1986年12月31日水曜日

八幡平・裏岩手山

 1983年から84年にかけての年末年始にKSとふたりで八幡平から秋田駒へとスキー縦走した。その時の充実感を再度求めてやってきた。網張温泉スキー場から八幡平へ北上し、後生掛温泉へくだるルートだ。

12月31日

 網張スキー場に到着した時は、吹雪だった。出発の仕度が遅いKちゃんにイライラする。スキー場のリフトで、犬倉ロッジまで登った。そこにあったポストに登山計画書を投入れる。降りしきる雪の中を出発する。


 視界が悪く、ルートが定かでない。「双子峠コース」という看板と丸鉄板の番号標があった。これを500M位たどる。このコースは、スキーヤーがゲレンデをはずれて、樹林帯を大きく右側から巻くルートである。途中でスキーヤーの行くルートが左に下りはじめている。そこに1本の立木があった。ここから北西に向け、オオシラビソの林の中に入っていく。が、ルートが分からない。


 30分ほどウロウロした後、また1本の立木のところまで戻る。すると登山者が2人やって来た。盛岡山岳会の人たちだった。三ツ石山荘までのルートを尋ねる。2通りあるそうだ。ひとつはわたしたちが最初に試みたルート。しばらく行くと大松倉山に向かう切り開かれたルートに合流する。もうひとつは「双子峠コース」を忠実にたどる。ルートはずっと切り開かれているが、やや遠回りになる、とのこと。わたしたちは後者を選んだ。あらかじめもっと調べてくるべきだったと反省した。


 雨まじりの強風の中、先行パーティーのトレースに助けられながら三ツ石山荘にたどりついた。途中で地元のパーティーにあわなかったら、ここまで来られたか疑問である。


1月1日

 朝になっても吹雪は止んでいなかった。最終下山日は1月3日の予定だ。昨日迷ったので慎重になり、とりあえず1日ここで停滞することにした。


1月2日

 ようやく雪が小降りになったので、急ぎ松川温泉に下山した。次の低気圧が駆け足でやって来るのだ。

1月3日

 八幡平スキー場でスキーをした。後生掛温泉の湯治棟に泊って、ゆっくり温泉に入ろうという願いを満たせず、後髪をひかれる思いで帰京した。



1986年12月21日日曜日

1986年12月21日~23日 札幌国際スキー場

 Kちゃんも往復飛行機で北海道へスキーに行きたいと言いだした。自分1人だけで行ったのはずるいと。それで急遽旅行会社の企画するツアーに参加して、また出かけた。

 天気が悪くて、スキーはあまり楽しめなかった。

 

1986年12月15日月曜日

1986年12月15日~18日 ニセコ比羅夫 職員組合

 日本のバブル景気は、1987年から1990年にかけて起ったとされる。それがわたしの身近で感じられたのが、この早大職員組合主催の北海道スキーツアーである。この年まで、職員組合が企画するスキーツアーは志賀高原へのバスツアーなどだった。それがこの年、初めて往復ジェット機利用というリッチなスキーツアーになったのだ。2年前、新婚旅行を兼ねて北海道へスキーに行ったが、その時は上野駅から夜行急行列車で行き、帰ってきた。

 ニセコの雪は乾燥していて、とても軽快な滑りができたのが印象的だった。雪があまりに軽くて、ゲレンデ外で転倒し、スキーが外れて雪にもぐってしまうと、探すのが大変だった。