2017年9月19日火曜日

ブラック・ツーリズム ライン川

オーバーアルプパス(スイス)からアムステルダム(オランダ)まで
2017年6月3日出発、6月28日到着、走行距離約1,700㎞
旅の途中でひとり友人ができました

2017年6月2日 成田空港

あれは去年の黒旅の大和街道でのことでした
茶畑のわきに自転車を転ばせて休んでいると4月の空の遥か上を旅客機が飛んでいくのが見えました
ケシ粒のように小さな機影がどこへ向かっているのかはわかりません
ただ矢印のようにして真っ直ぐ飛んで行きます。
自分もあの小さな機体の中に納まってどこか遠くへ行きたい
ただ脇目をふらずに飛んでみたいと思いました

ヨーロッパの河を自転車でたどり人々の暮らしとその暮らしを形作った出来事の軌跡を自分の目で見てみることにしました。
それでいま成田空港です
これからひと月キャンプしながらライン河を源流から河口へとたどります

投稿はガラケーからとりあえず文字だけです


2017年6月2日 チューリッヒ空港

着陸直前の飛行機の中から湖に臨むコンスタンツやシャフハウゼンとおぼしき街並みが見えました
湖から流れ出すライン河ぞいにはライン滝の白い泡立ちやさらに下流には原子力発電所の大きな円筒から立ち上る蒸気まで見えます
いずれもこのブラックツーリズムで一週間以内に訪れる予定のところです

森と草地のなかには集落がいくつも見えました
空から見るととても平和な風景です
現実はどうでしょうか?
これから行って見てみましょう

2017年6月3日 チューリッヒ⇒クール


Zurich Bahnhof
チューリッヒ中央駅で列車に自転車とバッグ5つを積み込みボックスシートに座りました
今日は土曜日なので若い人のロードバイクグループもいて車内はにぎやかです
列車の自転車置き場にツバメ号を収めました
イタリアまで行く土曜運行のローカル急行は定刻に滑るように走り出しました
自転車収納場所には大きなサインがあります
5分もするとあたりが昨日機上から見たような森と牧草地の景色になりました
朝日に浮かんだ遠くの雪山がどんどん近づいてきます
スイスアルプスの雪山が見えてきました
いくつかの鋭い峰を仰ぎ見ながら深い峡谷へと入って行きます
何回かループトンネルを抜けて谷あいの小さな駅に着きました
ゲシェネン駅で登山列車に乗り換えです
ここで登山電車に乗り換えます
電車から自転車とバッグを急いでホームに下ろし、バッグを自転車に載せてホームの階段のスロープを下り、地下道を通って駅舎へのスロープを上ります
駅舎の前に留まっている登山電車に自転車とバッグを載せました
登山電車はいきなり急勾配を上ります
車窓には激しい雪融け水の奔流と荒々しい岩肌が迫ります。
空が広くなり傾斜が緩んだなと思うともうアンダーマットAndermattです
オーバーアルプパスへ登る登山列車から見たアンダーマットの家並み
四方の峰が青空に突き刺さっています
ここでまた自転車とバッグの積み換え作業を鉄道の人にも手伝ってもらいながらして、とうとうオーバーアルプパスOberalppassへ行く登山電車の乗客になりました
電車は花の咲き乱れる斜面をジグザグに上りあちこちの景色を楽しませてくれます
ジグザグにオーバーアルプパスへ登る登山列車からの眺め
雪塊が浮かんだ湖の先がラインの河旅のスタート地点です
オーバーアルプ湖にはまだ大きな雪塊が浮かんでます
オーバーアルプパスの駅で電車を下り出発の準備をしました
降りた人は数人でシンとしてました
自転車を押して峠に行くとそこにはいろんな人がいます
車で来た家族やハイカーや大型バイクのグループ、それに多数の自転車乗りがいます
「Oberalppass 2046m」と書かれた標識の前でちょうど上ってきた自転車乗りに写真を撮ってもらいました
Oberaplpass
彼らはベルリンから来て今回はフライブルクあたりまで行くそうです
フライブルクがどの辺りかちょっとわかりません
私の最終目的地オランダよりはだいぶ手前のようです
二人はAndermattからここまで上って来てだいぶ疲れた様子です
「わたしは電車で上って来ました」と言った後ほんの一瞬だけ恥ずかしかった
「またきっとどこかで会うね」と互いに言って別れました
ここから千五百キロの自転車旅を始めます
ライン河の源流地帯を下る道を慎重な上にも慎重に走り出しました
道はワインディンクしていて自転車の荷物は20キロを超えています
ハンドリングに集中するため脇見はできません

その前方に集中した目に猛スピードで上がって来る大型バイクが飛び込んできました
オーバーランしてこちらに向かってきます
危ないと思った瞬間ヒラリと車線を変え何か大声で怒鳴って通りすぎて行きます
「ああいう奴がいるから危なくてしょうがない」と思いました
わたしは更に慎重に左端を走るようにします
うん?左端?
日ごろから柔軟性に富むわたしはその瞬間から何事もなかったように右端を走ります

道の傾斜が緩むと前方いっぱいにラインの谷が広がりました
Dieniのスキー場の下
Sedrunという南向きの村には沢山シャレーが建ち背後にスキー場が広がっています
道はノーブレーキで走るのにちょうどいい傾斜です
氷河急行と漕がすに並走出来るくらいです
セドルンSedrunのCOOPの店頭で
ディセンティスDisentisの道わきに水場とベンチがあったので昼飯を食べることにします
今日はこの少し先のトゥルンTrunで泊まろうと思っていました調子がいいのでずっと先のクールChurまで行くことにします
もうラインは石灰色の立派な流れになっています
多くの人がいうとおりアルプスの景色はすばらしい
先週茅葺きしていた新潟とこのスイスアルプスと風景がずいぶん違います
風景のパーツはそう変わらなくてもそのちょっとした違いが積み重なってとんでもなく違って見えるのでしょうか
カレラCarreraの集落から見た稜線
まだ上腕に残る茅葺きの筋肉痛がいまアルプスにいる自分を冷静にさせてくれます
新潟もアルプスもどちらも現実です
しかもお互いが置かれた経済的な環境は驚くほど相似していると思います
ガッサGassaの橋で綱渡りの稽古をしている人がいました
岩場を切り開いた狭いガッサGassaの峠道
Ilanzから上り坂になりました
かつてなく重い自転車を漕いでいるはずなのに思いのほか足が動きます
いくつか小さな村を過ぎ長い下りになりました
並行する道の取り方に少し迷いました
するとすぐに自転車乗りがやってきて「手伝えることはない?」と聞いてくれます
この一言に出会えただけでも幸せだなと思いながらChurへと下りました

本日の走行距離:88㎞

2017年6月4日 クール⇒ブフス


明け方から降り出した雨が止みません
無理せずに止むのを待ちます
テントの中で昨日のことをブログに書きます雨がなかなか止まないので長文になりました

相変わらず降っています
外でときどき女の人の笑い声がします
小さな子が鼻歌を歌いながら遊んでいる様子もします
なんとも気持ちが明るくなります

昼前に雨が止んだので出かけることにしました
ラインの谷を北から風が吹き抜けていくので向かい風です
森の中の未舗装の道を抜けると谷が開け前方に沃野と雪を頂いた岩山のダイナミックな景色がありました
クールから北へ向かうとラインの谷が晴れてきました
谷の右手に沿って走るとその岩山がナタで切り下ろしたようにシャープな形をしているのか分かります
氷河地形でしょう
スッパリと切り落としたような岩肌です
岩山の裾の小高いところに上って行くとそこはブドウ畑です
ラインの谷を下ってきて初めてブドウ畑を見ました
手前の濃い緑のところがブドウ畑です
その先に集落がありまたブドウ畑になります
Maienfeldという村を過ぎました
アルプスの少女ハイジの舞台になったところですね
マイエンフェルト
きれいな泉があったので水を汲みました
今夜はこれで出前一丁を作ります
走ってきた方向を振り返りました
ブドウ畑の中の素敵な小道で休みかわいらしいブドウの花を見ました
ブドウの花
ふたたびライン河に出ました
今度は左岸土手を走ります
すると一キロおきくらいに土手の脇に古いトーチカがありました
東に向かって鈍重そうな頭をもたげています
また使うかもしれないないと壊さすにいるのでしょうか?
第二次世界大戦で使ったトーチカかな
対岸の断崖の上にVaduz城が見えました
城の下がリヒテンシュタインという小さな国の首都ファドゥーツです
対岸へ渡る橋があったので記念入国することにしました
渡った先には国旗が立っているだけでした
なんだと気抜けして橋を戻りかけると下流に木造の小屋が連なったような橋が見えました
面白そうなのであっちの橋を渡ることにしました
スイスとリヒテンシュタインの国境になっている木の橋
橋の中は路面も木製です
明かり採りからの光を頼りに渡りました
木の橋の内部
先ほどのトーチカといいこの橋といいここらの人は物持ちがいいです

