1980年3月5日水曜日

ヨーロッパアルプスのスキー旅 1980年3月5日~3月23日

 早稲田大学を1980年3月に卒業して、4月から早稲田大学の専任職員になることが決まった。卒業する前に何か思い出に残る楽しいことをしたいと1979年の秋に考えた。それで、WLSKの仲間と相談し、ヨーロッパアルプスにスキーに行くことにした。

ヨーロッパアルプスのスキー旅 1980年3月5日~3月23日 サマリー
3月5日 成田空港⇒ソウル⇒機中泊
3月6日 アンカレッジ⇒パリ・オルリー空港⇒パリ

3月7日 パリ

3月8日 パリ⇒シャモニー

3月9日 グラン・モンテでスキー

 ヨーロッパでの滑り初めは、シャモニーのグランモンテ・スキー場だった。ゲレンデが日本のスキー場とはけた違いに広い。ものすごくスピードを出して滑れるが、経験したことの無いスピードに体勢が知らず知らずに後傾になる。ゲレンデに隣接した部分に深雪があり、そこに入るとスキー操作が上手くいかず、なかなか調子がでない。

3月10日 レ・ズッシュ、ブレバンでスキー

 シャモニーのスキー場は、標高が高いところは3,000mあり、低いところで1,000mである。だから、ゲレンデの上と下では雪質がまったく違う。3月は気温が高くなる日もある。するとゲレンデのいちばん上は粉雪、途中は湿った雪、一番下はアイスバーンと三段階に代わる。アイスバーンにも、わたしのスキー板、ケスレーRXコンビは強かった。

3月11日 休養日

3月12日 バレ・ブランシュ、フレジェールでスキー

 エギーユ・デュ・ミディのロープウェーで頂上まで行き、バレ・ブランシュを滑り下りる。滑りだしてからしばらくは、スピードが上手く把握できず、後傾になりがちだった。しかし、コースの後半になると、雪に慣れ、雪面が荒れている部分でも最高の滑りができたと感じた。

バレ・ブランシュの滑降開始点で
3月13日 シャモニー⇒クールマイユール⇒シャモニー
 雪が降ったので、ただもうがむしゃらに滑っているだけだった。

3月14日 シャモニー⇒フィスプ

3月15日 フィスプ⇒グリンデルワルト

3月16日 ウェンゲン、メンリッヘンでスキー

 天候はあまりかんばしくなかったが、グリンデルワルトのスキー場の素晴らしさを垣間見ることができた。特にウェンゲンとメンリッヘンのロングダウンヒルコースは最高だ。メンリッヘンは素人のダウンヒラーのためのコースだ。

3月17日 フィルストでスキー

 フィルストに登る。ここは広いスキー場で、わたしは昔のフランススキーのように、ローテーションでターンした。ここまで広く、平らなスキー場であれば、ローテーションで滑っている方が楽しいかもしれない。いや楽しい。

 めざすはスピードに負けない、強い滑り。

3月18日 ラウバーホルンでスキー⇒ジュネーブ⇒

 ヨーロッパでの最後の滑り。ラウバーホーンでは、気持ちよくスピードに乗った、スムーズなスキーが楽しめた。

3月19日~21日 パリ

3月22日 パリ⇒パリ・オルリー空港⇒

3月23日 アンカレッジ⇒ソウル⇒成田空港

今回の収穫

・エアターンのマスター

・スピードの克服

・長距離滑降の持久力

・ジャンプターンのマスター

悪い癖

   ・ローテーション

1980年ヨーロッパアルプス・スキーツアー報告書

グリンデルワルトのスキー場

≪プロローグ≫

 今回ツアーを組んではるばるヨーロッパくんだりまでスキーをしに出かけてきた連中は、金持ちの子弟でもなければ、ましてや今をときめく金権政治家や高級官僚の子孫ではありません。あたりまえです。わたしたちはただの若いもんたちなのであります。その「ただの人」がどうやって海外スキーツアーを楽しんできたか、それをみなさんに知ってほしいのです。そうして「ただの人」がどんどん海外へ行って自分のカラをつきやぶって帰ってきて、もう一度日本を、自分を見つめなおす機会にしてほしいのです。


≪どうやって海を渡るか≫

 まず、飛行機。これはいろいろありますが、初めての、金のない人でしたら、あまりウワサを気にせずに、惑わず安い航空会社にすべきです。たとえば大韓航空というと、多くの人は韓国に対する感情から、少し馬鹿にしたような顔をしますが、ところがどっこいサービスは良かったのです。酒類は飲み放題だし(もっともたんと飲むには少し根気がいる)、おねえちゃん(スチュワーデスとも)も欧米の航空会社よりずっと親切だし、だいいち親しみやすい顔つきなのです、お互いに。

