1979年12月30日日曜日
五竜とおみスキー場 1979年12月30日~1980年1月5日
1979年12月26日水曜日
谷川岳 天神平スキー場 1979年12月26日、27日
例年であれば五竜とおみで滑っている頃だが、雪がまだ降らないので、天神平へ行って遊ぶ。教えるのが中心だったが、自分の滑りを点検するのも忘れなかった。ゲレンデに石が出ていて、十分滑ることはできなかった。
1979年12月13日木曜日
野沢温泉スキー場 1979年12月13日~17日
全国スキー協議会の中級指導員養成スクールに参加した。
12月14日
足慣らし。天候、雪質ともに上々の上の平でバンバン滑った。
12月15日
大阪スキー協議会の稲田上級指導員のレッスンを受ける。緩斜面を気を抜かずに滑るというのは大切なことである。特に膝の動きに注意して滑ることが大切だ。基礎スキーをやるときは神経を集中すること。
12月16日
大きな収穫は深雪を苦にせず滑れたこと。長尾正二氏のレッスンを受ける。気を抜かない正確な滑り。午後は東京スキー協議会の人と滑る。少し自信がついた。
1979年12月8日土曜日
1979年11月5日月曜日
1979年9月23日日曜日
北岳バットレス
体調が良くなかったが、早朝新宿をたつ。甲府から広河原までバスで行き、そこから歩いて白根御池まで登り、そこにテントを張る。
9月24日
今にも雨が降り出しそうな中を、バットレスの岩を登りに出かける。
バットレス基部へ沢をつめ、落石の多いDガリー下の滝を登り、左にトラバースする。第4尾根の取り付きには順番待ちの人だかりがすごかった。登りはじめても、もたもた登っている人が多いので待ちきれず、何か所かコースわきの偽ルートを登った。
山頂から白根御池に駆け下り、そこでもう1泊する。
9月25日
雨の中を下山し、東京へ帰った。さあ、就職戦線に突入だ。
1979年9月7日金曜日
アストロスキー場 1979年9月7日
1979年8月3日金曜日
大雪山からトムラウシ
Yと羽田空港からジャンボジェットで千歳空港へ飛ぶ。千歳空港からはバスで札幌駅へ行き、ここで大急ぎでラーメンを食べ、網走行きの夜行列車に飛び乗る。夏の北海道は、どこでも若い人でいっぱいだが、この列車にはとりわけ若い連中であふれている。
8月4日
未明に上川に着き、駅の待合室で寝ようと思ったが、そこは人でいっぱいで寝る場所がなかった。しかたなくバスの待合所のようなところで寝る。8時頃に起きて朝飯を食べに行き、ついでに山の中で必要な食糧の買い出しも済ます。14時のバスまでやることもなく、芝生の上でごろ寝をして過ごす。
愛山渓行きのバスは、定員の3分の1ほどで上川を出発し、いったん旭川方向に戻ってから左に曲がって山の中へ入っていく。道の両脇には、葉の直径が1mほどもあるえエゾフキがいっぱい生えている。バスが狭い山道を登りだすと、しばらくで終点の愛山渓温泉についた。小屋の周りでテントを張ってもかまわない、というのでテント泊にする。温泉に入り、夕飯にジンギスカンを食べ、明日の用意をして寝る。
8月5日
雲がたれ込めており、山の上は雨が降っているのではないかと思われた。初めは沢どおしに登り、2時間ほどで沼ノ平に出る。散在する沼の間を抜け、1か所沢を渡渉して、裾合平に出る。ここから、中岳をめがけて登る。といっても、中腹から上は雲に隠れて見えない。途中中岳温泉で昼食にしたが、寒いので早々に出発する。稜線に出ると、雨まじりの強風が吹きつけてきたので、ほとんど休まずに白雲岳のテント場まで歩いて、そこでテント泊した。
8月6日
早朝は快晴だったが、間もなく曇りだした。白雲岳のテント場から忠別岳までは、上り下りが少ない道だ。途中平が岳付近から大雪高原温泉が見えた。広い草原のような稜線をのんびりと気持ちよく歩く。忠別岳、五色岳と少し山らしいところを過ぎると、また広い高原状のところを行く。化雲岳の下を巻き、道はトムラウシ方向に南下する。今日はヒサゴ沼で幕営する。ここまで張り切り過ぎたのか、くたびれて調子が良くない。
8月7日
今朝もガスを出発である。それでもトムラウシに近づくにつれて天候が良くなってきた。北沼に着く頃には、トムラウシが青空のなかにくっきりとそびえたつように見えた。一気にトムラウシの山頂に登ると、とてもいい気分だった。ここまで来たかいがあった。休んでいると、後続のパーティーが次々とやってきてにぎやかだった。
ここから、十勝連峰へ向かう道に入る。三川台まではのんびりした尾根である。ここから山道が南下すると、とたんにひどいヤブ道になる。それに加えて、ガスが立ち込めて露が笹からしたたり、歩いているうちに体がびしょびしょになる。
三川台から1時間半ほどヤブ漕ぎをした地点で、昼飯のラーメンを作って食う。三川台付近で水を補充してよかった。このあたりにはまったく水場が無い。
再び出発し、スマヌプリに登るとガスが晴れて、前方にオプタテシケの影が大きく見える。そこからハイ松とナナカマドの密生した中を漕いでいく。2時間ほどでコスマヌプリに着く。ここからやっと下りになり、オプタテシケの取り付きにあるテント場に着く。かなり疲れて、夕飯がまずかった。
8月8日
