1971年7月28日水曜日

裏銀座から槍穂高

7月21日 晴れ
磯工山岳部の夏期合宿がいよいよ始まります
行先は三年生が決めた北アルプスで裏銀座コースから穂高まで歩きます
コースの途中では雪渓の上を歩くこともあるそうです
もう舞い上がるような心持ちです

食料は数日前に学校近くのスーパーで買い出ししました
総勢18人の1週間分の食料はものすごい量でレシートの長さが1メートル以上にもなりました
これを21回の献立ごとに分けてビニール袋に入れます

この食料とテントやコンロ、コッフェルなどの共同装備を生徒が分担して持っていきます
それらをキスリングに詰めていったん各自家に持ち帰りさらに寝袋などの個人装備を加えます
そのキスリングはこれまでにない重さで家から駅へ歩くだけでもう大汗をかきました

昼すぎに新宿駅に着き真夜中までホームで夜行列車を待ち自由席に乗って信州へ向かいます

7月22日 曇り
昨夜遅くに新宿駅を出発した超満員の急行アルプス号は朝5時半ごろに信濃大町駅に着きました
ボックスシートに4人掛けでほとんど寝られませんでした
天気同様にどんよりとした頭をすっきりさせようと駅前の冷たい水道水で顔を洗いました

駅からタクシーやマイクロバスに分乗して高瀬川上流の七倉へと向かいました

谷にはダム工事の大石がごろごろしていてその間を流れている川の水は濁っています

七倉で朝食をとり1時間ほどで出発しました


今日の幕営地である濁沢出合までは林道歩きです

あちらこちらで工事をしている林道を2時間ほど歩くと右手高くに滝が見えました

大きな河原になっていてそこが濁沢出合でした

出合からさらに5分ほど登った沢筋の草地を整地して天幕を張りました

濁沢出合近くで 1971年7月22日

雨が降ってきました

昼食が終わってから砂山に登ったり、石を拾ったりして遊びました

まだ北アルプスに来たという実感がありません

ここまで歩いて来るあいだに山の上の方にほんの少しだけ雪渓が見えました

それが唯一ここが北アルプスであることを感じた瞬間でした


明日は急坂が続くことで有名なブナ立尾根を登ります

下から上まで標高差は約1,200mで丹沢の馬鹿尾根とそう変わりません

しかし水平距離はずっと短いので急傾斜です


どんな様子か登り口をのぞいて来ようと登山道を少し登っていきました

すると道端で大キジを撃っている人がいたので見に行くのをやめました

夜にまたかなり雨が降りました


7月23日 曇り

朝になってもまだ雨が少し降っていました

8時頃どこかの女子パーティーがわたしたちの天幕の脇を通り過ぎて行きました


磯工山岳部はまだ天候の判断がつきかねていました

今日登るか登らないか全員で決めることになりました

わたしはもちろん登る方に賛成しました

この程度の悪天で停滞しては今後さらに悪天となった場合の予備日が無くなってしまいます

結果は登る方が多数だったので出発することになりました


歩き出してしばらくは泥で滑りやすいダム建設のための巻道を行かなればなりませんでした

それから花崗岩が砕けてできた白砂の中に巨岩が立っている河原をつめていきます

ブナ立尾根の取り付きに着きました

ガスで上方の視界がないためそれほど威圧感はなくすなおに尾根に取り付きました


1時間ほど登ると雨が強くなってきたので雨具を出して着ました

1年生のOがバテ始めたようです

濁沢を隔てて対岸のザレがものすごく落ちているのが見えます


さらに2、3時間登ると少し平坦になって南沢岳のあたりが見えました

気分爽快です

ときどき晴れ間が出てきて2208m地点を過ぎると燕岳方面も望められるようになりました


Oはどういうわけかハイペースになってあっという間に稜線に着きました

烏帽子岳を眺めたあと池の方に下っていきました

汚い池だったので気分が悪くなりました


幕営地で水をがぶがぶ飲んだら余計に気持ちが悪くなり水を吐いてしまいました

すると急に食欲がでてきてお茶漬けを食べました

夕方6時頃には寝てしまいました


7月24日 晴れのち雨

クレオソートを飲んで起きました

朝食を食べてすぐに出発したかったのですがみんな準備でもたついていました

その間にわたしはキジを撃ちに行きました

