1989年12月25日月曜日

谷川岳・天神平 1989年12月23日~25日

妻・長男

長男を初めてスキー場へ連れて行く。泊りは大学の保養所である奥利根荘。その他詳細は記憶無し。


1989年12月18日月曜日

野沢温泉

K ~20日

妻も一緒に大学の文化スポーツ協議会主催のスキーツアーで、勝手知ったる野沢へ行った。詳細は記憶無し。


1989年7月28日金曜日

アメリカ西部 1989年7月10日~28日

これまでヨーロッパ、インド、ペルー、ソ連と、スキーと山歩きを目的として海外に出たことはあったが、アメリカへ行きたいと思ったことはなかった。昨年から国際部で留学生の世話をしていると、彼らの母国であるアメリカへ行って、その社会を見てみたくなった。それで2週間アメリカ西部を、大学と公園見学と岩登りをしながらドライブして回った。

7月10日 晴

妻が長男(生後9ヶ月)を連れて成田空港まで見送りに来てくれた。
成田空港発(14:35)

アメリカ西海岸に近づいた飛行機は、サンフランシスコ辺りから、海岸線に沿って南下した。見下ろす大地は乾ききっているようで、赤茶けた色をしている。やがてスモッグに覆われた盆地状の巨大なロスの街が見えてきた。その一角に飛行機は着陸態勢をとった。徐々に高度を下げ、スモッグの下に出ると、道路や街並みが見えた。背の高い建物は少なく、目につくのは幅の広い高速道路だ。車線が片側4車線も5車線あり、おびただしい数の車がすごいスピードで一方向に向って走っている。数時間後はあそこを自分でレンターカーを運転して走るのかと考えると、グッと緊張感が高まった。

飛行機は、くすんだ家並みの上をさらに高度を下げ、ロスの空港に着陸した。(8:25)

入国審査と税関でのチェックに1時間以上かかった。すぐに空港に隣接したレンタカー事務所へ行く。(9:45)車は日本から予約してあったので、受け取るだけだった。コンパクトサイズの車を指定してあったのだが、そのタイプはないという。それで、もうすこし大きいタイプを同じ料金で貸すという。トヨタ・スープラの2000GTのような車で、だいぶ走行距離をかせいでくたびれた感じだったが、予約したカローラのようなタイプよりもいいかと思い、OKして早速乗って出発した。(10:30)

今日はラスベガスまで行く予定だ。ロスの網の目のような高速道路を抜け出し、郊外の幹線フリーウェイであるインターステート(Interstate: IS)へ出てしまえば、後は砂漠の中の1本道だ。空港から郊外までの高速道路の道順はすでに暗記してある。それを頼りに高速道路に飛び込んだ。飛行機の上から見たとおり、車速が速いうえに、車間が詰まっている。また、車線が多いので、分岐点から右側の道に入るのであれば、少なくとも右側から2車線以内をあらかじめ走っていないと、分岐はできない。それで、安全運転をしながらも、頭上の標識に注意して、分岐点を確実に右へ左へと通過していった。

サン・バーナディーノという町を過ぎると、山を越えて、IS15の砂漠地帯の1本道になってくる。それと同時に、単調な道で緊張感が緩み、ものすごく眠たくなってくる。昨夜飛行機の中で少し寝ただけだったので、車を運転する緊張が緩んでくると同時に眠気が襲ってきたのだ。バーストーという町で、道のかたわらのコンビニがあったので止まり、休憩する。ここからモハベ砂漠に入っていくので、リフレッシュして出発する。

砂漠では上り坂が続き、車がオーバーヒートすることもあるそうだ。幸いここまではトラブルの兆候はないが、外気温が猛烈に高いので要注意だ。砂漠の中は道が真っ直ぐで、景色も単調なので、またもや眠気が襲ってくるが、なんとか我慢する。道がネバダ州へ入ると、まもなくハイウェイの彼方にラスベガスの高層ビルが見えてきた。そしてラスベガスの町に着くと、今回の旅で多用しようと思っていたモーテル6を探し出した。(16:00)

チェックインしてから再び車で街中へ出かけ、道端のカジノでスロットマシンで少額の寄付をした。帰りがけにマクドナルドでハンバーガーを買い、モーテルに持ち帰って食べた。
本日の走行距離 472㎞