キャンプ場のあるブフスBuchsという町に着きました
今日は日曜で店はどこも閉まってます
食料を買いたいのですがさてどうしましょう
少し行くとCOOPのガソリンスタンドがありそこに併設された売店に欲しいものが地元産のワインを含めてすべてありました
COOPはやっばり消費者の味方ですね
キャンプ場はそこからすぐでした
ブフスのキャンプ場
本日の走行距離:47㎞


2017年6月5日 ブフス⇒ロアシュピッツ


今回ライン河に沿って自転車で下る旅は基本的にRhein-Radwegという自転車ツアーのガイドブックで推奨されているルートを走ります
出発点から目的地を最短距離で結ぶルートをしばしば大きく外れあちらこちらへと寄り道します
対岸をミニチュアの蒸気機関車が走っていました
すると幹線道路ではなくて馬糞が転がった田舎道を行くことになります
これがなんともいいですね
最後はできればライン河の河口まで行きたいです
それが最大の目的ではありません
ガイドのルートに沿ってラインの両岸を時折外れて旅します
その詳細はとてもここに書き切れませんので興味のある方はガイドをご覧ください
アマゾンで買えます

さて今日は土手走りが多くちょっと単調でした
ライン河がボーデン湖Bodenseeに注ぐラインデルタまで来ました
Rohrspitzのキャンプ場で泊まります

ラインデルタに着いたころから雨になりました
ここまで気を張ってきたためか若干疲れが出ています
今日は行程が楽だったのでちょうど良かったかもしれません
もう投稿も書き終えたので早々に寝ることにします

本日の走行距離:56㎞


2017年6月6日 ロアシュピッツ⇒コンスタンツ


子供の頃「かわいいコックさん」という絵描き歌をよく歌い絵を描きました
そのなかで「6月6日に雨ザアザア」というくだりがあったでしょう
今日は実にそれでした
「かわいいコックさん」の歌です☟
https://www.youtube.com/watch?v=d9sIDDoKFoM

ボーデン湖の南岸を雨に打たれながら行く道すがらちょっとしたことが頭に浮かびました
...
辺りの景色もろくに目に入らない雨の日は気詰まりです
写真は撮りにくいしそのへんの芝生に座って休むわけにもいかない
こういう湿った日をどうやり過ごしたらいいでしょうか?
雨だけでなく向い風や上り坂もつらいですね

雨・風・坂に出くわしたときはまず先を急がず今ここにいる自分を思います

雨降りの中を走れるほど元気な自分
向い風や上り坂にメラメラ脂肪を燃やしている自分
これらの小さな困難を克服する喜びを用意されている自分

そう思ってもまだ気分転換できません
そこでこんどは自分を離れて地球の成り立ちを思います

なぜ雨は降るのか
なぜ雨が必要なのか
坂には上り坂と下り坂がある
同様に風には向い風と追い風がある

こんなふうに思いをめぐらしていると
いつの間にか雨は止み
風は収まり
道は平らになっている

こともある
雨のボーデン湖を前に茫然とたたずむ自転車乗り
...

さて今日
雨はますます降りつのりBodenseeは灰色に煙りました
雨に煙るボーデン湖
昼を過ぎると西の方に晴れ間が見えました
コンスタンツ方向の晴れ間を望む
クロイツリンゲンに着く頃には雨はなんとか止んでいました
クロイツリンゲンのフェリーターミナル
止まなかった雨はないと大抵止んだ後に思います

クロイツリンゲンの町を北へ向かうとドイツのコンスタンツKonstanzに入ります
4日目でもう4ヶ国走りました
コンスタンツの街角で
本日の走行距離:58㎞


2017年6月7日 コンスタンツ⇒シャフハウゼン


もうこれでおしまいといった具合に朝にひと雨ザッと降ってそれから日がさして来ました
雨と入れ替わるように西風が強く吹き出します
4日前アルプスの峠を半袖一枚で出発して今は長袖の上にウインドブレーカーを重ねます

自転車道が町を抜け牧草地行くようになると風を正面から受けます
青い空に千切れ雲が飛んで来ます
吹きさらしの牧草地の向かい風
これで連日上り坂、雨降り、向い風と3点セツトの自転車旅になりました

道沿いの民家がとてもカラフルになって来ました
エルマツィンゲンで
Rheinseeの対岸がこちらに迫って来て丘の上に古城がみえます
ラインが湖から河へと戻るシュタインアムラインStein am Rheinです
ラインゼーに沿って景色のいい道を行きます
ここがカラフルな建物の極地です
観光客が沢山います
シュタインアムラインのカラフルな建物
日当たりの良いカフェでくつろいでいるグループもいます
その中の一人がオイオイとわたしを呼んでいます
誰かと思って見るとBuchsのキャンプ場の管理人のおじさんではないですか
再会を喜びあいました

ここから自転車道は右岸を行きます
じゃがいもやらの広い耕地から木漏れ日の林を抜けるすてきな道です
林の中にぼつんと国境のゲートがありました

林を抜けると向こうにはたおやかな景色が広がっています
ラインの表情がまた変わりました

ガイリンゲンGailingenには屋根のある木橋がかかっています
対岸の古い家並みが橋にマッチしています
絵にも描きたい美しさです


この辺りのラインには河原がほとんどありません
こういう道をのんびり走るが好きです
ラインを流れる水と並走するようにしてシャフハウゼンShaffhausenに着きました
今日はここで泊まります

本日の走行距離:55㎞


2017年6月8日 シャフハウゼン⇒ムルグ

ふつうに晴れました
西風もおさまっています

Shaffhausenからすぐ下流にラインファルRheinfallがあります

落差は大してないけれど流量が多いので白く泡だった水が大騒ぎして落ちる様子がきれいです

ラインの右岸を少し登ると視界が開けました
畑の向こうにアルプスが白い壁のように連なっています
家を建てたいようなところです

ここから感じのいい家並みの集落が続きます
とりわけラフツRafzの家々は良く手入れされています
白い漆喰と縦横にたつ柱の朱がすてきです
写真を撮り忘れたのでよろしければグーグルマップをご覧ください
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9+%E3%80%928197+%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%84/@47.6133154,8.5100823,7605m/data=!3m2!1e3!4b1!4m5!3m4!1s0x479079dc5ec7b3b1:0xc8dc034d417f8d95!8m2!3d47.6114723!4d8.5402379

しばらく行くと前方上空に飛行機が着陸態勢で南下して行くのが見えます
次々に大型のジェット機が降りてきます
位置関係からするとチューリッヒ空港に向かっているいるようです
わたしもああして飛んでこの辺りの景色を空から見たのですね
それで合点がいきました
たしかに改めてまわりを見渡すとほとんど森と牧草地・耕地とそれから集落だけです
なので集落に空き家がないか注意して見てみました
山沿いに建つ手入れの行き届いた住宅
ほとんどの家には人が住んでいます
その家々もうらぶれた感じはありません
正反対です
集落のはずれの見晴らしのいい道端のベンチで昼食をとりました
学校がひけた小学生が次々に自転車で通り過ぎます
道幅の狭い自転車道ですから自然と目が合います
小学生たちは口々に「Grüezi!(グリュエツィ)」と挨拶して通り過ぎます
学校の先生や親から「知らない人にもちゃんと挨拶しなさい」と言われているのかな
かわいらしいです
麦畑と赤いポピーと青空と初恋にピッタリのロケーションです

ヴァルツフートWaldshutの趣ある街並みを通り抜けます

ドガーンDorgenからラインの対岸に湯気を立ち上げる原発が見えました
ライプシュタットLeibstadtの原発(2034年運転停止予定) 
現在電力の三分の一を原発に依存しているスイスは5月の国民投票で脱原発の方針を決めました

ラウフェンブルグLaufenburgの坂に少し迷ってムルグMurgのキャンプ場に着きました
シンプルでとてもいいところです

本日の走行距離:80㎞


2017年6月9日 ムルグ⇒サン・ルイ

気分良く過ごしたMurgのキャンプ場の様子を写真に撮ります
背後から誰かの大声が聞こえます
とっても明るいここのキャンプ場管理人がベランダの上からコーヒーを飲みに来いとわたしに向かって怒鳴っています
ベランダに上がると30分以上前に出発したはずのフランクフルトからの2人組もそこにいます

おいしいコーヒーをいただきながらここからライン河をどこまでカヌーで下れるのか聞いてみます
ラインの河口つまりRotterdamまでカヌーで12日間で行けるそうです
先日も二人出発したそうな
いいなあ!

