1971年2月14日日曜日

大群山

誕生日(214日)の記念登山と洒落こんだ

土曜日で半ドンの中学校から急いで帰り西丹沢の箒沢に向かった
混んだバスを降りて箒沢の商店でコカコーラを2缶買い、林道を歩きだした
背に真新しいピッケルを差して歩くのが恥ずかしいくらい雪が少ない
宿泊する箒沢山の家に着いたが大きな建物にもかかわらず、泊り客が23人しかいない
その様子がちょっと気味悪い
しかし、夕方うす暗くなってから、さらに数人の客が来た

翌日の誕生日は天気がはっきりとせず、よっぽど小屋でこのまま寝ていようかと思った
気を取り直しラーメンを食って出発
陽木沢を遡り犬越路を目指す
犬越路で小休止してすぐに歩き出すとガスが出てきた
大群山の西の肩からさらに休まず山頂を目指す

着いた頂上には木が生えていて何も景色は見えない
またラーメンを作って食べる

白石峠に向かって歩くとさらにガスが濃くなってくる
しかし、ときおりガスの切れ間から道志の村が見える
白石峠からは急坂をころがるように下り、白石沢に出て箒沢に向かった

箒沢でぼんやりとバスを待っていると、作業帰りの車が通りかかった
新松田駅まで乗せてくれるという
ありがたく乗せてもらい新松田駅には4時頃に着いた

1971年2月3日水曜日

大山 1971年1月31日

朝起きると天気は予想したとおり快晴でした

いつも家族で出かける時よりもさっさと早く出発しました

今回はメンバーが父(46歳)、弟(8歳)、それにわたしという珍しい組み合わせでした


大秦野(現秦野)駅からヤビツ行きのバスがなかったので蓑毛行きに乗ります

蓑毛から柏木林道を歩きはじめると天気がいいので麓が良く見えます

ヤビツ峠にはたくさん積雪がありました

ここで少し休んでからイタツミ尾根を登ります

適度に積雪があって楽しく歩けます


989m地点からは塔ノ岳から丹沢山にかけての山並みが良く見えました

まもなく大山の山頂に着きました

北側には雪がいっぱい残っていますが南側は日当たりがよく赤土がさらけ出ていました

ラーメンを作ったりお茶を飲んだりと楽しいひと時を過ごしました


山頂から見晴台経由で下社へと下りました

途中二重の滝には水が流れていませんでした


1971年2月2日火曜日

丹沢主脈 1970年11月22日

勤労感謝の日の連休を使い中学校の友人のHIと出かけました

どんよりとした空の下を大倉尾根をすたこら登り塔ノ岳(1491m)の尊仏山荘に泊りました

連休の小屋はすし詰め状態で寝る場所はほんのわずかな隙間しかありませんでした

とてもゆっくり寝られる状態ではなく2、3時間しか眠ることができませんでした

眠れないので窓から外を眺めると秦野の街灯りがキラキラ光りとてもきれいでした


翌朝は大混雑の小屋から出て外で朝食をとりましたが、寒くてのどを通りませんでした

塔ノ岳を7時に出発し最初からガンガン飛ばして10時半頃には蛭ヶ岳(1673m)に着きました

蛭ヶ岳山荘の中も人でいっぱいでした


泥んこの道を姫次(1433m)に下り焼山(1060m)の展望台まで行きました

そこから鳥屋への分岐まで戻り植林が全部伐採してある道を下りました

下る途中の山肌に玉ねぎのような石があり面白いのでいくつか拾いました


またHIと面白い山登りをしたいと思いました

ところが彼は親から高校受験が終わるまで山登りは行かないようにと言われたそうです

本格的な冬を迎える前の山は静かでした


1971年2月1日月曜日

表尾根 1970年11月3日

少し寒くなってきて空気が澄み家から丹沢が良く見えるようになってきました
中学校の友人のHIを誘って表尾根に行くことになりました
彼とはクラスメートで以前八ヶ岳の清里にある飯盛山に登って楽しかったと言っていました
それでは今度丹沢へ一緒に行こうと話しをしていました

大秦野駅(現秦野駅)からヤビツ峠行きのバスは運休していました

そこで蓑毛から歩くことになりました

春岳沢の出合あたりでHIはバテ気味でしたがヤビツ峠に着くと急に元気になりました


二ノ塔(1144m)の急登になるとHIはまたバテ始めました

それでも頂上から富士山や表尾根の山並みを見たらまた元気になりました

塔ノ岳(1491m)の頂上からは南アルプスや八ヶ岳が見えました

それから泥んこの大倉尾根を下って帰りました