1973年4月2日月曜日

雲取山から雁峠

 春休みには春期合宿としてどこか遠いところへ行ってみたかった。丹沢はいやだった。そこで手ごろな奥秩父にした。当初の予定では、雲取山から縦走して甲武信岳まで行くつもりだったが、予想外の積雪の多さに苦戦を強いられた。印象深い山行だった。


3月30日

 奥多摩駅からバスに乗り、鴨沢の先まで行く。バス停の前の食堂で風変わりな手打ちうどんを食べて出発する。非常に日当たりの良い尾根で汗をびっしょりとかく。1時間もすると雲が多くなり、ガスが出てきた。木の鬱蒼と茂ったところを過ぎて、山腹を左に巻いて行くようになり、石尾根に出た。ここで1人2人と足がつりだした。奥多摩小屋の手前の尾根際で幕営する。みんな疲れたようで、夕食も静かだった。


3月31日

 朝、天幕から外を見るとひどい曇り。雲取山の山頂からも何も見えなかった。足元の雪がだんだん深くなってきて、飛龍山へ向かう尾根に入ると、さらに積雪が増えてくる。湿雪のため踏み跡が固まっておらず、ツボ足では1歩ごとに足がもぐってやっかいだ。こんな積雪があるとは思わなかったので、ワカンを携行していない。もっとも、神奈川県の高校では、ワカンを携行する山行は冬山登山であるという考え方であり、冬山登山は禁じられているので、もし僕たちがこの時期、この地域にこれほどの積雪を予測していたのであれば、今回ここへ来る計画はたてなかった。


 予定より大幅に遅れて飛龍山から南側に派生する尾根の下に着く。雨がそぼ降っていて寒いので、そこにあった祠の中に入って昼飯を食べた。


 そこから、将監峠までトラバースする道に入る。その途中で、道の左側が切れ落ちているところで、僕は足を踏み外し、雪の上を20mほど転落したが無事だった。このようなアクシデントも重なって、さらに予定より遅れたが、M先生がトップをせきたてたので、暗くなる前に将監峠の無人小屋に着くことができた。薪を作って暖をとり、晩飯を食べた。その晩小屋に泊ったのは、僕たち以外には2人だけで、暖かくゆっくりと寝ることができた。


4月1日

 快晴の朝を迎え、元気に小屋を出発した。ところがまたまた道は分かりにくく、雪は湿っぽく、しかも深くて歩きにくかった。笠取小屋までトラバースルートを行こうとしたのだが、道を間違えて稜線ルートに出てしまった。稜線上も歩けるのだが、簡単ではない。しかし、とても静かで、雪と岩のミックスが美しい。坂を登っていくと、木と雪と岩と青空が混ぜ合わさって見上げられる。広い平地を股下ぐらいのツボ足で進んでいくので、少し進むのに非常に時間がかかる。ようやく笠取山の山頂に着くと雁峠が眼下に見下ろせた。峠の小屋に着くまでが、またひと苦労だった。どうにも今日はここまでである。どんなに頑張っても、通常の半分のスピードでしか歩けないので仕方がない。雁峠小屋に泊まることとした。


4月2日

 翌朝天気の良い中を塩山へと下った。


 奥秩父は春先に積雪が多く、入山者が少ないのでトレースは期待できない。そんなことを痛切に知った。