そんな話をしているうちに明るいオジサンに電話が来て家の中に入ってしまいます
フランクフルトのオジサンたちは早く出発したくてジリジリしています
15分ほどしてようやく明るいオジサンが家から出てきます
2人組はこの時とばかりに暇乞いします
わたしは明るいオジサンにコーヒーのお代わりを勧められます
それを丁寧に辞し感謝しつつ出発します

思うにラインはここまで4つの色です
源流部は澄んでいます
そこからボーデン湖までは石を砕いて解かしたような灰色です
湖は下流に向かうほど透明度をましライン滝の辺りはとても澄んで青みがかっています
滝からしばらくで河は深い緑色になります

ラインフェルデンRheifeldenの川沿いの建物は対岸の丘の上から眺めます

バーゼルBaselに近づくと交通量が増します
自転車は専用の通行帯に導かれストレスなく市の中心部へと入って行けます
路面電車と自動車と自転車と歩行者がそれぞれの通行帯を整然と行く姿は感動的でさえあります
自転車が交通手段としてリスペクトされています

スイスアルプスからここまで400キロほど走って来ました
オーバーアルプパスはあっちの方かなと見やりました
ライン河の4分の1を下って来た勘定です

この大きな町はスイスとドイツとフランスに分かれています
フランスのサン・ルイSt. Louisにあるキャンプ場へ行きました

なにげに5ヶ国目になりました

本日の走行距離:50㎞


2017年6月10日 サン・ルイ⇒ヌフ・ブライザック

 サン・ルイSt. Louisのキャンプ場からライン河にかかる歩行者自転車専用橋を右岸(東側)へ渡ります
橋から見たラインの上流側、バーゼルの建物が見えます
同じく下流側、左側の林の中にサン・ルイのキャンプ場があります
今日はラインの右岸のダートの道を沢山走りました
森のなかを走りやすいダート道が続きます
お昼は道端のベンチで食べます
今日のランチはサラダ弁当にパン
右岸はドイツのブライザッハBreisachで丘のうえに城が見えます

めずらしく早く予定のキャンプ場に着きました
キャンプ場のある中州から客船が見えます
荷物を置いてヌフ・ブリザックの防衛都市を見に行きました
要塞を花で飾ろう、かな
ヌフ・ブリザックの詳細はこちらをどうぞ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF

ここらあたりでガラケーの電池が切れそうになります
日本から持ってきたアダプターの規格が現地の規格にあわないため充電できないのです
30年以上も前のものをよく見ないで持ってきたためです
電話とメールができなくなるだけで旅自体に支障はありません

防衛都市のなかにあるスーパーで食料品を買って中州のキャンプ場へ帰ります

本日の走行距離:65㎞


2017年6月11日 ヌフ・ブライザック⇒ケール


ラインの中州にあるキャンプ場は静かでよく寝られました

川岸を離れてローヌ・ライン運河へ向かいます

とうもろこし畑の地面には石がゴロゴロしています

ローヌ・ライン運河に着きました
河幅10メートルぐらいで水は歩くぐらいの遅さで流れています

この運河は北海にそそぐラインと地中海にそそぐローヌの二つの河を結んでいます
船の姿はまったく見えません
北海から地中海まで通しで行く船はないようですね
すくなくともいまこの運河を通っては
まっすぐな運河の両側が木で覆われています
ライン自転車道の標識がありました
おや?またトーチカがありました
のぞき窓が細い!
上部が平らで草が生えちゃってます
中は10畳くらいの広さです
ジメジメしていませんので泊まれそうです
これは弾痕でしょうか?
何があったのでしょうか?
ここでの宿泊はご遠慮申し上げます
ローヌ・ライン運河が木で覆われていないところで昼飯にします
食べながら見上げた空です
閘門(こうもん)をボートが行きます
運河沿いの自転車道、一瞬の動画です
ストラスブールに着きました
カテドラルの尖塔を見上げます
ストラスブールはすてきな街ですね
ストラスブールの市内にキャンプ場が見当たらないので右岸のケールKehlへ渡りそこのキャンプ場に泊まりました

本日の走行距離:81㎞


2017年6月12日 ケール⇒ドゥルラッハ


朝一番でケールの大きな電気店へ行ってコンセントのアダプターを買いました
これでもう電池切れの心配はありません

今日は西寄りの風が吹いています
ライン右岸土手のダートの道を風に乗って走ります
あいにく風は写ってません
ここのダートは砂利があってちょっと走りにくいです
至る所でハクチョウを見ます
その脇の田舎道を延々と行きます
この紫色の花をよく見ました
林の向こうにシュバルツバルトが見えます

今日はアダブターのことで出発が遅くなったのですが風に助けられました
風の写し方を発見しました
大きなポプラの木が飛ばす綿毛が道端に雪のように積もっています
このあたりでフランスとはお別れです

分かりにくいカールスルーエKarlsruheの町を抜けてドゥルラッハDurlachまで来ました
カールスルーエにはキャンプ場がないのてす
キャンプ場の脇が線路で列車が頻繁に通ります

本日の走行距離:95㎞


2017年6月13日 ドゥルラッハ⇒リンゲンフェルト

今日は午前中カールスルーエの宮殿を見ます
Schloss Karlsruhe
宮殿は今は博物館になっています
歴代の辺境伯の肖像を見てこの領主達とこの壮大な宮殿はそのときどきの普通の人々にとってどのような存在だったかと思いました
左右に大きく広がった宮殿の背後には高さが50メートルもあろうかという9階建てのタワーがあります
上の写真の中央背後に旗が立っている建物がタワーです
登ってみるとカールスルーエの周辺が一望できます

一昨日見たのはストラスブールの天に突き刺さろうかという尖塔でした
Cathedrale, Strasbourg
それは信仰によって死後は天に召されることを人々に示したのでしょう
いつの時代にも生きていくためには数々の苦難があります
でもその後には神の国で安寧を得られると知らせていたのでしょう

カールスルーエの宮殿のこのどっしりしたタワーは領民に対して辺境伯ここにありと人々に知らせています
タワーは慈愛の象徴のようでもありまた謀反に対する威圧でもあったでしょう

ストラスブールの尖塔は人々に死後の世界を約束しています
それにしても誰も死後の世界を見たことがないということはあります

カールスルーエのタワーは高みへの誘いではなく地平を見渡すためものです
民の生活はその時々の辺境伯のありようでずいぶん変わったことでしょう

館内の彫像や絵画を見て改めて思います
どうしてこんなに困ったような諦めきったようなはたまた悲しいような顔をした人々が多いのかと
生きていくのがよっぽど大変だったのだろうとしか思えません
そのような世の中にはストラスブールの尖塔が渇望され一方でまたカールスルーエの重石のようなタワーが必要だったのでしょう

カールスルーエから森を走り抜けて

ゲルマースハイムGermersheimに着きます
東側の門
かつての要塞都市ゲルマースハイムはその修復ぶりが半端ではありません
9つの建物をぐるりと回れるようになっています
刑務所
修復中の建物脇の広くて深い穴を覗くとこの修復事業は決して思いつきではないと信じられます
誰がどのようにして資金を捻出しているのでしょうか?
聞き忘れました

10日にヌフブリザックへ行きました
そこも要塞都市でした
ゲルマースハイムとは雰囲気が全く別でした
町中の酒場の前には昼間から煽情的な音楽が流れ太った男の人が体をくねらせて踊っていました
人が何をしようと勝手です
しかしこの町をどうしようとしているのか分かりませんでした

ゲルマースハイムには全長が250メートルもある石造りの兵舎があります
バラックとはにわか仕立ての建物とイメージしていました
飛んでもない思い違いですね
ここのバラックは半永久的な頑丈さです
今はマインツ大学の言語学・文化学部が入っています

もうひとつ面白かったのは西側の門です
そこはもと沼地だったので太い木の杭を60本(だったかな)も打った上に建てた石造りの門です
西側の門
きれいに修復されていますがあまり実際的な使い道が無いと見え外壁にEUのすべての加盟国の旗が下げてありました
イギリスの旗もまだあります
ずいぶん頑丈な旗ざおですが何にも使い道がないよりはましです
タイミング的にも

今日は午前、午後とゆっくり見て歩いたのでキャンプ場に着くのが遅くなりました
テント場にわたし一人です、いやあとウサギが数羽
本日の走行距離:53㎞


2017年6月14日 リンゲンフェルト⇒マンハイム

朝食を食べていると静かな湖の向こうの森からカッコウの声が響いてきます
ここはまるっきりの歌枕です

森のなかを走っていると突然原発の円筒が見えてびっくりしました
フィリップスブルグ Phillippsburg の原発
(一基は停止、もう一基は2021年停止の計画)
Speyerのドームへ行きました(といっても通り道沿いですが)
とても重たそうな教会です
Kaiser Dom, Speyer
それから昼食を食べる場所を探しながら走ります
自転車道に沿って湖があり水浴や日光浴をしている人達がいます

