1982年11月20日土曜日

富士山

 今年の無雪期は、岩登り、特にフリークライミングを集中的にやった。しかし、もうひとつ満足感がなかった。パートナーとしっくりいかなかったことも、その原因のひとつである
 そのような中で、この冬富士登山は、ひとつの転機になった。この山行で、Yが足首を捻挫し、それをカバーするためにわたしは奮闘した。そのことによって、Hさんに好感を持たれた。こんな小さなことでも、まだTSMCにいる気を起こさせるものである。
 この頃わたしはTSMCに入会したことを後悔し、もっと山スキーをがんがんやる会に入り直そうと思っていた。会の中でリーダーシップ争いがあって、自分もそれに巻き込まれた。そして古参の会員から不本意な批判を受けたのである。
 RSSAという山スキーの会があって、活動が活発なようだ。それでその会の代表に電話をして何度か会い、RSSAの様子を聞いてみた。ところがどうも様子がおかしい。代表以外に会員の影がどこにも見えないのである。それで、この会に過去かかわっていた人に聞いてみると、RSSAという会がすでに有名無実であることが分かった。
 そのようなことを知って、会の所属を変える気持ちはいっぺんに萎えた。

 

1982年11月13日土曜日

鷹取山

  手帳には、ダイレクトルート ワンテンション、戸田ハング 3回目でクリヤとある。