唐沢岳と餓鬼岳を目の前にした最高の場所でしたがすっきりとは出ませんでした


幕営地から正面に見える三ツ岳をめがけて登っていきました

風が黒部側から吹いてきます

三ツ岳はどこが山頂だか分かりません


Oがバテたので荷物を軽くしてやることになりました

あたりを見ると岩のくぼみに水が溜まっていたのでその水で顔を洗いました

いい気分です


三ツ岳から野口五郎岳への稜線は平坦で左右にいい景色を見ながら歩けます

黒四ダムの湖や五色ヶ原も見えました


野口五郎岳の肩のところで生まれて初めて夏の雪の上を歩きました

とてもいい気分です

頂上からは右手に大きなカールとその底にエメラルド色の水を湛えた五郎池が見えました

表銀座コースである燕岳から大天井岳にかけての稜線と東鎌尾根も半分くらい見えます

野口五郎岳で 1971年7月24日

天気が良いので少し早目に昼食をすることになりました

小さな池のほとりで即席ラーメンを作りました

池からさらに下ると大きな雪渓があってその下端からきれいな水が流れ出ていました

その水は冷たくてたとえようもないおいしさでした


雪渓があるのでMI先生が持ってきたピッケルでみんなで交代にグリセードをやりました

傾斜が緩いのであまり滑りませんでしたが爽快でした


昼食を食べ終わってすぐに出発し登下降を繰り返して東沢乗越に着きました

ここから赤岳(水晶小屋)までは少し脆いところが2、3か所あり注意して通過しました

このあたりでバテた人が出てパーティーが二分してしまいました


赤岳でパーティーがまた合流し桃缶を食べているころから天候が崩れ気味になってきました

この先どのくらいの悪天になるのか心配でした

幕営予定地の三俣まではコースタイムではあと2時間半ほどです


岩場を2、3か所過ぎワリモ岳の登りになったところでまたパーティーが二分してしまいました

ワリモ岳と鷲羽岳の鞍部でガスの合間から三俣の小屋と雪田が小さくチラリと見えました


雨まじりの強風が吹きつけて来ます

みんなバテ気味なので大きな声で励ましあいながら登ります

鷲羽岳の山頂でポンチョを出して着ました

2年生のKさんが朦朧としていて危ない様子なので平手で頬をたたいてやりました


あと30分頑張ろうと途中でバターココナッツを出してみんなで食べました

二分していたパーティーの後ろの部隊がやってきました


ようやく三俣に着きました

みんなで手分けしてあちこちと良い幕営地を探しました

結局小さな小屋の横手に張ることにしました

みんなずぶぬれで風に吹きさらされて寒さで震えが止まりません


ひどくまずい夕食を終わらせて早々に寝ました

部長のNさんと副部長のNさんは天気図をとって明日以降の予定を相談していました


目を覚ますたびに雨はひどくなり天幕の中は水浸しになりました

寝袋もぐっしょり濡れて寒くて寝ていられません


7月25日 雨

天気予報では北アルプスは今日集中豪雨に襲われるということです

6時頃に副部長のNさんに無理やり天幕を持って行かれてしまいました

やむを得ずMI先生の天幕に移動しました

雨は一向に止まないので今日は停滞することになりました


まんぞくに寝ることもできないので本を読んだりだべったりして暇をつぶしました

寝袋を濡らしてしまった者はそれを乾かすために三俣山荘に泊まることになりました

自分の所持品を全部持って小屋へ行く大移動が始まりました


小屋の中では乾燥室で濡れたものを干したり食事を作ったりと大騒ぎになりました

このような状態のときに人間の性格が良くわかると痛感しました

その夜布団で寝られたのが何よりの幸いでした


7月26日 晴れのち雨

懸念されていた天候は全く予想をくつがえしてすばらしい快晴の朝を迎えました

顧問や部長は昨日小屋の人にエスケープするためのコースを聞いていました

さらにもう1日停滞したら予定したコースは完歩できなくなるからです

それが無駄に終わって良かったと思いました


それにしても三俣から槍ヶ岳の稜線は素晴らしい

まったく素晴らしい


小屋から幕営地へ行くとみんなはすでに天幕の撤収を終えていました

今回の合宿に飛び入りしたK先生が何が気に入らないのかブツブツ文句を言っていました