水辺に行ってみると湖水が飲めそうなくらいきれいです
おまけに背後にはさくらんぼがたわわに実った木が日陰を作っています
ここに椅子とテーブルを出して昼食にしました

水面には白鳥が二羽いて人が泳いでいる間を平然と通り過ぎて行きます
桃太郎旗は立っておらず景気づけの音楽も流れていません
商業主義から遠く隔たった夢のような水辺です

そこから少し走って渡し舟に乗り右岸に渡ります
右岸へ渡ったあとすぐに左岸へ向かう人たちが乗り込みます
そこはもうマンハイムの近くで今日はここのキャンプ場で早々泊まることにしました
キャンプ場のトイレの個室にあった張り紙です
こんなに字数の多い単語があるんですねえ
こういう言葉はなんか使うのが大変そうに思ってしまいます

本日の走行距離:45km 


2017年6月15日 マンハイム⇒マインツ


今日はマインツまでと張り切ってマンハイムのライン河沿いのキャンプ場を出発します
少し走ってマンハイムの市中心部に立ち寄ります
ここは1600年ごろ作られた格子状の街区が現在も使われています
南側のSchlossはマインツ大学として使われているようです
路面電車から降りた若い人が大学の建物に駆け込んで行きました
微笑ましいです

町中は格子状になっていています
ひとつのブロックはアルファベットと数字それぞれ一文字を組合せてブロック名としています
気に入ったブロックがありました

さて町の雰囲気というとくたびれた感じ
何かの休日の朝ということもあります

東側に1889年に建てられた石造りの巨大な給水塔があります
その下の水飲み場でペットボトルを満たします
水はとても大切なものです

店が閉まっていて買い出しできないので昼をレストランでとります
Hammの道脇のレストランです
店の人は英語がわからずわたしはドイツ語がさっぱりです
そうしていつものごとく店員を相手に珍道中を繰り広げていると必ず助け舟が現れます
今日は隣のテーブルのフランクな感じの夫婦でした
わたしと同年代くらいでとくに奥さんが積極的に仲立ちしてくれます

オーダーが済むと話題はわたしの自転車旅から身の上話に移ります
いつものコースです
例えば
問)なんでそんなに長い休暇が取れるのか
答)退職したから

あれこれ話をしている中でこの近くの原発が福島のメルトダウンの後に運転を停止したということを知ります
たしかにさっきIbersheimの対岸に見えた4つの煙突はどれからからも湯気が立ち上っていませんでした
ビーブリス原子力発電所 Atomkraftwerk Biblis(一時停止)
そうでしたか!
賢明な判断でしたねと伝えました

二人はGernsheimに住んでいて学生時代にその原発の建設反対運動にくわわったそうです
原発が近くにあるのがずっと心配だったので閉鎖に決まって嬉しいと言っていました
*ドイツは2022年までに17基ある全ての原発を閉鎖します

自分達の電力消費をもっと減らさないととか屋根にソーラーパネルを付けたとかも言っていました

話し込んで時間が過ぎビールを飲んで足がだるくなり自転車道が工事中で迂回させられました

それでもマインツにたどり着けました
めでたしめでたし
奥の暗い細道を通って来ました
本日の走行距離:85㎞

2017年6月16日 マインツ⇒ザンクト・ゴア

キャンプ場からマインツの中心街に向かってラインにかかる鉄道橋を渡ります
この辺りの河幅は300メートルほどもありそうです
鉄骨造りの頑丈そうな橋の下流側に自転車道が付設されています

対岸にお寺さんが沢山見えてきました
自転車を止めて写真を撮ります
ふとかたわらを見ると線路沿いの金網に小さな錠前がいくつも下がっています
そのおもてには "Kai & Susanne in love" といった具合に個別の事情が書かれています

ここは恋人岬ならぬマインツの恋人橋なのですね
夜は町の明かりがきらめいてさぞ素敵な場所なのでしょう
小さな錠のひとつひとつに恋人達の切なる思いが込められいているのを感じます
いじらしくてひとつひとつ写真に撮ります

ふと橋の先を見ると結構な数なので撮影は止めました
その代わりと言ってはなんですが走りながら錠前の数を数えることにしました

最後にその数の分だけ祈りを込めようと
いいアイデアです
と思ったところが200ぐらい数えてこれも止めました
対岸に向かうほどに錠前の密度が濃くなって来て走ったままでは数えられないほどになったからです

ままよとばかりに遠近すべてを一枚の写真にパチりと収めました
そして普通の速度で錠前がぶらさがった前を通り過ぎました
通り過ぎながらも恋愛の成就をひたすら願うことは忘れません
マカハンニャハラミタシンギョー

ようやく橋を渡りきりました
朝からなにかとても善いことをした気分です

マインツの町はにぎやかです
教会の前のマーケットには朝から人だかりが出来ています
マインツの教会前のマーケット
そこを通り過ぎてまたライン河沿いの自転車道に戻ります
多くの人がライン河はマインツからケルンの間がハイライトだと言います
つまり観光客がたくさんいてその人たちを相手にした商売が盛んだということですね

右岸へ戻ります
なんとなくこちらの方が落ち着いていそうなので

おやここにラインに臨むきれいな館があります
Schloss Biebrich
川沿いの自転車道には自転車に不慣れな夫婦連れやら集団走行する自転車キャンパーなどで混雑します
エルトフィレEltvilleの市街でそれは最高潮に達し自動車と歩行者と自転車が入り乱れ怒号すら飛び交ってます
まあこれがハイライトというものの実態でしょう

さらに右岸を行きます

並行している一般道にハーレーダビッドソンのグループ走行が目立ちます
耳を覆うばかりの爆音とともに「俺様登場」顔をした方々が次々と下流へと向かって走り去ります
リューデスハイムRudesheimに着いて理由がわかりました
ここでハーレーダビッドソン祭りみたいのが行われているのです
川沿いの駐車場にはご自慢のハーレーがずらりと並んでいます
ドヤ顔おじさんたちのハイライトにこちらはすっかりシラケここから対岸へ渡ることにします
右岸へ渡ると自転車道はすこし落ち着きを取り戻します
屈曲するラインの谷の両側に山が迫って来ます
道沿いの崖の上に古い城がかぶさるように建っています
地震のない国ならではの風景ですね
これはまたなんだか曰く因縁のありそうなお城です
こちらは中州の料金徴収所といった風情ですね
つぎつぎ城が出てきます
城好きにはたまらないでしょう
とかくするうちにローレライの岩が見えてきました
右がローレライの岩、船の向こう側の岸がキャンプ場です
ザンクトゴアのキャンプ場の一番ローレライの岩に近いところにテントを張ります
テントの中から見るローレライの岩
ローレライの歌です

本日の走行距離:70㎞


2017年6月17日 ザンクト・ゴア⇒コブレンツ


朝テントから外を見ると残りの月がかかってました
朝一番でローレライの岩に登ります
岩登りではなく自転車のヒルクライムです
登ると沢山のキャンパーがいました
そこを通り抜け展望所へ行くとライン河がよく見おろせます
わたしの小さなテントや難所を慎重に航行する上り下りの船
ミニチュアのような列車
アルブスのダウンヒル以降平たい地べたを走り続けてきました
この空の上からのような眺めが新鮮です

ダウンヒルで一気に渡船場に戻ります
出発を待つあいだ気になっていたことを渡し舟の人に聞きます
「あの急斜面に作られた石垣はもとはブドウ畑だったのですか?」
「そうです。大変な重労働だったそうです」
棚田ならぬ棚ブドウ畑ですね
きつくて危険でまるで茅葺きのよう

キャンプ場に戻り再び荷物を自転車にくくりつけ出発しました
道端でお昼をしていると上流へ向かう若い自転車乗りが話しかけてきます
聞けばベルギーの自宅からブルガリアまで3000キロを六週間かけて行くそうです

シュパイSpayの家並みは古くて柱が歪んでいます
建って数百年経てば当たり前です
それを直して住んでいる人はすばらいい





今日の行程は短距離ですがコブレンツKoblennzで強制終了します
このままのペースで行くと予定より一週間ほど早くアムステルダムに着いてしまいます
アムステルダムでわたしは一週間も居られないでしょう
雨が降ったら休もう疲れたら休もうとは思ってきました
雨は降らないし疲れもしないのでこんなところまできてしまいました
もっと見物に時間をとっても良かったなあと思います

