1983年4月29日金曜日

新穂高から馬場島

 自発的に興味をもって、最初はひらめきにすぎなかった計画を、じっくり煮つめていく過程で、色々と夢がひろがっていくのは素晴らしい。こう感じると、自分自身が素直にのめり込んでいける。誰にいわれることもなく、あちらこちらに注意を払うから、つまらないミスも少ない。やる気があるから力も出てくる。こうして全てが良い方向へ向かっていく。山と合体し、無理せずに一体化したハーモニーは忘れられない思い出となって心に残る。

 せっかく少ない休暇となけなしの金を使うのだから、いつも心に残る山行をしたいと思っているのだけれど、どうしてもいくつか欠けたものがあって、納得のいかない山行になってしまうことが間々ある。


4月29日

 昨夜は上野発の夜行列車の出発が、何かの理由で30分ほど遅れたので、発車時刻に遅れたWさんは間に合って乗ることができた。


 未明の富山駅で高山本線に乗り換える。やがて車窓が白々と明けてくる。通過する駅のホームには桜が満開である。


 高山で列車を降り、新穂高温泉行のバスに乗る。しかし、安く、時間も早いのは、高山本線を猪谷で降り、そこから神岡線で終点の神岡まで行って、そこから新穂高温泉行のバスに乗る経路であることをあとで知った。


 新穂高温泉付近の道路には雪が無く、蒲田川左俣林道をスキーを担いで歩く。長丁場の山行は久しぶりで、重い荷物が肩に食い込む。食料は生野菜をもってきたので、ズッシリと重い。最初の休憩をとるころに雨がポツポツ降ってきた。これから1週間ほどの長い山行の初日の雨は、どんな豪儀な山男でも気がめいるだろう。ましてや神経過敏なわたしは、このうんざりとした気持ちを、雨を無視することでしか表現できなかった。ひとことでも「雨はやだな」とはいわなかった。そんなことを言ったら、そいつの負けである。


 ワサビ平から雪の上を歩く。まだスキーは背負ったままである。小池新道と別れて、大ノマ乗越へつきあげるカール状の大斜面とあえぎながら登る頃には、雨風が強まる。あたりが薄暗くなる頃に大ノマ乗越につき、近くの斜面に雪洞を掘って泊る。


4月30日

 朝起きると、なんとか晴れていた。双六小屋まで槍穂の稜線を見ながら歩く。小屋には寄らずに、三俣小屋へのトラバースルートに入る。コースのとり方によって、無駄なアップダウンをしてしまう個所だ。トラバースの途中で三俣蓮華岳の山頂に突きあげる小尾根に出くわしたのでこれを登る。ひょっこり飛び出した山頂からは相変わらず北アルプスの山並みが良く見わたせる。


 ここから黒部乗越までは、今山行最初のスキー滑降である。はじめは狭い稜線の上を、つづいて針葉樹がまばらに生えた快適な斜面を下る。黒部五郎の小屋にひとまず荷物をおいて、九郎右衛門谷側の斜面をひとしきり滑る。とても楽しいので、今日はスキーをやることにして、ここに泊ることにする。


5月1日

 今日も晴れたが、黒部五郎岳のカールの中に歩みを進める頃には、高曇りになってきた。肩に出る急な斜面を登りきると、薬師岳へと続くなだらかな稜線がさえない天気の中に沈んで見えた。黒部五郎岳からの下降はザラメになっていないアイスバーンなので慎重に下った。いく度もスキーをつけたりはずしたりして、ようやく太郎平の小屋につく。深いガスが山をおおい隠していて、天候は下り坂だと判断した。缶ビールを飲みながら昼食をとっていると、降り出した雨が本降りになってきた。この先、次の稜線上の小屋はスゴ乗越だが、今日中には到底行けそうもないので、今日は太郎平で泊まることにする。2日続けて半日分しか行動していない。


5月2日

 朝起きると、太郎平小屋はガスに取りまかれていた。しかし、空は明るかったので、天候回復のきざしがあった。これなら大丈夫と勇んで出発した。


 昨夜は雪が降ったので、しばらく樹林帯の歩きにくい登りが続いた。そこをぬける頃には天候もメキメキ良くなり、薬師岳の山頂についた時には素晴らしい青空が広がっていた。薬師岳のカールに展開する斜面は、真にスキー向きで気持ちが良い。ここでしばらくWさんとスキーを堪能した。今シーズンはやや雪不足で、ここまで稜線上のスキーにはやや不足だったが、カールの中は文句ない。誰も滑った後のないカールに、ウェーデルンのあとがくっきり2本残った。


 北薬師岳からスゴ乗越小屋に滑り込む。小屋のまわりには数パーティーがたむろしていた。わたしたちが小屋をこじ開けて中に入ったら、他のパーティーも「お邪魔します」などと断って入ってきたのは面白かった。夕陽が赤々と落ち、明日の晴天が約束された。


5月3日

 スゴ乗越から一ノ越まではアップダウンの多い稜線である。スゴの頭、越中沢岳、鳶山、獅子岳、鬼岳とある。幸い天候が良いので、それも苦にならない。龍王岳の手前で御山谷へ滑り降り、一ノ越へ上がる。ここはもうスキーヤーの世界でもあり、大勢の人がいた。缶ビールを買って乾杯し、雷鳥沢キャンプ場の一員となる。ここは明らかに5月である。


5月4日

 また快晴である。室堂乗越から奥大日岳へと縦走する。七福園の先で大日小屋を掘り出しに来ている人がいた。その人たちにお茶をごちそうになった。大日岳をすぎ、早乙女岳から北へ稜線をたどる。コット谷へと滑り降り、雪の無くなった所でスキーをしまう。あとは馬場島まで歩いた。馬場島はなぜかインドのマナリを思い出させた。


 その夜は富山駅前で盛大に下山祝いをして帰京した。