1972年8月6日日曜日

吾妻連峰

どういうわけか磯工山岳部は高校総体の全国大会(インターハイ)に出場できることになりました
出場できるようにT先生がいろいろ準備したといううわさがもっぱらでした
参加するための旅費は全額支給されましたので経済的な負担はありませんでした

8月1日

新橋のT先生の家に前泊して、早朝上野駅から山形行きの特急に乗車しました

駅に着くのが遅れて、もう少しで乗り遅れるところでした

列車の中ではいろいろと打ち合わせることがありました

ぜんぜん特急列車に乗っていること楽しむことができませんでした


米沢に着くと、地元の中学生が大勢で歓迎してくれます

バスで白布温泉まで行き、中屋という宿泊先の旅館に入り、温泉でゆっくりくつろぎました


8月2日

翌日は登山競技の開会式があるので、またバスで米沢まで行きました

校庭で火縄銃のデモンストレーションを見せてくれました

ものすごい大音声がしたのでびっくりしました


市民会館のなかで行われた開会式では槙有恒氏の講演がありました

「集団登山で得るものは交歓しかない。」ということばが印象的でした


開会式が終わってから、またバスに乗り、登山口の峠まで行きました

途中バスの中で少し寝てしまいました

峠からは林道を1時間ほど歩いて滑川温泉に着きました

天幕を張って食事の用意をしていると、ポツポツ雨が降ってきました


8月3日

翌日も朝から雨でした

午前中は天幕の中ですごし、午後は姥湯というところまで足慣らしに出かけました

姥湯はなにか地獄のようなところでした


8月4日

その翌朝もまだ少し雨が降っていましたが、出発することになりました


姥湯への道から分かれて沢に入りしばらく行くと沢を抜けて霧ノ平の鞍部に着きました

なかなか見晴らしが良いところでした

吾妻連峰で 1972年8月

樹林帯の尾根を登っていくと家形山に着きました

眼下には五色沼が雲の移り変わりに応じて様々に湖面の色を変化させていました


五色沼の向こうにある一切経山に登ります

丈の低い草原のところは風が強く吹いていました

写真で見覚えのある吾妻小富士がすぐ下に見えました

その右手が今夜の幕営地でした


8月5日

キスリングを天幕の中に置いて、サブザックで東吾妻山に登りました

針葉樹のジャングルをぱっと抜けて気持ちの良い草原になるとそこが眺望の良い山頂でした


鎌沼で昼食をとり吾妻小富士の麓まで戻りました

吾妻小富士は富士山のような形をしていますが、山頂までは5分ぐらいで登れました

火口の中に降りると、ぐるりと火口壁に取り囲まれて、すり鉢の底にいるような感じがしました


吾妻小富士の麓からまた中屋までバスで行きそこに泊まりました


8月6日

閉会式で優秀校の発表があり、磯工山岳部はその中に入っていませんでした

メンバーのみなと米沢駅で別れ、そのまま父の実家のある宮城県の古川へ向かいました