1989年3月10日金曜日

万座スキー場から渋峠

単独

万座スキー場で妻ならびに国際部女性職員と2日間スキーをした。その後、ワールドカップが開催される志賀高原へ、山中1泊の山越えで行くことにした。

快晴の午前は万座スキー場で滑り、11:00に朝日山のリフトに乗る。リフトの終点から、長さ2mのスキーにクトー(スキーアイゼン)をつけて歩き出す。草津と万座を結ぶ道路に沿って登ったのだが、途中新雪も出てきて、すこぶる歩きにくい。すこしの斜面でも階段登行をしなければならず、大汗をかいた。

宿泊代を浮かすために、山田峠の避難小屋に泊ることにしていた。ここは昔からよく遭難事故が起きた場所なので、立派な避難小屋が作られたそうである。小屋の中には石油ストーブ、毛布、それに非常電話まで備えてあった。

翌朝また苦労して渋峠まで歩く。スキーツアーでこのコースに来るならば、逆コースが良い。ほとんど下りになるからだ。

渋峠からはゲレンデに飛び出して、ここまでの鬱憤を晴らすように、硯川まで一気に滑り降りた。そしてそこから朝一番のバス(8:10)に乗り、ワールドカップレースが行われるジャイアントスキー場へ向かった。

-ワールドカップ見たまま-

とにかくびっくり。

まずカチカチに固めたバーン。山スキーの最中にこんなバーンに出くわしたら、わたしは迷わずスキーをはずし、ピッケルをアイゼンで慎重に歩行します。傾斜が急だったらアンザイレンして、スタカットで登行するかもしない。コース外の観戦スペースも相当なバーンになっていて、わたしも含め何人も転倒している人がいた。ヤダモウ。

次に滑降スピード。ギリギリのコース取りとスキー操作で、転倒しないで最後まで行けば、なんとか入賞できるという感じ。スキーを抑えて滑るなんて様子は微塵もない。