45)


 椹島ロッジにて缶ビールで乾杯。バスが出るまでノンビリ待つ。小屋番がなんやかんやと話しかけてくる。話によると来年から北沢出合の取水口の工事が始まるそうで、あんたたちは良い時に登ったねと言われた。又もうすぐ皇太子の息子様が登山しに来るそうで、その為に林道、登山道ともにそちらこちらで、補修しているそうだ。


 9:00にマイクロバスが出発し、再び赤石沢に見参する。出発した時の流れからは想像できない位の水量に驚かされる。荒れた流れの荒川を見ながら畑薙第1ダム着。(9:45)濡れた物を全部広げて日に晒し、出発した時と同じ青空の下でノンビリ1時間ほどを過ごす。


 赤石温泉に入り、静岡でぶあついトンカツを食べて帰京する。


1986年7月27日日曜日

丹沢 玄倉川小川谷廊下 K、T、T

 大井川赤石沢に向けたトレーニング山行第3弾、最終回である。Tが車を出してくれ、楽だった。新宿駅南口に集合して、東名高速道路をとばし、穴の平橋に着いたのは、夜中の12時過ぎだった。ヘッドライトを頭につけて宴会をする。翌朝は少し雨がぱらついた後、次第に明るくなり、梅雨明けの期待をいだかせる。二日酔いの者も朝食を済ませ、身支度を整えて出発する。(8:30)


 先行パーティーがいる。踏み跡を使って沢に降り、トコトコ歩きはじめる。第1の滝には倒木が引っかかっていた。真名井沢と鳥屋待沢の様なのかと思った。その勘は当り、大岩のある滝も、本来ずぶ濡れになるはずが、倒木を使って難なく越えてしまった。滑りやすい滝がいくつか続いたが、渓流シューズのフリクションで、正面から登れた。


 次にあらわれたゴルジュは、わざと濡れながら登りを楽しんだ。つるつるの大岩を遊びながら越し、石棚に入る。滝がいくつか続いた後、大滝に出る。2段15Mで下段は確保なしで登れるが、上部は必要だ。左の巻道には6人の先行パーティーが、ザイルを出していて、2時間ぐらい待たされそうだ。それで、横をフリーで先行させてもらう。ひとしきりプールで泳いだ後、滑りやすい滝をひとつ越え、東沢のゴーロに出て、小川谷の遡行を終了する。前から来てみたかったが、まとまっていて良い沢だと思った。


 帰りは中ノ沢経路を穴の平橋に戻った。途中中川温泉に寄って入浴しようとしたが、断られてしまった。なぜだろう。さてこれで赤石沢へ向けての準備はできた。



1986年7月20日日曜日

万太郎谷

  大井川赤石沢へ向けてのトレーニング第2弾として行った。


 上野駅22:17発の長岡行、通称「谷川列車」は、土日のみの運行になった。これに乗って、土樽まで行き、駅の陸橋で仮眠する。駅は合理化で無人駅になってしまった。


 翌朝、晴れを期待してはいなかったが、雨である。しばらくシュラフの中でじっとしていたが、時間がたつにつれ空が青く見えるような気がしてきたので、まだ寝入っているみんなを起こして出発する。


 魚野川に沿って林道を歩く。関越自動車道の側道を歩かせていただくという感じである。しばらくいくと魚野川は、右万太郎谷、左蓬沢、と別れる。右へ行く林道へ入る。土樽駅から小1時間で万太郎谷に降り立つ。どんよりとした雲が頭上を圧し、今にもまた雨が降ってきそうだ。朝食をとり、身支度をして、そそくさと出発する。


 水流は意外に冷たく感じる。河原を少し行くと、大きなナメが現れてきれいだ。そこを過ぎると、左か流木の多い川棚沢を迎える。関越トンネルの巨大な排気塔がある。これは全く興ざめだが、これを作るために林道を通さなかったのは不幸中の幸いだ。


 その上がオキドウキョの淵である。ゴルジュを通過するには水泳しなければならない。それを避けて危ういヘツリや大高巻きをするくらいなら、泳いだ方がすがすがしい。先行した3人が、淵を前にためらっているので、わたしがまずザンブと泳いで渡った。その上の滝状(1.5M)は水量が多くて登りにくい。水中ボルダリングという感じで越す。次にまた淵があって、再び泳ぐ。対岸へ着き、上がろうとしたがホールドがない。四苦八苦しているうちに水につかった下半身が寒さに強ばり、えいとばかりに持ち上げた左足が痙攣した。


