2019年5月31日金曜日

ブラック・ツーリズム ドナウ川 ドナウエッシンゲン⇒ハウゼン

なんでドナウ川なのか
ひと昔ほどまえ、わたしはとある大学の生涯学習センターで働いていました
いわゆる団塊の世代の方たちが大量に離職し始めた頃です
退職後の学びが注目されて、大勢の方が平家物語や西洋哲学などの受講を希望をしていました
同僚が「団塊バブルだ」などと、口詮無いことをいっていたのを思い出します

じっさい団塊世代の方々は、成長につれてその爆発的な人口圧力を社会にかけ続けてきました
たとえば小学校で彼らは1クラス50から60人のすしずめ状態になりました
そのせいで彼らのあいだでは競争状態が日常化しました
大学に至っては当局と紛争に及んで日本の大学教育はしばらく完全にマヒしました
さらに企業に就職すると長時間労働もいとわず日本の高度経済成長を後押ししました

そのような世代の方々の中に、生涯学習を退職後の生きがいとする人々がいました
世代全体から見ればそう多い数ではなかったかもしれません
とはいっても母数が並外れて大きな世代ですから、その影響は大でした
わたしのいたセンターにも受け入れられないほどの受講希望者が押し寄せました

人気講座の教室は受講生であふれ受講環境は日に日に快適さを失っていきました
不満をつのらせた受講生がセンターの事務所に怒鳴り込んでくることもありました
わたしは激高した高齢の男性から罵声を浴びせかけられました
「俺がこのセンターの責任者だったらお前なんかクビだ!」

その頃センターの責任者はドイツ文学が専門の教員でした
わたしが受講生からのクレームについて報告すると、「ご苦労さん」と同情してくれました
そして時折南ドイツの文化やそこに暮らす人々の話をしてくれました
そのあたりの人々の明るい気質と多様な文化はドイツの北部などとはかなり異なるそうです

このような話はもちろん日々のクレーム対応には直接には役に立ちませんでした
それでもわたしにとっては、とげとげしい日常業務から頭を切り替えられる瞬間でした
そしてわたしはドナウ川流域のことに興味を持ちました
ふだんから自転車で川沿いを走ることが多かったからかもしれません
ドナウ川に関する本を読んでみました


この本にあった「ドナウ世界」や「ドナウ意識」という言葉に魅了されました
そこには人為的な国境ではくくれない長い歴史が築きあげた多文化社会の匂いがしました
いつかドナウ川沿いを自転車で走りながら、人々の暮らしを覗いてみたいと思いました

ブラック・ツーリズムとは
このような旅をわたしはのちにブラック・ツーリズムあるいは黒旅と呼ぶことにしました
海外の旅であればブラック・ツーリズム、国内であれば黒旅です
ブラックなツーリズム、あるいは黒い旅とはどういうことでしょうか

自転車で旅しながら人々の暮らしとその暮らしを形作った出来事の軌跡を自分の目で見る

これがブラック・ツーリズムという旅の目的です
この旅がブラックあるいは黒いのは、負の遺産を訪れることも含むからです
城や大聖堂にも入れば、グルメもつまみますが、戦争、事件、公害などの跡にも目を向けます
それは負の遺産も、というか負の遺産こそ人々の運命を大きく左右してきたと思うからです

そして見てきて思ったことを自分にできる形で表現します
「認識は、表現にいたってこそ完結する」『レオナルド・ダ・ヴィンチ考』山岸健
と信じるからです
稚拙ながらこのブログ「人力遊山記」がそのひとつです

ドナウ川の流域ではローマ時代から現代にいたるまで幾多の戦争が繰り広げられてきました
冷戦時代には東側では経済が停滞し、公害が起き、大規模な自然破壊も計画されました
ブラック・ツーリズムにとってドナウはまたとない負の遺産の「宝庫」です
栄耀栄華をしのばせる城や大聖堂と共に草葉の陰に埋もれた戦跡も見ることができるでしょう

