2024年6月18日火曜日

ミディ運河の自転車旅 カルカッソンヌ

今日はカルカッソンヌの観光です

まずジャン・ジャックの自転車チューブを買うためキャンプ場から歩いて街に向かいました
街では「6月18日の呼びかけ」の記念式典が行われていました
1940年の今日にド・ゴール将軍がナチス・ドイツへの抵抗をフランス国民に呼びかけました
街の自転車店は閉まっていてチューブは買えませんでしたので城砦へ行きます
石壁に挟まれた狭い階段を登っていきます
夜は怖そうなところです
階段を上がるとオード門の下に出ました
カルカッソンヌのシテと呼ばれる城塞都市への入り口のひとつです
眼下に新市街が見えます
城壁を抜けて石畳の坂を登っていきます
暑い日差しが照りつけているのでみんな日陰を選んで歩いていきます
そしてサン・ナゼール教会の前に出ました
中に入ると私たちの訪問のために椅子が用意されていたので勝手に座って記念撮影しました
アッカンベー!
ベー!(舌足らずでーす)
中世にはこんな人がいたのかしら?
壁にタテのスリットが入っているのが見えますか?
内側から見るとこうなっています
敵に向かって矢を射るための隙間です
城の裏に回っていくと頭上に木造の建物が見えました
城の兵士はこの中から敵に対して攻撃をしたのです
城の上からは街がよく見えます
ずーっと遠くまで見えます
シテの見学を終えてナルボンヌ門の前で一休みしました
テクテク歩いてキャンプ場に戻り冷たいビールを飲みました
明日からの予定について議論する人もいればまったり幸せ気分の人もいます
夕食は買い出しには行かずあるもので作って食べました


2024年6月17日月曜日

ミディ運河の自転車旅 カステルノーダリ ⇒ カルカッソンヌ 42㎞

今日私たちはカステルノーダリから40㎞ほどのカルカッソンヌまで行きます。
カルカッソンヌでゆっくり観光するつもりでこういう予定にしました。
カステルノーダリの堰止湖
カステルノーダリには大きな堰止湖があってその先にサン・ロックという閘門があります。
合衆国の第三代大統領のトマス・ジェファーソンがここを見学に来たそうです。
大統領として多忙だった彼がなぜこんな遠いところまで来たのだろうと意外に思いました。
そばにレリーフがあり彼は大統領になる前の駐仏公使の時ここに来たと書いてありました。
なるほど。
独立間もない合衆国はフランスとの友好関係が強かったのですね。
カステルノーダリからカルカソンヌまでの間にはいくつも閘門があります。
つまり自転車で走るには楽な下り勾配の道が続きます。
休憩中の表情にもなにげに余裕が感じられます。
私たちは昼頃にカルカソンヌの新市街に着きました。
落ち着いた街並みの通りを観光客がそぞろ歩いています。
私たちはスーパーで昼食を買い公園で食べました。
そのあと私たちはポンヌフを渡ってキャンプ場へ向かいました。
ポンヌフの上からカルカッソンヌの城砦がよく見えました。
私たちは明日カルカッソンヌの観光をするので今日はまっすぐキャンプ場へ向かいました。
キャンプ場は城砦の右手にありました。
テントの数は少なくほとんどのサイトはキャンピングカーで埋まっています。
ミシェルによればこのタイプのキャンピングカーはXXXユーロぐらいするそうです。
こちらはもっと高くてOOOユーロぐらいだそうです。
誰かが言うには典型的なフランス人の老後は二択だそうです。
キャンピングカーで各地を旅行するか家を買って庭いじりをするか。

テントを張り終えてドミニクたち4人はキャンプ場のバーへ夕飯を食べに行きました。
私とユカはソムールとチーズや野菜それにワインもあったので自炊しました。


2024年6月16日日曜日

ミディ運河の自転車旅 ドゥイム ⇒ カステルノーダリ 52㎞

今日から私たちは荷物を自転車に付けて走ります。
メンバーもそろい天気も上々で自転車旅の気分が高まります。

いよいよキャンプ場を出発という時にドミニクが声を上げました。
「さあ出発だよ、キキ!」(C'est parti, mon Kiki !)
みんなにっこりしました。

