1977年11月21日月曜日

富士山

ヨーロッパアルプス登山に備えてMさんと冬富士へ行った。

11月22日
 猛烈な地吹雪の中を富士山の雪上訓練に向かう。昨日は月明かりの中をスバルラインを登ってきた。それからテントを張って寝たので、ゆっくりできた。その分元気が出るというものだ。

 しかし、雪が少ないのには驚いてしまう。5合目の吉田大沢まで出て山頂を見る。実に9合目あたりまでまっ茶色の地肌が見えている。だから、雪上訓練をやるには、雪のある9合目まで登らなければならないということである。

 足元を見ながら登っていると、雪と砂利がまじった突風が吹きつけてきて二三度バランスを崩しそうになる。口や鼻のまわりは砂だらけになってしまった。

 夏道を8合5勺まで登り、軽食をとったが、強風で落ち着かない。食事もそこそこに吉田大沢へとトラバースする。歩行、ザイルワーク、滑落停止の訓練をひと通り終えて、5合目のテントに下る。ポリタンクに入れておいた水はカチンコチンに凍っていた。


11月23日

 快晴に恵まれて、頂上アタックの気分が盛り上がる。5合目で日の出を迎え、山頂へ。昨日のように強風が吹き荒れていないのがいい。8合5勺でアイゼンを装着し、須走口の登山道までトラバースして、テルモスの茶を飲む。相模灘が金色に輝き、その真っ只中に大島が浮かんでいる。広大な雪面をジグザグと登り、山頂の赤鳥居を目指す。途中で軽く食事をして、一気に山頂まで登った。


 巨大な噴火口を隔ててみる測候所と剣ヶ峰の姿は、2か月前と変わらない。氷点下20度くらいだろうか。身が引き締まるようで気持ちがいい。だが、止まっていると寒くなってきたので下山する。8合5勺からザクザクの砂道を駆け下った。