1972年5月28日日曜日

大群山

磯工山岳部は今年の夏に行われる高校総体(インターハイ)に参加できるそうです
その予選が行われる前にT先生からそう言われました
予選の前から本大会に参加できることが分かっているのはなぜでしょう?

それはともかく4人のメンバーのひとりに加えられて予選に参加することになりました
メンバーのあとの3人はすべて3年生で、わたしだけが2年生です
他の2年生には申し訳ないような、うれしいような気持ちです

5月27日

昨年の関東大会の時と同じように箒沢から歩きます

いぜんは砂利道でしたが最近舗装道路になって、かえって歩きにくく感じます

川を渡ると、いつもより早く箒沢山の家に着いた感じがしました


簡単な開会式があって、さっそく天幕の設営になりました

ことさらニコニコ笑顔で設営しました


夕食はオープン参加している磯工山岳部のパーティーと一緒に食べました

その後大会参加者全員で歌を歌いました


5月28日

翌日は雨でした

またオープン参加パーティーのところで朝食してから、荷物をパッキングしました

キスリングは段ボールを使い見かけ良く大きくしてありますが重さは15キログラムしかありません

大会用のハリボテです


事前申告した時刻より15分ほど遅れて出発しましたが白石峠には予定どおりに着きました

そこから時間調整のために休憩したり、道に落ちているゴミをわざとらしく拾ったりしました

そして大群山を予定時刻丁度に通過しました


それから途中でキジを撃ったり、大杉丸で休んだりして時間を調整しました

また予定時刻丁度に犬越路に着きました


ここには各校パーティーの到着時刻を記録している先生がいました

休憩していると向の岡工業と横浜女子のパーティーが来ました


陽木沢の橋のところに、さっき犬越路にいた先生がいて、非常食を携行しているか検査されました

あとはひたすらのんびり歩いて、出発点の箒沢山の家に戻りました


こんな調子ではたしてインターハイに出られるのでしょうか?

予選に参加する前は、そんなことはどうでもいいと思っていました

今は、もし出られなかったらどうしようか、と心配しています

どうしたことでしょう?


1972年5月7日日曜日

鍋割山から表尾根

山岳部に新人が何人か入部してきたので昨年と同じように歓迎山行が行なわれました
4月に校内でビバーク訓練をやったのでみんなだいたい幕営の要領は分かっていました
しかい今回の引率は幕営の仕方について厳しいT先生なので油断がなりません

5月6日

大倉から退屈な林道歩きで二俣まで行きました

ここで幕営します


わたしは天幕を張る担当にされたのでT先生から小言をくらう確率が高くなります

やだな、やだな、と思っているうちに始まりました


「なんだその張り方は」「なんだこの張綱は」「なんだ、かんだ」

分かった、分かった、もう分かりました


5月7日

今回は山岳部で購入した背負子に荷物をくくりつけて来ました

これがメチャクチャ背負いにくいものであることがわかりまし


コースは目をとじても歩けるくらい良く知ったところです

鍋割山から小丸、大丸、塔ノ岳と登り、仲尾根を下りました


背負子に当たるところの背中の皮がむけてきました

それに今回は股ズレもできて、ものすごく悪いコンディションでした


今回の歓迎山行について、新人は取り立てて何も感じていないように見えました

彼らの無感動な様子が残念でした

わたしはこんなに熱中しているのにどうして新人は楽しくないのだろう?