コブレンツは歴史のある街でライン河とモーゼル河が合流するところ
キャンプ場はその合流点にあります

手前がモーゼル河、向こう側がライン河、あいだにドイツの角Deutsches Eck
本日の走行距離:45㎞

2017年6月18日 コブレンツ⇒ランネスドルフ



昨夜はキャンプ場に遅くまでヘビメタ系の音楽が鳴り響きました
さらに明け方には女の子が「テントを張る場所がなーい!」など(多分)と絶叫していてよく寝られませんでした
どうやらいまは日本のGWみたいな時のようです
寝ぼけまなこを擦りながら8時半に出発します

コブレンツの下流にきれいな鋼鉄の鉄道橋があります
橋のたもとにタワーが見えますね
Urmitz Rheinbruke
原発の円筒が見えてきます
ミュールハイム・ケルリヒ Mulheim=Karlich 原発
(解体準備中)
下から見上げます
通り過ぎて遠目に見ます
どこから見ても異物でした

昼頃にレマーゲンRemagenに着き平和博物館を訪ねます

ここは「レマゲン鉄橋(原題:The Bridge at Remagen)」という映画にもなりました
橋の名はルーデンドルフ橋といい第二次世界大戦末期にライン河に残された唯一の渡河可能な橋でした
ここで米独の軍隊が橋をめぐって攻防をしたのです
詳細はWikiか何か見て下さいね

鉄橋自体は独軍に破壊され現在は両岸に石造りのタワーだけが残っています
マインツの鉄橋にもあったあのちょっと陰気なやつです
西岸に残る二本のタワーの内部が博物館になっています
天守閣のようなところを登っていくと色々な形をした銃眼から全方位を眺められます
狙いを定める兵士の気分にさせられます

一渡り展示を見たあと入口のモギリのお兄さん(三十代くらいの方)にいくつか質問しました
この博物館には関係者はこの人きりでしたので邪魔かもしれませんが仕方ありません
日曜日なので結構人が来ています

まずこの陰気臭いタワーについてです
問)何の目的でこのタワーはあるのでしょうか
答)軍事的な目的です
対岸からの敵襲に備えるためです
同じ時代に同様の目的で作られた橋にはこのようなタワーがあります

なるほどね
するとマインツの橋やさっき見たきれいな鉄道橋も同じ頃に作られたのかな?

それからひとしきり第二次世界大戦中の日独関係などの話しをしました
お兄さんはわたしに日本へ帰ったたらぜひこの本を読んで下さいと書名をメモしてくれました
Antony Beevor; "The Second World War."

この博物館とは関係ないのですがついでに気になっていたことも聞いてみました
問)ライン河を下ってきて特にバーゼルあたりから河の西側と東側でなんとなく雰囲気が違うように感じるのですがどうでしょう
答)西側と東側では明らかに文化的な背景が違います
ローマ文化は西岸沿いに北上して来ました
ラインに橋を架けるのは容易ではなかったのです
河の両岸では方言も違うし人々の気質もはっきり異なります
わたし自身はこの地に生まれたベートーベンに見るような西側のコスモボリタン的な気質を愛しています

なるほどね
お兄さんはそう言ってまたもや日本に帰ったらこの曲を聞いて見て下さいといってメモしてくれます
Beethoven's Piano Concert Nr. 5

これは軽くて思い出に残る良いお土産ですね

国内の黒旅でやっているような地元の人の話がモギリのお兄さんから聞けて嬉しかったです
このトーチカには入りたくない
お名前を尋ねたのですがコレポンはしないことにしてますとのこと
それでモギリのお兄さんと呼ばせいただきました

本日の走行距離:60㎞


2017年6月19日 ランネスドルフ⇒ケルン



昨日レマゲン鉄橋の平和博物館でモギリのお兄さんにベートーベンのピアノ協奏曲第五番を薦められたこともあり今日は真っつぐBonnのベートーベンハウスへ向かいます
Beethoben-Haus Bonn

彼の生涯について展示された資料の中でハイリゲンシュタットの遺書というものがどんなものか気になりました
手書き文書はちんぷんかんぷんでからきし内容が分かりません

手紙の最初のページ
ハイリゲンシュタットの遺書(Wiki)
彼が生まれたという屋根裏部屋に柔らかい日が射しているのを見たあと一階に降ります
ベートーベンが生まれた部屋
小ホールに椅子が並んでいて彼の音楽が流れています
入って行くと係の女性がやってきました
彼女は「ここにハイリゲンシュタットの遺書の日本語訳が載っていますから良かったらお読みください」と小冊子をわたしに差し出します
わたしはそれを受け取りホールの椅子に座って読みます

...
ハイリゲンシュタットの遺書
わが弟カルルおよび(ヨーハン**)に。――わが死後、この意志の遂行さるべきために。

 おお、お前たち、――私を厭わしい頑迷な、または厭人的な人間だと思い込んで他人にもそんなふうにいいふらす人々よ、お前たちが私に対するそのやり方は何と不正当なことか! お前たちにそんな思い違いをさせることの隠れたほんとうの原因をお前たちは悟らないのだ。幼い頃からこのかた、私の心情も精神も、善行を好む優しい感情に傾いていた。偉大な善行を成就しようとすることをさえ、私は常に自分の義務だと考えて来た。しかし考えてもみよ、六年以来、私の状況がどれほど惨めなものかを!――無能な医者たちのため容態を悪化させられながら、やがては恢復するであろうとの希望に歳から歳へと欺かれて、ついには病気の慢性であることを認めざるを得なくなった――たとえその恢復がまったく不可能ではないとしても、おそらく快癒のためにも数年はかかるであろう。社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独の生活をしなければならなくなった。折りに触れてこれらすべての障害を突破して振舞おうとしてみても、私は自分の耳が聴こえないことの悲しさを二倍にも感じさせられて、何と苛酷に押し戻されねばならなかったことか! しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚(聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!――何としてもそれはできない!――それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのにしかもわざと孤独に生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ! 私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。――この半年間私が田舎で暮らしたのもその理由からであった。できるだけ聴覚を静養せよと賢明な医者が勧告してくれたが、この医者の意見は現在の私の自発的な意向と一致したのだ。とはいえ、ときどきは人々の集まりへ強い憧れを感じて、出かけてゆく誘惑に負けることがあった。けれども、私の脇にいる人が遠くの横笛フレーテの音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***
 たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。――私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命の女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分の状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。――二十八歳で止むを得ず早くも悟った人間フィロゾーフになることは容易ではない。これは芸術家にとっては他の人々にとってよりもいっそうつらいことだ。
 神(Gottheit)よ、おんみは私の心の奥を照覧されて、それを識っていられる。この心の中には人々への愛と善行への好みとが在ることをおんみこそ識っていられる。おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。そして不幸な人間は、自分と同じ一人の不幸な者が自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家と人間との列に伍せしめられるがために、全力を尽したことを知って、そこに慰めを見いだすがよい!
 お前たち、弟カルルと(ヨーハン)よ、私が死んだとき、シュミット教授がなお存命ならば、ただちに、私の病状の記録作成を私の名において教授に依頼せよ、そしてその病状記録にこの手紙を添加せよ、そうすれば、私の歿後、世の人々と私とのあいだに少なくともできるかぎりの和解が生まれることであろう。――今また私はお前たち二人を私の少しばかりの財産(それを財産と呼んでもいいなら)の相続人として定める。二人で誠実にそれを分けよ。仲よくして互いに助け合え。お前たちが私に逆らってした行ないは、もうずっと以前から私は赦している。弟カルルよ、近頃お前が私に示してくれた好意に対しては特に礼をいう。お前たちがこの先私よりは幸福な、心痛の無い生活をすることは私の願いだ。お前たちの子らに徳性すすめよ、徳性だけが人間を幸福にするのだ。金銭ではない。私は自分の経験からいうのだ。惨めさの中でさえ私を支えて来たのは徳性であった。自殺によって自分の生命を絶たなかったことを、私は芸術に負うているとともにまた徳性に負うているのだ。――さようなら、互いに愛し合え!――すべての友人、特にリヒノフスキー公爵とシュミット教授に感謝する。――リヒノフスキーから私へ贈られた楽器は、お前たちの誰か一人が保存していてくれればうれしい。しかしそのため二人の間にいさかいを起こしてくれるな。金に代えた方が好都合ならば売るがよかろう。墓の中に自分がいてもお前たちに役立つことができたら私はどんなにか幸福だろう!
 そうなるはずならば――悦んで私は死に向かって行こう。――芸術の天才を十分展開するだけの機会をまだ私が持たぬうちに死が来るとすれば、たとえ私の運命があまり苛酷であるにもせよ、死は速く来過ぎるといわねばならない。今少しおそく来ることを私は望むだろう。――しかしそれでも私は満足する。死は私を果てしの無い苦悩の状態から解放してくれるではないか?――来たいときに何時いつでも来るがいい。私は敢然と汝(死)を迎えよう。――ではさようなら、私が死んでも、私をすっかりは忘れないでくれ。生きている間私はお前たちのことをたびたび考え、またお前たちを幸福にしたいと考えて来たのだから、死んだのちも忘れないでくれとお前たちに願う資格が私にはある。この願いを叶えてくれ。

ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ハイリゲンシュタット、一八〇二年十月六日

「青空文庫」からの引用
...