私たちはすぐにミディ運河沿いの自転車道路に入りました。
満々と水を湛えた運河の両側に大きなプラタナスの木が並んでいます。
その木々がつくる日陰に舗装されて走りやすい自動車道があります。
しばらく走ると対岸の運河の水際に建物が見えました。
ここは昔運河の水で洗濯をしていた場所だそうです。
対岸に洗濯場が見えます
そんな快適な道も昼前までそれからは未舗装の道路が続くようになりました。
砂利道とまではいかないまでも舗装路と比べると走りにくいです。
路面に注意して走らないと穴にはまったりスリップやコースアウトの危険があります。
前を走る人のコース取りをベースに慎重に走ります。

13時を過ぎたので私たちは昼食できる場所を探しながら走りました。
6人一緒に快適に食事できる場所はなかなかありません。
私たちはようやく道端の木陰にテーブルとイスのようなものを見つけました。
そこで昼食をとることにしました。
傾いた小さなテーブルを囲んで昼食
私たちはゆっくりと昼食をとってからまた走り出しました。
すぐに珈琲を飲めるところを探そうということになりました。
午後の休みに珈琲を飲むのが彼らの習慣のようです。

私たちは閘門(ecluse)にあるレストランに立ち寄りました。
残念ながらそこには珈琲は無いとのことです。
つぎの閘門にカフェがあったのでそこで休むことにしました。

みんなエスプレッソを飲みました。
おや、ひとりビールを飲んでいる人がいます。
私もビールも飲むことにしました。
私たちは一日大体50㎞走ることにしています。
なので今日の行程は丁度よくカステルノーダリまでです。

カステルノーダリのキャンプ場は公共の施設です。
トイレやシャワーなどの設備は貧弱ですが敷地はゆったりしています。
時折リスが走り回っています。
ドミニクがキャンプ場の人と交渉してさらに広いスペースを確保してくれました。

   CAMPING MUNICIPAL LA GIRAILLE

夕食はこの地方の名物料理であるカスレ(Casoulet)を食べに行くことになりました。
私たちは自転車を連ね10分ほど走ったミディ運河の港に行きました。

そこには運河に向かってレストランが数軒並んでいます。
それぞれの店の前のテラスには十数人の客がいて食事をしています。
私たちはどの店がいいか店の外観やメニューや店員やらを何度も眺めました。
そしてようやく一軒の店に決めて席に着き乾杯しました。
やっと乾杯です!
カスレは大豆と肉やソーセージをゆっくり煮込んだ料理です。
とてもボリュームがあって食べがいがありました。
ユカは肉は食べないのでベジタリアン・プレートにしました。
こちらは体に良さそうで美味しいようです。
みんな満腹になったのでゆっくり自転車を漕いでキャンプ場に戻りました。

2024年6月15日土曜日

ミディ運河の自転車旅 ドゥイム ⇒ トゥールーズ ⇒ ドゥイム 48㎞

ミディ運河の出発点
今回たどるミディ運河が始まるところはトゥールーズです。
今日はそこまでドゥイムから空身で往復します。
トゥールーズのような大都市にはドミニクたちが好きな静かなキャンプ場はないのです。
なのでトゥールーズから少し離れたところでキャンプすることにしたのです。
Camping Les Violettes
朝食をすませた後にみんなで自転車で出発しました。
キャンプ場からミディ運河までは1kmほどです。
運河の脇の道を軽快に走ります。

今日は土曜日です。
蚤の市をやっているところがありました。
人がたくさん歩いているので自転車を押して通ります。
さらに運河沿いに行くとトゥールーズ・マタビオ駅の前に出ました。
近頃あちこちで見かける都市名のロゴがここにもありました。
トゥールーズの街中を見て歩きます。
まず日本語の挨拶やお辞儀の練習をしました。
「コンニチハ!」
トゥールーズはレンガ造りの建物が多く「バラ色の都市(la ville rose)」と呼ばれています。
キャピトル広場
日本庭園
自転車を押しながら日本庭園を見て歩く人たち
日本庭園の隣の公園のベンチで昼食にしました。
今日は土曜日で公園には家族連れがたくさんいて賑やかです。
ヘルメットとかぶり手袋をしたまま食事するジャン=ピエール
アルプスでクライミングしている時と同じスタイル
もう少し行くとミディ運河の始まりである双子橋に着きました
左手前がミディ運河 右奥はブリエンヌ運河
「バラ色の都市」を走るユカ(動画)
サン・セルナン教会での結婚式(動画)
このあとスーパーへ行って食料を買い出ししてからキャンプ場に戻りました。
バゲットを自転車に載せて
ちょうどそこにはドミニクの友人のミシェルが到着していてこれで6人全員がそろいました。