 井戸小屋沢の出合付近で雨が激しくなってきた。ここから谷川新道を下山する。谷川新道は廃道に近く、非常に歩きづらいので、排気塔のところから万太郎谷を下った。沢を泳いだり、ウォーターシュートしたりしながら、朝食をとったところまで楽しく下った。


 湯沢駅まで出て、駅前の温泉に入って冷え切った体を温め、新幹線で帰京した。


 わたしの山日記もとうとう3冊目が終わった。1冊目が高校1年の秋まで。2冊目が大学職員になった年の初冬まで。そして3冊目は30歳の夏までである。


 縦走と沢登りの時代、模索の時代、山スキーと岩の時代がそれぞれに対応しているように思える。山行回数は200回に近づいている。4冊目は山スキーと沢の時代だろうか。


1986年7月13日日曜日

鳥屋待沢

 夏に大井川赤石沢の遡行を予定しているので、行くメンバーでトレーニング山行をしよう、となった。日帰りで、小さな沢で足馴らししよう、と岩崎元郎の「沢登りの本」に載っていたこの沢を選んだ。

 5月に真名井沢へ行ったときと同じように、沢には倒木が多かった。倒木が無ければ、小さいながらもすっきりした良い沢だったと思う。


 このところ天候にめぐまれない。山へ行くたびに雨だ。梅雨だから仕方ない。


1986年6月28日土曜日

笛吹川東沢(中止)

 西沢渓谷入口でタクシーを降りると、見知らぬ老人に、「どこへ行くだ。」「沢に入ってはいけない。これから大雨になる」と言われた。わたしはすぐ頭に血が上る性質なので、ムカッときた。これから天候が悪化することは、重々予想していた。頭上には黒っぽい雲が重くのしかかっている。それを気にして、様子を見ようと思っているのに、あのように頭ごなしに言われると腹が立つ。

 ともかく二俣でツエルトを張ろう、とズンズン歩いた。河原の流木を集め、盛大に焚火をしてウサを晴らした。


 翌日は、しっかり雨が降っていたので沢登りは中止して帰った。


1986年6月14日土曜日

北岳バットレス

 この時期に北岳バットレスを選んで去年、今年と訪れたのには、いくつかの理由がある。ひとつは、暑くも寒くもない頃なので、心地よく3000M峰のクライミングができること。また、岩場の登攀が難しくなく、それでいて手応えがあるクライミングができること。そして、短いアプローチながら、BC適地にも恵まれていることなどがあげられる。これらはすでに先人が明らかにしてきたことではあるが、自分で実際その中で行動してみると、その尊さを感じずにはいられない。

6月14日 第4尾根下部フランケ~上部フランケ パートナーM

 昨年登り残した、第4尾根の上部フランケを、下部フランケからつなげて登る。


 昨年難渋した下部岩壁への雪渓は、今年は意外なほど軟らかく、さほど苦労しなかった。見慣れたピラミッドフェース下部の取付きに着く。いくつか他パーティーが先行しているが、その中に新入会を希望しているYの姿があった。ギャルとザイルを組んでいるので、冷やかし半分にコールすると照れていた。


 さて、下部フランケの取付きは、ピラミッドフェース下部の凹角から、バンドをトラバースし、Dガリーを3P登ったところである。去年はそれを間違えて、えらい目にあってしまった。徒然草に、「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(52段)とあるように、わたしたちに頼りになるリーダーいたらなあ、と無責任に嘆いたものだった。それも今は昔、


 今日は颯爽とスタートする。(12:20)スラブ(Ⅳ-)をA0をまじえてパスし、クサビハングはフリーで越す。続く凹角も去年より余裕を持って越し、下部フランケのラスト1 Pを残して上部フランケへと左にトラバースする。トラバースでランナウトが過ぎるのは嫌な気分だが、2本ビレーピンが取れた。


 上部フランケには、T-Sパーティーが先行している。彼らは右寄りのクラックを登って行ったが、わたしたちはシュバルツカンテと呼ばれる左側のカンテを登る。難易度に大差はないが、快適さではカンテが一枚上のように思えた。カンテの最上部で上部フランケは終り、第4尾根のマッチ箱付近に出る。(15:20)


 マッチ箱のコルは渋滞を起こしており、その中にYパーティーもいた。昨年は雪がべっとり付いていたという第4尾根終了点から山頂への道も、今年はすでに雪は切れ切れになっていた。