彼は三十一歳の時に耳が聴こえないことに絶望して自殺を考えます
その頃の苦悩がこの遺書に綴られています
わたしは彼が絶望の淵に立たされながらも創作への意欲を捨てていないことに心を動かされました
自分にはやりたいことがあるという決心が伝わってきます
そして病のためにいつ死が訪れても構わないと思っています
人生において金や結果は問題でなく徳を身につけること
彼において徳とは音楽の創作を通じて人々にやすらぎと同情と希望と喜びを与えることだったのでしょう
その限りにおいて彼はどんな困難にも立ち向かい創作を続けるという
実際に彼の傑作は耳が聴こえなくなってから次々と生み出されています

遺書を読んでいて目頭が熱くなってきました
まるっきりの凡人たるわたしが彼の遺書から受け取ったメッセージは次の通りです

自分の人生の徳をはっきりさせそれに一心に取り組むこと

彼女に冊子を感謝して返すと彼女から「たいへん感動的だったでしょう」といわれました
こっそり目をこすっていたのを見られたのかもしれません

別れ際に彼女は「たいへん良いウェブサイトがあるので日本に帰ったらぜひご覧下さい」とメモしてくれました
Internet exhibitions
The Power of Music
http://www.beethoven-haus-bonn.de/sixcms/detail.php/43872
またお土産ができました

ところで彼女はなぜわたしが日本人だとわかったのでしょうか?
まあこれはわたしの顔に日本人と書いてあったのでしょう
それほど大きな疑問では無いかもしれません

では次になぜがハイリゲンシュタットの遺書について知りたいと思っていることが分かったのでしょうか?
このことについて彼女に尋ねるのを忘れました
多くの人が持ちがちな疑問なのかもしれません

この日はケルンのキャンプ場からきれいな夕日が見えました

本日の走行距離:40㎞


2017年6月20日 ケルン⇒デュッセルドルフ



ライン河の左岸を北上してケルンに入って行くと左手にDomが高く見えてきました
黒く煤けています
今日はこれです

塔の下に行くと頑丈な鉄柵が周囲を覆っています
柵の内部には塔の上から落ちてきたとみられる岩塊がいくつも転がっています

見上げるようにして写真を撮りました
よく見ると塔の最上部の尖ったところにまで梯子がかかっています

あんなところで何をするのでしょうか?

基部から人が塔内に入って行きます
塔の上に登ることができるのですね
わたしも登ってみることにします

円筒形の階段を何段も登ります
ローレライの岩以来のきつい登りです

一番上からラインを視ました
大きくうねったさきは霞んで見えません

地平線にいくつか原発らしき蒸気が上がっています

暇そうにしている係の男の人に最上部の階段は何に使うのか聞いてみました
石が剥がれ落ちないか点検するためだそうです
下まで落ちないように命綱はつけるそうです
それはそうでしょうが…


下ると時報のベルがあります


遠足の小学生が先生におこられながら見学していますその何人かがこんにちはと日本語で挨拶してきます
かわいいね
それにしても子供にも日本人だと分かるのですね
そういえばピコ太郎とちょっと似ているかな?

10時の鐘を待っていたら意外に小さな音で鳴りますちょっとがっかりです
ケルンからは右岸を北上します
橋に近づくと欄干がラメのように光ってきれいです
さらに近づくとそれがおびただしい数の例の錠前だったことがわかります
橋のたもとには錠前屋の小型三輪が止まってました

河が蛇行しているところは適当に直線コースでいきます

デュッセルドルフの町に入り観光案内所へ行って日本食品店の場所を教えてもらいます
すぐ近くです
米、レトルトカレー、ラーメン、納豆を買いました
今夜はカレーライスです

デュッセルドルフのキャンプ場にフランス人のおじさんがいました
聞けば6月6日にアンデルマットを出発してライン河を下ってきたそうな
6月6日といえばあの雨ザアザアの日ではないですか
アンデルマットの気温は6度だったそうです!
6のアラシです

彼が道々撮った写真を見せてもらいました
わたしのとほとんど同じなので笑ってしまいました
彼の目的地もオランダだそうです
彼はロッテルダムまでここからあと4日で着くと見込んでいます
このペースだと6月中にロンドンまで行けちゃいそうです
どうしようかな

本日の走行距離:60㎞


2017年6月21日 デュッセルドルフ⇒クサンテン



クサンテン Xanten という町に着きました
Xから始まる固有名詞は少ないですよね

観光案内所の前で今朝デュッセルドルフのキャンプ場で別れたフランス人のおじさんと再会します
(その後おじさんの名はドミニク Dominique と判明しました)
お互いに無事たどり着いたことを喜び合いました
今日は途中にキャンプ場が無い100キロの長丁場でした
一緒にクサンテンのキャンプ場に泊まることにします

キャンプ場へ行く前にクサンテンの教会の中を見ます
彫像のモチーフについてドミニクに質問します
とても良く知っています

不思議です
モチーフを聞いて改めてその彫像を見ました
するとそれまでオドロオドロしく見えていた人々がとても身近に感じられるようになります

先日訪れたシュパイヤーのドームは荘重でした
ステンドグラスがどれほど素晴らしいのか期待して中に入りました
中に入るとステンドグラスがあるべきところはただの曇りガラスでした
ドミニクによると第二次世界大戦の空襲で多くのステンドグラスが破壊されてしまったとのこと

今日のキャンプ場はライン河を少し離れて森の中です
鳥の鳴き声ばかりする静かなところです

テントを張ってからドミニクに冷たいビールをごちそうになりました

本日の走行距離:95㎞


2017年6月22日 クサンテン⇒アルンヘム



ドミニクはフランスのリヨンの近くに住んでいてわたしより少し年上かなという感じです
これまでフランスのナントからハンガリーのプダペストまで2500キロを走った経験もあります
朝クサンテンのキャンプ場でドミニクに「今日は一日一緒に走らせてください」とお願いしました
自転車の長距離ツーリングの先輩であるドミニクの走り方を参考にさせてもらうためです
ドミニクの答えは「はい、喜んで」

ドミニクは地図を持っておらずもっぱら標識を見ながら走ります
わたしは分厚い地図を見ながら走っています
巡航速度は20キロぐらいでわたしより少し速い
休みは一時間半に一回ぐらい
食事は基本自炊です
言葉は仏独英の順によく出来ます
犯罪に遭わないようにパスポートや財布の扱いは注意深い
スーパーがあれば買い出ししレストランで食べることもあります
わたしと同じく山登りをするので全体的な行動に違和感はありません

今日は午前中から暑く水をたくさん飲んだため二人とも水筒が空になりました
グリートハウゼンGriethausenという村で補給しようとしましたが水場が見当たりません
ドミニクが通りがかりの人に尋ねると墓地にあるかもしれないといいます
墓地へ行ってみると確かにありましたが自転車で通りがかった女性がここの水は飲用には適さないといいます
わたしの家で汲んでいきなさいというので行って台所の蛇口から有難く汲ませてもらいました

その家から自転車道へ戻る途中うしろを走っていたドミニクが「帽子がない」といいました
自転車をおりて振り返ると帽子はドミニクの背中に首ひもで垂れています
わたしが自分の背中を指さすとドミニクは了解してばつが悪そうに苦笑いしました
なんとなく気が合いそうな感じです

ミルリンゲンMillingenという町でドイツからオランダへ入ります
車道の両脇の自転車道がはっきりとした茶色になります
家々の色や形がどことなく可愛らしくなります
おお茅葺き屋根の家もあります!
屋根の形が一入亭の中門に似てます!
なんかとても嬉しいです
スーパーで買い出しをして渡し舟に乗り右岸の土手の上で昼飯にしました
オランダはドイツより物価が少し高くそれでもスイスよりは安いです
スーパーで買ったものの味はどちらの国よりも良い印象があります

今日はかなり気温が上がりました
ドミニクは午後から暑い暑いと盛んに言います
暑さにこたえたようです
アルンヘムArnhemに着きました
キャンプ場まではあと4kmほどです

キャンプ場に着き受付で宿泊の簡単な手続きをします
わたしはこのキャンプ場へ来た初めての日本人だそうです
記念に受付の壁に張ってある世界地図の日本のところに赤いピンを差しました。

