さて、
会津高原の駅を降りると、南会津の空は穏やかに晴れ上がっていました。駅には「闘魂」の田村代表、伊藤かっちゃん、景山君の3人が、車で迎えに来てくれています。半年ぶりの再会ですが、なぜかちょくちょくあっていたような気がする仲間です。
かっちゃんのワゴンと、影山君のパルサーは、雪のない国道を飛ばしました。1時間ほどで、桧枝岐の手前の滝沢橋に着きました。ここで腹ごしらえをして、そのあと持ってあがる荷物の調整をしました。「闘魂」の装備は、8人用テントとか、特大鍋とか、卓上ガスコンロといった、宴会向けの立派なものばかりでした。 そこで、わたしたちTSMCのメンバーは、全面的「闘魂」の装備にすがり、自分たちの装備はかっちゃんのワゴンの中に残置することにしました。
この点について、「闘魂」から「アルパインスタイルではないか?」との疑問が提出されましたが、わたしたちは「俺たちもすっかりアルパインスタイルが身についたね」、なんて言ってやり過ごしました。
こうしてわたしたちは小ぶりの、「闘魂」は極めて大ぶりのザックを背負い、駒ノ小屋を目指して出発しました。(12:40)
それから、
稜線に出るまでの1ピッチは、林道から左手の沢状に入るところがミソでした。右の夏道尾根に出てしまうと、なかなかスキー登行ができないそうな。ブナの林の稜線を抜け、アオモリトドマツが出てくると、尾根の傾斜も緩みます。ここをスキーで降りてくる人たちがいましたが、「闘魂」の知り合いの郡山山岳会の人たちでありました。
標高が2,000m近くになり、日光連山から尾瀬にかけての山並みが見えてきました。森林限界を越すと、会津駒ヶ岳のノッペリした頂きが、すぐそこに見えます。
こうして、
駒ノ小屋の手前の斜面まで登ると、小出さんがスキーで降りてきました。合流を喜ぶ暇もあらばこそ、彼女が何か言っています。小屋下の樹林帯にテントを張ったところ、近くにいた単独行のひとが、小屋番に、「ここで幕営してはいけない。小屋に泊るか、キリンテまで行って幕営しろ」と言われたそうな。(16:30)
では、
わたしたちのパーティーは、ここからもう1歩も動けないメンバーがいることにして、ここで幕営しましょう、と決めました。「闘魂」の8人用テントをどんと打ち立て、間もなく降りてきたサトジンと与作さんが、隣りにTSMCのかわいらしいテントを立てました。
これで、
宴会の準備もでき、例のパチッ!パチッ!と音がして着火するガステーブルで肉を焼き、魚を焼きして、杯を重ねていくうちに、早くも至福の時が訪れてきました。あれもこれも、すっかり「闘魂」にご馳走になってしまう。アルパインスタイルを標榜するTSMCの今夜の献立は、ラーメンと餅でありましたとさ。夜を徹して宴を張るだけの酒も肴も十分にあったのですが、昼のスキー登行が意外に効いていたようです。いつとはしらず、みな打ち重なるようにして、寝入ってしまいました。
なんと、
未明の3時。腹がすいた人と、のどが渇いた人と、キジを撃ちたい人と、その人たちの声がやかましくて寝れない人が、わあわあ言いだし、起床となりました。
7時前、三々五々会津駒の頂上を目指して出発。堅く締まった雪の斜面を30分で山頂でした。ここからの眺望はとても印象的でした。これまでに登った山、これから登ってみたい山が良く見えたからです。
ここから北へ、大戸沢岳まで広い尾根を辿り、いよいよそこからスキー滑降をはじめました。(8:30)まず、幅広く急な斜面をひと滑りします。雪は堅くもなく、かといって新雪の様でもなく、小生やや慎重な滑りになりました。アオモリトドマツがひと群はえた先のコル状の所から、尾根は狭まります。(9:25)しかし生えているブナはまばらで、滑降の妨げにはならず、立木を縫って滑っていくのが心地よい。いつの間にか左上には三岩岳が立派に聳えている。
尾根はさらに狭く、樹間も密になってきて、下大戸沢の出合に向って最後の滑降になりました。雪は完全なザラメとなり、もう滑りの快感はありません。あとは一刻も早く小豆温泉の熱い風呂に入って、ビールを飲み干したいと思うばかりです。(11:00)
そして、
楽しかった「闘魂」とのツアーが終りました。わたしたちはアルパインスタイルに名を借りて、「闘魂」のポーラーメソッドのお世話になってしまったようです。TSMCのみんなは、いつかもう一度来たいところだなあ、と言っていました。
「闘魂」のみんなと「年に一度は一緒に山に行こう」と約束して会津高原駅をあとにしました