1973年7月27日金曜日

大滝山ー槍ヶ岳ー薬師岳

 磯工山岳部の年間を通じてのメインな山行である夏期合宿は、行先を3年生が決めるのが慣例になっていた。ついに僕たちの年代が、夏期合宿の行先を自由に決められることになったのだ。僕は部長としてこの時がくるのを心待ちにしていた。


 当初は北アルプスの大滝山、常念岳、大天井岳、槍ヶ岳、三俣蓮華岳、雲ノ平、薬師岳と縦走することを計画した。しかし、夏期合宿は、予備日を含めて7泊8日の範囲で行うという制限があったので、この計画には少し無理があった。そこで、雲ノ平へ行くのはあきらめ、三俣蓮華岳からは黒部五郎岳を経て薬師岳へ行くコースとして最終的に決定した。


 この計画は、磯工山岳部が過去に夏期合宿として実施したいずれの山行よりもスケールが大きかったと思う。しかし、残念ながらこの合宿に参加したのは、生徒は3年生3人、2年生2人、1年生1人に、顧問が2人の合計8人と少なかった。1年生の参加は3人を予定していたが、直前になって1人がケガで、もう1人が下痢のため参加をとりやめた。1年生の合宿参加者が少ないと、後々山岳部の運営に影響がでることが懸念された。


 山行中のアクシデントは多々あったが、そのうちのいくつかについて、反省を込めて書いておく。

河童橋で 1973年7月21日

 まず、3年生のOのこと。Oは大天井岳の手前から調子が悪くなってきて、西岳での1泊を経てなんとかだましだまし槍ヶ岳の肩まで登った。しかしここですっかり動けなくなってしまった。引率のM先生によれば、高山病だろうということで、OはM先生に付き添われて、槍沢から下山することになった。残念なことだった。

常念乗越で 1973年7月23日

 もうひとつは、僕とSの行動についてだった。快晴の槍ヶ岳の肩から槍の穂先へ登る際に、僕たち2人は小槍に登ってみようと思って、勝手に行ってしまったのだ。1年生の時と同様に心が浮き上がってしまったのだ。しかし、肩の小屋から小槍へ行くトラバースで怖い目にあったので、登頂は早々にあきらめて戻った。この行動をM先生に見とがめられて、こっぴどく怒られた。もし事故を起こしたら、その責任は顧問が負うのであるから、怒られて当然のことではあった。

三俣蓮華岳で 1973年7月24日

 さて、この合宿の最後の日は、薬師峠から薬師岳をピストンして、山頂から槍穂連峰をゆっくり眺めた。峠で荷物をまとめ、折立へと下山した。その途中、広々とした尾根から薬師岳を振り返り、日当たりの良い草原で昼食をした。

太郎兵衛平付近で 1973年7月26日

 この時僕はしみじみと、自分の高校3年間の山登りが終わったのだなと感じた。そして、これから受験勉強をして大学入学を目指すのだが、その展望は不良であり、何をどうして良いのか皆目わからなかった。今回の山行で味わったような晴れ晴れとした気持ちを、今度はいつ味わえるのか、全く想像もつかなかった。