7月11日 晴

長旅と知らない土地での車の運転疲れがどっと出て、朝起きるのが遅くなった。この街を離れる前に、ラスベガス大学を見ておこうとと思い、キャンパスへ向かった。立派なスポーツ施設が印象的だったが、あまり知的な雰囲気は無かった。早々に出発する。(11:30)今日はザイオン国立公園まで行くつもりだ。

昨日に続き、再びIS15の砂漠の中の単調な道を北西に向かう。IS15がアリゾナ州に入ったところで、試しに時速160㎞(100マイル)ほどで走ってみた。砂漠の中の直線道路なので、あまりスピードを感じない。乗っている車に信頼感があれば、200㎞でも大丈夫そうだ。アリゾナ州からユタ州に入り、最初の大きな町であるセント・ジョージに着く。(16:30)セントジョージの先から小さな道を東に入り、公園の入口まで行ってみる。(18:00)そこで分かったのは、この公園を見るには1、2時間ではとても足りず、最低でも1日がかりであるということ。そこで一旦セントジョージに戻り、食料や装備を整えて再びやって来ることにした。(20:00)セントジョージでモーテル6を見つけ、またそこに泊った。(21:00)
本日の走行距離 376㎞

7月12日 晴

今日はザイオン国立公園で遊ぶため、宿を早朝に出発する。(6:45)この時間に東へ向かって走ると、日の出の太陽が正面になり、とても眩しい。公園のインフォメーション・センターで情報を収集した。まずエンジェルス・ランディングという岩塔に登り、次いでナロウズという砂岩が浸食された峡谷を遡行することにした。(8:20)

エンジェルス・ランディングの下に車を置き、カメラだけ持って登りはじめる。(8:30)岩場の道で、鎖場などもありスリルがある。狭い道を登って行くと、踊り場に若い女性が2人いて、そのうちの1人が上半身裸だったので驚いた。しかし、あちらは驚いていなかった。暑いから当然ということなのだろうか。
登るにつれザイオン渓谷の景色が良く見えてきて、頂上に着くとそれは360度の視界になった。ここに天使が降りてくるのか、(9:50)景色を眺めながらゆっくり休憩し、下り始めた。(11:00)岩場なので下るのにも登りと同じくらいの時間を要した。駐車したところまで戻り、そこで昼食にした。(12:30)ゆっくり休んでからナロウズへ向かった。(14:10)渓谷の底の道を、景色を楽しみながら遡っていくと、ドンドン谷の幅が狭くなっていく。そのどん詰まりがナロウズの入り口だった。(15:00)

ナロウズは本当に狭い谷である。だから、上流で大雨が降ると、すぐに谷いっぱいに水が溢れるのでとても危険であるという。今日は雷雨の可能性がないので、大丈夫そうだ。身支度をして出発する。(15:30)

初めは谷幅10m位だが、両岸は100mぐらいも岩壁がそそり立っている。今は膝下ぐらいまでしか水深がないが、上流から大水が来たら、どこへも逃げるところが無い。浸食された谷はうねうねと続き、滝はない。谷幅がどんどん狭まっていく。最後は両手を広げると、両岸にタッチできるほどになった。そこが最奥地点だった。(17:00)上流で雷雨があって激流が来たら、ここには逃げるところが無い。なので、すぐに引き返す。(17:10)

最奥地点からナロウズの入口へ戻り、車でキャンプ場へ向かう。(18:10)キャンプ場にはすぐ着き(18:20)、今日はここでテントを張り、泊まる。
本日の走行距離 138㎞

7月13日 晴

今日はグランド・ジャンクションまで、比較的長い距離を走る予定だ。

テントを撤収し、ザイオンのキャンプ場を後にする。(7:10)またまたIS15で北上する。直線ばかり続く単調な道だが、時折針葉樹林帯に入る。緑の木々を見ると気が落ち着く。2時間走って、ビーバーという町で休憩する。(9:10‐9:20)ビーバーの先からIS70に入ると、さらに周囲の緑が濃くなる。谷を越えまた樹林帯に入り、また砂漠に出る。延々と続く砂漠地帯だ。その先にようやく緑の街が見える。その名もグリーンリバーだ。ここで昼食の休憩とする。(13:00‐13:40)またIS70の砂漠道になる。コロラド州に入ると、間もなくグランド・ジャンクションに着く。今日はここで泊まり、明日ロッキー山脈を越えてボルダ―まで行く。そこで今回初めて岩に触れる予定だ。モーテル6にチェックインする。(15:30)傾いてきた日差しが強烈である。