2024年6月14日金曜日

ミディ運河の自転車旅 アヴィニョン ⇒ ドゥイム 17㎞

ドミニクとの自転車旅はシンプルです。
旅で私たちはテントに泊り自炊し自転車で移動し時折名所旧跡を訪ねます。
これを何週間にもわたって繰り返し結果的に走行距離が千数百キロにも及びます。

10年、20年前はこういう旅をする人たちがヨーロッパにかなりいたようです。
今は全く少数派になりどこのキャンプ場もキャンピングカーが多くを占めています。
それでも愛好家はまだ健在でその人たちとこれかた10日間の旅をする予定です。

このような旅を安心してできるのはドミニクがいるからです。
彼は日本からの長旅で疲れた私たちを空港まで迎えに来てくれ家で休養や準備をさせてくれる。
フランスでの自転車旅にリラックスして臨めるよう彼はできる限りのことをしてくれるのです。
朝食のおもてなし
庭先での自転車の組み立て
試走中に不具合を発見!
今日の旅
アヴィニョン駅でリヨンからの列車でやってきたドミニクたちと合流しました。
アヴィニョンで合流し昼食
ここからナルボンヌまで行き、また乗り換えてバジエージュまで行きます。
バジエージュから自転車に乗って今夜の泊り場であるキャンプ場まで行きます。
夕方7時頃には着く予定です。

フランス国鉄の列車には自転車を乗せられるスペースがあります。
その数に限りがあるりすべてふさがっている場合は最悪乗れないということもあります。
切符を購入する際にスペースを予約することが薦められています。
しかしそのスペースを予約している人を私は見たことがありません。
今回は2本の列車とも他に自転車乗りが少なかったのでゆったりと移動できました。
ナルボンヌへ向かう列車の補助席に座る
私たちがバジエージュで列車を降りてホームを跨ぐ橋を自転車を抱えて越えている時でした。
ホームに人が倒れているのが見えます。
皆で急いで行ってみるとベンチの前に若い女性が横たわっています。
歯科医のジャン=ジャックが脈拍や呼吸や瞳孔を確認し言葉をかけました。
女性は意識がありません。
近くにいた人が急いで救急隊に電話しました。
(ヨーロッパの緊急電話番号は112です)

救急車の到着を待っている時間が私には長く感じられました。
救急車より前に憲兵隊の車が到着し2人の憲兵が降りてきました。
憲兵たちは女性の安否を確かめ、次いで私たちから事情を聴きました。
彼らはまた皆の名前と電話番号も聴きました。
私の番になった時にすかさずジャン=ジャックが「日本まで電話するのか?」と憲兵に言いました。
すると憲兵はにやりとして私に尋ねるのをやめました。
私たちは女性のことを憲兵たちに任せて現場を離れてキャンプ場へ向かいました。
私たちが列車を降りてからすでに1時間たっていました。

キャンプ場に向かって一列で走っていくのは新鮮です。
これまではいつも一人か二人で旅していたので集団で走ったことが無かったからです。

私たちはキャンプ場をなかなか見つけられませんでした。
私たちはグーグルマップを見たり通りがかりの人に道を聞いたりしました。
そしてやっと私たちはキャンプ場に着きました。
バジエージュを出発してから1時間が過ぎていました。

私たちがキャンプ場の受付を済ませたのは20時過ぎでした。
もう食料の買い出しに行く時間がありません。
私たちは今夜はキャンプ場の受付で売っているもので夕食を済ますことにしました。
少しの食べ物とワインと皆の笑顔があれば楽しく時は流れます。
Camping Les Violettes で