この先生は本当に器量が小さい人だと思いました


準備体操をしていよいよ出発です

つらい下りだった鷲羽岳を背にして三俣蓮華岳を目指して心地よい坂道を登ります

途中から左のトラバースルートをとりました


北鎌尾根、槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、ジャンダルム

もしまた悪天になったらなどと心配することはありません

今ここにこの景色が見えるだけで良いのです


道はゆるい下りになり三俣蓮華岳と双六岳を一緒に巻いています

お花畑を前景にしたところでA先生が何か言いました

するとMI先生が写真を撮るために前の方に走って行きました


雪渓を横切り這松を切り開いた道を下っていくと双六小屋の前に出ました

小屋の屋根には布団が干され、その付近に従業員らしき人がたむろしています


ここからジグザグの登りになりまたパーティーが二分してしまいます

樅沢岳で合流してキスリングを下しました

今朝出発した三俣の小屋が小さくぽつんと見えます


そこからさらに小高いところに登ると槍穂高の連峰が間近に見えました

あまりに良い景色なのでそれを見ながら小キジを撃ちました

そして後ろを振り返るとそこに女の人が立っていました


西鎌尾根のコブ尾根の途中で昼食にしました

副部長のNさんが焼きそばを汚い軍手でつかんでかき混ぜるのには閉口しました


千丈乗越に着くと槍が岳のてっぺんに人が立っているのが見えました

西鎌尾根の登りは苦も無く終わり槍の肩に着きました

小屋の前にザックを下し果物の缶詰を食べてから空身で槍の穂先を往復しました


A先生と岩壁登攀のまねをして登りました

まったく夢のようです

山頂に着いて不思議な気持ちになりました

憧れていた槍ヶ岳に登れたなんて・・・

みんなで写真をとってから下りました

槍ヶ岳山頂で 1971年7月26日

またキスリングを背負いこんどは中岳を目指して歩き始めました

中岳のだらだら坂を下るとそこが今夜の幕営地でした

整地して天幕を張り始めるとまた雨が降ってきたのでがっかりしました


停滞と連日の雨で予定以上に石油を消費してしまい足りなくなったようです

部長のNさんが幕営地をまわって他のパーティーから石油を分けてもらってきました

くれたのは群馬県の甘楽(かんら)高校の山岳部だったそうです

リーダーの役目はたいへんだしくれたパーティーにはありがたいと思いました


夕食はおかずが乏しかったのですがA先生の持っていたオクラでなんとかしのぎました

食事を終え雪田の冷たい水で食器を洗い終えると早々に寝袋にもぐりこみました

すると部長のNさんがやってきてA先生と話しをはじめました


この分では明日も天候は良くないだろう

予定どおり大キレットを越えて穂高まで行くか、断念して南岳から槍沢に下るか

部員の中にはかなり疲労している者もいる

そのような中で難所の大キレットを無事に越えることができるか


結局のところ話しがどうなったのか最後まで聞いていませんでした

また雨がポツポツ降ってきたのが気になってなかなか寝られません


7月27日 曇りのち晴れ

常念岳の稜線から上がる太陽が奥穂高岳を赤く染め、雲は盛んに大キレットを通過していました

天候はまあなんとか歩けるだろうという感じです

冷たい水で食事の用意をしていると今が真夏だということが信じられません


磯工山岳部のスローな出発準備を横目に他のパーティーがつぎつぎ大キレットを目指していきます

わたしたちも準備体操をしてキスリングを背負いようやく出発です


合宿も6日目となり食欲がなく栄養不足からか体がだるく容易に気力が出てきません

こんなことではいけません

あと1時間も歩けば大キレットです


遠くを眺めると南アルプスと思われる山並みの上に富士山が見えました

自宅近くから眺めることのできる峰がここからもまた眺められるのです


南岳の避難小屋を過ぎるともう大キレットへの下り口です

みんなで並び写真を撮りました

さあいよいよ大キレットの通過です


最初は岩と泥の混じった丹沢の沢のガレ場みたいな足場が悪いところを下ります