本日の走行距離 662㎞

7月14日 晴

今日はIS70でボルダ―まで行く。山越えの道なので、変化があるだろうと期待してグランド・ジャンクションを出発する。(6:45)イーグルクリークで休憩。(9:10‐9:40)かなり山の中へ入って来た。さらに登り、スキーリゾートで有名なべールを通過する。道は完全な山岳道路だが、舗装整備は良くされている。これまでにないワインディング・ロードである。道が下り坂になると、平原の彼方にデンバーの高層ビルが見えた。ボルダ―へはデンバーから北上する。岩場があるボルダーキャニオンへ行く前に、ボルダー市内でモーテル6にチェックインしておこうと思ったが、見つからなかった。そこで今夜は、宿泊費がモーテル6より少し高いホリデーインに泊ることにする。(16:00‐17:00)そこから岩場までは車でしばらくのドライブだった。(17:30)

ボルダーキャニオンの岩場は、スケールはあまり大きくない。日本のゲレンデを少し大きくしたような規模だ。とは言っても、下から上まで登るにはザイルを使った安全確保が必要だった。それで、下部の岩場を少し触ってみた。日本にもよくあるような岩質だった。(17:30‐18:00)
それから宿へ戻る途中で、ショッピングモールに立ち寄り、タコベルのタコサラダを食べた。見かけより美味しくない。ぐったり疲れてホテルに戻った。(20:30)
本日の走行距離 541㎞

7月15日 晴

早朝ボルダーのモーテルをチェックアウトして(7:30)、車で1時間ほど走ってから部屋の鍵を返し忘れて、まだ持っていることに気がついた。どうしたらいいかホテルに電話してみると、「どこか近くの郵便ポストに投入れてくれ」という。そんなことをして大丈夫なのかと思ったが、金もかからず簡単には違いない。そこから道端に注意して走ると、間もなく郵便ポストが見つかったので、そこに投入れた。

今日はベアレークを経由して、再びボルダー・キャニオンで岩に触り、それからフォート・コリンズまで行く予定だ。

ベアレークは、ロスからここまでとてつもなく広い景色を見続けてきた目には、とてもこじんまりとして、日本の公園のような景色に見えた。(10:15‐10:25)
それからかなり標高の高い道をわざと走ってから、ボルダー・キャニオンへ向かった。そこでまた昨日に続きボルダリングを2時間ほどして、フォート・コリンズに向かう。(13:30‐15:20)

運転中にとてつもなく眠くなり、これではとてもシャイアンまで行けそうもないと思った。事故を起こしてはたいへんなので、手前のフォート・コリンズのモーテル6に早めにチェックインした。(17:00)
本日の走行距離 317㎞

7月16日 晴

今日はまずIS25をシャイアンまで北上し、そこからIS80を西に向かって50㎞ほど行ったところにあるベドウウーという岩場へ行ってみる。今日も早起きして出発する。(7:15)ワイオミング州というのは、親しみがある。子供の時よくテレビで見た「ララミー牧場」は、このワイオミング州にあるからだ。「ララミー牧場」の最高視聴率は、1961年2月に43.7%を記録したそうな。ちょっとびっくり。

ベドウウーはIS80のすぐ北側にあるので、行く道は簡単だ。IS80からもう平たい、古墳のような岩場が見える。(9:00)岩場のスケールは小さいが、花崗岩のような大きな岩なので、アクロバティックなクライミングができそうだ。とはいってもわたしにはできないので、岩場のてっぺんに登ってみる。ワイオミングの平原が見渡せた。少し蒸し暑い。ここまで、カリフォルニア、ネバダ、アリゾナ、ユタ、コロラド、ワイオミングの各州を走ってきた。アリゾナまでは暑く、乾燥していたが、コロラドからはっきりと蒸し暑くなった。
ビデブーを後にして、ロックスプリングスへと向かう。(10:30)

