1981年5月1日金曜日

白馬岳

5月1日
 佐藤和久と相模湖駅で落ち合う。トヨタコロナグランデで山スキーに出かける。

5月2日

 二股発電所(標高835m)に車両進入禁止の標識があり、ゲートは閉まっていた。ここから白馬岳の山頂までの標高差が約2,100mあるので、少しでも先まで入りたかったが、そんなことは口に出さずに仮眠した。6時頃目を覚ますと、意外に多くの人や車が来ていた。出発の支度をして、猿倉までの林道を兼用靴で歩く。歩きにくい、SKは登山靴だが、はじめてだそうだ。


 猿倉山荘はまだすっぽりと雪の中で、山荘の人が周囲で休んでいる30人ほどの人たちに、今年は豪雪だったので、雪崩に注意するようにとさかんに訴えていた。たしかにこの時期にまだブロック雪崩が1つも落ちていないということは、これから短期間で大量に落ちてくる、ということだ。


 朝食を済ませて山荘の裏の尾根に登る。少し高く登り過ぎてしまい、また100mほど下る。白馬尻から沢身に入る。白馬鑓ヶ岳や白馬岳中央稜に向かっていく人の姿も見える。SKは、これからの大雪渓の状態や、寝不足の体調、それにスキーを担いだ重荷のためか、気弱なことを口にした。めずらしいことだが、わたしは、大丈夫だよといつもの調子で登った。


 小雪渓の急登を越えたあたりで雪がちらつきだし、風も強くなる。SKは大分ばてた模様で、勢い休憩が長くなる。このペースだと山頂まであと2時間ほどかかりそうなので、少しSKをあおる。村営小屋が見えてからは意識的にペースを速め、3時近くに小屋に着く。SKを小屋に残し、わたし1人で山頂を往復する。誰もいない山頂に着いたが、頂上からの滑降はあきらめなければならなかった。雪が強風に飛ばされて、地面が出ているのだ。


 SKの待っている小屋まで降り、そこから豪快に滑ろうと思ったが、雪面の状態が悪く、思ったような滑りができなかった。ゲレンデスキーであればより快適に滑降できただろう。猿倉まで滑り降り、二股まで歩いた。