梯子段を慎重に下ると、また梯子段になりました

そこを降りると少し平らなところに出てA先生は「これで第1の難所は越えた」といいました


小さなピークの続く大キレットの最低部と思われるところを歩いていきました

なんだか妙に疲労感があり本来の調子が出ません

出発してから下りばかりですこしも汗をかいていなかったからです

登りになってからやっとペースが良くなりました


副部長のNさんがルートを間違えてトラバースしてしまったので上に向かって登りました

上に着くとA先生が「ここが第2の難所だ」といいました

それにしてもガスが出ていて下も上もよく見えず高度感が乏しいので恐怖感はありません


第2の難所を越えると大キレットの最低鞍部につきました

ゴミが散乱していて汚いところです


さあこれから最後の第3の難所です

ガレを登り岩をトラバースすると滝谷のノゾキというところに着きました

覗いてみましたがガスで何も見えません

そのガスがパーッと晴れたと思うとロッククライミングをしている人たちが見えました

まるで岩にはりついた蜘蛛のようにたくさんたかっています


手前にある尾根をさしてA先生が「あれがクラック尾根だ」といいました

どちらがリードするかジャンケンで決めるほど面白いジャンケンクラックというのがあるそうです

後年A先生とここへ岩登りにくるとはその時は思いもしませんでした


ガレたところをジグザグに登っていくと、突然人の頭ぐらいの石が落ちてきました

A先生に当たりそうになりましたがひょいと身をかわして無事でした


そこからひと登りで北穂高岳の小屋の前に出ました

山頂は小屋のすぐ裏手です

みんな走って山頂へ向かいました

一番乗りはなんとOでした


涸沢のカールの底が見え、前穂高岳も奥穂高岳も手に取るようです

大休止して写真を撮ったり果物の缶詰を食べたりしました

あとは下りだけなのでほっとしました


涸沢カールの底から北尾根に延びる雪渓でサマースキーをしている人が見えます

滝谷の登攀を終えて山頂に這い出してくるクライマーもいます

そんな様子をぼんやり眺めているといま本当に北アルプスにいるのだ感じられました


北穂の峰に別れを告げて今夜の幕営地である横尾に向かいます

北穂沢の源頭の雪渓を横切り急な南稜を駆け下ります

この心地よさをどのように表現したらいいでしょうか

楽しい景色の中をどんどん下っていきます


涸沢の小屋が足元に見えていますがなかなかそこに着きません

ジグザグを繰り返すと鎖場があり北穂沢の流れを見るようになります

清流が夏らしさをきわだたせています


やっとカールの底に着きました

累々とした岩の間におびただしい数の天幕が張られています

涸沢カールはもっと大きいのかと思っていましたがお椀の底にいるような感じです


本谷橋までは石の上を下っていきました

橋を渡ると樹林の間から時々屏風岩が頭上に見え隠れしています

道が平らになり梓川にかかる橋を渡って横尾に着きました


天幕を張り夕食の用意をしているともう空には星が無数の輝きを見せはじめました

食後は22時頃までみんなで火を囲んで歌を歌いそれから後片付けをしてぐっすりと寝ました


7月28日 晴れ

寒い朝を迎えました

朝飯も早々に準備体操をして出発です

北アルプスの峰や谷とも今日でお別れです


横尾から上高地までは3時間ほどの距離です

せっせと歩いていくと右の頭上に前穂高岳の岩壁が見えました

徳沢で副部長のNさんはまた道を間違えました


たくさんの人々が槍穂を目指して入山してきます

明神を過ぎて西穂高岳が見えてくるともう上高地です

岳沢を抱え込むようにしてそびえる奥穂高岳が高く見えます

河童橋を横目で見てバスのターミナルへ向かいます

料金を検討した結果タクシーで松本まで行くことになりました


タクシーは上高地から梓川の流れを右に左にと渡り返しながら松本へと急ぎます

途中奈川渡ダムで休憩し記念撮影をしました

奈川度ダムで 1971年7月28日

ずいぶん暑い松本駅にやっと着きました

駅の立ち食いスタンドでかけそばとラーメンとライスを食べました

臨時のディーゼル急行の自由席に座れました

これで夏期合宿が終わります

なんだかホッとしました