テントを張ってからドミニクと受付の横でビールを飲みました
昨日のビールのお返しです
ドミニクによればオランダの田舎の人は夕食を5時ころ食べるそう
いまは5時前ですがまだ日は高く暗くなるのは夜10時を過ぎてからです
夕食を食べてから寝るまでずい分と時間がありますねえ
この受付も5時には閉まるとのことであわててドミニクともう一杯ビールを飲みました

6時ころに雷雨が来てざっと降ったあと涼しくなります
それとともにドミニクはまたご機嫌になりました

本日の走行距離:80㎞


2017年6月23日 アルンヘム⇒ホルクム



20日にケルンを過ぎてから工業地帯や住宅地を走ることが多くなります
土手から発電所らしきものが見えます

時々立派な教会に立ち寄ったりかやぶき民家を写真に撮る程度で走りに集中します


一人のときはテキトーに走っていました
ドミニクのサイクルコンピュータによると21日は95キロ、22日は暑い中を80キロ、そして今日は西風に向かって95キロ走ったことになります
ドミニクと一緒になってからは一定のペースで走るとか道を間違えないようにするとか結構真剣に先を走ります
その分1日の走行距離も延びます

ドミニクは大きな都市では1日フルに休んで観光をするそうです
そうでなくとも一週間に1日は休んだ方がいいようです
天気に恵まれわたしはここまで三週間クールで半日停滞したほかは1日も休まず来てしまいました
これからアジャストすることにします
西風を避けて昼食(ブーレン Buren)
風車(ウェイク Wijk にて)
さて今夜はヒッピー村のようなキャンプ場です
派手な飾りや消防車・二階建てバスを改造したキャンピングカーなどいろんなヘンテコなものがあって笑ってしまう
そこにいる人たちも家族ぐるみで個性的な感じです
トイレの中は青一色、シャワーはホールからすべてローズ色に塗装されていてどちらも男女共用です
わたしのようなうっかりものには優しい設計です
デザインの好みは異なるとしてもです

ドミニクはこのキャンプ場がいたくお気に召し写真を撮りまくっています

さてひょっとしたらライン河の自転車旅が明日で完結するかもしれません
河口まであと110キロです

本日の走行距離:95㎞


2017年6月24日 ホルクム⇒フラールディング


 日本の友人が知らせてくれた通り雨になりました
6月6日以来の雨です
おまけに西寄りの風も吹きつけてきます
ライン河には波頭がたち茶色く濁っています
渡し舟乗り場で(ホルクム Gorinchem)
オランダのトーチカ
このようにしけた日は他愛ないことを考えるに限ります

「ドミニクもわたしもポンチョ派だな。ドミニクが赤でわたしが青。あと一人白いポンチョの人がいて間に入って走ると面白いな。並んで走ればフランスの国旗、3人一緒に転んで重なればオランダの国旗だな…」

今日はルート地図を無視して直線的にロッテルダムを目指します
そうは言っても旧市街地に入ると道が迷路のように錯綜します
ドミニクも何回か標識を見落としました

また高速道路のインターチェンジを越えるときはまるで自動車のように大回りを強いられます

ドミニクは道がわからないときは人に聞きます
地図もスマホも持っていません
わたしもスマホは持っていません
それでもなんとか行けるんですね

買い出しや相変わらずの風雨に手こずったりして今日フィニッシュするのは無理になりました
ロッテルダムの先のフラールディング Vlaardingen の安いホテルにドミニクと泊まることにします
わたしはチューリッヒ以来ドミニクは今回初の屋根の下での睡眠です

シャワールームで自炊してテレビも見ないで寝ます
やることはキャンプ場と変わりません

本日の走行距離:63㎞


2017年6月25日 フラールディング⇒フック・ファン・ホラント


昨夜はラインの河口を目前にして雨風をしのぐためのホテル泊をしました
二人部屋で78ユーロの安ホテルです
平日なら63ユーロだそうです
と言ってもキャンプ場で三泊もできるほどの宿泊代です
そう考えると決して安くありません

金銭感覚はあくまで相対的なものです
自分の金銭感覚を低い方へ持って行ければそれだけお金持ちになれます
自転車旅を続ける中でその思いがさらに強くなりました

日本でやっている黒旅のような旅が海外でもできればいいなと思っていました
名所巡りやグルメ三昧ではなく人の暮らしや今を生きる思いに触れられる旅と言ったらいいでしょうか
ここまでやってきてそれがどうやらできるなかなと感じています

河口に近づくにつれて人や自転車が増えてきます
やがて顔に吹き付ける風に潮の香を感じるようになりました
対岸には発電の風車や潮流の遡上を防止する可動堰が見えてきました

11時フクファンホランド Hoek Van Holland に着きました
ライン河自転車道は北海を望む砂浜の途中で消えています
ドミニクのサイコンによれば源流から河口まで1550キロメートルを走ってきたことになります

砂浜には北海からの波がひっきりなしに打ち寄せています
さらさらの砂を指の間からこぼち手に残った砂を海水で洗い流します
その手で砂浜に落ちているきれいな貝殻を拾いお土産にしました

夜は西風の吹き抜けるキャンプ場でドミニクと完走を祝って乾杯しました

本日の走行距離:25㎞


2017年6月26日 フック・ファン・ホラント⇒ロッテルダム



アムステルダム空港からの帰国便まであと7日あります
ドミニクは明日ロッテルダムから列車でリヨンへ帰ります
列車を8本乗り継ぎ2日かかるそうです

ロッテルダムからアムステルダムまでは自転車で1日で行けますが2日かけてのんびり行くつもりです

今日はロッテルダムのキャンプ場で泊まり明日出発します

夕陽が照らす広々した芝生の上でドミニクとダベりながら夕飯を食べました

本日の走行距離:40㎞


2017年6月27日 ロッテルダム⇒アムステルダム



朝キャンプ場でドミニクと別れ久しぶりに一人で走り出します

通勤の車と自転車を横目にロッテルダムの市街を抜け北へ向かいます
自転車道は緩くうねる運河に沿って続きます
河幅10メートルほどの運河と道との高低差は50センチくらいしかありません

そのすぐ脇に家が建ち並んでいます
瀟洒な茅葺きの家も散見されます

運河は谷ではなく尾根状のところを流れています
運河の両脇にも水位のわずかに低い運河が段々と流れています
全身茅葺の風車、いいぞ!

このように運河を国中に毛細血管のように張り巡らすのは恐ろしく大変なことだったでしょう
オランダの風土を自転車の上から眺めていると不思議なほどスイスと似ていると直感します
不思議というのはスイスはライン河の水源の山国でオランダはその河口の真っ平らな対照的な地形なのに両国が何か似ていると感じるからです
何が似ているのかと考えてみると勤勉さかなと思います

恐らくは独仏という大国の脇で存在し続けるために両国の人が必死に狭い国土を隅々まで耕した結果なのでしょう
耕してついにスイスは天に至りオランダは海よりも低く生きることになったのですね

この二つ国の素晴らしい景色を自転車道から眺めることができてしあわせです

てなことを思いつつペダルを回しているうちにアムステルダムまで来てしまいました
アムステルダムの町の南でスキポール空港の東に位置するキャンプ場に泊まります

本日の走行距離:75㎞


2017年6月28日 アムステルダム



朝から雨が降ったり止んだりしてます
午前中はうとうとしたり洗濯したり本を読んだりしました

そのうち雨が小降りになったので町に出かけます
自転車道を拾いながら行きます

都会はそんなものとは思いますかなぜ皆さんそんなに先を争って走るのでしょうか
麦畑の中の田舎道を走っているときよりも都会の殺気だった自転車道で孤独を感じます


運河沿いに古い建物が目立つようになってきました
オヤ?
建物がビミョーに傾いています
運河に向かって前傾しているものがあります

あちらには隣の家にもたれかかっているものがあります

ナント窓枠自体明らかに平行四辺形になっちまった家まであるじゃないですか

とても嬉しくなりました新潟の一入亭が大集合したようです

喜んで写真を撮ります

すっかり傾いたある家の外壁には1644とありました
三代将軍家光さんの頃に建てられたのでしょうか

アンネ・フランクの家に行きました
入場待ちの長蛇の列ができています
運河越しに家の写真を撮ります
傾いていません
経営は順調なようです

中心街は大変な観光客の数です
あと3日この辺をうろうろするのかと思うと気が重くなります

キャンプ場への帰りに道を間違えてスキポール空港の方まで行ってしまいました
旅客機が次々に離陸しています
いっそのこともう飛んで帰ってしまいたい気分です

本日の走行距離:30㎞


2017年6月29日 アムステルダム



今日ゴッホ美術館へ行きました
彼の作品とデッサンそして手紙などを見ていろいろなことを思いました
それは彼に対する自分の思い込みの修正と新たな事実の発見です

彼は沢山の自画像を残しています
自画像(1887)
これまでその印象から彼を老人のように思っていました
彼がなくなったは37歳でピストル自殺でした
死因はさておき早世であることに違いありません