 安いと危ないのではないか?という素朴な疑問と不安をいだいている人がいるようですが、旅慣れたひとというものは、名より実をとるものです。JALなんかで行ってみなさい。外国の空港に着くまで、まるで小学校の遠足です。


≪陸は何で?≫

 えー。まず鉄道でしょう。飛行機という手もありますが、貧乏人には背伸びした感じになる。鉄道が良いのは、日本としきたりが大して違わないので、安心である。夜行列車をホテル代わりにできるし、昼は適度なスピードで移り変わる車窓の風景を眺められる。長距離列車の座席は、6人一部屋のコンパートメントになっているタイプが多い。運よくきれいな現地の女性と一緒になったら、わざとらしく声をかけてみるのも楽しいや。少しくらい恥をかいたって、どうせもう会うことはないだろうし...。大きな都市には地下鉄やバスがあり、東京よりも移動しやすいこともある。ただ、どうやって使うかは知らなければだめです。それさえ知っていればいいのです。

夜行列車で晩酌

≪どこで寝るか?≫

 わたしたち「ただの人」は、24時間徹底してサービスを受ける、という立場になったことがないから、ホテルのサービスはちょっと気が重いです。サービスが無料であれば文句はないのですが、大抵は有料です。宿泊料金の中に含まれていると考えるのが妥当です。余計なサービスなどなくて、その分安いほうが良い。旅を続けていくのに支障がない程度のサービスで充分です。このように開き直った気持ちになると、日本での日常生活以下のレベルになっても、さして気にならないのです。後に書きますが、わたしたちはずっと1泊2,000円以下の安ホテル・ペンションでけっこう楽しく、何よりも気楽にやってきたのです。こうやって浮かした金を、さらに有効に使うのです。

シャモニーのスキーステーションで

≪だいじなこと...食うこと≫

 なんたって自炊。向こうにいってみると、いらっしゃーいとばかりにスーパーマーケットがいたるところにあります。これを見逃す手はありません。グループでの旅ならば、ほんとにわずかの食費で、おいしいものを腹いっぱい食えるのです。もっともおいしいフランス料理というわけにはいきませんが、それでも外国料理にはなるのです。スーパーには米もしょう油も売っているので、まぜご飯やチャーハンもできるし、肉は、特に牛肉は安くて非常においしいのです。ジャガイモの塩ゆでや野菜サラダは、日本で食べるのと一風変わった味がしてへんてこですが、これもまたおもしろいのです。


≪明日へのエネルギー 酒≫

 これについては行った連中にそれぞれ思い出があるだろうが、わたしたちはまあ良く飲んだ。宿泊費と食費で浮かした分は、ほとんど酒代にまわったかな、というくらいである。しらふでいる時は大人しい人も、お酒が入ると元気になって異邦人にも気軽に声をかけたりする。ちょっと酔っているくらいのほうが、過度の羞恥心から解放されてコミュニケーションが良くなるみたいだった。帰ってきてからワイン党になって、通ぶったりしている人もいるようです。


≪スキー場の印象≫

Ⅰ シャモニー(フランス)

グラン・モンテ

 シャモニーの町から6㎞、バスで20分のところにある。ゲレンデはロープウェーにてクロワ・デ・ロニョンまで標高差700mを一気に登ると、横に広くタテに長い広大なゲレンデが広がっている。そこにはさらにロープウェーがグラン・モンテの頂上近く、標高3275mまでのびている。(下から上までの標高差は1960mにもなる)その他、リフト(ダブルのみ)、Tバーが広大なゲレンデに広がっている。また、ゲレンデの近くには氷河もあり、青氷がパックリと口をあけている。ロープウェーの終点から下まで休み休みおりても1時間半かかった。上はひざまでの新雪で、下はダウンヒルコースのバーンになっている。

(SK

グラモンテで

フレジェール

 ここはシャモニーからバスに乗り10分ぐらいのレ・プラにある。ロープウェーでリフトがあるところまで上がり、そこでスキーを楽しむ。リフトにはアルミでできたカバーがついていて、窓から外が見えるのだが、その日は霧で何も見えず、滑るときもスキーを楽しむというより、コースをはずれないように旗を捜しながら、ただ下りてきたという感じであった。他にもペアリフト1本とTバーが1本あったが、斜面はゆるく初心者向きであった。