ブラック・ツーリズムの軌跡
はじめてのブラック・ツーリズムとして2017年にライン川を源流から河口まで旅しました
いきなりドナウ川に出かけるのは敷居が高い気がして人臭いところから入ったのです
このときにデュッセルドルフでフランス人のドミニクと知り合いました
彼と意気投合してライン川の河口まで一週間ほど一緒に走りました
2018年は彼とフランスのロアール川を源流から河口まで走りました
その折にはロアール川の上流のドミニクの家に何泊もさせてもらいました
そして今年また彼とドナウ川を源流からブダペストまで走ります

8:50
Riedseeのキャンプ場からドナウエッシンゲンの町に戻りました
ドナウの源流の町からこの旅をスタートします
その道々フュルステンベルク候の居城が見えました
源流の泉はこの城の脇にあります
フュルステンベルク城
9:00
円形の泉からこんこんと水が湧き出しています


ここから海まで2840㎞という表示されています

ここの海抜は678mと、ライン川やロアール川と比べても長い川なのに源流の標高が低いです

10:10
スーパーでの買い出しを終えてドナウの川端にやってきました


ドナウ川には源流争いというのがあります
突端を隔てて左からブレーク川、右からブリガッハ川が流れてきています
この二つの川が合流するこの地点から川の名称がドナウになります
さっきの泉はブリガッハ川に流れ込んでいます
元々はフュルステンベルク城の泉がドナウの源流とされてきました
その後ブレーク川とブリガッハ川もこちらこそ源流だと名乗りをあげたのです
源流争いは以上で閑話休題

10:40
いよいよブダペストへ向けて走り出しました
まだ菜の花が咲いていて春の名残りを感じさせます
日差しは強く初夏の暑さです

いまは黄色い花の季節なんですね

この鳥が屋根の上の巣で子育てしているのをよく見ました
ドミニクがシゴーニュを言っていました
いわゆるコウノトリですかね

11:40
屋根付きの橋です
冬に橋の雪が凍結して通行が困難にならないように屋根をつけています
いまは良い陽気ですが冬は寒いことが分かります

12:10
教会の外に結婚式を終えたカップルが見えました
新婦のお腹が大きいかな?

13:20
ピクニックする場所を探しながらトゥットリンゲンまで来てしまいました
町の中の公園にようやくいいところを見つけました

この町のホールの壁に男女の彫像があります
男性は女性を指さして何かをとがめているよう
女性はそれに向かってアカンベ―をしています
これを見て結婚を思いとどまった人がいたとかいないとか...


15:10
急坂を登って古い建物の前に泉があるミュールハイムの町にやってきました

ドミニクの自転車旅にはポリシーがあります
・坂道や回り道をいとわず、見所ははずさない
・行動中の飲み物は泉や墓地や店先などで調達した水道水だけ
(たまにビールや赤ワインを飲むことも)
・分からないことはすぐに土地の人に聞く
 ほかにもたくさん...
 この町でさっそくこのポリシーが生きました
 美しい家並み、きれいな泉と飲み水、お年寄りとの語らい
泉の前で
15:30
ミュールハイムからドナウは両岸が岸壁となって狭まり、第一のゴルジュ帯に入ります
自転車道の脇にはアルプスのふもとのような景色が広がります



16:10
遠くの岸壁の上にヴィルデンシュタイン城が見えます

城を眺め、写真を取りながら走ります

17:30
これはまたとんでもない断崖の上に城がたっています
ヴェーレンヴァーク城です

17:40
まだ初日だというのにきょうはずいぶん走ってしまいました
ドナウ川に面したHausenのキャンプ場で泊まります
週末に入るのでキャンプ場は大賑わいです
カヌーを楽しむ人たち
22:00
シャワーを浴び、光る岩肌を仰ぎながら夕食を食べ、寝ました

<走行距離> 90km(累計 100㎞)
<出費> 28.5€(食料代16.5€、キャンプ料9.5€、ビール代2.5€、累計 128.5€)
<Wagenburgキャンプ場の評価> ◎(料金がやすく、立地とスタッフの愛想がいい)

ハウゼン⇒リートリンゲンへ続く


2019年5月30日木曜日

ブラック・ツーリズム ドナウ川 チューリヒ⇒ドナウエッシンゲン

5月30日 晴
3:00
4時間ほど寝ただけで目が覚めてしまいました
シャワーを浴びて、本(「レ・ミゼラブル」)を読み、再び寝ました

6:30
ラジオ体操をしてからレストランに朝食を食べに行きます
家にいるときと同じようなものを食べて元気がでました

7:30
空港の手荷物係にメールをしました
「わたしの荷物が届いたらメールで至急連絡をもらいたい
届いた荷物をどこへ取りに行ったらよいか知らせてほしい
今日の午後わたしは空港周辺にいる」

