1975年5月5日月曜日

蓬峠

武能沢で 1975年5月2日
 1年間の浪人生活のすえ、4月から大学に入った。すると3月までより格段に暇になったが、一方で定期的な収入が得られなくなったので、早速アルバイトを始めた。横浜駅近くの植木屋の店員だった。ゴールデンウィークまでここで頑張って働いた。


 昨年1年間は、大学受験のことで頭がいっぱいで、何か好きなことをやるのを意識的に避けていた。それで、いつも物足りない感じを持っていた。そしていよいよ大学に入学でき、なんでも思い切ってできる状況になったのだが、何をやればいいのかさっぱり分からないでいた。


 そんな時、植木屋のアルバイトは頑張り甲斐のあることだった。1日目いっぱい働いたあとの疲労は心地よいものだった。浪人の時は、風邪をひいたり、くたびれすぎて調子を崩してはいけないと用心をしていたので、とことん自分の体力を使い切ることを避けていた。それが、植木屋で昼間一生懸命働いて、夜ぐっすりとねるのは、気持ちの良いことだった。


 そうやって、精一杯体を使うことの気持ちよさを思い出したので、わたしはまた山に行きたくなったのだろう。


 谷川岳の蓬峠に行けば、まだ雪が沢山残っていて、スキーができるだろう、ということで、そこに出かけることにした。メンバーは、磯工山岳部で一緒だったSと2年年下のI、それにSの会社の友人のYとわたしの4人だった。


5月3日

 上越線の夜行列車で水上まで行き、そこからタクシーで湯檜曽川の出合まで入った。残雪のあいだに見えている旧道を川沿いに遡っていく。天気は良くなく、雲が厚く頭上を覆っている。期待していた一ノ倉沢の大岩壁は、ちらりとも見えなかった。


 雨が降り出し、Sがひいひい言って歩いている。道はやがて湯檜曽川を離れ、武能沢に沿って高度を上げていく。さらに行くと白樺尾根に向かいまっすぐ登るようになる。尾根上に着くと小さな避難小屋があったので、そこで昼飯を食べることにする。


 このあたりから、夏道は完全に雪の下になる。雪の上にははっきりしたトレースがあったので、それをたどり、たやすく蓬峠まで行けた。まず避難小屋の中を覗いてみると、狭いところに大勢の人がごちゃごちゃと寝ていた。ここに泊まろうと思っていたのだが、ダメになってしまった。それで蓬峠ヒュッテに行って泊まることにした。


 ヒュッテに荷物を置くと、Sが早く滑ろうと言い出した。峠までの登りではばてていたようだったのに、スキーはまた別らしい。滑ってみると、Sはいつの間にかわたしより数段滑るのが上手くなっていた。わたしが1年間浪人しているうちに、どこかへスキーに行って足前をあげたらしい。悔しい。


5月4日

 また天気が良くなかったが、スキーや相撲などをして遊んだ。また避難小屋を覗いてみると、人がいなかったので、ヒュッテから荷物を移し、今夜はこちらで泊まることにした。夜になっても他のパーティーは来なかったので、わたしたちだけで悪ふざけをして遊んで楽しかった。


5月5日

 下山


 今回の経験から分かったことは、峠から下に向かって滑るのは、傾斜がきつすぎて上手く滑れないということ。むしろ、峠よりさらに上に登って、峠に滑り降りてくるのが良いと思う。