彼が描いた自画像を見ると一枚一枚その使われた技法が違うことがわかります
彼は自己愛から夥しい数の自画像を描いたのではなく自らの技法を高める手段として何枚も自分の顔を描いたのです
自画像(1886)

農民画的なものから自ら耳を切り落とした後のものまで彼がどれ程の努力を重ねたかが自画像を見るとつぶさに分かります
自画像(1887-1888)
そしてついに彼は色のコントラストと光の技法を手に入れます
その彼の自画像はまばゆい宝石のような唖然とするほどの美しさです
自画像(1888)


オランダ時代の彼は開発の進む都市に背をむけ農民と彼らの貧しい暮らしを描きます
多くの農民の顔の作品や手のデッサンにはまず現実を捉えようという意志を感じます
それらの中で「田舎家」の夕陽や「荒れ地の2人の女性」の後ろ姿にことに心を打たれました
田舎家(1885)
荒地の二人の女性(1883)
彼は集大成として「ジャガイモを食べる人々」を描きます
ジャガイモを食べる人々
わたしはこの絵に劇画のような印象を持ちました
彼はこの作品に満足できないのです
フランスには更に洗練された画家が大勢いるのです

彼はパリに出て優れた画家達との交流と自己研鑽を重ねました
そして時代の先端を行く画家としての実力を身につけました

アルルでの彼の絵には自然への愛情と農労働への共感がエネルギー溢れる色使いとタッチで描かれています
「クロー平野の収穫」の風景はわたしのこの旅の思い出と重なります
クロー平野の収穫、背景にモンマジュール(1888)
彼は「黄色い家」で画家のコミュニティを作ることを夢見ます
黄色い家(1888)

それはうまく行かず気を病んでついには自殺してしまいます

彼は生涯に渡って世に認められることがありませんでした
「It's only in front of the easel while painting that I feel a little of life」という彼の言葉が胸に迫ります
弟のテオだけが彼の理解者で経済的な支援もテオから受けています
テオの肖像(1887)
かつても今もこれからも永遠に多くの人の心を慰めるだろう数多の傑作を遺した人のなんという人生だったのでしょうか

わたしは素晴らしい人生だったと思います

人生はどれだけ永く生きたかやどれだけ金持ちになったかではないでしょう
人にどれだけ夢や希望を持ってもらえるものを遺せたかだと思います

ゴッホの多くの作品や手紙などを自分の目で見て多くを感じました
自ら経験することの大切さを改めて思います

わたしはほんの少しのことしか知りません
その少しを頼りに生きています
そのほんの少しのわたしの記憶の中にゴッホの絵があります

わたしがはじめてゴッホの絵に触れたのはまだ小学校の低学年のときでした
年の瀬の夜に父がお土産にチョコレートの詰め合わせを買って帰りました
その箱のおもてに「夜のカフェテラス」が描かれていました
夜のカフェテラス(1888)
ほおばったチョコレートの甘さにうっとりしました
明るく照らし出されたカフェテラスの壁と天井の黄色がすてきだなと思いました
その時この絵がゴッホが描いたものだとはっきり分かっていなかったかもしれません
それでも目はこの黄色を忘れていません

わたしは何も知らないのでゴッホ美術館で「夜のカフェテラス」を探しました
この絵は先日通ったアルンヘムの近くのクレラー・ミュラー美術館にあるのですね
また来る機会があればその時に見られるでしょう

本日の走行距離:60㎞


2017年7月1日 アムステルダム

ライン河自転車道を走っている時に土地の人に「ここの自転車道はよく整備されてますね」といいました
すると「オランダの方がもっとよく整備されていますよ」といわれました
自転車のパラダイスだと

そのオランダの自転車道はどんな様子でしょうか

まず皆さん走るスピードが速いです
高校生もお年寄りも速い
時速25キロメートルぐらいでしょうか
わたしの自転車にはメーターがついていないのでわかりませんがわたしより断然速いです
シラカバ並木を快走する中年女性
これはオランダだけでなく独仏もそうでした
理由は不明です

自転車道には自転車だけでなく電動車いすやスクーターも走ります
とくにスクーターは自転車の脇を追い越していくのでヒヤリとすることがあります
自転車道を走るスクーター
自転車道は茶色のペイントやブロックの路面になっていて歩道や車道とは分離されているのがふつうです
道の両側に自転車道があり車と同じ方向に走ります
中央分離帯・車道・自転車道・歩道
日本と逆の右側通行ですのでご注意を!
道の片側に一本だけ自転車道があって対面通行になっている場合もあります
対面通行の自転車道
狭いところでは道の両側に茶色いペイントで自転車道が表示されているところもあります
狭い対面通行の車道とペイントの自転車道
こうしたところでは車同士がすれ違う時は車が自転車道にはみ出してきます
それでも自転車道は自転車が優先なので車に道を譲る必要はありません

交差点には車・自転車・歩行者用の信号がそれぞれ別にあります
自転車に乗っている人は自転車用の信号ボタンを押します
右端の高い棒が乗馬者用、低い棒が自転車用の信号ボタン
歩行者用は左端
自転車で左折や右折するときはその方向に手を上げます
上げないで曲がると嫌みな人から怒鳴られることがあります
直進する人が優先なのは日本と同じですね

戸惑うのは日本にはないランナバウトです
ここでは時計と反対回りにランナバウトの外縁を回って自分の行きたい方向へ出ます
ランナバウトを走る自転車の女性
先にランナバウトに入った方が優先です
そうはいっても危ないと思ったら止まったほうが無難です

自転車道の中でオランダ全土共通の標識で表示された指定自転車道があります
自転車道の地図
標識は番号表示で自分の行きたいところの番号をめがけて最短コースで走ることができます
STOPの下が番号表示の標識
主要な標識の近くには地図があって現在地と行き先を確認できます
街角の自転車道地図
それでも道を間違えることがあります
特に街中では標識を見落としやすいので注意が必要です

街角には至るところに自転車のラックがあります
街角の自転車ラック
むかし囚人をつなぐときに使ったようなごつい鎖のロックが人気です
自転車の盗難防止ロック
オランダならでは風景は跳ね橋やスライド橋ですね
跳ね橋(動画です)
スライド橋
のんびりした感じです

こうして見てくると自転車がいかにオランダ社会の中で重視されているかが改めて分かります
国土が平べったくて自転車向きということもあるでしょう
稀人の目には定かに見えませんがそこに人間尊重の精神を感じます

本日の走行距離:20㎞


2017年7月2日 スキポール空港



今回の旅は私が日本国内でやっている黒旅の海外版すなわちブラックツーリズムです
人間の正負の遺産を自転車で巡る海外の旅です
*黒旅についてはこちらをご覧ください⇒https://hitoshio.blogspot.jp/2016/04/1.html

Technik Museum Speyer

始めはフランスのロアール河を遡る旅を考えていました
ロアール河の流域には沢山の美しい古城といくつもの無粋な原発があるからです
フランスの原発は多く内陸にあります
ブラックツーリズムが目指すところにピッタリかなと

さらに検討していくうちにライン河の自転車道がとても良く整備されていることを知りました
初めての海外自転車散歩でもあるしまずは気楽にライン河へ行くことにしました

結果としてライン河の流域にも沢山の原発があることを知りました
ドイツの原発は2022年までにすべて閉鎖予定です

今回1ヶ月で1800キロメートルほどを走ってみて体力的には問題ないことが分かりました
新潟の一入亭での1ヶ月の茅葺きのほうがよっぽどきつかった

むしろ初めての海外自転車散歩なので分からないことが沢山あり気になっていました
それも今回走っていまはあらかた氷解しました

来年はそもそもブラックツーリズムを思いたったロアール河へ行こうと思います

ロアール河が北大西洋に注ぐ街サン・ナゼールから遡り源流を過ぎてスイスのバーゼルまで1ヶ月かけて辿ろうと思います

今回ふとしたことから6日間を共にしたドミニクも「来年はロアール河を3日間一緒に走ろう」と楽しみにしています
そういえばなんで3日間なのか聞くのを忘れました
ドミニクに安くておいしいワインを教えてもらいながらのんびり走ろうと思います

自転車旅の徒然に思ったあれこれを毎日ガラケーでブログに投稿しました
スマホは持たず自分の目で見て考えてそれでも分からなければ人に聞く旅です
否応なく五感を働かせ土地の人との交わりを求めてそれらに報われることの多い旅でした
スキポール空港に到着
本日の走行距離:10㎞