1988年4月16日土曜日

越後駒ヶ岳

TSMCの例会での豊島の「越後駒へ行こうと思っています」のひと言に、越後駒ヶ岳でスキーができるのか!と驚いた。

雪山であれば、どこでもスキーができるのは、当たり前のことかもしれない。どこへスキーに行こうかと考えたとき、スキーツアーのガイドブックを見て、その中から選んでしまう。まるで、スキーツアーができるのは、そこだけでしかないかのように。


ガイドブックで越後駒ヶ岳の名前を見たことはなかった。だから行こうと思ったこともなかった。地図を読むという基本ができていないことにに加えて、このような発想の貧困さがあるのだから、これはよくよく考えなくてはいけない。


わたしは今回木曽御岳へ行く予定だったが、豊島の話を聞いて計画を変更した。まずは、近くて良い山からである。


夜の関越道を、豊島のスカGで飛ばし、小出インターで降りる。奥只見シルバーラインの入口には、「雪崩の危険」ということで、ゲートは7:30に開けるとの掲示がある。その時間まで、近くの空き地にテントを張って仮眠する。


夜半に通り雨があったが、明るくなる頃には小倉山に続く稜線が望めた。雲があわただしく上空を通り過ぎるが、天候は回復している様子だ。ゲートオープンと同時にシルバーラインのトンネルに突入する。トンネル内で途中右折して、朝日がまばゆい銀山平に飛び出す。道の両側には、まだ2メートルほどの積雪が残る。行き止まりが石抱橋だった。川の上流に根張りの大きい山が見えるが、頭に雲のシャッポを被っている。あれが越後駒に違いない。朝飯を食べ、その山体に向けて出発する。(8:35)


北ノ又川左岸沿いに進み、次いで白沢に少し入る。(9:30)道行山に続く尾根に至る小尾根に取り付く。出だしは急だが、すぐに楽にシール歩行ができるようになる。雪の割れた所を越えると、尾根は広く歩きやすくなる。尾根の最後は左にトラバース気味に登り、道行山に出る。(10:45)豊島はさっさと先に行き、尾根の途中で休んでいるのが見える。


道行山からは越後駒の方向に向かって少しアップダウンのある稜線を辿り、小倉山に着く。(11:15)天候も回復してきて、ようやく駒ヶ岳の頂上が見え隠れしてきた。尾根の傾斜が次第に急になり、百草ノ池を過ぎ、小ピークに立つと、すでに駒ノ小屋に着いた豊島がこちらを見下ろしているのが見えた。稜線が狭く急になるが、それもわずかで駒ノ小屋に着く。(13:00)小屋はまだ雪の下で、アンテナ塔と「駒の鐘」だけが雪上に出ている。小屋から山頂へは一投足だった。(13:45)南には越後三山の最高峰中ノ岳が堂々とあり、北には越後平野へと続く低山が広がっている。写真を撮ったり、缶ビールを飲んだりしてから、スキー滑降に移る。(14:00)


頂上直下の斜面は手ごろな傾斜だったが、雪質はあいにく重い新雪だった。駒ノ小屋下の急斜面も不安定な雪だった。1,800m以下はザラメになり、小倉山まで稜線の滑降を楽しんだ。小倉山から振り返ると、ザラメに切ったシュプールが、逆光に浮かんでいた。


小倉山を下りきってから、僅かの距離だがスキーをかついで道行山に登り返す。(15:00)道行山から、もう一度輝く稜線のうねりを目に焼き付ける。白沢へ下り、一気に石抱橋までスケーティングで帰った。(16:00)