1973年5月17日木曜日

開聞岳

  沖縄への修学旅行の帰途、僕たちのクラスでは鹿児島で丸1日の自由行動日をもうけた。前日の朝那覇を船でたち、一昼夜かけて南西諸島を北上し、今朝鹿児島港に着いた。天気は良くなく、昨夜はまた船酔いした友人の介護をしていてほとんど寝ていなかった。旅行の疲れもあったので、ひそかにあたためていた開聞岳の登山計画は中止にしようかと思った。

 下船して港から皆とぶらぶらと鹿児島市内の中心へ向かって歩いた。開聞岳に行くのをあきらめた気持ちが、からだの動きを鈍くしていた。ふと頭上に「西鹿児島駅1㎞」という標識が目に入った。反射的に腕時計を見ると8時10分前であった。それから僕は皆に「俺は山へ行く」、とだけ言い残して西鹿児島の駅まで走った。そして調べてあった列車に飛び乗った。


 開聞岳は大隅半島の突端にあり、山の南西半分が海にせり出している。富士山と同じコニーデ型の成層火山だが、高さは924mしかない。それで僕は、鹿児島市内からなら日帰りで登れるだろう、と目論んだのである。


 開聞駅から枚聞(ひらきき)神社へ行き、境内から開聞岳へ向かうまっすぐでダラダラと登る道を行く。すると牧場に出て、このあたりから山を時計回りにらせん状に巻いて登っていく。そして丁度1周したところが山頂なのである。面白い。


 牧場を過ぎて林の中に入ると、道を横断して張られたクモの巣が顔にくっつく。また、時折サルが大きな声でギャーギャーと鳴いて気味が悪い。登山靴ではなく運動靴で来たので、湿った岩の道は滑りやすい。半周したころからシャクナゲに似た木がびっしりと生えている。道は大岩のゴロゴロしたところになって、せりあがっていく。最後は手も使わなければ登れない岩場となって頂上に着いた。


 山頂からの眺望を楽しみにしていたが、ガスで何も見えなかった。殺風景な山頂で、麓で買ったパンを食べ、早々に下山する。何本もない帰りの列車にしっかり乗らないと、時間通りに鹿児島へ戻れない。駆けるように下山する。


 開聞駅の近くの食堂に入り、腹ごしらえしてビールを飲んだ。店のおばさんにお金を払うと、おつりを百円札でくれた。