1972年3月20日月曜日

丹沢主稜

学校が春休みに入ったので二泊三日で春山にでかけました

3月18日
憂鬱を目いっぱい背負って出発しました
せっかく親に買ってもらった皮製の登山靴はサイズが小さかったのです
立っているだけでつま先が痛いくらいです
キスリングの荷物の重さも尋常ではありません
それに大倉のキャンプ場は山登りのために来るところではありません
夜遅くまでワイワイ騒いでいる連中が多く、沢の水も汚くて炊事には使えません

3月19日

どんよりとした空の下を大倉尾根を登っていきます

昼食がビスケットだけなんてことがあるでしょうか

しかも1人ひと箱もないので空腹が満たされず急坂を歩く足に力が入りません


塔ノ岳を過ぎて霧氷がばらばらと落ちてくる中を蛭ヶ岳に向かいます

途中丹沢山のあたりで急に雪が降ってきました


蛭ヶ岳の山頂に天幕を張りました

山荘の従業員がやってきてT先生とかなりやり合っていました

天幕を張る場合はあらかじめ小屋に断らなければならないのだそうです

天幕の収容人数ぎりぎりなのでギュウギュウで寝ました


3月20日

翌朝は素晴らしいとまではいえませんがかなり良い天気でした

例によってぐずぐずと出発の準備をしているとT先生がぶつぶつ怒っていました


蛭ヶ岳を下り、臼ヶ岳に登り、少し上り下りを繰り返して檜洞丸の長い登りになります

山頂付近はすごくゴミが多いのでちっともいい気分になれません


足首くらいの積雪の中を熊笹ノ峰を過ぎ犬越路に着きました

もう少し下れば沢水が飲めるのに、わざわざここで昼食にすることはないと思いました

ここまで来て、つま先がひどく痛くなってきました

足をひきずるようにして箒沢に着きました