6月15日 第4尾根下部ピラミッドフェース~第4尾根 パートナーT

 Tが今年7月のはじめからヨーロッパへ行くので、その前にどこかへ行きたいので、つき合ってくれませんか、というのが今回のバットレスの始まりだった。わたしはGW前後に体調を崩して、全く山に行けなかった。一方、Tは三ツ峠だ、小川山だと、足繁く岩場に通っていた。だから、今シーズンのからだの出来には差があった。それでも、わたしの良く知った北岳バットレスなら、宿題もあるし、行ってもいいよと付き合った。だから、厳しいピッチは、本場のアルプスを目指すTにお任せであった。


 予定では、下部岩壁はピラミッドフェース下部と十字クラックの間のバリエーションルートを登り、バンドに出たらピラミッドフェースルートに入り、第4尾根に出た段階でまだ時間に余裕があったら、中央稜へとつなごうと思った。


 下部岩壁の出だし、Tは脆い逆層の岩(Ⅴ-位)に冷や汗をかいた。(9:30)草付のバンドでピッチを切り、ホールドの細かいフェース(Ⅳ+)を経て灌木帯に入る。コンテで登るとすぐに横断バンドに出る。ここを直上すると第4尾根の取り付きだが、われわれは左にトラバースし、ピラミッドフェースの取付きへ向かう。


 スタートは脆いハングを左から回り込む。先行パーティーがいるし、天気は良いので、ゆっくり登る。ジャミングする部分が何か所かあるが、やや気力不足でA0を2、3回交える。最後のクラックは竹内のリードでA1になる。去年はもっと気が張っていて、スッキリと登った印象がある。(14:50)


 第4尾根は案の定混んでいた。マッチ箱で1時間順番待ちさせられる。日程は明日まである。今日は中央稜は割愛する。中央稜への下降点を確認したあと、第4尾根を最後まで登って山頂経由で御池へ下る。


6月16日 Dガリー奥壁~中央稜ノーマルルート パートナーT

 今日はきっと誰もバットレスに取り付かないだろう。月曜日だから。けれど天気がいまひとつで、雨がぽつぽつ落ちてくる。梅雨入りももはや目前である。行こうか。止めようか。行こうか。止めようか。しばらくTとはっきりしない会話をしたが、結局惰性的に行くことになった。大雪渓を登っていると、時折雨がザーっと降ってくる。もうやめだ、などといっているうちに、晴れ間がのぞいてくる。そうこうしているうちにDガリーの下端まで登ってきてしまう。どうやら天気はもちそうなので、予定通り行動することに決める。(9:20)


 コンテでDガリーをずんずんつめていくと、ハングに突き当たる。スタカットにかえて、ハングをよけながら右上したら、左側に赤っぽいスラブが見えたのでルートを誤ったことを知る。クライムダウンし、Tとトップを代わる。Dガリーの最初のハングはⅤのフリーである。Tによると、ハングよりもそのあとのスラブのほうがピンが無くて恐ろしかったとのこと。ストッパーがあるいは有効かと思う。続くピッチは、ちょうど足をこじ入れられるくらいのきれいなクラックがまっすぐ走っている。もちろん足は痛いが、それもまた快感である。ザイルをズンズン伸ばしたあと、右により第4尾根に出る。(11:20)


 第4尾根を1P登って、中央稜への下降点に立つ。ここから雨が本降りになり、岩がみるみる濡れていく。これから中央稜を登るのかと思うと、3日目の疲れもあって、やや気が重い。


 Cガリーには2回のアプザイレンで着く。ザイルを回収する際に、どうしても落石を誘発してしまう。Cガリーは雪渓になっていて、それが中央稜の取付きまで続いている。堅雪ではないが、急斜面なので四つん這いで歩く。やっと取付きに着いた時には、指先がしびれていた。ピッケルがあると気が楽だろう。


 中央稜ノーマルルートの取付きは、大ハングルートのすぐ右あたりだが、そこへ行くには、さっきよりもっと危うい雪渓を越えて行かなければならない。それは危険度が高いので、Tの意見をいれ、直上するリンネにダイレクトに取り付く脆いフェースからスタートする。(12:15)


 責任払いという訳でもないが、Tにトップを頼む。Tは石を落さないよう、慎重に登って行った。リンネがスラブ状のハングに変わるところでピッチを切る。つぎのピッチはまず右にトラバースし、第2ハング(A1)を越え、右端のリッジに出てビレイポイントとなる。そこからはリッジ沿いに慎重に2P登り、さらに浮石の多い箇所を抜けて終了点に着いた。(14:10)


 頂上直下のCガリー奥壁が、ガスに巻かれて意外な迫力をもって佇んでいる。いつかここをフィナーレにした継続登攀をしてみたい。