わたしは1977年12月のWLSK創立から、4年以上にわたって積極的にスキーや登山をしてきた。自分が思い描いたような会にはなっていなかったが、会員は40名ほどにもなっていた。
そのような会の人数規模の発展とは裏腹に、わたし自身はこの会で活動していくことに楽しみを見いだせなくなっていた。自分自身が山やスキーに求めているものが、この会では実現できないという限界を感じた。
このころわたしは、早稲田大学の専任職員になって約2年間が経過していた。経理課に配属されていたが、そこでの仕事が自分に向いていないことを痛切に感じていた。WLSKにおけるスキーや登山と同様に、仕事でもどうにもならないくらい行きづまった。
遊びも仕事もダブルでうまくいかなくなってしまったのである。
そこでわたしはこの状況を打開するために、1982年の春にふたつのことを実行することにした。ひとつは自分たちで作ったWLSKは退会し、社会人を中心にした東京スキー山岳会(TSMC)に入会して山スキーに集中することにした。もうひとつは、もっと自分に適性のある別の職場へ移れるよう、上司に申し出ることだった。TSMCへの入会はすぐにことが運んで、では早速岩菅山へツアーに行こうということになった。
東京駅から志賀高原行き夜行バスに乗り、一之瀬スキー場に早朝に着く。
ゲレンデの食堂で朝食をとったあと、一番リフトで寺小屋峰の登り口まで行く。天気はくもりで雪が少し降っている。まず樹林帯を登ると、これから行く岩菅山への稜線が見わたせた。
その稜線に入ると、尾根の幅が狭く、小さなアップダウンがあり、おまけに風紋が発達していてスキーには不向きな条件であった。そこを過ぎ、岩菅山の登りにかかると青空が見えてきた。斜面には針葉樹の頭がのぞいている。そこを大きくジグザグを切りながら登る。山頂は比較的広く、避難小屋は雪に埋まって見えなかった。
岩菅山で |
山頂からの滑降を楽しみにしていたが、ルートを間違えてしまった。山頂から西方向に派生している尾根を下るべきところが、北寄りの谷に入ってしまったため、かなり急な斜面などが出てきて、快適な滑降はできなかった。雪質もモナカ状で良くなかった。