1983年12月29日木曜日

八幡平から秋田駒ヶ岳

12月29日晴れ

 上野から夜行列車を乗り継ぎ、盛岡に早朝に着く。(5:30) バスに乗り八幡平スキー場に着く。暮れとはいえ、客が少なくてガランとした感じがするスキー場をあとにして、茶臼岳へつづく稜線をたどる。(9:00) トレースもあり、天気もまあまあで、まずは快調な滑り出しである。


 茶臼岳から八幡平の間はモンスターが発達していて、その自然の造形美は神々しい。これから歩くだろう山並みの向こうに、かすかに秋田駒ヶ岳が午後の陽をおぼろに受けて佇んでいる。


 稜雲荘に昼過ぎに着く。(13:15) 清潔でしかも頑丈そうな小屋で、薪も豊富で快適だ。明日の偵察を兼ねて八幡平の頂上まで行く。しかし全体にノッペリしていて、どこが山頂だか分からない。まあこの辺りだろうと決めて小屋に引き返す。(13:45)


12月30日曇りのち晴れ

 まだ薄暗い雪原に立つと、雲が頭上を通過している。雲の切れ間から月が見え隠れしているので、天候が回復することに期待をいだいて出発する。(6:45)

 諸桧岳付近は山容が穏やかなので、ルートファインディングが難しい。しかも視界が利かない天候なので地図と磁石が頼りである。それでも1,481M峰までくると、ガスが晴れて岩手山の堂々とした姿が見え始めた。(10:30) 大深山荘もポツンと見える。


 たどり着いた大深山荘は、1982年秋に建て替えられたばかりのこぢんまりとしたキャビンで、昨夜の稜雲荘同様いい山小屋だ。(13:15) 外はどんなに寒くても、小屋の中で薪ストーブをバンバン焚いて、Kのキムチ鍋を大汗かいて食べれば天国だ。


12月31日晴れ

 今回の山行で、最も長い行程になると予想していたのは今日だ。その日がドピーカンになってくれるとは、わざわざやって来た甲斐がある。(6:25) さんさんと降り注ぐ太陽の下を嬉々として歩いていると、いつの間にかウサギや、キツネや、カモシカの道に入り込んでしまう。それほど彼らの道は立派で、わたしたちの歩みは頼りなく、つたない。


 日光が頭の上から雪面をあぶりだす頃になると、ちょっとした心配事が頭をもたげてきた。12月の初めに2人で神楽峰にツアーに行ったとき、頂上まであと30分という所でスキーが団子になりだして、ヒイヒイいいながら足を引きずるようにして登った。またしてもそのときと同じような嫌な雰囲気だなと思っているうちに、しっかり団子が出来はじめる。ワックスをシールにこすりつけてみたりしたが、あまり効果もない。ままよとばかりに曲崎山のてっぺんまでスキーを引きずり上げた。(12:25) 山頂からすこしスキー滑降ができた。


 到着した年越しの宿、大白森山荘は、お世辞にも快適とはいえなかった。(14:50) 例によって焚火を始めたまではよかったのだが、煙突の排気の具合が悪くて、煙攻めにあっているのと同じ。秋田名物に「いぶりがっこ」というたくあんの燻製があるのを下山してから知ったが、なんのことはない、大みそかのわたしたちは「いぶりがきっこ」だったのだ。


1月1日雪

 出発時から吹雪というのは嫌なものである。(6:40) それでも今日1日歩けば、だいぶ先が見えてくる。大白森の雪原を抜けて、小白森へとラッセルを続ける。トップを適当に交代するのだが、考えることといえば、トップの時はルートをどうとるかということ、セカンドの時は下山したらタラフク飲んでやるということ。


 田代平山荘に着いたのは昼過ぎだったが、秋田駒ヶ岳まで行くとなると時間的にちょっときついので、ここで泊まることにする。(12:20) えらく寒いコンクリート造りの小屋でKと「ちゃっぷい、ちゃっぷい」を連発。


1月2日曇りのち晴れ

 出発時からガスの中で風がやたらに強い。(6:45) 乳頭山の頂上はシールでは立って歩くのに不安を感じる。乳頭山の南側の断崖を北側から巻くようにして降りようとしたところ、北に寄りすぎて現在地を見失う。(7:30) ガスが晴れるまでしばらく待ち、地形を確認してから笊森山に登り返す。(9:30) 強風にあおられながら熊見平、湯森山を越え、田沢湖の見えるスキー場へ飛び出す。(13:50)


1983年12月10日土曜日

神楽ヶ峰

  上ノ芝にテントを張り泊る。翌日神楽峰に向うが、新雪の上に日が照りつけて、シールが団子になり往生する。