再びIS80を西へ走る。このIS80はニューヨーク近くからサンフランシスコまで、合衆国をほとんど東西に横断する高速道で、全長はなんと4,639㎞もある。そういうことがあってか、この道を走っている車はあまりせかせかしていない。特に長距離トラックはまったくマイペースで走っている。その巨大トラックに踏みつぶされないよう、自分の存在をアピールしつつ走ることを心掛けた。後から迫っていく時は、相手のバックミラーにしっかり映るようにし、前を走る時は追突されないよう、早めにポンピングブレーキを踏んだりした。トラックの運転座席は、家の2階のような高いところにあるので、運転手がどんな顔をしているのか全く分からない。ひょっとしたら寝ながら運転しているかもしれないので、注意が必要だ。そういうわたしは、運転中時々完全に眠ってしまう。そして車が路側帯に寄っていくと、路面が音鳴りして目を覚ますことになる。これを何度も繰り返した。

ロック・スプリングスという町に着いた。少し早いが、今日はここのモーテル6に泊ることにする。

チェックインする前にスーパーマーケットで買い物をする。買い終えて、車に乗り、駐車場から出ようとしたところ、後ろからパトカーがついてくる。おやなんだろうと思っているうちに、屋根の赤いライトが点灯回転し始めた。え、オレに用事かい、と思いつつ車を停止させる。外に出ると、恐い顔をした警官がパトカーから出てきた。簡単にボディーチェックされたあと、パスポートなどの提示を求められる。まだ、何の用件だか分からない。レンタカーの書類をチェックしたあと、ようやく話がはじまった。わたしのレンタカーのナンバープレートは有効期限が切れている。これは貸した側の責任だが、これからもドライブして行く先々で警察官に注意されるだろう、とのこと。ちくしょうこんななまがい物を貸しやがって、と思ったが今はどうしようもない。ああ、そうですか、と警察官と別れた。
今日はなんだかドッと疲れた。ロック・スプリングスからジャクソンまでは田舎道なので、今日も早めにチェックインすることにした。(14:30)
本日の走行距離 512㎞

7月17日 晴

今日は、国立公園をふたつまわった後、アイダホまで行く予定で、タフな1日となるだだろうと思いつつ、ロック・スプリングスを出発する。(6:25)

はじめは、「シェーン」という西部劇映画に出てきたグランドティトン国立公園に行く。ロック・スプリングスから北へ北へと進み、公園の入り口に位置するジャクソンに着く。(10:00)とても賑やかな観光地で、見世物や土産物屋が沢山ある。ここから公園内の道をさらに北上していく。(10:40)走っていくと、西側に写真などで見慣れたグランドティトンの山並みが見わたせる。草原、森林、湖それに高山と、絵に画いたような景色の中を、イエローストン国立公園へと北上する。この道路沿いにはグリズリーが出てくることもあり、人が殺傷される事故がよくあるという。オールド・フェイスフルというところで間欠泉を見物する。(13:30)
公園の中にはいろいろな見所があるが、とても広いので、多くを見るにはとても時間がかかる。概要を理解してさよならする。(15:00)

公園を出て、すぐにアイダホ州に入る。森林地帯から下り気味の道が続き、穀倉地帯に出ると、ジャガイモ畑が広々と広がっている。今日は頑張って走り、IS15と合流するアイダホ・フォールズのモーテル6まで行った。(17:45)
本日の走行距離 670㎞

7月18日 晴

今日のドライブは、特に見所は予定していない。オレゴン州のバーンズという小さな町にあるモーテル6を目指して、アイダホ・フォールズを出発する。(8:00)昨日に続き、延々とジャガイモ畑の中を走っていく。よくみると、これは自然の沃野ではなく灌漑地だ。水を供給されている土地だけが、緑の濃いジャガイモ畑で、耕作されていな土地は赤茶けている。アイダホの平原はそのようなところだ。南下するIS15と別れて、IS86に、さらに100㎞ほど走ると道なりにIS84となる。西へ向かっていた道が徐々に北を目指す。砂漠地帯を越えて、再び緑が濃くなってくると、オレゴン州との州境が近い。そして、オレゴン州に入った最初の町、オンタリオで休憩する。(14:00‐14:50)

オンタリオでIS84を降り、セントラル・オレゴン・ハイウェーを走る。また砂漠地帯になるが、これまでのように単調ではなく、道に変化があるので楽しく、あまり眠くならない。大きな声で歌を歌いながら走る。