 なお、フレジェールをはじめシャモニーのスキー場は樹林帯を越えた台地上の所にあり、そこまではロープウェーで行く場合が多い。

(SKa)


ブレバン

 我々の泊ったホテル「スキー・ステーション」のとなりにブレバン行きのロープウェー乗場がある。そこからロープウェーでプラン・プラまで行くと、そこがゲレンデになっていて、リフトやTバーが合計5本と他のスキー場に較べると比較的小規模であった。プラン・プラからまたロープウェーで10分ほどでブレバンの頂上へ行ける。ワインを飲んで酔っていたせいか、地図の上では上級(エキスパート)コースだが、さほどでもなかった。雪質、景色とも良く、日本人の切符切りの兄ちゃんがいた。

(TH


レ・ズッシュ

 シャモニーのビッグ・ゲレンデ(グラン・ピステ)は全部森林限界をこえているが、ここレ・ズッシュは標高1,000から2,000mに位置しているので、雰囲気が日本のスキー場に似ている。上級者よりも初・中級者がじっくり滑りこむのに適したバーンである。五竜とおみスキー場のテレキャビンと全く同じやつで上まで行き、南北に長いシャモニーの谷と、それをとりまく赤い針峰群やエギーユ・ベルト、エギーユ・ド・ミディの景色を楽しみながら、自動車道まで下ってこれる。

(TK



Ⅱ ツェルマット

アルプスの象徴マッターホルン(4,478m)のふもとに広がる変化に富んだスケールの大きいゲレンデ。街中は車をシャットアウトし、馬そりと電気自動車が行き交う静かな町。

 スキー場はゴルナーグラート、ブラウヘルト、シュバルツゼーの3つに分けられる。ロープウェーを4つ乗りついでプラトー・ローザ(3,499m)につき、テオデュル峠まで下ると、ここはスイスとイタリアの国境である。ツェルマットのTバー1本で足馴らしの後、イタリア側へと滑り降りた。人の姿はほとんどない。長いダウンヒルを終え、チェルビニアの町につく。テオデュル峠のゲレンデは、上部がよこに広がっており、見わたすかぎりゲレンデが広がっている。野沢スキー場のTバーなどは目ではないといった感じの長いTバーが無数にある。

 ゴルナーグラートヘは駅前から登山電車に乗り50分で、電車をおりたところから街まで、ゲレンデはなだらかに広がっている。

(SK

ツェルマットへ行くSKを見送る

Ⅲグリンデルワルト

フィルスト

 グリンデルワルト周辺は、ダウンヒル競技に適したスキー場が多い。ここもその1つで、何年かおきにワールドカップの大会もある。ここにある横がけのダブルリフトは欧州最長といわれている。ゲレンデ自体はただ広いというだけで、これといった特徴はないが、景色の良さは第一級だ。岩山のわきから滑り出し、ふもとに近づくと小屋の中で春を待つ羊たちがメエメエとないている、ヨーロッパらしいところです。

メンヒを背に

ウェンゲン

 ヨーロッパにはダウンヒル3大クラシックレースというのがある。そのひとつのウェンゲンのラウバーホルン大会は毎年ここで開かれる。本物のダウンヒルレースをやるピステがどうなっているのか、少なからず興味を持っていた。実際に見て、滑ってみたところ、それほど大したコースではないように感じた。しかし、そこを直線的に、より短時間に滑り降りる競争をしたら、それはもうものすごい滑りにならないはずはないだろう。そんなレースを見てみたいなと、夏は羊の散歩道になりそうなゲレンデを直滑降しながら思った。


メンリッヘン

 ここの長いリフトには前掛けがついていて、雪の降る日に乗っても、融けた雪が衣服を濡らすことがない。このリフトの長さからして、こういう装置は助かる。ここにはダウンヒルコースがあり、滑ってみたところ、スピードが出るの出ないのって気分最高。そう桜木さんはかっとばしすぎて、ついに転倒、3回転ひねり、板は空中に舞っていた。もうだめかと思ったら、頭を真っ白にしておきよった。ゲレンデが長いととばし屋が多くいて、滑降用のストックを持ってギンギンだった。

(TH)

アイガーまで続く雲海

ラウバーホルン

 ここのスキー場の良さは、なんといってもアイガー、メンヒ、ユングフラウを真向かいにおいて滑る豪快さである。クライネシャイデックからラウバーホルンめがけて一気に登る2人用Tバーで頂上につく。ゲレンデは中程度の斜面でコブは少ない。

