1987年12月28日月曜日

西穂高岳と前穂高岳

厳冬期の3,000mの稜線にスキーでアプローチする。これがかつてペルーアンデスに向ったミソメシ隊と、1985年暮れに新穂高温泉から蒲田川東俣へ行ったときのテーマだったと記憶している。この山行の後、スキー利用が一般的でない山域においても、スキーの特性を発揮させつつ、冬期登攀する可能性を探ることがTSMCとしての真面目ではないか、という思いに駆られた。そこで今回の計画では、そのことを意識して、スキーのスピードとダイナミズムに、雪稜登攀の楽しさをプラスして楽しめないかと考え企画した。

結果的には近年まれにみる小雪のため上高地周辺ではスキーはできなかった。それでも、わたしたち以外に誰もいない涸沢カールを歩いたり、エビのしっぽの着いていない前穂尾根を登攀できた。最後は徳沢から沢渡まで18キロの道を雨降りのなか下山した。

あっけらかんとして、冬山らしさには欠ける山行ではあったが、それぞれの局面はドラマティックで、未熟なわれわれには十分刺激的だった。


12月28日 晴

阿部ちゃんと2人降り立った新穂高温泉には、まったく雪が無かった。しかも周囲の山々の雪線は相当に高い。はるばるぶら下げてきたスキーが恨めしい。まずスキー場に上がり、ゲレンデスキーをする。ここしばらく降雪がなかっと見えて、すっかりアイスバーンになっている。ゲレンデ越しに望む槍の穂先は黒々としている。

スキーを早々に切り上げて、ロープウェーに乗り、標高2,156mの終点で降りる。入山初日の重荷にうんざりしつつ出発する。(11:20)意外なアップダウンに大汗をかきながらもスキー登高した。しかし、ブッシュが出ていて歩きにくいので、スキーは担いで歩くことにした。そこから間もなくで西穂小屋に着いた。(13:00)

テント場には燦々と午後の陽が降り注ぎ、あろうことか昼間から酒盛りをしている登山者グループもいた。入山初日のわたしたちの目にはこれが奇異に映るが、明日は我が身かと思うと情けない。


12月29日 晴

今日も天候悪化の様子はなく、西穂高岳往復に出かける。(6:45)積雪が少なく、アイゼンすら不要な状況である。岩峰をつぎつぎ難なく越え、あっという間に西穂高岳の山頂に着いた。(8:35)奥穂高岳も前穂高岳も黒々としている。これならば奥穂まで行って帰ってこれそうだが、今回は予定していないのでやめておく。

下りは、念のためアイゼンを着けた。それをガチャガチャ言わせながら降りると、またあっという間に小屋に帰着した。(10:00)やることがないので、それから日没まで延々と阿部ちゃんと酒盛りをした。


12月30日 雪

後から入山する三須、豊島、久美ちゃんの3人をロープウェーの終点まで迎えに行く。強風のためロープウェーは運休になっていた。なかなか運転を再開しそうにないので、またテント場へ戻る。

夕方(16:30)ようやく3人が登ってきた。ロープウェーが運休なので、新穂高温泉からずっと歩いて登って来たのだという。早速豊島が担いできたワイン1升で入山祝いをする。


12月31日 晴

風雪は1日でおさまり、青空が戻ってきた。ここから上高地へはスキーで滑り降りる予定だったが、滑れるほどの雪が無かったので、スキーを担いで上高地へ下る。(9:20)ところどころ氷結して歩きにくい道を注意して歩く。汗をかいてたどり着いた梓川べりにも、残念ながら雪は無かった。この先もスキーを有効に使える見込みがないので、帝国ホテル近くの熊笹の中にスキーをデポしていくことにした。(12:10)

身軽になって、カチカチに凍った道を今夜の泊り場の徳沢まで行く。(14:00)見上げる前穂高北尾根は黒々としており、慶応尾根も下部のブッシュがうるさそうに見えた。ここのところ降雪がないので涸沢カール内での雪崩の危険が少ないと判断し、明日涸沢経由で5・6のコルに上がり、明後日北尾根経由で前穂高岳に登頂し、北尾根から慶応尾根経由で徳沢へ戻ることにした。久美ちゃんは当初の予定どおり徳沢に泊り付近を散策する。

