1977年5月5日木曜日

穂高連峰

5月5日

 五竜とおみで一緒にスキーをした連中と松本で別れる。天候は、いつ雨が降り出してもおかしくないような感じだ。


 上高地からは吊尾根も見えず、観光客は残念そうである。神城山荘から持ってきた沢山の食料とスキー道具がかなりの重量だった。それを背負って歩き出すと、雨が本降りになってきた。道が凍結していて1度転倒したが、横尾まで1度も休まずに2時間で着いた。横尾山荘に素泊まりする。握り飯がすごくうまかった。夜は雨がざあざあと降っていて、明日の天気も絶望のように思えた。


5月6日

 朝目覚めた時、部屋の中が暗かった。外に出てみると快晴であった。これはぐずぐずしていられない、とあっという間に荷物をまとめ出発した。快調に歩き続け、1時間強で本谷橋に着く。そこからはデブリをよけながら涸沢の沢通しに涸沢カールの底まで1本道である。夏道よりもずいぶん楽な気がした。


白出コルからの滑降

 涸沢ヒュッテに着くと、すぐに荷物を放り出して、まずはザイテングラードを穂高小屋目指して登った。まるっきりゲレンデスキーの服装で、スキー靴にアイゼンをつけてパカパカと登った。

前穂高岳 1977年5月6日

 白出コルに着き穂高小屋の前にスキーをデポして涸沢岳まで行ってみる。涸沢には夏にたびたび来ているが、こんなに素晴らしい天気に恵まれたことはなかった。

白出しのコルで 1977年5月6日
 写真を撮りながら白出コルへ降りていくと、すれ違った登山者はスキーウェアのわたしを見て驚いていた。


 白出コルからカールの底へ滑り下りる準備をしていた時、雪に突き刺していたわたしのスキーが倒れて涸沢側に滑り落ちて行った。あわててスキーを追いかけて行ったが間に合わず、頭からもんどりうって雪の斜面にひっくり返った。起き上がってスキーの行方を見ると、50mほど下方で腐った雪に刺さり止まっていた。


 ほっとしてスキーを回収して、もう一度白出コルで態勢を整えて、いよいよ滑降だ。まず、ザイテングラードを南から北へ向かって横切り、涸沢岳の下方の斜面に出る。そこから涸沢ヒュッテめがけてスラロームで下る、と大まかに予定をたてて滑りだす。


 はじめは調子が良かったが、そのうちに突然雪質が変化して転倒してしまった。雪面を50mほど流されたが何とか自力で停止する。ザイテングラードにいた登山者がびっくりしてこちらを見ている。再度態勢を立て直し、今度は緊張しないよう軽口をたたきながらカールの底まで無事に下った。

涸沢ヒュッテから見上げたザイテングラード
1977年5月6日

5月7日

 昨夜は雪が降った。硬い雪の上に新雪がのったあまり良くない状態である。予定では5、6のコルから涸沢ヒュッテまで滑降しようと思っていた。好ましい条件ではないが、大丈夫だろうと判断して出発する。


 昨日まであったであろうトレースは、昨夜の降雪でまったく消えている。コルへの最短距離となる雪面に新たにトレースをつけていく。深いところで50㎝ほどの新雪である。


5・6のコルからの滑降

 5・6のコルからはカールの底が昨日より暗く見えた。昨日は急な雪質の変化に対応できず1回転倒したが、今日は新雪滑降なのでそのようなことはない。ただ、斜面には木も生えていなければ岩も突き出ていないので、滑っていて自分がどれくらいのスピードなのか分からない。スピードの出し過ぎでバランスを崩さないよう注意して滑降した。


 涸沢ヒュッテでデポしておいた荷物を背負い、さらに本谷橋まで愉快な気持ちで一気に滑った。