「どこまでも行こう、道は厳しくとも、口笛を吹きながら、走っていこう。・・・」

バーンズは田舎町だ。そこのモーテル6は道沿いにすぐ見つかった。(17:50)夜は映画館へ行く。ポップコーンとルートビアを買って映画を見た。前の座席との間がとても広く開いていて、足を思いっきり延ばせる。これは、むこうの人の足が長いということもあるが、またとてつもないおデブさんがいるので、その人たちも映画が見れるように、ということだろう。
本日の走行距離 760㎞

7月19日 晴

今日は昼にジョーとベンドという町で会う。ジョーは昨年オレゴン州立大学から早稲田大学国際部に交換留学で来た学生で、1学年間の滞在を終えて今年の6月にオレゴンへ帰った。彼が日本に滞在している時に、一緒にスキーやフリークライミングに行った仲だ。今回アメリカ行きを決めた時、早速彼に連絡して、オレゴンで会う約束をした。久しぶりに知り合いに会えるので、浮き浮きとしてバーンズを出発する。(9:00)

ベンドでの待ち合わせ場所は、予めジョーが決めてくれていた。そこへ行ってみると、ジョーが古びたフォルクスワーゲンのビートルの傍らにいた。(12:00)アメリカで会うジョーは、日本で会っていた時よりも、ちょっと頼もしく見えた。

ジョーのあとについて、ベンドの北にあるスミス・ロックへ向かう。(12:30)この岩場は、高難度のフリークライミングができる場所として有名だ。ベンドから1時間のドライブで、スミス・ロックに着いた。(13:30)
岩場一帯が公園になっていて、緑があり、川も流れている。早速ジョーと岩に行ってみる。ここまでザイオン、ボルダー、ベドウウーと岩場をよじってきたが、いかんせん単独行なので、確保してくれるパートナーがいなかった。そのためクライミングは、とても簡単なルートをフリーで登るか、小さい岩をボルダリングする程度だった。ここでジョーと会えたので、彼に確保してもらいながら、ようやく長いルートを登ることができる。

簡単なルートを何本か登ったが、あまり充実感はなかった。わたしたちには手が出ない高難度のルートは沢山あった。それで、クライミングは早々に切り上げ、川遊びをする。
膝くらい深さしかないゆっくりしたきれいな流れで、とても気持ちが良い。人がいないのもいい。いい加減遊んでから駐車場へ戻り、近くのテント場でテントを張った。ジョーの日本での思い出話などを聞きながら、久しぶりにのんびりした気分で寝た。
本日の走行距離 285㎞

7月20日 晴

今日はスミス・ロックで午前中フリー・クライミングをして、午後ジョーの家に行く予定だ。このアメリカ・クライミング・ツアーでは、ここまでモーテルのベッドとテントの寝袋でしか寝ていなかったが、ようやく人の家で寝られる。ジョーの家がどんなところか楽しみだ。

わたしはもっと自分のまわりの人々に感謝しなければいけない。今回のツアーでも職場の人には休暇中のわたしの仕事を背負ってもらい、家では久美ちゃんにまだ1才にならない渉の面倒を見てもらい、そして今日からはジョーの家に泊めてもらうのだ。こうやって3週間近くも楽しく遊んでいられるのも、自分のまわりの沢山の人のおかげであることを、もっとはっきり心にとめるべきだ。

午前中、スミス・ロックでジョーに確保されながら、簡単なルートを何本か登った。陽が登るとかなり暑いので、早々にテントを撤収し、またそれぞれ車に乗って出発する。(12:30)

ジョーの家は、オレゴン州南東部のグランツ・パスという町にある。途中でクレーター・レークという湖に立ち寄ることにする。

スミスロックからクレーター・レークまで南下する。針葉樹林帯を抜け出ると、大きなカルデラ湖に着く。(15:00)まさにクレーター(火口)の湖(レーク)である。湖は濃い青色をしており、冷たそうだ。湖の外周道路に展望台があった。そこ上がると、400m以上もある断崖の下に湖水が見えた。湖を一周してからグランツパスへ向かう。(17:30)

クレーター・レークから針葉樹林帯を南に向かって下降し、メドフォードという町を過ぎ、暗くなったころにジョーの家に着いた。辺りの景色は良く見えないが牧場のようなところにある平屋の1軒家である。家の背後に小さな川が流れている。(21:30)

