1977年12月27日火曜日

仙丈岳

 残念だったのは天候の具合と、計画の甘さだった。Mさんの友人であまり登山の経験がない人が同行したので仕方がなかった。

12月27日

 Mさんたちと伊那北で待ち合わせ、Mさんの車で戸台へ行き、車を止め、そこ幕営する。


12月28日

 甲斐駒の峰から上がる雪煙を見ながら、凍てついた河原歩きをする。Mさんはいつもより雪が多いという。丹渓小屋からの尾根歩きになると、それまでの足の痛みがなくなった。タンネの林が美しく新雪に輝いている。昼食をとりながら仙丈岳を望見する。そこから1時間ほどで大平小屋に着いた。休まずに北沢峠まで登る。きれいな林の写真を撮る。


12月29日

 天気はまずまずだが、あまり寒くなく、風の向きが北寄りではないので、これから天候は下り坂だろう。冬山の未経験者であるMさんの知人が同行しているので、今日は仙丈岳へいき、明日甲斐駒ヶ岳に登ることにする。


 北沢峠から仙丈岳へはまず尾根の左側をからむように登る。尾根上に出たあたりからは北アルプスがよく見えた。近くの北岳はもちろん、遠くの富士山も見える。しかし、上空にはおかしな雲がちらちらし、風の向きがまた変わった。


 森林限界で小休止して気を引き締める。吹きさらしの稜線に出ると、富士山ほどではないが、風が強い。立ったまま軽い食事をして、防風の身なりを整えて頂上に向かう。頂上の手前のトラバースが少し注意のいるところだが、あとは淡々としたのぼりだった。


 頂上からは申し分のない360度の大展望だった。これまでにないスケールの大きい、痛快な眺望だった。


12月30日

 Aさんと一緒だったら、昨日の午後、仙丈岳から下山してきた足で甲斐駒ケ岳に登ったかもしれない。時間はあったし、天候は大丈夫だっただろうし、翌日は悪天になる可能性が高かったからだ。


 Mさんは、今日は甲斐駒ヶ岳には登らないで下山すると決めた。どんな決定であってもリーダーの決めたことには従わなくてはいけない。


1977年12月22日木曜日

五竜とおみ・八方尾根スキー場 1977年12月22日~12月25日

 前回は雪がなくろくに滑れなかったので、遅れを取り戻すために、ガンガンと滑る。特にSと飯森ゲレンデで良く滑った。今シーズンはスキーをブリザードのファイヤーバード(200㎝)に変えたので、これに合うターンを探した。競技スキー用の板なので、やはりステップターンということになった。板が硬く、揃えて曲がることが難しいからだ。しかし、ステップしながら曲がるのも難しい。

12月24日

 八方尾根に滑りに行った。高度差のある大きな斜面を気持ちよく滑ったあと、誰かがポールをやったあとのえぐれた斜面を滑った。不得手な右ターンで右側のスキーの先端が雪に刺さり、刺さったところを支点にして体が1回転した。硬いと感じていたスキー板だったが、先端から30㎝ほどのところで少し上方向に曲がってしまった。勢い込んで買ったレース用のスキー板なのに、シーズン初めで壊してしまい情けなかった。わたしはやけになって、あとは石ころの見えたところでも構わず滑って下った。


 スキーは左右交互にターンして滑るのであるから、どちらかのターンが苦手なのは好ましくない。この苦手をどのように克服したらいいだろうか。


1977年12月16日金曜日

五竜とおみスキー場 1977年12月16日~12月20日

  満を持してシーズン初すべり。ところが雪なしで、17日は神城山荘に停滞となる。新しくクラブを作って、第一回目のスキー行がこれでは、前途多難を思わせる。

 18日は少し雪が降り、なんとか足慣らしぐらいはできるようになる。しかし、大勢のスキーヤーが限られた斜面に集中して滑るため、薄く積もった雪がすぐにはがれてしまう。とても残念。