1980年4月19日土曜日

巻機山

 大学の専任職員になり、2か月続く研修のペースも分かった。体調も良くなってきたので山に行くことにした。

4月19日

 上野駅を早朝にたつ急行で出発した。六日町に11時頃に着いた。車窓から見える田んぼにまだ分厚く雪が残っている。


 12時半まで清水へ行くバスが無いので、駅前の食堂でビールを飲みながら昼食をとる。


 バスは満員で老人と子供の乗客が目立つ。バスは上り坂をあえぐように登り、清水に着いた。


 今夜は清水に泊まる予定で、なるべく山の上の宿に泊まろうと思った。しかし、バスに乗り合わせたおばさんに聞いたところ、うえの宿はみんな閉まっているとのことだった。それで「やまごにしなさい」といわれた。


 「やまご」は道路わきにある、一見して古い宿だった。中に入って「泊めてください。」というと、「1人かね。」と聞かれ、そのまま2階の6畳に通された。きれいな部屋ではないけれど、なにか親しみを感じる雰囲気があった。ぼんやりしていると、さっきの奥さんがお茶を持ってきてくれた。部屋に入る前に「失礼します。」と声をかけるのは習慣だろうが、山の中では耳新しく聞こえる。


 一休みしてからスキーをかついで出かけた。林道を登って行くと杉林の中へ入っていく2人パーティーが見えた。わたしは巻機山が初めてなので、すかさずその人たちのあとを追っていく。杉林の中で同じように針葉樹の中を歩いた昨年の至仏山のことを思い出す。


 米子橋のところで2人パーティーに追いついて山の様子を聞いた。正面の尾根が井戸尾根で、取り付きの急斜面が井戸の壁、そこを越えるとしばらく緩斜面になり、また急になって登り切ったところがニセマキハタだそうだ。


 その2人と一緒に2時間ほど登った。彼らはそこから下山するとのことだが、わたしはまだ日が高いので、もう少し登ることにした。するとその2人は、わたしが降りてくるのをここで待っている、とのことだった。どうぞお好きに、と心の中で言って、また登った。


 天狗岩が見えるところまで登り、3月のヨーロッパ以来ひさしぶりにスキーで滑った。ちょっと調子が出なかった。2人パーティーと合流し、一緒に下ったが、2人はスキーが得意ではないとみえ、ペースが合わなかった。


4月20日

 天気が良くなく、風も強かったが、予定通り巻機山に登り、滑り降りてくることにした。

 宿の1階に降りると、朝着いて朝食をとっている人たちがいた。昨日の2人パーティーとは違い、登山経験の豊富な土地の人たちのように見えたので、わたしは割引(ワリメキ)沢の様子を聞いた。すると彼らはわたしの期待した通り「1年中で一番いい時だ。」と答えた。その言葉に励まされて、いさんで出発した。


 宿から1時間ほどで割引沢に出た。そこに5人ほどのパーティーが休んでいた。わたしはどんどん沢をつめ、落合と標高1,500m地点で各1回休み稜線に出た。沢の中も風が強く、1か所滝が露出していた。また大きなデブリが2か所あった。沢の標高1,500m地点より上は、スキー滑降には不向き見えた。


 稜線に出るとさらに風が強くなり、相変わらず空は雲に覆われていた。しかし、巻機山頂に着いたとき、一瞬だけ薄日が差した。ここで今朝宿であった人と合流し、避難小屋で昼食を食べ、滑降にかかった。快適な滑降で、あっというまに檜穴ノ段まで下ってしまう。


 ここから割引沢に滑り込む。滑り出しは快調だったが、右ターンを意識した時、一度転倒してしまった。アイガメノ滝でスキーをはずし、デブリを歩いて下り、またスキーをつけて、あとは一気に米子橋まで滑る。


 ここには昨日の2人パーティーと今朝のあの人がまたいた。彼はわたしに缶ビールをくれた。20年前に米子沢を初遡行した人なのだという。この人は宿でさらにサイダーをおごってくれ、おまけに六日町駅まで車に乗せてくれた。