ジョーの家には両親がいて、歓迎してくれた。まだ大学生であるジョーの年齢からすると、ご両親はちょっと年が高齢のような感じがしたが、とても気さくでいい方たちだった。とくにお母さんのほうは、ジョーが日本に留学している間もいろいろと気にかけていた、というのが納得できる、優しそうな女性だった。
今日はあちこち回って疲れた。ジョーの家族の歓迎を受けたので連日の緊張が緩み、ゆっくり寝ることができた。
本日の走行距離 425㎞

7月21日 晴

今日はジョーがカヌーイングに連れていってくれるという。グランツパスにはログ川が流れている。そこを遡っていくと渓谷になり、カヌーをすると楽しいらしい。カヌーはしたことはないが、是非やってみたいと思った。

カヌーはビニール製で、空気を入れて膨らませると、全長3メートルほどのしっかりした1人乗りの小船になった。これを2台ジョーの家の車の屋根に積んでジョーが運転する。わたしも自分のレンタカーを運転してジョーの後をついていく。

カヌーイングの終了予定地点にわたしの車は止めておき、わたしはジョーが運転する車に乗って、カヌーイングの開始地点へ行く。開始地点へはログ川を少し遡り、針葉樹林が出てきたところだ。そこの駐車場に車を止め、カヌーを屋根から降ろし、担いで川へ行く。

このあたりのログ川は、わたしの経験した範囲で例えると、黒部川の下ノ廊下の流れを、かなり緩くした感じである。水温はノ廊下より高い。そこにカヌーを浮かべ、パドルで操りながら、流れを下降していくのである。この日は天気が良かったので、水しぶきが気持ち良い。途中に何か所か初心者でもクリアできる瀬があって、ちょっとスリルも味わえる。やがて見覚えのある終了点に着いて、カヌーを接岸させた。
楽しい時間は、いつもあっという間に過ぎてしまう。わたしは初めてカヌーイングを経験したが、こんなに楽しいものとは想像もしていなかった。こんないい経験をさせてくれたジョーに心から感謝した。

カヌーを車まで運んで空気を抜き、中に放り込んで、その車で開始地点に向かう。開始地点でジョーは自分の家の車を運転し、わたしはレンタカーを運転して、グランツ・パスのジョーの家に帰った。

その日の夕食はジョーの両親と近くのレストランへ出かけた。ジョーの友人のディーンという青年も参加して楽しく食事した。わたしは、こんなにも自分に良くしてくれる人たちに、心から感謝しなくてはならない。
本日の走行距離 86㎞

7月22日、晴

わたしを歓待してくれたジョーとジョーの両親に心からの感謝の言葉を残して、グランツパスを後にした。(13:30)

幅が狭い山道を越えていく。対向車が少なく、センターラインや標識も無いので、知らず知らずのうちに道路の左側を走行してしまう。カーブの出合い頭で正面に対向車が見えて、あわててハンドルを切る。カリフォルニア州に入り、クレセント・シティーで西海岸に出る。

ここから海岸沿いに南下していくと、レッドウッド国立公園に入る。駐車場に車を止めて、大きなレッドウッドに見惚れた。そして車に戻り、出発しようとしたが、エンジンがかからない。人のいないこんな所で故障かとヒヤリとしたが、何回か操作していると、エンジンが動き出した。原因は分からなかった。

再び海岸線に出て南下したが、天気は煙ったような霧がかかり、はっきりしない。わたしは西海岸はもっとすっきり晴れたイメージを持っていたが、それとは程遠いどんよりした天気だ。今日中にサンフランシスコまで行くことはできないので、ユーレカという町のモーテルに早々に時化こむことにした。(18:00)
本日の走行距離 278㎞

7月23日 曇

ユーレカを早めに出発し、サンフランシスコへ急ぐ。(7:50)久しぶりの都会だ。市街へと南下していくと、その道がゴールデンゲート・ブリッジを渡ったので、ちょっと興奮した。街は落ち着いた感じで、気に入った。今夜泊るモーテルを決め、そこに車を置いて、街を歩き回る。(15:30)フィッシャーマンズ・ワーフのレストランで、牡蠣、蟹、エビをつまみにカリフォルニアワインを飲んだ。サンフランシスコまで無事に運転して来れたのが嬉しくて、お祝いをしたかったのだ。
本日の走行距離、480㎞

7月24日 晴

東へヨセミテ渓谷を目指して出発する。(7:00)

