2019年4月16日火曜日

黒旅(8)-2 大宰府⇒中津

8:00 ノリシコオートゲストハウス
ゲストハウスのユニークなオーナーに見送られて出発しました

9:00 米ノ山峠
朝一番で標高差300mの峠を越えました
きょうはもうこれで大きな登りはないと予想しました
この見通しは甘く、きょうは1日峠まつりとなりました

9:30 穂波町
あちこちにレンゲの咲くのどかな田園がひろがっています
穂波町
ため池にもたっぷりと水が溜まっていて田植えの準備も万端のようです
ため池
このあと峠を三つ越えました
米ノ山峠ほどではありませんでしたが少々こたえました
とくに最後は川沿いの道が通行止めで迂回路がばっちり峠道でした
ちょっと損をした気分です

それから走りやすい今川のサイクリングコースに出ました
その道とも豊津で別れ、東に中津へと向かいます

13:30 椎田
日豊本線の線路を越えて国道8号線と合流します
ここから中津まではまた交通量の多い道路です

15:30 福沢諭吉旧居・記念館
ここを訪ねたのは福沢という人をもっと知りたかったためです
犬猿の仲といわれた大隈重信とどう違うのか知りたかったのです
福沢と大隈はともに幕末から明治にかけて人々におおきな影響を与えた人物でした
福沢諭吉旧居 大分県中津市
わかりやすい違いは福沢は一万円札に採用され、大隈はされなかったことです
大隈は政治家だったのでこれからも紙幣に採用されることはないでしょう
まあこれは些細なことです

記念館の資料を見ていて二人の間の大きな違いに気がつきました
それは海外渡航経験と名著のあるなしです

福沢は半年ほどの渡米が二回、一年ほどの渡欧を一回しています
大隈は海外へ行ったことがありませんでした
海外経験のあるなしが二人の第一の違いです

もう一つの違いは名著のあるなしです
福沢は1863年の渡欧のあと「西洋事情」(1866年)を著しています
そして二度目の渡米(1867年)ののちに「学問のすゝめ」(1872年)と「文明論之概略」(1875年)を発表しました
学問のすゝめ 初版
これらの著作は外国語にも翻訳され国内外でたくさんの人々に読まれました
政治家の大隈にはこれらに匹敵するような著作はありません

ともに当時としては大柄な二人(福沢は173.5㎝、大隈は180㎝)でした
九州の藩士出身で欧米の文化に理解があり教育に熱心だったことも共通しています
この二人の大きな違いは海外経験に触発された名著のあるなしだと気がつきました

17:00 中津城

18:00 ビジネスホテルナカツ

本日の走行距離:86.7㎞

中津ー徳山 へ続く