予定が決まれば年越しの酒盛りである。肴はともかく酒をたっぷり飲んで寝る。夜半に長塀山から月が出た。


1月1日 晴

生暖かい風の吹く梓川べりをスタートし(7:10)、アイスバーンに気をつけながらすたこら歩く。横尾を過ぎると屏風岩が見え、正月早々2パーティーが壁にいるのが分かった。道が樹林帯から沢身に入るところから積雪が増す。(10:00)ほとんど豊島がラッセルし涸沢に着く。わたしたち以外に人影はなく、夏の喧騒からは想像が出来ない静寂の世界である。トカゲ岩の上で吊尾根に隠れようとする太陽の光を浴びた。

5・6のコルに向けまたラッセルを開始する。(12:10)ツボ足で膝までの深さなので結構はかどる。ふり返ると槍の穂先が見え、さらにひと頑張でコルに着く。(14:50)時折強風が吹くので、テントが飛ばないようにしっかり張る。天候予報では、今夜から明日にかけて気圧の谷が通過するという。大きく崩れることはないようなので安心する。


1月2日 雪

昨夜半から吹雪となるが、降雪量は多くなかった。気温は高めで視界がないので出発を見合わせる。ゆっくりと朝食をとりながらラジオの天気予報を聞くと、これからも大きく崩れることはないようなので、準備して出発する。(9:00)

5峰の登りは雪が多く、最後のルンゼ状がやや不安定だった。4峰は最初はリッジ沿い、中間から涸沢側に回り込んで岩場を登った。最後のところで浮石の多いところに出てしまった。ザイルを出そうかと思ったがやめた。3・4のコルへは、奥又白側に行き過ぎてしまい、気がついて戻り、ルートを見つけた。

3・4のコルで順番待ちがあり、30分待たされる。3峰の登りは無雪期は3級程度の岩場だが、手袋をはめ、アイゼンをつけての登攀は時間がかかり、2ピッチに2時間を要した。すでに13:00を過ぎており、17:00には暗くなるので先を急ぐ。3峰、2峰、本峰と慎重かつ敏速にリッジを辿り、視界のない前穂高岳の山頂に着く。(13:25)わたしたちの他には誰もいない。写真を撮って早々に下る。


難しいのは登りより下りである。ミックス壁のクライムダウンは難しい。3峰の岩場はアプザイレン2回で下る。登りで肝を冷やした4峰の下りは、登りとは逆に奥又白谷側にルートを探しながら行き、無事切り抜けた。そして最後は5峰の雪のルンゼだ。ピッケルのシャフトを深く雪面に刺しこみ、キックステップで下る。途中で5・6のコルに張ったわたしたちのテントが見え、ナイターをまぬがれたことを知った。(16:45)


1月3日 晴

今日は下りだけなのでノンビリ気分で出発する。(9:45)6峰の頂上から徳沢の久美ちゃんと余裕たっぷりで交信する。6峰を下るとミックスになり、急な雪壁が出てきた緊張する。アプザイレンを2回してコルに降りる。そこから7峰まで小ピークが3、4つあり気が抜けない。7峰をすぎるとリッジも穏やかになり、奥又白谷の雪斜面が明るく広がる。8峰の円頂から北尾根を振り返るとなかなか格好が良かった。(13:30)

慶応尾根の下りは問題なく、ドンドン下った。おそらくパノラマコースだと思う。下り切って新村橋を渡り、久美ちゃんの待っている徳沢に着く。(15:45)、2日前にここを出発した時は沢山のテントがあったが、今日は数張だけになっていた。下山祝い用の酒を徳沢園に買いに行ったら、「食べなさい」といってブリの照り焼きなどを沢山くれた。とても旨かった。


1月4日 雨

出発時は強風に雪まじりだった。(9:00)上高地のスキーデポに着く頃には、雪はだいぶ水っぽくなってきた。(11:00)ここから各自自分のスキーを履いたり、引きずったり、背負ったりして歩く。釜トンネルからは雪の無い舗装道路になり、当然全員スキーを背負って歩く。

中の湯付近からは完全に雨になる。(12:30)釜トンネルから沢渡の間は、思っていたよりトンネルが多い。雪があってもほとんどスキーで滑ることはできない。

足にマメをこしらえて、ようやく沢渡にたどりつく。(14:30)食堂のストーブにあたりながら、野沢菜にビールで乾杯すると、ようやく正月気分になった。