見渡すばかりの平原だったのが、起伏が現れ、木々が辺りに見えはじめ、谷あいの狭い道となり、ついには素晴らしい渓谷美を堪能するドライブだ。1人で眺めるのが勿体ない。

まずヨセミテ・ビレッジのキャンプ場事務所へ行き、サニーサイドのテント場を予約する。(11:30)それから車でハーフドームが良く見えるというグレッシャー・ポイントへ出かける。なるほどそこから見るハーフドームは、1人で見るのは勿体ない眺めだ。
サニーサイドは、エル・キャピタンの取付き近くにあるテント場で、クライマーには有名な場所だ。木間越しに見えるエルキャップのノーズが高い。1人で見るのは勿体ない。

本日の走行距離 381㎞

7月25日 晴

今日はロスへ戻る予定で出発する。(6:30)

緑と岩のヨセミテ渓谷から、カリフォルニアの砂漠へ降り、単調な景色の中をどんどん南下する。途中で聞きなれた街を通り過ぎる。フレズノ、ベーカーズ・フィールドなど。これは、早稲田大学国際部に留学生を派遣してくる大学がある町だ。「こういうところから日本に、早稲田に来るのか、ふむふむ」、という感じで納得する。ロスの町を突っ切って、ロングビーチまで行き、ここのモーテル6にチェックインする。(16:30)
本日の走行距離 669㎞

7月26日 晴

突然だが、今日は仕事モードに戻って、大学見学をする。行先は南カリフォルニア大学だ。ロスのダウンタウンにある。

ここまで愛用してきたTシャツ・短パン・ゴムぞうりの3点セットはやめて、小ざっぱりとした服装をしてキャンパス・ツアーに紛れ込む。現役学生とおぼしき案内人の若者が、10数人のグループを引き連れて、炎天下のキャンパス内を精力的に歩き回る。彼は前を向かず、グループのほうを向きながら、矢継ぎ早に大学のあれこれを説明するのが印象的だった。なるほどと結構納得する。

それからサンタモニカの海岸へ行き、ブラブラする。桟橋に座ってぼんやりしていると、近くのロスの国際空港から飛行機が飛び立つのが見えた。明日はあのようにして日本へ帰る。

7月27日 晴

ついにこの18日間に及ぶツアー中に、雨らしい雨は降らなかった。今日も晴天である。早くモーテルを出て、国際空港のレンタカー事務所へ向かう。(6:15)予想通り途中で通勤ラッシュの渋滞に少しはまったが、予定時刻よりも前に事務所に着き車を返す。(7:30)ナンバーの有効期限が切れていたことに文句でもつけようかと思ったが、無事にドライブを終わらせたし、被害がなかったのに文句をつけることもないなと思い、やめにした。(8:00)

空港へ行って(8:10)、チェックインし、大勢の日本人客とともに成田行きの飛行機に乗った。(11:00)

7月28日

成田空港着(14:00)

費用 飛行機代  101,000円(成田・ロス往復)
レンタカー代   91,000円
ガソリン代    49,000円
宿泊代      52,000円
食事代        33,000円
雑費       20,000円
      合計 346,000円

総走行距離 7,054㎞



1989年6月4日日曜日

丹沢・広沢寺

TSMC・S

社会科学部から国際部に職場が変わって1年がたった。変わってから休日数が減ってはいないが、ほとんど山へ行っていない。仕事が忙しく、ストレスが溜り、長男が可愛いので、山へは行かず家にいることが多かった。いきおい体調も下降気味で、気分が滅入った。それで、岩に登ろうと思った。

対岸の岩場、5.10A、フラッシュ

*フラッシュ=フラッシングともいう。オンサイトに次ぐ、良いスタイル。オンサイトとの違いは、ホールド・スタンスの位置やムーブのコツ等の情報もゆるされる。他人の登り方を100回見てもOK。

1989年3月10日金曜日

万座スキー場から渋峠

単独

万座スキー場で妻ならびに国際部女性職員と2日間スキーをした。その後、ワールドカップが開催される志賀高原へ、山中1泊の山越えで行くことにした。

快晴の午前は万座スキー場で滑り、11:00に朝日山のリフトに乗る。リフトの終点から、長さ2mのスキーにクトー(スキーアイゼン)をつけて歩き出す。草津と万座を結ぶ道路に沿って登ったのだが、途中新雪も出てきて、すこぶる歩きにくい。すこしの斜面でも階段登行をしなければならず、大汗をかいた。