(TK

アイガー北壁をバックに

Ⅳ クールマイユール

 となりの国までスキーに行くというと大げさだが、クールマイユールにはシャモニーの駅前から出るバスで30分ぐらいで着いてしまう。国境ではフランス側とイタリア側と2回パスポート見せたが、ただパスポートの表紙を見せるだけであった。が、わたしの隣りに座っていた黒人は少しあやしそうな目つきをされていた。

 街からゲレンデに上がるロープウェーは100人乗りで、そのバカデカサに驚いた。ここからの眺めは、モンブランやグランドジョラスが見えれば最高なのだが、霧で何も見えなくてコンディションは最悪、スキーもそこそこにしてのんびりとまたシャモニーのスキー・ステーションに帰った。天気が悪かったのは残念だった。

(SKa)

クールマイユールで

≪ソルボンヌ・ホテル≫

 今回のスキーツアーで、わたしたちは1回だけホテルに泊まった。花のパリのそれもカルチェラタンの真っただ中という「ことば」から連想すると、きっとソルボンヌ・ホテルはすばらしいところにちがいない、なんて思う。まあ、すごいホテルにはちがいない。


 まず、天井がやたら低い。それもはんぱじゃない。わたしなどはちょっと背伸びをすると手がつかえてしまう。そして床が傾いている。オレンジなどを落すところがっていくし、歩くときは傾斜に応じて前かがみになったり、そり身になったりするテクニックを必要とする。その他もあかりがくらいとか、話す声がとなりの部屋につつぬけとか信じがたいことの多いホテルではあったが、支配人らしきばあさんの気さくさと、何よりも朝食付きで3泊100フランというのが魅力であった。


 ともあれ、とんだ偶然からソルボンヌ大学(パリ第一大学)のとなりのソルボンヌホテルに5泊してしまったことだ。

ソルボンヌ・ホテルの名刺

≪いくらかかったか≫

宿泊費16泊 25,000円

食費    36,000円

航空運賃  208,000円

現地交通費 44,000円

リフト代  15,000円

物品購入代 80,000円

合計    408,000円


 宿泊費、食費、リフト代が予想を下回ったので、その分を土産代に回すことができた。当初からの目標だった「40万円でヨーロッパでスキーを」が達成できて満足している。この、すべて込みで40万円というのがいかに安いかは、今冬全国スキー協議会で企画しているヨーロッパ・スキーツアーが、わたしたちの半分の9日間の日程でありながら、ほぼ同額の395,000円であることで良く分かると思う。もっともスキー協の企画も一般の旅行会社の企画とくらべれば安いほうなのである。


≪ひと旅おえて≫

 今回わたしがヨーロッパへスキーへ行きたかったのは、第一に本場のスキーを体験したかったからである。これについては、スキー学校に入ってスキーを習う機会に恵まれなかった反面、バレ・ブランシュやグリンデルワルトで想像をはるかに上回るスケールの大きいスキーができたことで目的をとげられたと思っている。


 今回第二に意図していたのは、海外スキーをいかに安く楽しく実行するかであった。結果として10日から20日間程度のヨーロッパ・スキーツアーは30万円を少しこえる予算で充分楽しめるという確信をもった。


 わたしたちは、成田とパリの間の往復キップを買っておいただけで、交通機関ならびに宿泊施設についてはすべて予約なしで行動した。7人のグループで自炊のスキー行がやりとげられた自信は大きい。このことで得た教訓は「もう海外は手作りで楽しめる」ということだ。旅行会社の企画に乗せられて名所見物なんていうのはもう昔話である。


 この報告書には書かれていないが、旅行中にずい分とみっともない、人にいえないような失敗を、みんな沢山しでかした。中には、今思い出しても腹が立つようなこともあったが、それは本人がいちばん悔いていると思うから、あえてわたしの記憶にだけとどめておこう。旅の途中で会ったある方に「リーダーのかたはさぞ気が疲れるでしょうね」といわれた時、みんなはスーパーマーケットで、ああでもないこうでもないと買い出しをしているところでした。ひとの気持ちも知らぬげに。


 なにやかにや思い出すことは沢山あるけれど、わたしが今この報告書をまとめあげて嬉しく思うのは、みんないろいろ苦労したけれど、それでもまた行ってみたいという気持ちを強くいだいているのを感じることだ。はじめての海外だし、失敗があってあたりまえ。ケガや致命的なミスもなく、ヨーロッパアルプスのフトコロで東洋の一小国の男女がスキーを「自力で」やったのはみんな自身の人生で「快挙」だったはずだ。


 また行こう。フランス人も、スイス人も、アメリカ人もみんな親切だった。確かに自分と同じ「ひと」だった。こんどはもっと楽しく、安く、世の中を見に!