8:00
ドミニクから電話が来ました
わたしのメッセージは携帯設定の不具合で聞けなかったとのこと
改めて事情を説明し、ドナウエッシンゲンへの到着時刻は分かり次第連絡すると伝えました
ドミニクはたいして驚いていない様子です

8:30
空港の手荷物係からメールがきました
「あなたの荷物はこちらに12:30に到着する予定です
こちらのオフィスはターミナル2の到着ロビー2
Lost & Found2です」
これで13:00すぎには自転車を受け取れるでしょう

9:00
自転車を受け取ってから列車に乗るまで準備にどれくらいかかるか
ドナウエッシンゲンへの列車の接続は都合よくあるか
重たい自転車を押して乗り換えにどれくらい時間がかかるか
切符を先に買った方がいいか、後にしたらいいか

いろいろ気になるがあれこれ考えてもしかたがありません
開き直ってまた「レ・ミゼラブル」を読みます
目的を達成しようとして障害に阻まれ、それをどうにか乗り越えようと葛藤している
この点においていまのわたしは状況はジャン・ヴァルジャンのそれと似ています
深刻さはまったく違いますが

10:30
突然掃除のおばさんが部屋に入ってきました
ベッドで寝ころがって本を読んでいるわたしを見て慌てて出ていきました

11:30
ホテルのPCでわたしの荷物が確かにチューリッヒ行きの便に乗っていることを確認しました
それからチューリッヒ空港からドナウエッシンゲン行きの列車の乗り換え便を調べました
最低でも途中で二回は乗り換えなければなりません

12:00
ホテルの前を走っているトラムに乗って空港へ行きます

12:15
手荷物を受け取る場所とそこから空港駅のホームまでの行き方を実地で確かめました
ホームは地下です
自転車には大きな荷物を付けているのでエレベーターでないと行けません

12:30
切符を買う窓口に30人ほどの行列ができています
対面式でお話ししながら買います
飛行機でやってきて地上の旅をはじめるためにここで切符を買う旅行者がメインです
やっとわたしの番がきました
窓口の女性に自転車に荷物を積んでいるので乗り換えの少ない便で行きたいと伝えました
いろいろ調べてもらった上、15:16にここを出発して2回乗り換え、17:39に着く列車にします

13:10
空港の手荷物係から荷物を受け取りました
自転車に目立ったダメージはないようでこれで一安心です

13:30
空港ビルの隅で自転車を組み立てて荷物を自転車に取り付けます
一時間ほどで作業は終わりました
それを最初からずっと横のベンチで見ていた男性がニコッと笑って見送ってくれます

15:00
下見した経路を通って空港駅のホームに降りました
ホームには次々と列車が到着しては出発します

チューリッヒ空港駅のホーム
15:16
めざす列車に乗って出発します
ドミニクにドナウエッシンゲン駅の到着時刻を知らせました
彼はもうキャンプ場に着いていたけれどドナウエッシンゲン駅まで迎えに来てくれるという

列車内の自転車置き場
15:20
列車が地上に出て、チューリッヒの街を抜けると2年前に見た景色が車窓に広がりました
輝く青空の向こうにアルプスの白い峰々が見えます

車窓からスイスの晴れた空をながめる
16:10
シャッフハウゼンの手前でライン川を渡りました
ライン川がこんなに波立っている箇所はライン滝付近だけだと思います

ライン川 ライン滝のすぐ上流の鉄橋から
17:40
ドナウエッシンゲン駅のホームでドミニクと11か月ぶりの再会のハグ!