宿泊代を浮かすために、山田峠の避難小屋に泊ることにしていた。ここは昔からよく遭難事故が起きた場所なので、立派な避難小屋が作られたそうである。小屋の中には石油ストーブ、毛布、それに非常電話まで備えてあった。

翌朝また苦労して渋峠まで歩く。スキーツアーでこのコースに来るならば、逆コースが良い。ほとんど下りになるからだ。

渋峠からはゲレンデに飛び出して、ここまでの鬱憤を晴らすように、硯川まで一気に滑り降りた。そしてそこから朝一番のバス(8:10)に乗り、ワールドカップレースが行われるジャイアントスキー場へ向かった。

-ワールドカップ見たまま-

とにかくびっくり。

まずカチカチに固めたバーン。山スキーの最中にこんなバーンに出くわしたら、わたしは迷わずスキーをはずし、ピッケルをアイゼンで慎重に歩行します。傾斜が急だったらアンザイレンして、スタカットで登行するかもしない。コース外の観戦スペースも相当なバーンになっていて、わたしも含め何人も転倒している人がいた。ヤダモウ。

次に滑降スピード。ギリギリのコース取りとスキー操作で、転倒しないで最後まで行けば、なんとか入賞できるという感じ。スキーを抑えて滑るなんて様子は微塵もない。

1989年1月29日日曜日

谷川岳・天神平

Mとジョー

オレゴンから来た留学生のジョーがスキーに行きたいというので、国際部のMも誘って天神平に日帰りで出かけた。

天候は雪だったが、田尻沢の滑降コースの新雪を何度も楽しんだ。ジョーはスキーが達者なので、一緒にエンジョイした。ところがMはかなりくたびれてしまった。最後の滑降の際に、沢にかかった丸太橋を滑って渡ろうとしたところ、沢身に滑りこんでしまった。落差は1m程だったが、手首を岩にぶつけてしまった。ストックも持てない状態なので、歩いて駐車場まで戻り、水上の医院で診断を受けたところ、手首を骨折しているという診断だった。そのあたりからMはパニック状態になってしまい、大事をとって沼田の救急病院の集中治療室に入ることになった。

わたしとジョーは病院の待合室で寝て、Mの様子を見た。翌日大丈夫そうなので、退院して千葉の実家まで送って行った。

1989年1月16日月曜日

木曽御岳山

TSMC・スティーブ

カリフォルニアからの留学生スティーブと、以前からアイスクライミングに行こうと誘い合わせていた。そんな時、FMさんが木曽御岳山に山スキーに行く計画を立てたので、これに便乗して、スティーブも連れて行くことにした。

今冬は暖かく、山に雪は少ない。おんたけスキー場も下部は雪不足で営業していなかった。スキーリフトを乗り継ぎ終点で降りると、もう標高2,256mの三笠山である。ここから平坦な田の原に歩き出す。大きな山小屋があり、夏はここまでバスが入る。広々した田の原を過ぎると、針葉樹がまばらに生えた斜面に、登山道が防火線状に切られている。そこを30分ほど登って行くと、森林限界になる。これ以上上に登ると、風当たりが強くなるので、ここでテントを張ることにした。

翌朝は満天の星空から始まった。じっくり日の出を見てから出発する。王滝頂上(2,936m)に向かって、左側のルンゼをアイゼンを効かせて直登する。雪崩の心配はないが、スティーブが滑落した場合に備えて、彼の10m程下から登る。王滝頂上直下で休憩。、中央アルプスのむこう側に南アルプス、富士山、八ヶ岳などが良く見える。

王滝頂上に立つと、火山の噴気がモクモクと立っている。風当たりが強くなり、地面の雪が飛ばされて地肌が出ている。これより上部ではスキーができないようなので、スキーをデポして剣ヶ峰(3,067m)へ向かう。辿りついた剣ヶ峰の頂上には、小屋が何軒もへばりついていて、残念ながら3,000m峰の実感に乏しい。しかし、展望は素晴らしかった。ここまで全く見えなかった乗鞍岳や穂高連峰が勇ましく聳えていた。

景色を楽しみながら昼食を食べ、下山にかかる。スキーの滑り出しは、はじめこそ軽い雪だったが、すぐにアイスバーンになってしまい、楽しめなかった。

手軽に3,000m級の冬山を楽しめたが、留学生のスティーブにはだいぶ交通費を使わせてしまった。