オプタテシケに登る。長い登りとの前評判だったが、2時間足らずで切り立った山頂に立つ。最後までお守り代わりに背負ってきたメロンを食べる。ベベツ岳を越え、美瑛富士の手前から右に下り、白銀温泉へと向かう。
1979年5月4日金曜日
尾瀬
1時間ほどで雪の上を歩くようになった。下ってくる人が、わたしがスキーを背負っているのを見てびっくりしていた。女性が多い。
食料など、荷物が結構重かったが、一度も休まずに富士見峠まで登る。峠に至る最後の斜面は、スキーにもってこいのバーンだった。
富士見小屋の中は、がらーんとして寒々しかった。素泊まりであることを伝え、荷物を片付け、腹ごしらえをしてからスキー散歩に行く。アヤメ平まで行き、周辺をスキーで歩き回った。あちらこちらにシュプールが残っていた。
小屋に戻ると、わたしと相部屋でもう1人スキーをやる人がいた。あと別の2人と4人で、消灯時間まで酒を酌み交わした。
5月5日
朝早く起きて、相部屋のスキーヤーと小屋の周りをいろいろ滑った。スキーは楽しい。
小屋で昼食をとり、クラブの皆が待っている鳩待峠に向かう。その道は傾斜が緩すぎてスキーはあまり滑らなかった。峠まで1時間ほどで着き、予定通り皆と合流した。
鳩待峠から山ノ鼻までスキーで降りたが、途中で雪が切れている箇所があり、YとTは難渋していた。山ノ鼻の硬く凍った雪の上にテントを設営し、至仏山の途中まで登ってスキーの足慣らしをした。
寝袋の下に敷くエアマットを持ってこなかったので、雪の冷たさで夜なんども目が覚めた。
5月6日
山ノ鼻から直すぐ至仏山に突きあげる尾根を登る。山頂までの標高差は800mほどあるが、上が良く見えているので気持ちが良い。
至仏山の山頂付近は風が強かったが、それに負けずに滑りまくった。そのあと、山頂から山ノ鼻まで、皆で1列になり続いて滑り降り、気持ちよかった。
このあと山ノ鼻のテントを撤収し、雪が残った尾瀬ヶ原を横断し、見晴十字路で再びテントを張った。
5月7日
最後の日は、尾瀬沼から三平峠を越え、大清水へと下った。沼田へ出る途中の温泉で風呂に入り、ビールで無事下山を祝った。
1979年4月22日日曜日
セドノ沢左俣
高校の時、セドノ沢に来て楽しかった記憶があった。それで、沢登りの初心者を連れて登りに来た。しかし、遡行を始めてみると、以前に登ったのはセドノ沢の右俣で、左俣ではないことに気がついた。セドノ沢のひとつ下流の戸沢が同じような地形で、その左俣を登った時が楽しかったのだった。
水無川本谷からセドノ沢に入ると、小滝を2、3コ越えて2俣になる。右俣には大滝があるが、それ以外はつまらなかった経験があるので、左俣に入る。なかなか手ごわく、中級者が楽しめる程度の滝が4、5コあった。わたしは面白かったが、初心者には少し怖かったようである。水か少なくなってきたところで昼食にする。
ここから沢は傾斜を増し、水も少なくなって、ガラガラの源頭部に至る。適当に踏み跡を探していくと薮になり、ガサガサ歩いて行くと表尾根にぽっかりと出た。
1979年3月25日日曜日
1979年3月17日土曜日
1979年3月11日日曜日
1979年3月4日日曜日
1979年2月18日日曜日
五竜とおみ・野沢温泉スキー場 1979年2月18日~21日
腰の付け根の外側がつっぱるほど練習をした。もちろんこの場では上手くいかなくとも、きっといいきっかけになると思う。そうか膝か。
五竜とおみで滑った後、野沢温泉の出張に行った。ここではスキースクールに入って、早いエッジの切り返しを学んだ。以前わたしが最も難しいと考えていたことができるようになった。早稲田大学スキー部の部員の滑りからは、残念ながらあまり学ぶことは無かった。
1979年2月11日日曜日
1979年2月4日日曜日
大山
それは家族の登山であるからに違いない。家庭での関係がそのまま山の中に入り込んできていて、父は山の中でもやっぱり偉い人なのである。
もっとも、はじめて一緒に大山に登った頃の父は、もう少し大人しかったが、何度も一緒に登った結果、それなりに経験を積んだのでこのようになったのだろう。
今回はヤビツ峠までタクシーで行った。例年であればこのあたりから日影に雪がちらほらと見えるのだが、今年は陽気が温かいので、まったく雪は見えない。秦野盆地がぼんやりと逆光に霞んでいて、まるで春のような景色である。
そんなことを話しながら雷ノ峰尾根を登る。なんなく高度をかせぎ、大山の山頂に着く。霜で赤土がぐちゃぐちゃにぬかっている。阿夫利神社のこずえごしに見える富士山は、いつになくどっしりとした構えに見えた。
昼食をとって、さっさと下山する。父は下りが難儀に見える。脚力が衰えてきたので、膝に負担がいっているのだと思う。それでも途中で甘酒を飲みながら休んだりして、下社まで快調に下る。
下社で例のお札をいただき、女坂を下る。いつも立ち寄る塚本商店で食事をし、ほろ酔い加減になって伊勢原行きのバスに乗った。
1979年1月3日水曜日
遠見尾根
一度一緒に山へ行くと、その人の人となりが良く分かる。わたしは、山の中の生活で最も大切なことは、何事につけ努力を惜しまないことだと思う。しかも、その努力は合理的な目的に向かってなされなければならないと思う。努力はパーティーの目的を達成するためのものであるから、ひとりよがりの努力であってはならない。
今回の山行でこのようなことを強く感じた。