18:30
駅からRiedseeキャンプ場まで自転車で行きます
ドミニクと「なんか先週ナントで別れたばかりみたいな気がするね」なんて話しながら

キャンプ場の事務棟
20:00
きょうはこちらは休日で店が開いていないため食料が買えず自炊はできません
ドミニクとキャンプ場のレストランで乾杯をして食事もします
シュニッツェル(トンカツみたいの)とポテトフライの大盛りをおいしく食べました

さっそく乾杯!
21:00
11か月ぶりにテントで寝ました

<走行距離> 10km
<出費> 100€(鉄道運賃45€、自転車搬送料20€、昼食代6€、キャンプ料12€、
        ビール代4€、夕食代13€)
<Riedseeキャンプ場の評価> 〇 料金、施設設備、サービス、いずれも平均なレベル

ドナウエッシンゲン⇒ハウゼンへ続く

2019年5月29日水曜日

ブラック・ツーリズム ドナウ川 川越⇒チューリッヒ


Danube from wiki

プロローグ
このドナウ川の自転車旅はブラックツーリズムの第三弾です
なぜドナウ川なのか、とブラックツーリズムについてはのちほどお話しできればと思います

ドナウ川は長さ2850㎞でヨーロッパ第二の河川です(第一はボルガ川で3690㎞)
ヨーロッパ中央部を西からほぼ東へ向かって流れ、流域は17か国にまたがっています
シュバルツ・バルト(ドイツ)が水源で、ドナウ・デルタ(ルーマニア)で黒海に注ぎます

今回は源流の町ドナウエッシンゲンからブダペスト(ハンガリー)までを3週間で走ります
一緒に行くドミニク(フランス人)とはドナウエッシンゲンで5月30日に落ち合う約束です
旅のスタイルは自転車にキャンプ道具一式を積み、基本はテントに泊りで、自炊をします
過労少楽にならないように、一週間に一日の割合で休養日をとって物見遊山もします

1500㎞と想定される行程を21日間で走り切れるかどうかわかりません
天候や体調、自転車など装備の具合、走り通す技術と気力などにかかっています
ドミニクは2013年にここを走ったことがあります
その際には源流地帯で雪が降ったり、中流部では増水のため迂回を強いられたそうです

ことしはどんな旅になるか分かりませんが、無理せず楽しくやってきます

モスクワに置いてけぼり
ことしはヨーロッパの行き帰りにあえてアエロフロートを使うことにしました
難のある航空会社だと承知していますが運賃が安く、飛行時間が比較的短いことが魅力です
さらに自転車を段ボール箱に入れずに預けられるので行き帰りの準備がとても楽です
しかも多くの大手航空会社が徴収する100ドル程度の自転車荷扱い料金をとられません

5月29日 9:00
写真のとおり、ペラペラのナイロン袋に自転車と寝袋などを入れて成田空港で預けました

小雨の成田空港でチェックインへ向かう
12:15
隣は空席のままアエロフロート機で成田空港を離陸しました

16:00
モスクワ・シェレメーチェヴォ空港に定刻に着きました
ここに来たのは32年ぶりです
まだ社会主義国だったあの頃とはすっかり変わって、広い空港にやたらと免税店が目立ちます
搭乗ロビーの片隅のバーでビールをちびちび飲みました
女性店員の様子をぼんやり見ていて、その気だるい動作にあの昔を思い出しました

1杯 299ルーブル≒500円
18:30
今月5日にアエロフロート機の事故(41名死亡)があったばかりの空港を無事離陸しました

ほっとしてモスクワの町を見下ろす
21:00
チューリッヒにも定刻に着き、旅は順調にスタートしたようでした
そう思いつつ空港で自転車が出てくるのを待っていました

22:00
1時間ほど待ってもわたしの自転車が荷物受取口から出てきません
しびれを切らして係員に調べてもらいました
「あなたの荷物(自転車)はまだモスクワにあります
あすの午後にはここに届くでしょう...」

ショック!

どうしてわたしの荷物だけがモスクワに置いてけぼりをくったのだろうか?
あの不定形で重たく持ちにくい荷姿のためだったのか
それともシェレメーチェヴォの地上勤務員の緩慢な動作のためだったのだろうか
それとも…

とりあえずいまここでできることは何もありません
仕方なく明日また来ることにしました

23:00
予約してあった空港近くのホテルにチェックインしました
ドミニクの留守電に状況説明のメッセージを入れ、シャワーも浴びずに寝ました

チューリヒ⇒ドナウエッシンゲンへ続く